幕間
――ここはどこだろう。
真っ暗な世界は自分がどうなっているかを曖昧にさせる。
目を開けても閉じても変わることのない景色は『私』という意識を闇に溶かしていきそうだった。
――このまま溶けてしまうのも良いかもしれない。
『私』が『私』でなくなったとしても、それで誰かが困ることなんてないのだから。
悲しいなんて思わない。
同年代の子たちのようにキラキラに輝くことは自分には無理だ。
出来ることなら存在そのものを消してしまいたくて好都合。
無明の世界は寂しくはなく、どこか居心地の良ささえ感じさせる不思議な雰囲気で、『私』は全身で受け入れる。
温かくもなく、寒くもないドロリとしたものが『私』を犯していく。
不快感はない。
それどころか、体の隅々まで侵食されていく感覚は気持ちのいいものだった。
――どこかで声が聞こえる。
初めは囁きが小さすぎて聞き取ることができなかったけれど、次第にソレは大きくなって『私』の頭に直接届いてきた。
誰。そう問いかけるも聞こえるのは要領を得ない言葉。
「タスケテホシイ」
――私には無理。他を当たって。
「アナタシカイナイ」
――私には何も出来ない。何かをこなすだけの力がない。無力な私では力になれない。
「ワタシノカラダヲツカッテ」
――は?
気が付けば目の前に綺麗な少女がいつの間にか佇んでいた。
金糸の輝く髪は暗闇にも関わらずその存在を侵されることなく在り続け、人形のように可愛らしい顔は誰もがため息をつくほど美しかった。
無駄な肉のついていないスラリとした肢体は、均整がとれていてモデルのようだ。
下世話な話。同性でも目がいってしまう胸は世の男どもを惑わすような大きさはないが、先がツンと上を向いていて美乳と呼ばれる代物で正直羨ましかった。
うん? 先っぽ?
――て、よく見たら裸じゃん!
「ソレガドウカシタノ?」
目の前の少女は自分が透けて見えるほどの透明な蒼の瞳に疑問の色を浮かべて『私』を見る。
いやいや、どうして『私』の方がおかしいみたいな感じで見るかな。
「アナタモオナジ」
――え? ぎゃああああああああああああああああ!
彼女に比べて貧相な体がそこにはあった。
アバラの浮かんだ痩せぎすの身体。胸こそ彼女よりも大きいがバランスが悪く人様に見せられたものじゃない。
――何で! 何があったし! 見ないで! 私の体見ないで!
「ソンナニキニスルコト? ソレヨリモジカンガナイノ、ハヤクワタシノナカ二ハイッテ」
――へ?
中に入る? この美少女の? そ、それってまさかえちぃことの暗喩じゃなかろうな。
「アナタガカノジョヲスクッテ。ワタシニハ、モウチカラガナイカラ。ワタシノ、ノコサレタカラダヲ、アナタ二」
――待って、まだ心の準備が。
「ゴメンナサイ」
金髪の女神が『私』の手を強引に取ると――その手は冷たく、人間ではないと本能的に察した――そのまま自分の胸の中に『私』を受け入れた。
――えっ、えっ、えっ、何これ!?
言いようのない感覚が身を包んでいく。
『私』と彼女が一体になっていくような溶け合っていく感触に思わず甘い声が上がってしまう。
――私どうなっているの! なんか、体の感覚が、なくなって!
「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、コレシカホウホウガナイノ」
『私』の困惑にも、彼女はただただ謝罪の言葉を述べ続ける。せっかくの美人が悲しい顔でもったいない。
そんなに謝るのなら、きちんと説明して欲しい。こんなに可愛い子の頼みなら何でも引き受けちゃうのに。
「ハジメハ、ワタシガウゴキマス。デモ、ソレモスコシダケ。アトハ、アナタ二マカセマス」
――何のこと? これから何かが始まるの?」
彼女との一体化は徐々に進み、ついには『私』の声が彼女の口から発せられる。
「コレハユメ。イズレココノコトハ、ワスレテシマウケド、ドウカ、カノジョヲ、オネガイシマス」
「せめて状況の説明を! それに貴女は一体何者なの!?」
「ワタシハ――」
唐突に彼女の声は途絶え、体が何かに急速に引き寄せられる。
「な、何? 今度は何が起こるの!?」
再び薄れゆく意識。
自分に起こった変化に何も分からないまま、漆黒の世界から薄らと透けて見える風景はどこか見覚えのある公園だった。
「ああ、なんてこと」
どうして今の今まで忘れていたのだろうか。
いや、頭のどこかでは分かっていたのだ。だけど、体が、脳が、その事実を認めたくなくて考えないように逃げていたのだ。
――私は、あそこで刺されてしまったんだ。
ということはここは死後の世界なのだろうか。暗いし、何も見えないし。
もしかして、さっきの女の子は『私』の生まれ変わり先だったりして。それなら、ちょっとは楽しみかもしれない。
美少女に生まれ変わりでもすれば人生、前よりは楽しめそうだ。
目を閉じ、体を流れに任せる。
次に目を開けたとき、『私』は第二の人生を始めることになるだろう。
今度はきっと上手く生きてみせる。また、あんな日陰者のような人生は歩みたくない。
そして、『私』は名も知れぬ『彼女』になった。