二十三話
「それはそうと、ナギサさん急にどうしたんですか?」
アリスは呼吸を整えながら、会う予定のなかったナギサがここにいる理由を尋ねた。
昨日は『ガチョウの晩餐』と『ベータイン』の両方に聞き込みにいったおかげで体力精神ともに疲れ果ててしまったので、今日は休息日にあてたはずだ。
「アリスさんは見ましたか? その、ヘンリーさんが……」
その剣さばきと同じく真っ直ぐな性根の彼女が言いにくそうに言葉を濁す。
彼女もアリスと同じく彼の死を悼んでいるようだ。しかも、アリスと違って、この街に長く住んでいるのだから、たとえ知人ではないにしろショックは大きい。
「……」
アリスは答える代わりに、目線を机の上に広げられている新聞紙に向けた。
それに気づいたナギサが察したように息を呑むが、必要以上に騒がずに、ただ、そうですかとだけ口に出す。
部屋の時計の内部では、時を刻むガンギ車とアンクルの機巧が寸分たがわずにかみ合い、薄情に音をカチカチと鳴らすだけ。そこに温かさなど皆無で、この街のあり方を表しているようにも思えた。
いつまでそうしていただろうか。
不意に玄関のドアについているベルが鳴り、アリスは現実に呼び戻された。
「あ、そういえば夫人は買い物に出かけているんだっけ。お客さんかな?」
「私が出ましょう。また変なのが現れると困るでしょうから」
ナギサが手を挙げてアリスを押しとどめると、返事を聞く前に玄関の来訪者の応対に行ってしまった。
「ナギサさんもお客さんなんだけどなぁ」
そうつぶやくも彼女には届かない。
一人きりになったアリスは所在無げに部屋を見回すと、シャーリーの衣服が汚く散乱しているどころか先の騒ぎでナギサの振るった刀の圧に巻き込まれて書類がバラバラになっているのに気づく。
とてもじゃないが接客できる状態じゃないなと思った彼女は慌てて部屋を片し始めるも、近づいてくる二つの足音にさらに焦ってしまった。
「わわっ、ナギサさん上げるの早すぎ――っと!」
何かを踏んづけてしまい、バランスを崩して両手に持ったシャーリーの服を盛大にぶちまける。
「いたた、この体になって痛さを感じなくなったけどつい言っちゃうな……あ」
視線を上げれば、スカートやらドレスを頭から被った二人の人間が佇んでいた。
一人はナギサだが、その隣にいるのは見たことのない人物で、シャーリーほどではないが小柄な体躯の少女だ。
「ア、アハハ……ごめんなさい」
「いえ、いいのです。それよりも、こちらは――」
「ミラベルよ。ソーホーでパン屋をやっているモーリンの娘。もしかしたら街角で私のこと見かけたことあるかもね」
コーヒーのシミに塗れたエプロンに、焼きたてのパン特有の暖かな匂いをまとわせた少女は、やや強気な態度でアリスに自己紹介をする。
三つ編みの似合う少女だが、その外見に似合わない厳しい表情でアリスを上から下へとジロジロと品定めをするように見る姿はやり手のバイヤーのようだ。
「へぇ、見た目はまんま人形なのになんか変なの。どこか生身の人間を相手にしているみたい。あの人たちが言っていたのは本当だったんだ」
「あの人?」
「ああ、こっちの話。それよりも、あの探偵はどこ? ちょっと頼みたいことがあったんだけど」
「シャーリーなら昨日から何処かへ出かけていて帰ってないよ」
見た感じ、ミラベルはアリスよりも年下のようだ。
だからか、アリスはナギサへとは違って言葉遣いも普段のものになっていた。
「なに、またなんか探ってんの? 公園吹っ飛ばしておきながら、随分と精力的なこと」
腰に手をあててため息をつく姿が妙に似合っていて、どこかお母さん的な風格すら漂わせている。
見た目こそ若いが色々苦労しているのだろう。
看板娘として客に愛想を振りまくだけじゃなく、ワゴンを引いて街中の労働者たちに食事を提供するのは言葉以上に大変なのだ。
「アハ、アハハ」
渇いた笑いに目が泳ぐ。
アリスは実際に吹っ飛ばしたのが自分だけに彼女の言葉は胸にグサグサと突き刺さる。
「まぁいいや。急ぎの用事ってわけでもないし、どうせ向こうから嗅ぎつけて勝手に調べるでしょう」
ミラベルは三つ編みの先の毛束を指でいじりながら、アリスに背を向けた。
「あれ、もういいの?」
「よくはないけど、目的の人間がいないんじゃここにいてもしょうがないでしょ。私だって暇じゃないんだし、さっさとお暇させてもらうわよ」
「あ、そういえばミラベルさん。私から少しよろしいでしょうか?」
「ん?」
ナギサが帰ろうとするミラベルに声をかける。
「ミラベルさんは街の色々な人と関わっているのですから、もしかして噂話とか聞いたりしませんか?」
「そりゃ聞くけど……なに? なんか聞きたいことがあんの? 内容によってはタダでってわけにもいかないわよ」
商売人としての血がそうさせるのか、抜け目ない彼女の言葉にナギサは苦笑する。
慈善事業をしている彼女だが、金を取れるところからは容赦なく取り立てる。それが彼女の信条だった。
「ええ、いいですよ。実は自動人形について聞きたいんですけど」
「自動人形? こんな感じの?」
自分に向かって突き出される指を邪魔そうに振り払うアリスは、ミラベルに向かって抗議の声をあげる。
「人に向かって指をさしちゃいけません」
「人じゃないじゃん……そうね。まぁ、ここまで珍妙な自動人形についての話はないわけではないけど。うーん、私が知っている中で気になるようなもの……あ、やっぱりメイドかなぁ」
「「メイド」」
アリスとナギサの声が見事に唱和する。
昨日ヘンリーから聞いた話に確かメイドというワードがあった。
「なんか変な話でね、メイド服に身を包んだ自動人形が夜中徘徊しているんだって。まるでご主人様を探しているかのような姿は幽霊みたいでおどろどろしいってピーターソンさんが言っていたわ」
「ナギサさん」
「ええ、もしかしたら当たりかもしれません」
「……なんか役に立ったみたいね。本当なら情報料を請求したいところだけど、あなたに免じてタダにしといとくわ」
「私?」
アリスは自分の顔を指して驚く。
年下のくせに口調が傲岸な彼女の予想だにしない気遣いに堪らず頓狂な声を出してしまった。
「そう、ここの生活を始めてまだ日が浅いんでしょ? 私からのささやかなプレゼント。この街を好きになってもらえるなら、いくらでも私を頼りなさい」
なんだかんだ言って彼女は優しい。
困っている人がいれば迷わず手を差し出す。そんな性分なのだ。
「あ、ありがとう」
「ふん。ま、よかったらウチのパンもよろしくね。それじゃ、私は行くわね。そろそろ仕事の休憩の時間だし、私のワゴン目当てのお客さんが待っているわ」
「私からもありがとうございます」
ナギサから感謝されるが、ミラベルはどこか困ったような顔をする。
「ああ、あんたに感謝されるのは個人的にあまり嬉しくないわ。別にあんた自身に恨みはないんだけど、ちょっと知り合いがね……」
暗い顔を見せて彼女はそそくさと部屋を出ようとする。
「そうだ。えっと、あんたの名前なんていうの?」
ミラベルは思い出したように振り向いてアリスに問いかけた。
彼女のことを街の人間から聞きはしたが、名前までは知らなかったのだ。
「名前? あー、うん。アリス……ここではアリスで通してる」
「ここでは……? ふぅん、よく分からないけどいい名前じゃない」
にっこり笑ってミラベルは去っていく。
ここでは不遜な態度だったが、街に出ればおしとやかなお嬢様を演じなければいけない。
これでも、労働者たちの間ではアイドルとして人気があるのだ。
コーヒーのワゴンを引いて今日も彼女は街に笑顔を振りまく。それが、かつて交わした約束だからだ。
「なんか、すごい人でしたね」
「ええ、彼女と話したのは今日が初めてですが、なかなかの好人物であったような気がします。まぁ、少し態度がアレでしたけど」
ミラベルがいなくなった部屋でアリスはナギサに尋ねる。
「それにしても、そのメイドってのが怪しいですね」
「はい。ホルダー少佐の家にいた自動人形もメイドとして働いていましたし可能性は高いですね。どの目撃証言も夜中ですし、ワイトチャペル近辺で張っていた方がいいでしょうか」
「でも危険じゃない? 相手は何人も、その殺しているんでしょう?」
「そこはご安心を。私の剣があれば大丈夫です」
ナギサはそう言って腰に提げた鞘を掲げる。
使い込まれた柄は所々シミができており、彼女の努力の跡がうかがえた。
「警察か軍の、ナギサさんの伝手であの銀髪のおねーさん引っ張ってこれないの? ナギサさんの腕を信用してないわけじゃないけど、備えはいくらあっても悪いってことはないでしょうし」
「ロゼは難しいですね。今は例の心霊学派関係で出ずっぱりのようです。警察は……すみません。私に警察関係の知り合いはいないもので」
「私もいるかいえば……うーん、あの人とは喧嘩みたいな感じで別れちゃったからなぁ。一応声かけてみるか」
「お願いします。それではどうします? 被害者がこれ以上増えるのを防ぐためにも、今日にでも動きますか?」
「……そう、ですね。シャーリーが今何をしているのか分からないけど。警察の協力が得られればすぐにでも動くべきだと思います」
アリスは一瞬昨日出会った男の顔が頭によぎった。
つながりなんて希薄だけど、どんな経緯でも知り合ったからには無関係じゃない。
それならば、弔いの意味も兼ねて出来ることはしておきたい。
まだ戻らないシャーリーの動向も気になるが、思い立ったが吉日。早速、噂のメイドの自動人形を捕まえるためにも行動に移すべきだ。
「と、その前に。ナギサさん、警察署ってどこです?」




