十三話
この世のものとは思えないモノの息遣いが静かに聞こえる中で、長身の偉丈夫は愉快そうにアリスの青い瞳を真っ直ぐに見つめる。
蝋燭の灯りで微かに暖色が混ざった彼女の顔には戸惑いと不安がありありと表れていた。
シャーリーの断りなく自身について知っていいものか迷っているのだ。
「何を迷う必要がある。アリス、君には知る権利があるのだから遠慮せずに私に質問をぶつけるがいい。それとも、探偵の許しがないと聞くことは憚られるかね。私としてはあの探偵をそこまで信じてしまうのは危険だと言っておこう」
「そんなこと……」
「別にそれでも構わん。私には一切損なことなどないのだからな。だが、一つ忠告をするのならば、いつまでも悠長に構えてはいられないということだ」
男は蛍火のような葉巻の先で空中に文字を書くように不規則に揺らしている。
それによってできる光の軌道はゆらゆらと部屋の中を縦横無尽に動き回り、暗闇に浮かび上がる姿は妖精の舞踊のように妖艶で蠱惑的だった。
「ほう、これに引っかからないとは。精神耐性、いや、自己防衛プログラムが働いているのか」
アリスが暗示にかからないのを見て取った『M』は面白そうに彼女を分析する。
果たして、男の言葉に考えることを止めている彼女に暗示がかからないのは特別性の自動人形に備わった機能のおかげか、はたまた彼女生来の鈍感さか。おそらくは後者なのだろうが、滅多に屋敷から外に出ない『M』は、ここまで『のろい』人物を見たことがなかったため気づかない。
「えっと、気になることは沢山あるんですけど。なんとなく貴方からは聞いてはいけないと思うんです……シャーリーが多くを話さないのも、きっと訳があるから――」
「そんなものはない」
男はきっぱりとアリスのシャーリーへの配慮を否定する。
された側は、どうしてそんなことが分かるのかと眉をひそめて『M』に批判の視線を送る。
「この世界の常識など何も分からないであろう人間に、特にこの世界の命運を左右しかねない人間に何の情報も与えないのは、それを十分に説明できるだけの知識がないか……自分にとって不都合な事実があるときだけだ」
否定の意見など言わせぬ口調で『M』はアリスに凄んでみせた。
それでも納得のいかない探偵の同居人は必死に反論を考え、目の前の屋敷の主に対決を挑む。
「他にも……そう、きっとこれは彼女なりの配慮なのよ。この世界にきたばかりの私を混乱させないための」
「それならば混乱させないように要点を絞って教えてやればいい。それが出来ない能無しではないはずだが」
「ぐぅ。それか貴方は世界がどうのっていうけど、実はそこまで大げさな力はないんじゃないの?」
「広場を吹き飛ばしたのをもう忘れたのか? この屋敷とそう距離はないからな、あの時の衝撃はここまでしっかり伝わっているぞ。それに、あの程度ではまだまだ本調子とはいえまい……アリス、ここまで愚鈍だと私の君への評価も下がるぞ。あまり私を失望させないでくれ」
言葉とは裏腹に、葉巻をふかすことも忘れて、漆黒の王は自動人形との問答を楽しんでいるようだ。
一方、アリスは自分の考えに尽く反論してくる男に苛立ちを募らせると同時に、その内容に納得してしまう自分に忸怩たる思いだった。自然と『M』に対する言葉遣いも荒くなる。
「くそう、何か他にないか……」
「探偵の擁護か、私を言い負かせたいのかどちらかにしたまえ」
「うっ」
内心、ムカつくこの男を言い負かそうと思い始めていたのでドキッとしてしまった。
どこまでも人を下に見る態度はどこかで感じた既視感だ。
「そうだな、何も言うことがないのなら話題を変えよう。アリス、君は……いや訂正、貴様は何故そこまで冷静でいられる?」
ここ数分のうちに評価が出会った頃よりも下がり貴様呼ばわりされてしまった。
そのことに憤りを感じるが、最早彼女にとって『M』はただの嫌味な奴にカテゴライズされているのでどうでもよかった。
「冷静って? 私、全然冷静じゃないですけど?」
すっかり機嫌が悪くなって言葉にトゲが混ざる。
その様子の何が彼の琴線に触れたのか分からないが、軽く笑って言葉を続けた。
「いやいや、十分冷静だとも。貴様は元の世界で『■■■■』に殺されこの世界に転生をしたのだろう? 普通ならば、自分の一度目の死をそこまで簡単に受け入れられはしないぞ。己に降りかかった不幸を嘆き、自分をこのような時代錯誤の僻地に飛ばした神に呪いの言葉の一つも送りたくなるものだ」
蝋燭の火が一際大きく燃え上がり、男の仮面を明るく映し出す。その奥にある瞳は悲しみとも怒りともとれる色をしていた。
「それなのに、それなのに。何故、貴様はその機械仕掛けの体を受け入れる?」
途中ノイズが入り、アリスの耳に肝心な名前が入ってこなかった。
しかし、何故かすぐにそのことに関する疑問が薄れていき、次の瞬間には頭に『M』の問いかけしか残らなかった。
「え? そんなに不思議かなぁ。だって、私は今こうして『生きている』わけだし。そりゃ、刺された時は痛かったし怖かったし理不尽さでどうにかなりそうだったけど、こうして楽しそうな世界に飛ばされてラッキーというか、二度目の人生楽しまなきゃ損じゃない?」
あの時の痛みを思い出しわき腹を押さえる。それでも、自分の人生観を堂々と言えたつもりだった。
「『生きている』……ククッ。フフ、フ。フ、フッハ」
彼女の自信に満ちた答えに初めて返しに窮するも、すぐに『M』は何かを堪えるように体を折り曲げて喉からせり上がってくるものを無理に押さえ込もうとする。
暫し部屋の中にくぐもった音が木霊していたが、小さく「ダメだ」と言った瞬間。部屋が、屋敷全体が震えだした。
「フフフ、ハーッハッハッハ! これは傑作だ! 愉快だ! 感動だ! 『生きている』! 素晴らしい、これは希に見る傑物だ! まさか、まさかここまで状況判断ができていないとなると、シャーリーよ、嗚呼、蒸気都市に燦然たる栄光を轟かす名探偵よ。貴様の見込んだ『彼女』の選んだ少女は、己の死の意味にも気づかず生を語り、あまつさえ、この街を楽しそうだと言う。なんと愚昧で滑稽なことか――だが、その魂は確かに、『彼女』と同様に、これほどにも美しい」
男の笑いに呼応して、先ほどの得体の知れない化物たちもアリスを笑っているようだ。
その姿はどこか狂気染みていて、益々男の背後の闇が地獄の底を体現しているほど濃く深くなっていく。
「な、なによ!」
流石に馬鹿にされたことに気づいたアリスは怒りの抗議をするも、黒衣の怪人は笑いを止めることなくさらに哄笑をあげる。
「フ、フフフ。これが笑わないでいられるか。貴様は確かに『生きている』と、そう言ったのだ――人形の体で、どこが生きているというのだ?」
「そ、それは――」
思わず自分の胸に手を当てる。そこには生きている人間と同じく心臓の鼓動が――違う。これは、一定のリズムしか刻まないゼンマイ仕掛けの鼓動だ。
何かに驚きドキッとした時も胸の鼓動に変化はなかった。この体になってからの胸の高鳴りは全て生前の記憶からくる精神的な思い込みだった。
その事実を今まで見ないようにしていた。いや、意識の埒外だったのだ。
「どうした、今更自分というものが分からなくなったのか? 安心しろ、それが正常だ。むしろ、今までが異常だったのだ。そもそも、その生前の記憶は本物か? 本当に貴様は、他の世界からの渡航者なのか?」
「私の、記憶……?」
自分の名前は、思い出せない。
――それは作られた存在だから。
生きていた、女子高生として生きていた時の記憶は。
――そもそも、私は学校に行っていただろうか。私はあの世界に存在していたのだろうか。何も、何も成し遂げてなどいなかった。
お母さんとお父さんのことは。
――最後に会ったのはいつだったか。覚えていない。
私は、あの世界で何をしていた。
――何も。何も、していなかった。
「あ、ああ……ああああああああああああああああああああ!!」
絶叫が屋敷の壁を越えて、この薄暗い世界の果てまでも響いていきそうだ。
ぐちゃぐちゃになった頭に浮かんだ過去の記憶。
それは、何もない部屋でただ一人、虚ろに座り続ける自分の姿だった。




