四話
「なっ、そんな馬鹿な!?」
広場に強盗を企てた人形劇の一座の座長の声が木霊する。
その場にいた誰もが凄惨な光景を想像していた。小柄な少女が、排熱に揺らぐ空気を纏う自動人形に切り刻まれるその光景を。
しかし、彼女は無事だった。
グサーノの駆る自動人形の前に立ちふさがるは、所々損傷箇所が見られる古びた人形だった。
戦闘モードに入っている敵と比べると、なんとも頼りない見た目だが、探偵を守る姿はまるで戦乙女を彷彿とさせた。
「アレは行商人から買ったガラクタの筈! 壊れて動けないのではなかったのか!?」
グサーノが驚くのも無理はなかった。
伝説の『人形師』が手がけた『罪』シリーズの一体と銘打たれた人形が動かなかったから、今自分が操っているものを強盗紛いの方法で奪ったのだ。
「まさか。アレは本当に伝説の……いいや、あんなみすぼらしい人形。ワシの乗るコイツこそが『虚飾』の名を冠する人形なのだ!」
勢いを増した爪擊に防戦一方になるが、致命傷に至る一撃はギリギリのところで躱し、去なす。
基本性能こそグサーノの人形が何枚も上をいくが、人形にあるまじき経験の差による戦いの上手さは、まるで舞踏に興じているかのようだ。
「あの人形はどこから来たのだ……いや、おかげでシャーリーさんは助かったのだが」
「警部、アレは先程確認したグサーノ所有の人形に間違いありません」
「なんだと。しかし、ああして主人であるグサーノと戦っているということは、まさか暴走しているのではないのか! くっ、こうしてはいられない。早く彼女を助けなければ」
服に滲む血に構っている暇などないとばかりに、歯を食いしばって立ち上がるジョーンズ。彼の部下も追随するように銃を構え、目の前で展開される戦いに目を離さないでいた。
「待って、警部。大丈夫、『彼女』は味方だ」
先の危機的状況にも関わらず冷静な態度にジョーンズは驚く。
シャーリーは何かを懐かしむ表情を浮かべるが、それも一瞬のことですぐに元のあどけなさの残る顔に戻る。
「何なんだコイツは! 本当に人形なのか、ちょこまかと動きおってからに!」
「……」
グサーノが焦りの色の混じった声を上げる。
戦況は変わらず有利ではあるのだが、古ぼけた人形の変幻自在の動きに言い知れぬ恐怖を感じていた。
頭を切り落とそうと横に薙げば下へ躱し、縦に爪を振れば武道の達人の如き見極めで体を逸らすだけで避ける。
人形が。人間の手によって生み出される人形が。こうも生きた人間のような繊細な動きが可能なのか。
これではまるで『人間』そのものではないか。
「おのれええええ! こうなったら形振り構っていられん! リミッターを解除してでも、コイツを潰してやるわ!」
「やめろグサーノ! 軍用に改造されたものの制限を開放すれば辺りがどうなるか。お前だってただでは済むまい!」
「このまま逮捕されるよりかは幾分かマシよ! このまま貴様ら諸共膾のように切り刻んでやるわ!」
ジョーンズの制止にも耳を貸す気のないグサーノは半ばヤケを起こしているようだ。
最早、自身が破滅しようとも引くに引けないのだろう。
「やれやれ、そんなに興奮して。その程度の自動人形では『彼女』には勝てないと思うのだけれど。やりたいのならば勝手にやらせればいい」
「シャーリーさん! まだ周囲には人がいるんですよ!」
「心配無用だよ警部。『彼女』にかかれば、たとえ相手が巷を賑わしている『リッパー』相手でも勝利を収めることができるさ」
「……貴女はあの自動人形のことを知っているのですか?」
「知っているかどうかと尋ねられれば。そうだね、識ってはいるけど、知ってはいないという方が適切かな。とにかく、今この場においてボクが『彼女』のことを知っているかどうかなんて些末なことだろう?」
「それはどういう?」
探偵の言葉に疑問符を浮かべる警官たち。
いつも訳知り顔で肝心なことを言わない彼女に慣れているつもりの彼らでも、流石に今の発言の真意までは理解できなかったようだ。
「ふん! 小娘が何を言うかと思えば、先程ので味をしめたか。貴様は知らんと思うがこの人形が本気を出せばもっと疾く動けるのだ。それこそ、そこのオンボロでは追いつかないくらいにな!」
「速さ? ハハ、それこそ意味のないこと。グサーノ、君自身が言ったことを忘れてしまったのかい? その行商人がどういう経緯で『彼女』を手に入れたのか個人的に大いに興味が尽きないのだが、先ほどの言葉を撤回させてもらうよ。確かに君は手に入れていた……かの『人形師』と名高いホープ氏による逸品をね」
「それってまさか!」
「そう、そのまさかだよ警部。あそこで優雅に戦いを繰り広げている自動人形こそ、『虚飾』の罪の名を与えられた伝説なのだよ!」
シャーリーの言葉に警官たちは驚愕するが、彼女の言葉を信じることの出来ない男は嘲笑とともに否定する。
「ハッ、ありえん! そんなみすぼらしい人形、ポートベローでも売っていまい! まぁ、信じられんほど動き回るところもあるが……おや? 見てみろ! いつの間にか、今にも倒れそうな様子でフラフラしておるではないか!」
「何とでも言うがいい。ボクの記憶違いなどあるはずもなし、君が言う動きもきっと挑発かなにかだろう?」
「いや、あの、シャーリーさん。グサーノの言うとおり、少し様子がおかしくありませんか?」
「え?」
確かに、グサーノの言うとおり先程までの華麗な動きは鳴りを潜め、今は棒立ちもいいとこだった。
何か不具合でも起こしたのか、時折身体が跳ねるだけで彼女の澄んだ青い瞳は虚空を見つめるだけで反応がない。
「グワッハッハッハ! なんだ、今までのは壊れる前の最後の輝きだったか。そうだろう、おかしいと思ったのだ。ワシがいくら見ても何の反応も示さなかった人形がこのような動きができるわけがないのだ。そこの公僕よ、貴様の言うとおりリミッターなぞ解除しなくとも済みそうだぞ!」
「ちょっと待った。ほ、ほんとに壊れてしまったのかい?」
いつも冷静なシャーリーが珍しくうろたえている。ハットから覗く『ハネた』髪も忙しなく動き彼女の動揺を表していた。
あの人形との関係は分からないが、彼女にとってあの人形が壊れるというのは、それほど心を乱すことなのだろうか。
グサーノがリミッター解除の覚悟を決めていたときには、まだ動いていた。
しかし、唐突に。シャーリーが『彼女』について意気揚々と語り始めたあたりから急速に稼働を停止してしまったのだ。
そこからの様子は、初期稼働のときの認証確認のときの仕草によく似ていた。
「そんな、やっと会えたと思ったのに……」
肩を落とした探偵にグサーノは勝ち誇ったように口角を上げる。
自動人形から立ち上る蒸気に顔を赤くし、額からは思い出したように汗が流れ落ちた。
一時はどうなることかと思ったが、この状況は悪くない。
自分の駆る人形の脅威にすっかり意気消沈してしまっている様子の探偵の警官隊。今の彼らの装備では逮捕どころか傷を付けられる心配もない。
「あとは、やっかいな軍隊が到着する前にカタをつけるとするか……」
向こうに聞こえないように小声で呟く。
警官と違い、敵性存在を制圧する軍は桁違いの戦力だ。かち合えば、まず間違いなく負けるだろう。
幸いなことに、軍は出動に制限がかかるためすぐには出張ってこない。中央議会の承認を得られなければいけないのだ。
「さてさて、警察の皆さん。今から我が一座は本日最後の公演を始めたいと思います! 演目は……『皆殺しの貴婦人』なんていかがでしょうか!」
すっかり気分を落ち着けたグサーノは、普段の公演のような挨拶をして彼らの死を宣言する。
座長の声に合わせて、下の自動人形も破れた衣装そのままに恭しく一礼し、獲物を狙う肉食獣の如くガラス玉でできた瞳を光らせた。
「……どうしますか」
全く通用しない銃を片手にジョーンズは探偵に助言を乞う。彼女の頭脳ならば、この危機的状況を切り抜ける手段を思いつくかもしれないと信じて。
しかし、自分たちを守るかのように助けてくれた人形の不調が移ってしまったかのように、その特徴のある髪はすっかりヘタってしまっていた。
それを見た彼は、首を振って気持ちを切り替える。
「仕方ない。ここは我々が無理をしてでも――」
警官たちが決死の覚悟をしようとした。その時だった。
「タマシイ、ジョウト。カンリョウ」
動きの止まっていた人形から涼やかな耳に心地よい声が発せられ、皆の注目が『彼女』に向く。
歌うような軽やかさで、しかし、人形特有の無機質さは残された独特の音色は血と砂埃舞うこの場には不似合いだ。
「ハチョウ、モンダイナシ。テイチャク、カクニン。ライン、セツゾク。システム、スキル、バビロン、リョウショウ」
「な、なんだ! 何が起こっている!?」
グサーノが慌てた声を上げ、探偵も警官たちも皆、固唾を飲んで『彼女』の様子を見守っている。
周囲に風が舞い始め、『彼女』に向かって大気中のエーテルが集まっていく様は幻想的な景色だ。
「ドウチョウ、シュウリョウ……ゴメンナサイ、アトハオネガイ」
その言葉は誰に宛てたものか。
この場でそれを説明できる者はいない。ただ一人、言葉の意味は分からなくとも、その言葉が発せられる状況の意味に気づき顔を伏せる。
「まさか、『彼女』は逝ったのか」
「シャーリーさん……?」
ジョーンズは彼女の悲しげな表情が気になったが、部下の声に意識が前方に向けられる。
「う、動いたぞ……大丈夫なのか?」
薄い布を合わせただけの服とも呼べないものを身にまとった、金髪碧眼の『彼女』が新たに覚醒する。
汚れが目立つものの、きちんと丁寧に手入れをしてやれば、他のどの人形よりも美しくなるだろう。そんな確信めいたものを見る者全員に思わせた。
「ん、ここは……」
頭がグラグラする。気分は、分からない。あまり感覚がないからか、自分が立っているのか寝転んでいるのかの区別がつかない。
最後の記憶はおぼろげだが、なんとなく誰かと出会っていた気がする。
目覚めた『彼女』は鈍い思考のまま、あたりをキョロキョロと見回す。
目はすぐに慣れた。ここはあまり眩しい場所ではないらしい。
周囲に大勢の人がいるのがわかったが、どういう状況かわからないといった様子。
「確か、私は公園に行って……それから、どうしたっけ? ええと、何かあったようなって、んんんん? な、何あれ!」
ここで初めて目の前にいるモノに気づき、『彼女』は驚いた声を上げる。
その様は、先程までの無機質な反応とは違い生ある人間のように生々しかった。
「え? え? ロボットにオッサンが乗ってる……なにここ、皆映画とかでしか見たことのないような服着てる。もしかして、コスプレ大会?」
その可憐な容姿からは想像がつかないほどのポーズ(具体的にはガニ股)をとって、『彼女』は天を仰ぎ見る。
太陽の光を遮るほどの分厚い灰色の空を見て、『彼女』は悟る。
ここは日本じゃない。それどころか、私の知っている世界じゃないのかもしれない、と。