二十二話
「これで七件目……しかも、よりによって殺されたのが昨日会った人だなんて」
アリスは間借りしている部屋で新聞――ここ蒸気都市は大きな事件が発覚する度に超速で新聞が刷られるため、情報の伝達が素晴らしく行き届いている――を広げては、記事に書かれている訃報に奥歯を噛み締める。
悔しい、とは少し違う感情に彼女自身戸惑いがあったが、人の生き死にに揺れ動くココロに安心する自分がいた。
嗚呼、やはり自分は人間なのだと。
「結局酒場での聞き込みも空振りに終わるし。なんかなー、事件の捜査ってこんな風に上手くいきっこないのは分かってたけど、それでも一日がただ無為に過ぎてしまったのはやるせないよね」
現在この部屋にはアリスしかいない。
シャーリーは昨日出て行ってから一度も戻っていないようで、彼女が引っ張り出した衣服が散らかったままだ。
どこで何をしているのか。
おそらくは事件の捜査に奔走しているのだろうが、あの小さな体のどこにそれだけのエネルギーが蓄えられているのか疑問だった。
もしかしたら彼女も自動人形なのかもしれない。そんな戯言にも似た思いが浮かんでは、しかし、知っている顔の人間が死んだという事実に気持ちが押しつぶされそうだった。
彼がアリスにしたことといえば、怒鳴り散らしたことだけ。
何かを手助けしたとか、親切にしてくれたとか、そういった心温まるエピソードなど皆無で、そもそもが数分だけの邂逅に思い入れなどあるはずもない。ただ嫌な思いをしただけ。
それでも、それでもである。
人の死というものは、そういった理屈で説明できるような感情を越えた先にある何かを与えるものであり、たとえその人物が自分にとって不都合な存在であっても心を動かされないはずがないのだ。
「はぁ……シャーリーはこういう経験何度もあるのかな?」
だとしたら、彼女の小さな胸はどれほどの傷がついているのだろうか。もしかしたら、そんなものを超越して慣れてしまっているのだろうか。
分からない。
生前――もはや、この表現に違和感も湧かなくなってしまった――は、分からないことがあれば自力で勉強して知った気でいたが、今回はシャーリー自身に尋ねるしか答えを得る方法はない。
果たしてできるだろうか。
他愛のないことならばなんの気負いもなく聞けるのだが、こういう真剣な話題はどこか心が拒否反応を示していた。
「別に恥ずかしいわけじゃないけど……」
それでも、むき出しの感情のぶつかり合いは避けたくて。いつもどこか一線を引いている自分がいた。
モヤモヤする想いにごろんとソファに横たわる。
落ち着いた色合いの天井からはオシャレな照明がぶら下がっていた。
この世界に来てゆっくり観察することがなかったが、ここはまるで別の世界線を歩んだ外国みたいな場所だとアリスは思う。行ったことはないが、イギリスあたりの雰囲気がちょうど合うかもしれない。
街の人間の暮らしぶり彼女が生きていた時代よりも昔ではあるが、空想の世界に迷い込んだような感覚に彼女はどこか違和感を覚えていた。
「まるで、誰かの紡いでいる物語の登場人物になったみたい」
そう思うのは夢見る少女のようにイタイだろうか。
自分というものを見失いがちな年頃だというのは分かる。
事実、私が学校にきちんと通っていた頃にしでかしたことを考えれば、枕に顔を突っ伏して身悶えたいほどだ。
だけど、ここでは私は異世界に転生した異物。
現実離れした出来事に常識は乖離して、どこか他人事のような視点でここでの生活を送ってしまっている。
「私がここにいる意味ってなんなんだろう?」
寝返りをうつように体を捩り、顔を部屋のドアに向ける。
目が、合った。
この部屋には誰もいないはずだった。
しかし、にこやかな笑みをたたえた大男が、アリスの顔から数センチの距離しかないところで頬杖をついて座っているのである。しかも、丁寧に目線を合わせるという嬉しくない気の使いようだ。
「き、」
「き?」
「きっ――ぎゃあああああああああああああああああああ!!!!」
「あああああああああああああああああああああ!!!!」
この世の終わりかというような絶叫が部屋の中にうるさく響き渡る。
驚いたアリスが悲鳴を上げるのは当然のこととして、それに釣られて男もバリトンのやたらいい声で彼女の奏でる音に合わせるのは何かの嫌がらせか。
自動人形なので喉を痛めるということはなかったが、ひとしきり声を出し尽くしたアリスは肩で息をしながら目の前の怪人物から慌てて距離を取ろうとする。
だが、その動きに合わせて大男もジリジリとにじり寄るのだった。
「ひいいいいい! 来ないで! あっち行って!」
「おっひょっひょっひょ。そんなこと言わずにぃ、もっと私にそのくぁいい顔を見せておくるぇえええい」
昨日出会ったヘンリーの従者よりもガタイのいい体でありながら、男は器用に部屋の中の調度品にぶつかることなくアリスと一定の距離を保ち続ける。
いや、動揺して足をもつれさせている彼女に少しずつ、着実に近づいているようだ。このままではいずれ捕まるのも時間の問題だろう。
「いったい何時から、どこから!? 夫人はどうしたの!?」
「ふむぅ、しつもぉんの多いレディだ。世界を代表するのならば、もっとそれ相応の立ち居振る舞いとぉいうものを身に付けたまえ……バチン!」
高級そうなシルクハットを指でイヤらしくなぞりながら男はアリスに向かってウィンクする。
これが美男子ならば格好がつくのだろうが、変な音を出しながら不器用に瞼をパチクリさせているのは中年のオジサンという残念さ。
服装こそ立派な貴族のようなものだが、如何せん下心丸出しの下品な顔が全てを台無しにしていた。
「それと、私は紳士だぁからね。レディのしつもぉんにもしっかりとぉ答えよう。今、この建物の中にはミス・アリスとこの私だけなのだぁよ」
「へ?」
「裏手の窓から侵入しようとしたときにぃ籠を持って出かけるのを見ていたかるぁね。まぁ、そこを狙ったのだぁから、このロマンティィックな逢瀬を邪魔する者はいなぁいのさ」
だから先ほどの悲鳴にも何の反応もないのか。
そう納得しかけるアリスだが、聞き捨てならない文言に背筋が寒くなる。
「ちょ、ちょっとまって! 今窓から侵入って言わなかった!?」
「さぁ、ミス・アリス。早く、そのたおやかなボディを私にぃ!」
「聞いて!」
マズイ。こいつは相当にヤバイ相手に違いない。
なんて言ったって目がヤバイ。
焦点の定まらない瞳はどこか別の何かを見ているような様子すら感じさせ、その奥に燃えたぎる熱い思いは少女を蹂躙せしめんとギラギラと輝いていた。
「さぁ、さぁさぁさぁさぁ! 安心したまえぇ、私に全て委ねればぁ何も恐れることなどないのだぁ」
ニッカリと歯茎が見えるほど、口を三日月のように曲げる。
貞操の危機にアリスは神様よりもこの場にいない部屋の主の登場を願うが、そんな都合のいい展開にはなるはずもなく。
必死に逃げ続けた彼女は遂に逃げ場を失い、男に壁際へと追いやられてしまった。
「ふっふっふ、ぬぁんど夢見たことくぁ。遂に、遂に遂に遂に! かのホープ氏の遺した芸術品が私の手に!」
その名前を聞いたアリスはハッと顔を上げた。
そういえば、この身体を作った人形師の名前が確かそんな感じだった気がする。シャーリーたちの口ぶりでは相当高価なもののようだったし、もしかしたら街で見かけて盗みに来た泥棒なのではないか。
アリスはその考えに幾分か希望が見えた気がした。
気持ちの悪い言動から男が人形に欲情する変態だと思っていたが、ただの泥棒ならばあんな事やこんな事をさせられずに済むかもしれない。
人形の体ではあるが、ココロは乙女だ。特にこういうシチュエーションには気をつけなければいけないのだ。
「えっと、オジサン……もしかして、私を盗みにきたの?」
なんだか映画の一場面みたいな台詞が出てしまい気恥ずかしくなるが、そんなことを気にしている暇はない。ここで男の目的を明らかにしておかねば、このあとの行動に大きく差が出てしまうのだから集中する必要がある。
「うん? 盗む?」
キョトンとした顔をして、男はアリスの質問に首を左右に傾げ始めた。
彼女の言うことの意味が理解できないといった表情を崩すことなく何度も反芻する姿は親の躾をうける子供のようで、期待する言葉を言わない男に徐々に心配になるアリスだが、助けは思いもしないところから出てきた。
「伏せてください!」
鋭い掛け声とともにアリスの頭スレスレのところから光が一筋煌く。
「うわっ」
咄嗟に声に従って伏せたが、銀の刃が通ってからでは何の意味もない。それでも首がきちんとつながっているのは避けきれない彼女の行動を予測した上で刀を振るったナギサの腕前の凄さか。
「いやいや、いきなり抜刀は危ないじゃぁないか。異国の剣士くぅん?」
「女の子に不快な思いをさせている貴方が言う台詞ではありませんね、モリアーティさん」
どうやら二人は知り合いのようだ。
だが、ナギサの鋭い眼光からは友好の二文字はない。明らかに敵視しているのが分かるほどの殺気を放っている。
「はぁ……折角ミス・アリスと仲良くお話がデキると思ったのだがぁ、邪魔が入ってはぁ仕方なし。ここは大人しく帰るとしますよぉ。では、ミス。またお会いできる日を楽しみに待っていますぞぉ!」
そう言って、部屋の窓を開けると男は何の躊躇もなく飛び降りた。
「えっ、ここ三階!」
慌ててアリスは男の姿を確認しに行くが、激突したと思われる地面には何の痕跡もなかった。
どこへ。そう思って窓から顔をのぞかせると、既に反対の通りで男が街の人間に迷惑をかけながら飛び跳ねているのを見つけた。
「なんなの、もう……」
遠くに離れていく男に向かって盛大にため息をつきたい気分だ。
アリスは助けてくれたナギサにお礼を言おうと彼女の近くに行こうとするも、想像以上に精神を摩耗したからか体をふらつかせる。
「大丈夫ですか!?」
「うん、ありがとう。それと助けてくれてありがとう。ハハ、この短い時間で二度も助けてもらっちゃった」
アリスは渇いた笑みを浮かべるが、ナギサはいたわるように髪を撫でる。
「あの方に何もされていませんか?」
「うん、大丈夫。ナギサさんのおかげでなんともないよ」
「それは良かった。まったく、あの方にも困ったものです。師匠のホルダー少佐のつながりで何度か面識はありましたが……弟さんを亡くしてからはああも人の迷惑になるようなことばかりで」
「そうなんだ。もしかしてあの人も剣の先生だったりするの?」
「まさか。あの方は少佐が『軍』に在籍していた頃の同僚の方です。お名前は――」
その時、外から一陣の風が舞い、アリスは顔にまとわりつく髪に悪戦苦闘してナギサの言葉を聞き逃す。
「えっ、ごめんなさい聞こえなかった。もう一度言ってもらえます?」
「いいですよ。彼の名前は」
「ジェームズ・モリアーティ」




