二十一話
「さて、ヘンリーさんどうします。まだ何か文句がありますか?」
従者共々泡を食っているヘンリーはナギサの言葉にビクリと体を震わせた。
彼女がしがない街の人間と思っていた彼は、予想だにしていなかった展開に己の保身を考えるのに精一杯のようだ。
「別に貴方のことを糾弾するつもりはありませんよ。ただ、彼女に対しての怒りを収めて下されば。それでこの件は手打ちとしましょう」
ね。と、笑顔で彼女は言うが、その笑顔は有無を言わせない謎の迫力があった。
「う、うううむ。きさ――じゃない。そ、そなたがそう言うのならば仕方ないな!」
「仕方ない……?」
「いや、全面的にこちらが悪かったような気がしてきたぞ! よくよく考えればこんな狭い道でのんびり歩いていたワシらが悪かったとも! だから、その、『軍』の方には……」
ヘンリーはポートベローで手広く商いをしている人間で、貴族ではないが発言力はそれなりにある。
それというのも、アンティーク中心の商売をしている彼の最大の顧客は貴族や『軍』の上層部の富裕層だからであり、彼らの後ろ盾があって横柄な態度が許されているのだ。
「分かっていますよ。ま、そう言われても私が親しいのはせいぜい『銀閃』の彼女とその周りにいる方々だけですけどね」
「う、うむ。特に大佐にはよろしく伝えてくれるとありがたいのだが」
「モラン大佐ですか? ああ、あの方もアンティークに興味がお有りでしたものね」
ナギサは銃の名手の軍人の名前を上げる。彼の腕前は剣士である自分にも分かるほどに凄まじく、武器の差を考えても正面からは挑みたくない相手だ。
何かと黒い噂の絶えない人物ではあるが、亡き師匠と旧知の仲である彼のことを悪くは思いたくなかった。
「モラン……?」
アリスはどこかで聞いたことのある名前に、無視出来ない何かを感じる。
「それにしても流石の剣捌きだったな。流石はと言ったところか」
「ああ、一時はどうなるかと思ったが、なんだかんだ丸く収まりそうで良かったよ」
既に周囲には争いは解決したものとして見られているらしい。一時の緊張は解れ、歴史あるアーケードに再び人の波が流れ始める。
事実、ヘンリーの気概は削がれたようで、ナギサに媚を売り始めているところだ。
そして、彼の後ろでは彼女の剣撃にすっかり怯えを見せている従者が大きな体を丸めていた。正面から受けた彼女の気迫はよほど凄かったのだろう。その厳つい見た目からは想像できないほどの子犬っぷりだ。
そうなってくると面白くないのはアリスだ。
事の発端は自分の不注意によるものだが、この人ごみではある程度許されて然るべきだし、必要以上に自分をガラクタ呼ばわりした中年にヒトコト言ってやりたい気分だ。
もっとも、ここで不用意に発言してしまえば、収まりかけた矛が再度振るわれることになるのは明白だったので、彼女は沈黙を選ぶしかなかった。
その程度の理性は、心の寛容さは備えているつもりだ。たとえ、今は燻っている『もう一人の自分』が心の中で囁きかけてきたとしても。
「ほぅ……『リッパー』の情報とな?」
商人ならば様々な情報には明るいはずだ。
そう思ったナギサはヘンリーに現状を話していた。もちろん、シャーリーに依頼していることまでは話していない。
「これから『ガチョウの晩餐』に行くところなんですけど、もし何か知っていたら教えてくれませんか?」
「そうは言ってもなぁ。未だ犯人の人相も分かっていないのだろう? 警察も頭を悩ましている事件の情報を握っていたら、こんなとこにいないでさっさと恩を売るのに奔走しておるわい」
「……それでは、野良の自動人形についてはどうです?」
ナギサの師匠を殺害した自動人形が世間を賑わしている『リッパー』と同一の存在かは、まだ確証が持てない。しかし、可能性は高い。
ナギサの中ではそれが確信めいた予感となって、その鍛え抜かれた健脚を動かすだけの理由となっているのだ。
「自動人形?」
ヘンリーは訝しげな表情でアリスの方を見やると、考え込むように唸り始める。
何か心当たりがあるのか、さっきとは違ってすぐには答えを出さない。
蒸気都市は機関と鋼鉄と歯車の街だ。
そこには技術と化学によって裏打ちされた原理が支配しているはずなのだが、かといって人外の領域がないわけではない。
例えば、この市場だけでも見回してみよう。何人かは体全体をすっぽりと覆う外套を着ているのが分かるだろうか。
彼ら全員というわけではないが、実はその何人かは亜人間である。
骨格は人間と変わりはないのだが、どこかしら身体特徴が目立つ部位があったりするのだ。
獣人。単眼。半機人。
種類を挙げていけばキリがないが、とにかくこの街に住んでいるのは純粋な人間だけというわけではない。
だからというわけでもないが、当然、霊的存在も確認されている。
精霊、悪霊、亡霊。可愛いものからおぞましいものまで。特に市街地から離れれば離れるほど、そういった噂は多い。
有名どこでは『バスカヴィルの魔犬』と『ジェヴォーダンの獣』だろうか。この二つは同種とみなす意見があるが、それが判明するのはもう暫く後になる。どこかの小柄な探偵が解明するまでの辛抱だ。
「古物ばかり扱っているとそういう話はよく聞くが……そうだな、最近話題なのは『首なしメリー』と『闇夜のメイド』か」
なんだその微妙に怖いようで肩の力が抜ける噂は。
アリスは真剣な面持ちで語るゴブリンもといヘンリーに呆れた眼差しを送るも、ナギサは食い気味に彼の話に前のめりになる。
「メイド……すみません、その噂をもっと詳しくお願いします」
「この話に興味があるか。だが、悪いことは言わん。いくら『瞬黒』といえど相手が悪すぎる」
どこの世界でもメイドは強いのだろうか。
そういえば私が読んだ漫画でもメイドさん重火器もってドンパチしていて強かったなと、アリスはぼんやりと二人のやり取りを眺めている。
「まぁいい。これはゲイトの奴から仕入れた情報なんだが、何でもこのあたりにメイドの格好をした自動人形が夜な夜な徘徊しているのが目撃されているらしい。しかも、ものすごく俊敏で見つかるとすぐにどこかに消えてしまうらしい。そなたの剣と良い勝負となるに違いないな」
「けが人はいるんですか?」
「けが人? さて、いたようないなかったような……ホーナーがそういえば切られたと言っていたか」
「ホーナー? 配管工のですか?」
「ああ、奴め、ゲイトの店のツケを払うために歩いていたら襲われたと言っているらしい。その時に金を落としたから結局ツケを払わずその日もタダ酒を楽しんだそうだ……どこまで本当のことやら。大方金を払いたくない方便だと思っていたが」
商売人として、金払いをしぶる客が嫌いなのだろう。
「『ガチョウの晩餐』に行ったあとでもゲイトのとこに顔を出してみるといい。店の名前はわかるのか?」
「ええと、『ベータイン』でしたっけ」
「そうだ……ふぅむ。まぁ、今回のことはワシも悪かったところもあるだろうし、そこの人形にも、その、なんだ。まぁ、適当に何か言っておいてくれ」
「ええ、分かりました」
ナギサはにっこりと笑うと、バツの悪そうに明後日の方向を見ているヘンリーに情報の提供の感謝を述べる。
それを受けて男は一瞬変な顔をしたかと思うと、ごまかすように従者に乱暴に声をかけた。
「それではもういいだろう、これで失礼する。お前たち帰るぞ」
最後にアリスを一瞥して何かを伝えたそうな表情を見せるも、結局そのまま先程より混雑してきた通りへと姿を消してしまった。
残されたアリスたちは、彼の後ろ姿を見送ることなく当初の目的の酒場へと歩み始める。
アリスは後に後悔する。
この時彼の見せた表情の真意を問いただせば良かったと。
そうすれば、少なくとも印象悪いまま彼と別れることもなかったのだろうに。
翌日。首を切断されたヘンリーの死体がゴミ捨て場から発見された。




