三十二話
「へぇ、それは楽しみで――」
『リッパー』はアリスの言葉に喜色を浮かべるが、すぐに余裕のない顔になる。瞬間に気持ちを切り替えられるのも剣士として優秀さを表すものだが、今の彼女はそのことを誇る余裕などなかった。
目の前で刀を握ったアリスの姿が消えたのだ。
それはさながら、先ほどの自分が彼女に対して見せた技に酷似していた。
「『縮地』!? 馬鹿な、彼女が使えるワケが――そこか!」
反射的に右真横を一閃するが空振る――が、それでも隙は見せない。
手首の返しによって刀の刃を下に向けると、姿を現したアリスに稲妻の如き振り下ろしをお見舞いする。
「その疾さは――見慣れたよ」
アリスは上体を僅かに左にずらして避けると、左手に持ち替えた脇差を『リッパー』に向けて突き出す。
「――チッ」
今までの余裕が嘘のように『リッパー』は舌打ちをして脚力だけで大きく後ろに下がる。
だが、アリスはその回避行動を許さないかのように彼女に密着するように同じく跳躍して追いすがった。
「いきなり疾くなるとはどういう絡繰ですか! アリスさん!」
瞬時に体勢を立て直してアリスを迎え撃つも、自分の予想を上回る機動に心がざわつく。
『瞬黒』の異名を持つ自分より速い動きのアリスに苛立ちが募り、奥歯をギリリと噛み締める。
「ふふん、知りたいですか? しかも、ただ疾いだけじゃないんですよ! 私は、この世全てのものよりも圧倒的に強い!」
その言葉に呼応するように、アリスの周囲にファルガ広場を吹き飛ばした時に顕れた文字列が再び姿を見せる。
鎖のように、蛇のように、彼女の周りを廻る紫の羅列に『リッパー』は言いようのない畏れを抱く。
アレはこの世界に在ってはならない。
動物的本能が彼女の頭に警鐘を鳴らす。
しかし、そのことに気づいているのは彼女を除いて、アリスを嗾けた張本人であるシャーリーしかいない。
「探偵殿、とんでもないモノを隠していましたね! この街を滅ぼすつもりですか!」
「……そうならないように、定期的にガス抜きをさせるよ。それに、既に君の前に一発ぶちかました後さ」
「?」
帽子を目深にかぶって誰にも表情を悟られないようにするシャーリーをレストレイドは怪訝な表情で見つめる。
彼女がこのような仕草をするのは、それなりの付き合いの長さの彼でも初めて見るものだった。
「まぁ、いいでしょう! そちらがそう出るのなら私も本気を出しましょう! アリスさん、気張ってくださいね!」
『リッパー』は刀を正眼に構えると、呼吸を整え『縮地』でもってアリスに応戦する。
一足一刀の間合いを無視する高速の移動は、互いに互いの体だけでなく精神も削っていく。だが、それでも『リッパー』は歓喜していた。何故なら、その苦しみの果てにあるのは己が求めた極限の剣があるのだから。
「――ク、中々ヤる! でも、私が手に入れた力の方が強い!」
「それは傲慢というものでは! 何の鍛錬も積んでいない人形の体で私の剣についてこれる方が可笑しいんですよ!」
最初は押していたアリスだったが、次第に『リッパー』の剣筋の多彩さに対処しきれなくなってきた。それでも、彼女は自分の根拠のない驕りを誇示し続けて殺人鬼の洗練された太刀筋を真似ていく。
「最初は驚きましたが、種が分かれば怖くもないです。要は、アリスさんの力は相手の技を盗むといったところでしょうか。それならば、初見の技でもって貴女を切り刻むまでのこと!」
流石は周囲を納得させるだけの技量を持つ剣士。僅か数合の斬り合いでアリスのスキルを看破したと見える。
しかし、その推察は致命的なところで間違えていた。
「盗む? 人聞きの悪い。私の力は、シャーリーから教えてもらった力は――常に相手を凌駕する力。貴女がどれほど疾く動いても、私は必ず一歩先を行く!」
アリスにまとわりつく紫電がより一層濃くなったかと思うと、悪龍の歪な翼のような形となって寂れた路地裏の空間を侵食していく。
アリスの気持ちが高ぶるのに比例して、否、虚栄心を強めれば強めるほど彼女の力は無限に広がり世界の理を喰らい尽くす。
それこそが『虚飾』の人形の持つ力。嘘で塗り固めた願望を現実に呼び起こす奇跡の御技。彼女が願えば自分の苦手な運動も並ぶものがないほどに上達し、敵わぬと諦めた相手すら僅かに上回る程度の力を得るのだ。
そして、今の彼女が己を欺き続けている事実は『リッパー』よりも卓越した速さと剣の腕である。
「それならば、私の先がどれほどのものか見せてくださいよ。私が目指す剣の道の果て……疾さを極めて、神の如き斬撃を可能にする。一切合切、無為な思想を蔑ろにする断絶した思考の至り。それを、私に、見せて、くださいよ!」
ッダン!
地面が揺れるほどの衝撃が『リッパー』の足元から発せられると同時に、彼女の周囲の空間が歪む。
気づかないほどに微かに吹いていた夜風すら、彼女の気迫に飲まれ存在が消えゆく。全てが、彼女の周囲の全ての事象が、その動きを止めていく。
この光景をアリスは見たことがある。
それは彼女と一緒にドンホールマーケットを訪れ、男達に絡まれた時に彼女が見せた技と同じ。『リッパー』は再び世界を真っ二つに切断するつもりなのだ。
「座の一――」
「受けてたとうじゃん……言っておくけど、私の見栄っ張りの強さは――」
二人を中心に世界が止まる。
呼吸が、二つ。
「『魂食い』」
「――サイアクなんだよ」
――世界が壊れる音がした。
一瞬の静寂の後、二人の放った必殺の一撃は互いに食い散らかそうとするかのように激しく交わり大きな気流を生み爆音を響かせる。
剣気と魔力の奔流が脆くなった壁や石畳の道を吹き飛ばし、二人の戦いを見ていたシャーリーと警官隊の集団は人を超えた力のぶつかりにただただ圧倒されるばかりだ。
「な、なんなんですか! シャーリーさん、彼女は一体何者なんですか!」
レストレイドが好奇心と恐怖が綯い交ぜになった顔で、隣にいる険しい面持ちの探偵に尋ねる。だが、彼女は答えない。
何かを推し量るように事の成り行きを、その真実を見通す瞳で見つめるだけであった。
「……『魂食い』すら防ぐか」
しばらくして辺りに静寂が戻ってくると、『リッパー』は悔しさを滲ませた声色で呟く。
渾身のひと振りを相殺された彼女は冷静さを取り戻し、改めて目の前の敵を真剣に挑まねばならぬ相手と認識せざるを得なかった。
自身の剣を高みに連れて行ってくれると思って気持ちが高ぶっていたが、そのような浮ついた思いでは乗り越えられないと何度目かの気持ちの切り替えを行う。
「嗚呼、夜も大分更けてきました。アリスさん、まだまだイケますよね?」
「……と、当然! まだまだこれからだし!」
正直なところ、自動人形の体だから疲労や痛みには無縁であるのだが、それでも体の中に今でも膨れ上がっている魔力に内側から食い破られそうな感覚にアリスは戦々恐々としていた。とはいえ、このまま『リッパー』が見逃してくれるはずもなく、否応でも相手をせねばならないことに出もしない脂汗を拭う。
「それは良かった。私も冷静さを欠いていました……が、それもここまで。久しぶりに、そう、これはロゼと死合をしたとき以来の殺し合いです」
そう言いながら抜き身の刀を鞘に収め、抜刀術の姿勢を取る。
「行きますよ、準備はよろしいですか」
「応よ!」
アリスは再び気合を入れ直すと、『リッパー』から借りた刀を握って応戦の意志を示す。
それを受けて満足そうに微笑む殺人鬼は静かに嗤うと、これからが本番とでも言うように名乗りを上げた。
「我こそは藤堂我執が子、藤堂凪紗。刹那を超えた剣の道を極める為、いざ尋常に勝負!」




