二話
広場はまさに混沌とした有様だった。
ホプキンズ銀行の金庫から盗みを働こうとした輩の逮捕劇が白昼堂々行われたことよりも、劇を楽しく観覧していたところを無粋な警官隊によって中断されてしまったことによる憤りがほとんどだ。
しかも、物語も佳境を迎え『愛する姫様を助けたと思ったら、実は異母兄妹』というドロドロした展開に観客たちの気持ちが最高潮のときに、である。
先の展開が気になる彼らが警官たちに続きを見せるよう食ってかかっているのも無理はない。
「ふざけんな! 俺はこれを見るためだけに仕事を休んでいるんだぞ! 大事な作業が残っているというのに、それをふいにしているんだ!」
「そうだ! 今が書き入れどきだってのに、それを犠牲にしてまで見ているんだから最後まで見せろ!」
「もっともっと、可愛いお人形さんを見せてちょうだい! 私の生きがいなの!」
警官隊に詰め寄っているのは下級の市民か職人が多い。一緒に見ていた貴族たちは流石に世間体があるため、醜態は晒せないようだ。
もっとも、仕事云々の文句を言っている者たちについては、損害覚悟で見に来ているのだから自業自得なのだが。彼らの気持ちは分かるが、そんなことを言われてもどうしようもないのが対応に追われている警官たちの共通の思いだった。
「はぁ、スゴい騒ぎですネ」
「何を他人事のようなこと言っているんです。貴女も無関係ではないのですから、この騒ぎを治める知恵の一つや二つご教授下さいよ」
「え? 無理無理。ボクは謎を解明することは出来ても、暴動を治める力はないの。ただでさえ人の気持ちを理解するのは難しいってのに、怒っている人を鎮めるなんてマネ、逆立ちしたってできっこないないっス」
テントから出てきたのは今回の事件の捜査の指揮を執ったジョーンズ警部と、それを解決に導いた探偵の少女だ。
だが、少女の表情はどこか暗く、先ほどの輝かんばかりの活力は失われてしまっていた。心なしか、特徴的な後ろ髪の『ハネ』もしなびて、元気なく彼女の白いうなじに垂れてしまっている。
「毎度のことなんでもう驚きませんが、相変わらずシャーリーさんは事件後、というか事件がなくなると無気力になりますよね」
ジョーンズの言うとおり、蒸気都市唯一の探偵である小柄な少女は『謎』が生きる活力なのである。それゆえに、今のように事件を解決した後は人が変わったかのようにローテンションとなってしまう。
早く新しい事件起こらないかな。内心その気持ちで一杯なのだが、かつてそれを公に言ってしまい、様々な方面からお叱りの言葉が届いて弱体化中の彼女の心にトラウマを植え付けてしまっていた。
「別にぃ。無気力ではないよ。ただ、他のことにモチベーションが上がらないだけ。だって、例えばアソコで若い警官に掴みかかっている男。仕事がどうのって言っているけど、彼は点灯夫だろう? 最近の街灯は自動化したガス灯が増えてきて、彼らの仕事は減ってきているはず。しかも、劇が始まった時間は朝の消火活動が終わった後で、彼の言うとおりの火急の作業なんてあるわけがない。つまり、彼は嘘をついている。そんな奴に静まれって言っても聞く耳持たないよ。無駄無駄」
「……ちなみに、彼とは面識が?」
「ないけど。どうして?」
ジョーンズは驚いて、帽子の高さを足しても自分の胸ほどの身長しかない少女の顔をまじまじと見た。
いつも彼女の推理力には驚かされている。今日も銀行強盗の計画を事前に察知して、先ほどの捕物劇を実現してみせた。当然、ここに来る前にホプキンズ銀行に侵入しようとしていた四人組の男たちも確保済みだ。
「いや、どうして彼が点灯夫なのを知っているのかと思って……」
「ん? 別に不思議なことじゃないと思うんだけどな」
「我々からしてみれば十分不思議ですよ。良ければ教えてくれませんか? あなたのような観察眼を身につければ、何か捜査の役に立つかもしれません」
期待に満ちた瞳を向ける男に若干引き気味の距離を取る。
いい年した大人が無邪気に顔を輝かせるのは何とも奇妙な感じがするが、こうして教えを乞われるのは気分がいい。
探偵として数々の陰惨な事件に遭遇することがあっても、彼女はまだまだ若い。誰かに頼りにされては自分を認めてもらっているようで、その力を見せつけたくなってしまうのだ。
「ふぅ、やれやれ仕方ないですなぁ。教えてやらないでもないですけど、一度しか言わないのできちんと聞いてください」
「ありがとうございます」
警部の真面目すぎる性格は、たとえ自分の子供に近い歳の少女でさえも敬意を払うことを忘れない。
損をすることも多いが、こうして実を結ぶことがあるのは警察官として必要なスキルではあるだろう。
「さて、それでは警部。あの男から分かることはなんでス?」
「いきなりですか。そうですね……まぁ、点灯夫と特定はできずとも、何かしらの労働者。さらに、職人ではないことぐらいは私でも分かります」
「ふぅん、それだけ。例えば靴辺りからは何か分かるんじゃないかな」
「靴? いや、ただの革靴にしか……シャーリーさんには何か他のものが見えているのですか?」
ジョーンズの答えに、やや調子を戻しつつあるシャーリー。
本調子とまではいかなくとも、脳に少なからず刺激が送られているようだ。いつの間にか口調に張りが出てきていた。
「あまり断定はするものではないのだけれど。革靴を履いているにも関わらず、靴の縁に汚れが目立つ。あんなところと思うかもしれないが、客商売では致命的だよ。よって、接客中心の商売人じゃないし、生真面目な役所勤めも違う。さらによく見れば靴の踵辺りのスリ減り具合も著しいことから普段から外の仕事だと分かる。あの赤土はウィグモアで付いたのかな。それに服の袖を見てごらん。黒い汚れが線状についているだろう? あれは街灯に明かりを灯すときについた煤に違いない。ほら、ちょうどあの街灯のガラスで覆われている縁のとこ。ああいうところでつくことが多い」
次々と労働者を分析していく様にジョーンズはついていくだけで精一杯だった。警視庁きっての敏腕も、彼女の前では形無しだった。
そして、頼んだ手前顔の表情に出すことはなかったが、情報量の多さに辟易してきた彼に対し、シャーリーは目を爛々と輝かし喋りも饒舌になってきた。
元気のなかった後ろ髪の『ハネ』もピンと上を向いて、彼女の調子もあっさり上向いてきたようだ。
「な、なるほど。そういう風に細かいところまで見ていくのですね」
「細かい? どこが。こんなものまだまだ序の口じゃないか。他にもあの男の指の先、黒く変色しているだろう? ガス灯が主流とはいえ、場所によってはランプのところもある。毎日油を注いだり整備をしていればああいう感じに職人のような汚れになるものさ。だけど服装は着慣れたコートだ。職人だったら普段は作業着だからね。そこから彼が職人ではないとも判断できる」
このままでは彼女の推理披露が延々と続いてしまうのではないかと危惧し始めたジョーンズは、慌てて話を終わらせるべくオーバーなリアクションで遮ろうとする。
「すごいですね、流石です。私にはとてもじゃないがそこまで推理することはできなさそうです!」
「まだ推理の段階に入っていないのだけれど……」
「うぇっ」
まさか、まだ話の本筋ではなかったというのか。
このままでは日が暮れてしまいそうだ。犯人たちの護送は部下に任せてあるから大丈夫だとは思うが、本音を言えば自分も早く事件の報告書を書きたいところだ。
「あ、あの。まだこのあとも仕事があるので私はそろそろ……」
ジョーンズが申し訳なさそうな顔をしたのを見て、探偵は悲しそうな表情を一瞬見せる。
人の気持ちが分からない。
シャーリーはそう言うが、同様に彼女のことに理解を示してくれる存在もまたいないのだった。
一人で様々な事件に遭遇し、謎を追い求めて冒険に出たこともある。
しかし、その結果を褒めてくれる者はいても、過程を見てくれる者はいなかった。
「ああ……そうだね。警部にはやるべきことが残っているんだ。あまり時間を無駄にはできないだろう」
再び後ろ髪がシュンとへたる。
そんな彼女の姿に心が痛くなるが、彼女の思考を理解しようとしてもできない自分にはどうすることも出来なかった。せめて、もう少し知識があれば。もしくは彼女が相手の目線で話してくれれば、また展開は変わったのかもしれない。
居心地の悪い、重苦しい空気が彼女の周りに落ちる。
いつも世話になっている分、年長者として彼女をフォローしようとした時だった。
後ろのテントがにわかに騒がしくなり、押し寄せる波のように悲鳴が上がり始める。その声に反応するかのように、二人の表情が険しくなっていった。