十四話
「アリス!」
鋭い叫び声と共に現れたのは小柄な探偵だった。
彼女は今まで見せたことのないような焦った顔でアリスに近づくと、いたわるように抱きかかえて目の前の男をキッと睨む。
「彼女に何をした!」
「いいや、何も。ただ楽しく会話をしていたところだ。しかし、なるほど。少しだけ頭の中を垣間見たがなかなかどうして。愉快な性分の娘ではないか」
仮面の男は愉悦に満ちた表情を浮かべ、すっかり火が消えてしまった葉巻を手品のように虚空へと消す。
滑らかな指の動きは熟練のマジシャンのように繊細で、見る者に感嘆の吐息を漏らさせる。
「アリスを連れてきたのは間違いだったか。まさか、君が彼女に関心を寄せるとは……ボクの知る君はもっと排他主義だと思っていたけど、いつから人に興味を持つようになったんだい?」
「ハハハ、それは違う、違うぞ名探偵。私はもとより人間が大好きさ。矮小な存在が、どうしようもない大きな時代の『うねり』に翻弄される様など絶頂すら覚える」
「……相変わらず悪趣味な感性だね」
怪人のことなど理解しようとも思わない。シャーリーは気を失っているアリスの顔を覗き込みながら額にかかった髪を分けてやった。
均整のとれた顔は作り手の執念を感じる。自分の考えうる限りの美を追及した造形。彼女は金髪碧眼で美人ではあるが、やや可愛らしさに寄せた顔の造りをしている。
『人形師』の作った自動人形はアリスを含めて八つ。
アリスの『虚飾』の他には、『暴食』『色欲』『怠惰』『傲慢』『憤怒』『強欲』『憂鬱』。そのいずれもが他の自動人形とは一線を画す出来であると称される。
「出来ることならば彼女たちはこの世に出てこずに歴史の影に埋もれていて欲しかった。再び『彼女』に会えたのは嬉しくもあったが……」
シャーリーは街の中央で人々の生活を睥睨している『時計塔』で見た事実を思い返す。
あそこで得た知識、真実は彼女にとって到底受け止められるものではなかった。
「だが、貴様は知った。知ってしまった。かの異形の塔で数々の犠牲を越えた先に眠っていた真実がどのようなものであったとしても、貴様はその時点で逃れられぬ宿命を背負ったのだ。で、あるならば為すべきことを為せ。たとえ、窮極の門を開くことになろうとも、神々から与えられたピトスの蓋を開けようとも、真っ直ぐに真実を追及するのだ」
「そんなこと、君に言われなくとも知っている。本当なら何もしなくて良かったはずなんだ。だけど、あの状況では……」
「あの時、取るに足らない罪人から貴様を守るために『彼女』が現れたのは決して偶然などではない。必然だ。だからこそ、貴様は『彼女』の封印を解いた」
黒衣の男はまるで見てきたかのようにシャーリーとアリスの出会いの場面を語る。
いや、実際に見てきたのだ。この屋敷に巣食う人知を超えた怪物たちは全て彼の使い魔だ。
彼はこの屋敷に居ながらして、使い魔たちの能力を最大限に活用して蒸気都市の監視を常に行っている。
「ん……シャーリー?」
「気がついたかい? 君が生身の人間なら気付けにブランデーでも飲ませたいところだが、残念ながらこんな場所ではそんな上等なものすら置いていない。悪かったね、早く帰ろうか」
「おいおい、流石にブランデーくらいならあるぞ。一応ここはサロンの役割も兼ねているんだ。それに、貴様は私に用があったのではないのかな? 何か悩みがあるのだろう? 今なら格安で相談に乗ってやろう。なに、その人形を私に預けるだけでいい」
『M』は芝居がかった仕草でシャーリーを挑発する。
しかし、彼女はアリスに肩を貸しながら立ち上がると、『M』の方を見ずに投げやりに言葉をぶつけた。
「結構。少しでも君に期待したボクが馬鹿だったよ。彼女を救う手段はいくらでもある」
「あればいいがな。そんな希望に満ちた手段が」
厭らしい笑みを浮かべて彼は屋敷の闇に溶けて消えていった。それと同時に充満していた獣の気配も波のように引いていき、やがてなんの痕跡も感じないほどの無音の世界が訪れた。
「さ、行こうか」
シャーリーは来た時よりも優しい声色でアリスに声をかける。彼女に『M』を引き合わせてしまったことに多少心苦しいところがあるようだ。
そんなことに気づかないアリスはただただシャーリーの優しさに甘えるだけであった。
帰り道は思っていたよりもあっさりしていた。
こんなに短い道だったっけ、とアリスは拍子抜けした様子だったが、この屋敷全て、部屋から廊下にいたる全てが彼の使い魔だったなどと知る由のないことだ。
「結局、ここって何屋さんだったの?」
外に出て煙い空気を肌で感じながらアリスはシャーリーに玄関に掲げてある看板を指差す。
そこには真鍮製の看板に犬のシルエットを添えて何語か読めない字で書かれてあった。
「別にお店を開いているわけじゃない。ここは金持ちの道楽か暇人御用達のサロンさ。ここにいるのは揃って奇人変人ばかりだから来たくはなかったんだけど……ああ、そこには『犬たちの大樽』と書かれてあるんだよ」
「犬? オオダル?」
よくわからないといった様子でアリスは首を傾げる。
この世界に来て分からないことばかりだが、少なくとも、それで誰かに笑われることがないというのは彼女にとって素晴らしいことだった。
「分からなくていいよ。どうせここにはもう来ないし」
「あの男の人。シャーリーとはどういう関係?」
質問ばかりだな、と苦笑するが仕方ない。
シャーリーは一瞬アリスの質問に心底嫌そうな顔をしたが、すぐに「敵さ」とだけ答えた。
「そうなの? それにしては随分と……」
随分となんなのだろう。その先に続く言葉は見つからなかったけれど、少なくともアリスにとって彼はそこまで嫌な人物ではなかった。
「あのね、何があったかは推測の域を出ないのだけど、あそこまで嫌な目に遭ったら普通はもっと嫌悪感を出すものだよ」
シャーリーは呆れたようにアリスを見るも、何故だか言葉ほど責めているようには見えない。
むしろ、どこか嬉しそうでもあるような。
「ま、君を警察に渡さないための冴えた方法は残念ながら得られなかったけれど。幸いにも今の警察にあのコソ泥をすぐに捕まえるだけの力はないだろうから、まだ猶予はある」
そうだった。元はジョーンズとのやり取りを経ての外出だった。
そのことに今更ながら気づくアリスに今度こそ盛大なため息をつくシャーリー。
「ハァ、もういいや。君を見ていると、そこまで緊急を要することのように思えなくなってくるよ」
「そうかな」
シャーリーとのやり取りはどこか彼女の心を満足させる何かがあった。
だから、あの男の言った自分に関する秘密もいつまでも待てそうな気がするのだ。
きっといつか。彼女の方から私に教えてくれる時が来るに違いない。
その思いを胸に、アリスは歩き出したシャーリーの後を嬉しそうについていくのだった。




