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一杯の紅茶

「あれはローサス王国の第一皇子タザヤだね。その後ろには、かの英雄シンバル家の長男トーキ。 ――おっ、いま船から降りて来たのは砂漠の王国カーランの第三皇子ホナメトスだ。全く、どいつもこいつもイケメンばかりで嫌になるぜ」

 法皇達との話し合いを半ば強引に終わらせて、舞い戻った自室。

 その自室の中にマリアが入ると、窓の外を愉快そうに眺めて、窓からは見えない筈の遠くの状況を伝えてくる先客の姿があった。

 その後ろ姿を見付けるなり、マリアが今日何度目になるか分からない大きな溜息を吐き出した。


「また……勝手に……」

 法皇達の説得から逃れたと思ったら……。ここ数日、心休まる暇がない。


「おかえり。随分お疲れのようだね。紅茶でも?」


「いただきます――じゃなくて! 何度言わせるのです! 勝手に大聖堂に、そして私の部屋に入らないで下さい!」


「おいおい、堅い事言うなよ。僕と君の仲じゃないか」


「私の認識が間違っていなければ、あなたはそこのナイフを突き刺して今すぐにでも殺してやりたい程に憎い敵だと思いますけども」

 喋りながら歯軋りが聞こえてきそうな口調と表情でマリアが先客に悪態をついた。


「よしたまえよ、聖女が殺すとか」

 片手を上げて、呆れたように魔王スノーディアが笑う。

 それから、マリアがギリギリと爪を突き立てるテーブルに淹れたばかりの紅茶を笑顔で届けた。

 二人ぶんの紅茶を用意した後、当たり前の様に魔王がマリアの対面の椅子へと腰掛ける。


「帰れ!」

 マリアが叫ぶ。


「紅茶を飲んだらね」

 マリアの怒りなどお構い無しに、スノーディアは紅茶の入ったカップを優雅に傾けた。

 そうやって、紅茶を一口飲んだ後、魔王がゆっくりと話し始める。まるで昔からの友人の様な雰囲気で。


「続々と集まって来ているね」

 主語も告げずにそう話すが、マリアは「何が?」とは聞かなかった。


 魔王との勝負が始まって以降、ここネウロには今までよりも多くの人々が集まり始めている。それも若い男ばかり。しかもそのどれもが世間一般でいうところのイケメン揃いである。

 それらは決して信仰心などで集まっている訳ではない事は、マリアとて判っている。

 簡単な話、それらの目的はただひとつ、聖女マリアに他ならない。

 ある意味、人生初のモテ期である。マリア的には全く嬉しくないのだが……。


「ホント、豚が揃いも揃ってよくも不純な動機でここ神のお膝元ネウロに来れるものだね。信仰心が泣いてるよ」

 全く思ってないであろう事を口にして魔王が笑う。


「誰のせいですかぁ」

 今にも叫びだしたい衝動を抑えてマリアが言った。

 腹立たしい、憎たらしい、いますぐその首を絞めて黙らせてやりたい。


「起こってしまった事は仕方無いだろ? あまり友達を悪く言うなよ」


「あなたと友達になった覚えなどありませんッ!」


「それは知らなかった。じゃあまずは友達から始めようか」


「お断りします!」

 ハッキリとそう言って、マリアは熱いのも構わず淹れたばかりの紅茶を一気に飲み干した。

 熱さで喉元が悲鳴をあげたが、そのお陰で今にも爆発し弾けんばかりの怒りの感情が少し薄くなった様な気がした。


「もっと味わって飲みたまえよ」


「うるさい」

 スノーディアは少し困った様な笑みを浮かべると、自身の紅茶の入ったカップを一気に傾けた。

 そうして、静かに空のカップをテーブルへ戻すとゆっくりと椅子から立ち上がった。


「また来るよ」

 それだけ言い残し、スノーディアはマリアの部屋を後にした。



 一人部屋に残されたマリアは、スノーディアの出ていった部屋の扉を見つめながらここ数日の事を思い返す様に思考に耽った。


 魔王スノーディアがマリアの元へとやって来たのは今日が初めてではない。

 最初にマリアの元へとやって来たのは、魔王と聖女、二人の勝負が開始された当日の事であった。

 その日も、今日のように法皇達との話し合いが行われたのだが、事もあろうに魔王はその話し合いの場に堂々と現れた。手には薔薇の花束を持って。

 突然の魔王の来訪に、話し合いの場は大混乱に陥る。

 しかし、それが自分のせいなどとは露程にも自覚が無いのか、魔王はニコニコと笑顔を振り撒きながら、ゆったりとした動作でマリアへと近付くと薔薇の花束を差し出した。

 

 その魔王の態度と行動に激昂したマリアは、差し出された花束を受け取らず、殴り付ける様に床へと叩き付けた。

「薔薇に恨みでもあるのかい?」とは魔王の言葉。

 特段怒るでも悲しむでもなく、飄々とした態度でそう告げると、戦々恐々とする法皇達を軽く見回した。

 魔王の視線に法皇達が震える中、魔王は全員に見せ付ける様に軽く腰を曲げ優雅に頭を下げた。

「今日は挨拶に来ただけでね。これで帰るよ」

 そう言って、魔王はその言葉通り、踵を返すと静かに去っていった。

 後には、呆然と立ち尽くす5人の法皇と高く眉を吊り上げたマリアだけが残された。

 それが勝負開始当日の事。


 次に現れたのは翌日の事であった。

 場は昨日と同じ大聖堂の一室。

「こんにちはー」と満面の笑みを浮かべて扉を開けた現れた魔王。

 その様子は、まるで友達の家に遊びに来た、とでもいうような軽いものであった。

 二回目ゆえか昨日ほどの大混乱になる事はなかったが、それでも大聖堂内には激震が走った。一度ならず二度までもやって来た魔王に法皇達は頭が痛くなるのを感じた。


 その法皇達の頭痛の種である魔王スノーディアはというと、法皇達の気持ちなど知らぬ存ぜぬといった様子で、マリアや法皇達が囲む円卓へと歩み寄ると、一体どこから取り出したのか、カップを二つ、円卓の上へと並べ、何食わぬ顔で湯気の上る紅茶を注ぎ始めた。

 途端、辺りに広がる紅茶の匂い。


 注ぎ終わると、魔王はその内のひとつを「どうぞ」、と言ってマリアへと差し出した。法皇達の分はない。

 紅茶を差し出された瞬間、警戒し魔王の一挙一動を静かに注視していたマリアの怒りのリミットが頂点を突き抜けた。

 マリアは乱暴にカップを掴むと、勢いままに熱い中身を魔王の顔目掛けてぶっかけた。

 場に戦慄が走る。

 マリアの暴挙の一部始終を見ていた法皇達の顔が目に見える程に青褪め、そのあまりの出来事に5人の誰一人として声を発する事は出来ずにいた。

 場には、絶句する法皇達、憤怒の表情で魔王を睨むマリア、僅かに蒸気する紅茶の滴を、顎下や前髪からぽたぽたと床へと落とす魔王。

 誰も言葉を発しない静かで不気味な空間。


 そんな中。

 最初に言葉を発したのは魔王であった。


「紅茶が好きだと聞いたんだけどね。まぁ生憎、紅茶には疎くてね。聖女様のお眼鏡的には、どうやら不合格であったらしい」

 熱い紅茶が自身にかかった事など気にも留めず、まるで一人言の様に言い、それから、残った自身の紅茶をおもむろに手に持つと、そのまま逆さにひっくり返し、その中身を全て床へとぶちまけた。


「今日はこれで帰るよ。また明日ね」

 その後、魔王は微笑み、そう言い残すと、昨日と同じ様に部屋の扉から静かに出ていった。


 魔王が去った後、部屋はしばらく静寂に包まれた。

 やがて、まるで魔王が遠くへ行くのを待っていたかの様に法皇の一人が口を開く。


「マリア、あの様な真似はやめよ」


「何故ですか?」


「魔王の不興を買うからに決まっているであろう」


「アレに気を使う必要など無いでしょう」

 当たり前だとでも言う様にマリアが返す。

 そんなマリアに法皇は小さな溜息をついた後、口を開く。


「……とにかくだ。魔王を怒らせる様な真似は慎め。寿命が縮む思いだ」


「……努力致します」

 素直に首を縦には振らず、含みを持たせる様にマリアが返事をした。



 その翌日。勝負開始から三日目。

 また明日ね、という昨日の言葉通り、ニコニコと笑顔を振り撒きながら三度(みたび)魔王が大聖堂へと現れた。

 ただし、今日はマリアからの提案で、話し合いの席は昨日一昨日の部屋とは別、大聖堂内でもっとも広い礼拝の間に設けられていた。

 そこに魔王がやって来たのだ。


「来ましたね」

 魔王の姿を目で捉えるや、勝ち誇る様にマリアが言う。


「……今日は随分大所帯なんだね」

 周囲を見渡しながら、なんでも無い事の様に魔王が笑う。


「そうやって笑っていられるのも今日が最後です」

 マリアが座っていた椅子から立ち上がる。

 そのまま、魔王と対峙する様に体を正面に向き合わせると片手を突き出し宣言した。


「本来、大聖堂内での武力行使は禁止ですが、今日は特例です。創造神メネット様のお膝元で行われる勝手気儘な魔王の蛮行、許されるものではありません。

 聖女マリアの名の元に集いし信心深き聖戦士達よ!

 神に仇なすかの魔王を討ち滅ぼしなさい!」

 マリアの凛として澄んだ声で紡がれる高らかな宣言が礼拝の間に響き渡る。

 それを合図に、教会お抱えの聖騎士団から選りすぐれられた白く優美な鎧を着込み武装した聖騎士50人が、魔王を素早く取り囲む。

 また来る、という魔王の言葉を聞いたマリアが、昨日の内に用意した50人である。


「……相変わらず、教会の連中は頭のおかしな馬鹿ばっかりだぜ。――まぁ、馬鹿は嫌いじゃないけどね。からかうには丁度いい」

 不敵に微笑みながら魔王が言った。


 そんな魔王の態度を見たマリアも不敵に微笑む。

 魔王は余裕ぶっているが、内心の焦りが透けて見える様でマリアは見ていて最高に気分が良かった。

 確かに魔王は強い。あの勇者達を一蹴してみせたその実力は本物であろう。

 だが、と思う。

 元々マリアはあの勇者にそこまで期待をしていなかった。世間では歴代最強などと持て囃されていたが、いかんせん、あの者には信仰心が不足していると、マリアは感じていた。

 神をあまりにも軽く見過ぎている、と。

 本来なら個人の信仰の大小を気にし、強制する様な事ではないが、仮にも魔王討伐を期待される勇者ならば、もっと真剣に神のお言葉に耳を傾けるべきである、とマリアは考える。

 それなのに、あの勇者は世間に持て囃され、その実力も相まって少々自信過剰になり、神をないがしろにしている節がある。

 あれでは、偉大な神のご加護など期待出来まい。

 案の定、勇者は手も足も出せずに魔王に破れた。


 だが、今この場にいる聖騎士達は勇者とは違う。

 信仰に厚く、神の為ならば命をなげうつ事も厭わない教会自慢の騎士集団。

 その実力も折り紙つきで、数千人にも及ぶその中から、特に腕の立つ者を選りすぐった精鋭の中の精鋭。それが50人。

 いくら魔王が強かろうと単独で彼らに勝てる訳がない。

 マリアは勝利を確信していた。ゆえに、自然と笑みが溢れてくるのも致し方のない事。

 魔王と交わした馬鹿げた勝負など関係ない。勝負相手である魔王がいなくなれば、それすなわち、マリアの不戦勝。それで世界は永劫の平和を手に出来る。


 その時こそ――


「はい、おしまい。君達雑魚とのつまらない戦闘なぞオールカットだぜ」

 魔王が笑う。


「なっ……なっ……」

 あまりの光景にマリアは絶句する他なかった。 

 笑う魔王の周囲では精鋭中の精鋭50人が、ただの一人も動かず倒れ伏していた。


 そんな馬鹿な……。

 これが魔王。これが神の敵。こんなものがこの世に……。

 目の前が真っ暗になった様な感覚がマリアを襲う。

 私が……私は魔王を甘くみた。判断を誤った。そのせいで、信仰心のあつい50人、いや、信仰心などどうでもいい。私のせいで、多くの人を無駄死にさせてしまった。私は……なんという愚か者なのか……。なんという罪深いことを……。


 愕然とし、ヨロヨロと力なく倒れる様に背後の椅子に寄り掛かったマリア。

 そんなマリアに、聖騎士を踏みつけながら魔王がゆっくりと歩み寄る。

 マリアの眼前まで来ると、魔王は椅子に力なく腰掛けるマリアを見下す様にして眺め、口を開く。


「他ならぬ聖女ちゃんが、わざわざ僕の暇潰しを用意し、大多数の歓迎と供に出迎えてくれたんだ。僕としては、それの相手をするのはやぶさかではないが……」

 そこまで言って魔王がマリアの耳元に顔を近付ける。


「次は一匹残らず殺すよ」

 魔王が囁く様に言った直後、魔王の背後で倒れる聖騎士達の何処からか小さな呻き声があがった。

 その小さな小さな声は、茫然自失にうちひしがれるマリアの意識を呼び戻すには十分過ぎる程に大きく小さな呻き声であった。


 目を見開いたままマリアが聖騎士達へと顔を向ける。

 そうして、よくよく観察してみると、倒れる聖騎士達の鎧から見える生身の身体部分が僅かに動いているのが確認出来た。


「……生きてる」

 誰に確認するでもなく、自分に言い聞かせる様にマリアが呟く。

 近付けたままであった顔をマリアの耳元から外し、小さく笑いながら魔王が応える。


「一応、勝負の真最中だからね。勝敗が決するまでは殺さないさ。君との約束でもあるしね」

 飄々とした空気をまとって魔王が告げた。


 途端に、マリアの眼からぽろぽろと大粒の涙が溢れ落ちる。

 生きてる……生きてる……。

 小さな、掠れ気味のマリアの嗚咽が、静まりかえった礼拝の間でひどく大きく聞こえた気がした。


 魔王はその様子をしばらく静かに眺めた後、やっぱり何処から取り出したのか分からない二つのカップを礼拝の間にある小さなテーブルの上に並べ、それらに蒸気をはらんだ紅茶を注ぎ淹れた。


「飲みたまえ。落ち着くよ」

 優しい口調でマリアへとカップが差し出される。

 マリアは涙を湛えた目でそれを少しだけ眺めた後、両手でカップを受け取った。


「熱いから気をつけたまえ」

 言って、魔王が自身の紅茶に口をつけた。

 マリアは受け取ったカップの中で湯気を上らせる紅茶を見つめると、深呼吸でもする様に、ゆっくりと数度、紅茶に息を吹き掛け、口をつけた。

 

 マリアが紅茶に口をつけた事を認めると、魔王は少し離れたところで様子を見ていた教会の関係者に何やら手だけで合図してみせた。

 魔王の指示を受けたその人物は、魔王に怖れながらも指示の中身を理解し、慌てて何処かに立ち去った後ですぐにまた戻ってきた。動ける者を数人引き連れて。


 それから、礼拝の間にてそれらの人物が倒れる聖騎士達を介抱し、全員を何処かへ連れていく間、魔王と聖女は一言も言葉を交わさず、二人、ただ静かに紅茶を飲んでその様子を眺めて過ごした。


 そうして、礼拝の間に魔王と聖女以外の誰も居なくなったところで、魔王は残った紅茶を飲み干し、「またね」と静かにそれだけ言い残して去っていった。


 礼拝の間には、膝の上に両手に握ったカップを乗せた聖女の一人だけが残された。

 カップの中は綺麗に無くなっていた。

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