幕間
今夜モマタ夜ガ来ル。
アノ時、ワタシハ彼ヲ守レナカッタ。
ダカラ、セメテコノ街ノ人間ヲ守ロウト思ウ。
コノ刃二誓ッテ、アノ悪鬼ヲ討ツ。ソレガ、ワタシ二残サレタ――命ノ使イ方。
✽ ✽ ✽ ✽
「ありがとうございます。また来てくださいね」
笑顔で見送る姿にデレデレになる労働者たち。
ワゴンに残る最後の皿とコーヒーを出し終わったミラベルは充足感に満ちた息を吐き出しながら額の汗を拭う。
客商売だから仕方のないことだが、常に笑顔でい続けるというのは存外に疲れるものだ。それでも、このボランティアにも等しいこの炊き出しを行うのは思いの外楽しく、自分の心を幸せで満たしてくれる。
「それにしたって、よくもまぁ男どもに媚びへつらうことなんかできんな。アタシには到底無理だわ」
物陰から出てきたのはフードを目深に被った少女だ。
薄汚れた格好をしているが、その声は愛らしく、隠れている顔が見えずともそれなりの器量であることがうかがえた。
「なんだシードルか。頼まれたとおりに探偵の家に行ってきて、あのことをきちんと伝えたわよ」
「ありがとーごぜーます。まったく、情報を探らせるだけじゃなくて小間使いまでさせられるたぁ、その分もキチンとふんだくってやらねぇと」
「あんたも苦労するわね」
ミラベルは情報屋のシードルに軽く同情をしながら、後片付けを始める。
食器類はワゴンの下の収納スペースに入れておく。そこは絶えず水が循環しており、ちょっとした洗浄機のような機構をしていて便利だ。
「はい、コーヒー。苦いけど飲むでしょ」
ミラベルはシードルにカップを差し出す。
情報屋の彼女は、きょとんとした表情でそれを眺めるも、おずおずと受け取ってはチビチビと口をつける。
「にがっ! うう、砂糖はないの?」
「ないです。贅沢言わないの。飲めるだけありがたいと思いなさい」
「思いなさいって、お前がくれたんじゃねぇか……て、いうかよくコーヒー残ってたな」
「うん? ああ、まぁね」
本当は仕事終わりに自分が飲む予定のものだったのだが、その日暮しもままならないシードルのためにあげたのだ。
そのことを悟られないようにぶっきらぼうな対応になってしまったが、彼女は気にせず両手でカップの中の黒い液体に悪戦苦闘している。
「そういえば」
ふと、何かを思い出したようにシードルは顔をあげてミラベルの方に顔を向ける。
「どうだった? 探偵の預かっている人形は」
「そうね、確かにみんなの言うように普通の自動人形のようには見えなかったわよ。どちらかっていうと、人間が自動人形のフリをしているって言われた方がしっくりくるかも」
「へぇ……ま、アタシにはカンケーないことだけどな」
「あら、これからも探偵と付き合っていくんなら、彼女とも無関係ではいられないんじゃないかしら」
「勘弁してくれよ。アイツとは仕方なく仕事を請け負っているんだから、これ以上深い付き合いはこっちから願い下げだぜ」
ミラベルはフードの下の彼女の嫌そうな顔を想像して、自然と頬が緩むのを感じた。
この街の労働階級の人間は基本的に仲がいい。例外なのは職人気質の頑固なオヤジと階差機関の表す売上に一喜一憂する商人くらいか。
シードルは浮浪少女ではあるが、その身分を超えて皆に愛されている。
ミラベルもその一人で、彼女のことを手間のかかる妹のようにさえ思っていた。
「シードルはさ、きちんとした暮らしをする気はないの? 確か、貴女のことを引き取りたいって人がいたと思うけど」
「あん? ハ、そういうふうに他人に面倒を見てもらう気はないねぇ。自分で稼いだ金で生活をする。それが、一人前の人間ってやつじゃねぇのかい」
それは違う、とはミラベルには言えなかった。
働かざる者食うべからず。それはミラベルの人のいい父親も言っていたことだし、彼女の境遇を考えれば否定することははばかられる意見ではある。
だけど、真に人は一人では生きられない。そう思うからこそ、ミラベルはこうしてろくに食事にありつけない人のためにワゴンを引いて街中を歩いているのだ。誰かに頼ることはそんなに悪いことじゃないと彼女は思う。
「だとしても、今は『リッパー』のような殺人鬼もいることだし一人では危ないわ。なんだったら、ウチに来る? 少しだけなら面倒見てあげるわよ」
「……アタシの話聞いていなかったのかよ」
「聞いてるわよ。だから、少しだけ。ずっとは見ないわ」
「…………いや、やっぱダメだ」
シードルは誘惑を振り払うように頭を振る。
その様子は、傾きかけた気持ちを必死に戻しているようであった。少しでも人の温かさを知ってしまったら、心のどこかでそれを知ることを恐れているのかもしれない。
「そう……」
経験上、これ以上強引に押してもシードルはなびかないことを知っているミラベルは諦めて別のアプローチをかけることにした。
「それじゃ、私もシードルと一緒に行動するわ」
「はぁ!?」
押してダメなら、もっと押せ。相手を崖から突き落とす気持ちで容赦なく押し通せ、である。
ちなみにこれはミラベルの母親が言った言葉であり、それを実行した彼女は生涯の伴侶を手に入れることに成功している。その話を聞かされて育った彼女は自分なりにアレンジを加え、結果親切の押し売りを覚えてしまった。
「いやいや、意味がわからん。ミラベルがアタシと一緒に行動して何のメリットがあんだよ」
「あるよ。シードルが無事でいることが分かるんだもの。それはものすごく大切なことよ」
「アタシの住処はお前が住んでいるような綺麗な場所じゃないんだぞ。変なヤツも多いし、何より物騒だ。そんな細い腕じゃ何されても文句は言えないぜ」
「そうかな? これでも、毎日重いワゴンを引っ張っているんだから多少は腕っ節に自信があるんだけど。なんなら、今からシードルと力比べでもする?」
「――ハ」
馬鹿だ。
どうして。
どうして、こうもアタシに構うのだろうか。
ミラベルも、あの探偵も。何故、アタシなんかに構うのだろうか。
親の顔も知らない。自分のファミリーネームすら分からない。シードルという名前も、知らないジジイに付けられたものだ。
何もないアタシに、どうしてここの街の人間は――。
「シードル?」
自分の顔を覗くミラベルに気づき、驚いて手に持っていたカップを落としてしまう。
「あ、」
スローモーションのようにゆっくりと落ちていくカップを二人は見つめることしかできない。だが、陶器特有の儚く甲高い音が再び現実に引き戻す。
「あ、ご、ゴメン!」
「いいよいいよ、それよりも怪我はない?」
まただ。
ミラベルの好意にシードルは胸が痛くなる。
このまま、彼女に甘えてしまったら自分はどうなってしまうのだろう。
そう思ったときには既に体が動いていた。
「え、シードル? どこ行くの!?」
彼女の声が耳に刺さる。
シードルは彼女の制止を振り切って路地裏へ駆け出していた。
逃げるように、彼女から一刻も早く離れたくて。自分でもサイアクな行為とは分かっていながらも、どうすることもできない。
まるで迷路のように複雑に入り組んだ路地は彼女の心を表しているかのようで、西に傾き始めた太陽が暗い影を落とす。
間もなく、夜が訪れようとしていた。




