三十四話
「トドメは刺さなくていいのかい?」
シャーリーは片腕の自動人形に声をかける。東の空が僅かに白み始め、長かったようで短い夜が終わりを迎えようとしていた。
「ハイ、恐ラク。彼女ハコレデ大丈夫ダト思イマス」
フィノに倒された『リッパー』は既に警官隊に捕縛され警察署に連行されている。今だ現場に残っているのは事後処理に働く警官と、戦いの余韻に疲れ果て休んでいる者たちだけであった。
殺人鬼と正面からぶつかっていたアリスは力の使いすぎで過熱不能を起こしてしまい絶賛お休み中である。
「探偵様ハ、彼女ノ行動ノ理由ニ興味ハナイノデスカ?」
「理由? ないね、ない。ボクが興味を持っているのはどのようにして事件を起こしたのかという過程にこそあれ、その犯人にしか持ち得ない感情には全くといって食指を動かされないね。それに、大体は想像がつく。多分だが、彼女は認めてもらいたかったんだろう」
探偵の言葉に驚いたようにフィノは口を小さく開ける。
その表情が思いのほか気に入ったのか、シャーリーは面白そうにくつくつと声を押し殺した笑いをあげる。
「くっくっく、アリスもそうだけど君も面白い顔をするじゃないか。ああ、いや、流石にこれは推理で得た結論じゃないぞ。こんなもの、何か一つのものに魅入られた人間なら誰しも通る道だ。但し、彼女の場合その道に邪なモノが巣食っていただけ、ただそれだけのことなんだ」
「邪ナ者……」
シャーリーの言葉には何処か宛てのある言い方だったが、深くは追及はしなかった。
藤堂凪紗を止めた今、フィノは充足感でいっぱいだった。戦いの最期、フィノはナギサの表情がどこか晴れやかであり、また悔しそうに口を歪めていたのを見て、自分の役割は終えたのだと、これ以上は存在する意味はないのだと悟っていたのだ。
ご主人様であるホルダー少佐の言葉が今になって分かる。ナギサは迷っていたのだ。自分の存在価値に、自分の剣が今のままで正しいのかどうか。だから自分を負かしてくれる存在を求めて必要に血を求めていたのだ。
それが今夜、正々堂々な戦いではなかったが全力をもって行われた死合は彼女を満足させるものとなったに違いない。
「これからどうするんだい?」
「?」
それが自分に向けられた言葉であることにフィノは理解するのに時間がかかってしまった。
元は捨てられていたところをホルダー少佐に引き取られただけの存在。主を亡くし、彼の心残りであったナギサの矯正も恐らくだが問題なく終わったはずだ。と、なれば最早誰かのために行動する必要はなく、また主人がいなければ前のように廃棄品になるのを待つだけである。
「あー、その顔だと何処も行くあてがないようだね。もし良ければだが、君にうってつけのところがあるんだがどうだろうか」
「私ニ? シカシ、私ハ……」
「別に強要はしない。ホルダー少佐に義理立てするのならそれもいい。だが、間違っても自分の価値を見誤るなよ? それはそれで彼女と同じになってしまうからね」
断る理由は、ない。だけど、何かを自分の意志で決めることなど彼女には初めてのことであった。
「すぐ結論を出す必要はない。それまでは自分のしたいことを見つめ直すといい……そうだな、聞く所によると少佐の家は競売にかけられてしまっているから当面は『犬たちの大樽』に身を寄せるといい。あそこの主人は偏屈で変態の大馬鹿者だが、まぁ悪いようにはしないだろう。丁度コレの返却もあるし話はつけておこう」
「『犬タチノ大樽』?」
そこはかつてシャーリーがアリスを連れて訪れた黒衣の男の営むサロン。
罵倒こそはしているが探偵の表情は優しく言葉に含まれるトゲは見掛け倒しのように思われた。
「どうする? 君もついてくるかい」
「イイエ、私ハ暫ク此処ニイマス。モシ、ソノ時ガ来マシタラヨロシクオ願イシマス」
「そうか。それならばそこの眠り姫の介護をお願いするよ。本当はボクが責任を持って家に連れて行かねばならないんだけどね。君がいいのならその役目をお任せしたい」
「分カリマシタ」
フィノがメイドのようにお辞儀をしたのを見たシャーリーは安心したように口を緩めると、再び漆黒の外套へと姿を変えた触手の怪物を身にまといその場を後にする。行く先は黒衣の男『M』の元。そこで何を言われるか想像に難くなく、今から心は沈み足取りが重くなる。
「だけど、事の顛末は報告しなければいけないか……クソッ、あの男のニヤケ面を考えただけでもイライラしてくる」
そう言って、シャーリーは微睡みから覚めつつある街を行くのだった。
✽ ✽ ✽ ✽
夜と朝の狭間。空気中に混じった蒸気が冷えて街特有の霧を発生させて視界を遮る。
露出した顔の肌を刺すような冷たさに表情をしかめるが、目の前に影のように実体を感じさせない様子で唐突に現れた黒衣の男に益々眉根に険しい皺をつくる。
「結局、貴様は問題を先送りにしていただけで根本的解決は叶わなかったわけだ」
全てを嘲笑うかのような舞台俳優のようによく通る声はシャーリーの耳には痛く、彼の言葉通りにアリスの力を開花させることになってしまった今回の事件の顛末に些か不満は残っていた。
「仕方がないだろう。なんせ相手が悪かった。まさか、あそこまでの剣の使い手とは思わなかったからね。ヴァン・ムスーも驚きの手練さ」
「だからこそだ。この街に送られてきたのは。街に混じる異物。それは何も貴様のところのお嬢さんだけではないのだ。しかし、それでも貴様は見届けねばなるまい。この幻想に彩られた蒸気都市の終焉は近いのだから」
「……」
シャーリーは『M』の言葉に押し黙る。
藤堂凪紗。彼女は『リッパー』として剣の道を探りながら人を斬り殺してきた。出身は東の国。この蒸気都市から運航している定期船に乗ってきたとされる異国の剣客。
だが、彼女は知っている。
街の中央に座す異形の建築物『時計塔』を制覇した彼女にしか分からない世界の秘密。それは、この蒸気都市の外には他の国など存在しないということ。世界は霧と魔法に覆われたこの街で閉じてしまっているのだという真実。
「だから、彼女もどこかの世界の住人である可能性が高い。もしかしたら、アリスと同じく既に死んでしまっていることも考えられる……『M』、愚鈍で迂闊で嫌味ったらしい我が兄よ。ボクはそれでも出来る限り足掻くよ。どうせ君はそうなることも考えてこの影の怪物を貸し与えたんだろう。おかげでアリスに余計な属性が追加されてしまったけどね」
「クッハッハッハッハッハ!! 良いではないか。お陰で事件は解決できたのだから。土台、ぶっつけ本番で相手取るには厳しい傑物だったのだ。これくらいの保険は考えておくべきなのだ! 貴様はどうにもそこらへんの人間の機微には疎いからな。だからいつも私は貴様の事後処理に奔走される羽目になるのだがね」
「いつもとは大げさだな。君は可愛い妹の世話を出来るのだから本望だろ」
「可愛い、ねぇ。フッ、貴様がそんな軽口を叩けるようになったのもお嬢さんの影響か。良かろう。私は裏舞台から貴様の無様で滑稽な足掻きとやらを肴に酒を楽しんでいようではないか」
黒衣の男は指をパチンと弾くと、シャーリーの着ていた漆黒の外套が微かに震えたかと思うとそのまま動かなくなった。
「何をしたんだい?」
「今しばらくソイツを預ける。前のように触手を伸ばすことはできないが、せいぜい防具として役には立つだろう。ああ、感謝をする必要はない。これは餞別だ。恐らく、いや間違いなく今日という日を境にこの街は混沌と異形に犯され始めるだろう。今までの常識と力では事件解決が覚束なくなるだろうからな、せめてもの援護射撃と思うといい」
随分と殊勝なことで、とシャーリーはシニカルに笑うが直ぐに表情を引き締める。
無明の闇の存在する『犬たちの大樽』を治めている『M』は巫山戯た人間だが、悔しいがな危機管理という点では自分に圧倒的な差をつけて優っている。その彼が言うのだから自分が思っている以上にこの蒸気都市に大きな変容が差し迫っているのだろう。
「だからお嬢さんに『力』の話をするのを渋っていたんだろうに」
「それがこの結果だけどね。まぁ、彼女に責任は感じて欲しくない。遅かれ早かれこの街は闇に沈む」
どこか寂しそうな顔の『M』に別れの挨拶をせずに探偵は踵を返す。
もう用はないとばかりに、これが今生の別れだとでも言うかのように確固たる意志を持って彼女は歩き始める。
「ああ、そうそう。君のところでメイドを雇ってくれないか」
「ほう、小間使いはいくら居ても困らぬ。貴様が推すということはそこそこ有能ではあるのだろう。ありがたく引き取らせていただく」
振り向きもせず言うシャーリーに『M』は鷹揚に頷く。
その返事に小さくありがとうと呟く彼女の言葉は果たして黒衣の怪人の耳に届いただろうか。しかし、そんなことは確認するまでもなく、二人は互いに別の道を向きつつも信頼によって繋がっているのだから心配することではない。
陰と陽。決して交わることのない存在は、一つの目的を果たすために今日も蒸気都市を暗躍する。
「全く、何処までも手間のかかる愚妹であることよ。しかし、しかして。この物語を紡ぐためには貴様の活躍は必定。その行く先がどうなろうと、貴様は足掻くしか道はないのだ」
目に見えぬ闇が街を侵食していくのを『M』は憂いを帯びた表情で見守る。それしか、世の理から外れた彼には許されないのであった。




