十九話
黒い外套の人間が忙しなく彼方此方に行き交い、印象派の絵画のように彼らの境界線は混じり合いぼやける。
威勢のいい声が辺りに響けば、その流れもまた声のする方へとうねりとなって変化していき、楽しげな駆け引きが繰り広げられる。
ここはドンホールマーケットと呼ばれる歴史ある市場。
生鮮食品から加工品、食欲を誘う匂いを漂わせている露店が所狭しと軒を連ね、職人通りとは違う『生』の活気に満ちていた。
「ワイトチャペルに近いからっていう理由でここに来たけど、やっぱり私ってこの街に疎いから戦力にならない気がする」
今日は聞き込みをするということで白のブラウスに動きやすいパンツのコーディネートだ。この世界の女性はコルセットをつけるのが一般的だが、窮屈そうでアリスは何となく避けていた。
「そうなんですか? あの、すみません……アリスさんは本当に自動人形ではないのですね? その、どうしても私にはそうとしか見えなくて」
「いや、自動人形ですよ? 中身は生物ですけど」
「はぁ……」
よく分からないという風に曖昧な返事をする異国の剣士。
今は出会ったときと同じように外套を羽織り、その特徴的な服は隠れてしまっている。
「詳しく話すと長くなりそうだし、そもそも私自身が今の状態を正確に把握してないんですよね。外見はアレかもしれませんけど、人間として接してくれるとありがたいのです」
「分かりました。何か事情がお有りのようですし、確かにこうして接していると人間と同じ『気』を感じます。探偵殿も言っていた通りに貴女は人間なのでしょう」
買い物客に紛れて道行くアリスとナギサの二人は『リッパー』についての情報を集めているところであった。そのために現場にほど近い人が大勢集まるこの市場に来ているのだ。
しかし、そこに探偵の姿はなかった。
「それにしても、シャーリーはどこに行ったんだろう?」
「何やら大荷物を担いでいきましたが……」
アリスはため息をついて、こうなった経緯を思い起こす。
✽ ✽ ✽ ✽
シャーリーがナギサの依頼を受けた後、てっきり一緒に捜査に繰り出すものと外出の準備を始めていたアリスは彼女の言葉に耳を疑った。
「え、今なんて?」
「だから、彼女と君とで『リッパー』の情報を出来うる限り集めてくれと言ったんだ」
そう言って彼女は何やら衣装棚を漁りだしたかと思うと、大きなカバンに様々な服を詰め込み始める。
ちらっと見ただけだが男物もあるようだ。
「ちょっと待って、私だけで捜査なんてできないよ!?」
「だから依頼人のナギサさんと一緒にと言ったんだ。彼女も依頼こそすれ、自分でも師匠殺しの下手人を探しているだろうから手伝ってやるといい」
「いやいや、無理だって。土地勘もないし、この街の常識もないしでまともに聞き込みなんて……!」
「へぇ、聞き込みの仕方が分かるんだ。なら大丈夫。アリスにも出来るさ」
テキパキと慣れた様子で身支度を済ませ、最後にレザーのハットをかぶってアリスに向き直る。
帽子を目深にかぶるも、その特徴的な髪の『ハネ』は隠しきれないようだ。
「……いいかい? 逆にアリスはこの街の常識による先入観がないんだ。こういうふうに何かを探すときは返ってその方が都合がいい。それと、くれぐれも深追いと過信には気をつけること。それじゃ、帰りは夜になるから」
やる気に満ちた表情をした探偵はアリスに軽く手を振ると、その小柄な体躯には似つかわしくない旅行カバンを担いで部屋を飛び出していった。
後に残されたアリスは、とりあえず隣で呆気に取られている依頼人に愛想笑いをするのだった。
✽ ✽ ✽ ✽
「探偵殿はアリス殿の力を見越して私を手伝うようお願いしたのでは?」
すれ違う客を器用に躱しながらナギサは言う。
この人ごみでよくぶつからないもんだと感心しながら、アリスは本日八度目の追突による衝撃で回想をやめる。
「そうなんですかね。ううむ、今の私にある力ねぇ……ビーム出すこととか?」
「ビーム? 出るんですか?」
「出るっぽいです」
「はぁ……」
やっぱり彼女の言うことは分からないという反応。
これに関してはアリスも理解をしていないため、ナギサの気のない返事も気にならなかった。
大体、この体のどこからあれだけの極太ビームが出たのやら。
「私のことはそれくらいにしといて、ナギサさん。今私たちが向かっているところはどこなんです?」
誰かに連れられてだと、この間の黒衣の怪人がいる屋敷を思い出して気持ちが沈む。
「やはり情報収集といったら酒場でしょう。ここを抜けたらすぐに『ガチョウの晩餐』というお店があるので、そこの人間に聞いてみましょう」
「おおー、なんかそれっぽい。あ、でも私未成年だ」
「未成年? えっと、何がですか?」
「や、ああいうお店って年齢制限あるじゃないですか。大丈夫なんですかね?」
アリスは酒場と聞いて居酒屋よりも、バー的なものを連想していた。
だが、それは彼女の杞憂に終わる。この世界にもバーはあるが、『ガチョウの晩餐』は大衆食堂としての側面もあるため子供が来ようと問題なかった。
さらに、飲酒についても法はあるが――。
「その体なら周りの人間は何も言わないと思います」
先程ナギサに人間であると納得してもらったところだが、やはり、その体は彼女のように『気』の鍛錬をしていない人間からしてみれば自動人形にしか見えないのだ。
「そういえばそうでした。そっか、この体なら法律とかは関係ないんだ」
「いえ、そういうわけでもないんですが。自動人形に適用される法律はありますよ? 例えば、人に危害を加えれば廃棄処分を受けます」
「廃棄……!」
いわゆるスクラップ。
人間ではないがゆえに人権なんてものは適用されないのだろう。
そう思うと、今の自分を守ってくれるものが前述のビームとシャーリーだけのように思えて酷く不安になる。
「すみません、怖がらせてしまって。でも、大丈夫ですよ。それが施行されたことなんて月に四、五回くらいですから!」
「月に五回は多いよナギサさん……」
そういえば、今は逃亡した犯人を追うからと保留になっていたが、もしかしたら身柄が警察預かりになる可能性もあるはずだ。そもそも、公園の破壊は罪に問われないのだろうか。
ますます重くなる不安に、アリスは落ち込んで肩を落とす。
しかし、異世界でナーバスになる彼女に同情したくもなるが、ここが人通りの多い市場であることを一瞬でも忘れてしまったのはまずかった。
「アリスさん!」
ナギサの鋭い声に顔を上げたときにはもう遅かった。
アリスの頭が不快な肉の塊とぶつかり、瞬間相手の男はゴムまりのように弾け飛んでいった。
「あっ、ごめんなさい!」
咄嗟に謝るも、吹っ飛ばされた小太りの男は大げさに痛がり彼女に向かって指を差す。
「いったああああああああああああああああ! この、ポンコツがぁ! よくも人間様に怪我をさせたな! 貴様なんて廃棄にしてやる!」
ナギサから法を破った自動人形の末路を聞いたばかりだというのに、まさかすぐにフラグを回収することになろうとは。
アリスはこの危機を脱出するために、公園を吹き飛ばしたときのビームをどうやって撃つのか心の中でシャーリーに助けを求めるのだった。




