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十六話

 レストレイドと名乗った三十代半ばの男は猫背で背が低く、ネズミのようにつぶらな黒目は可愛らしさよりも陰険さを強調していた。彼もシャーリーとは以前から交流があるようで、馴れ馴れしく部屋に上がり込んできては断りもなく椅子に座る。

 自分の知らない彼女の昔を知っている彼にアリスの心は少しざわつくが、その理由が何なのかはまだ彼女は気づかない。


「いやぁ、困りましたよシャーリーさん。まさかここまで被害が甚大だと我々警察の威信に関わりますとも」


 流れてもいない汗を拭う仕草は、どこかこちらを侮っている風に感じる。

 まるで自分の努力を過大申告するかのように。この苦労は貴女がたには理解出来ないんでしょうな、とでも言うかのような態度は初対面のアリスだけでなくシャーリーも癪に障るようだった。


「ハハハ、面白いことを言うねレストレイド警部。まさか、これ以上下がる『誇り』があったとは驚きだよ」


 だから、彼への返しの言葉にも自然とトゲが入る。

 シャーリーの皮肉にレストレイドはあからさまに不機嫌そうな顔をするも、ここに来た要件を伝えるまでは彼女の機嫌を損ねまいと酷い愛想笑いで場をごまかす。


「これは手厳しい。ハハ、いや、シャーリーさんも人が悪い。この『誇り』は貴女が今まで守ってきてくれたものじゃないですか」


「……そういう事を言ってしまっては終わりだと思うのだけど。まぁいい、それで? 今日は巷を賑わしている殺人鬼『リッパー』について相談しに来たんだろう?」


 シャーリーは緩慢な動きで椅子に座りなおす。

 彼女の小ぶりのお尻がふかふかのクッションにすっぽりと収まり、レストレイドの話を聞くための準備を整える。


「私はどうすれば……えっと、席を外していた方がいい?」


 アリスが気を利かせて部屋を出ようとする。

 結局、瓶の蓋は開かず夫人に残念な結果を伝えることになりそうで彼女の気分は沈んでいた。


「ああ、君が噂の……ふむ、ちょっと貸してみなさい」


 レストレイドはアリスに何やら含みのある言い方をするが、彼女の持つ瓶に気づき手を差し出す。

 どうしようか悩むアリスだったが、夫人の悲しむ顔は見たくないと血色の悪い男の力を借りることにする。


「ちょっと待ちたまえ!」


 シャーリーがそのことに待ったをかけるが、時すでに遅し。

 見た目は少々頼りないが、警察官としてそれなりに鍛えているレストレイドには簡単な仕事だった。


「わぁ、ありがとうございます」


「いえいえ、これぐらいお安い御用ですよ。おや、どうしたんですシャーリーさん。まるで誰かに借りを作ってしまったかのように苦い表情をしていますけど大丈夫ですか?」


 したり顔で楽しそうに体を揺らすレストレイドと、顔を両手で覆い唸り声を上げるシャーリーに戸惑うアリス。


「えっえっ、何かゴメン! もしかして私マズイことしちゃった?」


「……いいや、君は夫人を悲しませたくないから彼に頼んだんだろう? そのことはボクとしても理解出来るし、君の優しさを再確認出来ただけでも良かったとしよう。ただ、今はタイミングが悪かった。よりにもよって……」


 シャーリーは狡猾な小男を睨むように顔を上げる。


「まぁまぁ、別に無茶な要求をする訳ではないですし。いつもどおり、私の話を聞いて事件を解決に導いてくれるだけで結構です。それ以外は何も求めませんよ……ただ、少しばかり謙虚にして頂ければそれだけで、ええ、十分ですとも」


「ぐぬぬぬ……」


 いつも傲慢な態度のシャーリーに思うところがあったのだろう。

 悔しがるシャーリーに満足そうに頷くレストレイドを見てアリスは大人げないと思うも、険悪なものがそれほど二人の間に流れていないことに疑問を抱く。


「さてさて、茶番もこんなものでいいでしょう。早速ですが、本題に入りますよ。本当に、この件に関してはここでお茶をする時間すら惜しい」


「元より君に出すお茶なんてないよ……ああ、アリス、君もここにいていいよ。むしろ、これから無関係という訳にもいかなくなるだろうから、彼の話でも聞いて予め身構えておくといい」


 何か不吉なことを言い出すシャーリーにアリスは一歩後ずさる。

 警察が事件の相談をする。生前テレビで見た光景に興味がないといえば嘘になるが、シャーリーの言葉に潜む違和感に鈍い彼女の本能が警鐘を鳴らす。


「でも、部外者が聞いてはダメなんじゃない? そうですよね、えっと、レストランさん?」


「レストレイドです。なんでお店開かないといけないんですか……別にかまわないですよ。聞かれて困るような情報もありますけど、シャーリーさんが許可するくらいですから。そのへんのモラルは信用してます」


 わざと心象を悪くするために名前を間違えたというのに、思いの外、彼はシャーリーに対する信頼が厚いようだ。

 仕方なく、アリスは探偵の隣に椅子を寄せて並んで座る。


「いいですか。おそらくシャーリーさんはすでにお気づきかと思いますが――」


「前置きはいい。簡潔に事実だけを述べたまえ」


「失礼、それでは言いますが。今、ワイトチャペルで連続殺人事件が起きているのですが、まったくもって犯人の目星がつきません。判明しているのはせいぜい鋭利な刃物で凶行に及んでいることぐらいですか。あとは、まぁ、相当な遣り手くらいなもので」


 バツが悪そうに警部は手帳も見ずに話し始める。それほど覚えておくことが、事件に関する情報が少ないのだ。


「昨日の夜もまた一人犠牲になりましてね。他の被害者と同じく急所をグサリ、と。今まで数多くの死体を見てきましたが、あれほど見事な切り口は見たことがありませんよ」


「君がそういうんだから相当なものなんだろうね。被害者たちの共通点は?」


「ないですね。あればまた違ったんでしょうけど。一人目から三人目、そして今回の六人目は住所を持たない浮浪者。四人目は売春婦に五人目は一人暮らしの老婆。浮浪者にしても、二人目だけ女性と万遍なく殺しているような印象ですね」


「それはそれで特徴足り得るのだが。そこらへんは後で詳しくまとめた書類をもらうとして、他にもあるんだろう?」


 シャーリーはレストレイドに試すような視線を送り、彼もまた敵わないなという風に両手を上げた。

 そして、周囲を気にするように丸い背中をさらに丸め、テーブルにくっつきそうなほど顔を寄せては、二人に世間に知られていない情報を伝える。


「いいですか、これは出来るだけ内密にお願いします。実は、今回の件に『軍』が関係しているかもしれないのです。私としては、もしかしたら犯人は過去に『軍』に在籍していたか、あるいは今もいる人間による者と睨んでいるのですが……」


 アリスは『軍』と聞いて、あの銀髪の麗人を思い浮かべた。

 しかし、これがそれほど秘密にしておくべきことなのか首を傾げる。


「ふぅん、警部はどうしてそう思うんだい」


「最初の事件が起きて一週間ほどですかね。警察に『軍』の査察が入ったんです。特に前触れもなく唐突で、それはもうこちらとしても寝耳に水で驚きましたよ。しかも、その時にこの事件に関する書類もほとんど持って行かれて……まぁ、写しがあったので事なきをえたのですが」


「なるほど。それは気になるね」


「そして、今日ですよ。あのロゼ中尉が険しい顔して捜査状況を聞いてきたんですから、これは何かあるとピンときましたよ」


「普通最初の段階で気づくはずなんだけど、この際警部の鈍さはどうでもいい。それよりも、中尉ねぇ……ふむ、これはこれは面白くなってきた」


 シャーリーは何かに気づいたようだ。急にニマニマしだして警部とアリスを困惑させる。

 一体どうしたのか、そう尋ねようとした瞬間。本日二人目の来訪者がベルを鳴らした。

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