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十一話

 街の中に無計画に伸びている錆色の配管から噴出している蒸気で地面の石畳は常に濡れ、職人たちの煙突からは絶えず綿のような煙が空との境界線を曖昧にしていく。

 レンガと金属の建築物は長年空から振り続ける煤のせいで本来の色よりも汚れてしまっており、この街から色彩と呼べるものは失われてしまっていた。

 そのため、この街で目を楽しませてくれるのは人々の着飾った衣装か、夕刻に点灯される橙色に輝く街灯くらいのものだ。


「シャーリー、これからどこに行くの?」


 胸元に大きなリボンをあしらった黒のワンピースはラメが散りばめられていて、時折キラリと光って上品な装いに感じさせる。さらに、シャーリーの選んだコサージュのついたミニハットと相まってどこかのお嬢さんのようにも見え、すれ違う紳士たちの視線を集めているが本人は全く気づいていない。


「それはついてからのお楽しみ。と、言いたいところだが、残念ながらそこまで気分のいい場所ではないんだな」


 カットソーにベスト、ホルスター付きのベルトを巻いてボーイッシュな出で立ちの彼女はどこか調子が悪いのか、いつもの髪の『ハネ』に元気がなかった。


「なんだい、その目は……ふぅ、出会ってまだ三日の君に心配されるようではボクもまだまだだな。なに、ちょっと昔からの付き合いの奴に会うだけだよ。ただそいつが嫌味なやつでね。会うたびに小言を言ってくるもんだから、なるべく会わないようにしていたのさ」


「ゴメンネ、私のせいで……」


「何度も同じことを言わせないでくれ。これはボクが自分で決めたことなんだから君が思い悩む必要はないんだってば」


 シュンとするアリスを気遣うように、シャーリーは歩く速度を緩めて彼女に並ぶ。

 傍から見たら仲の良い姉妹のように見えるだろうか。

 だが、アリスが自動人形であることにすぐ気づく人間はこの世界には多く、そして中にはその存在を疎ましく感じている者も少なくない。


「でも、全然人形って感じがしないんだよね。動きがぎこちないわけでもないし、きちんと喋ることもできるしで。まぁ、味覚とか嗅覚はないのが変な感じだけど」


「そのへんの感覚はボクには分からないのだけど、触覚も鈍いんだろう?」


「うん、なんか触れてるなーってのは分かるけど、それが冷たいのか熱いのかまではね。今まで生きていたときには何とも思わなかったけれど、何もしていなくても体には色んな情報が伝わっていたんだって今なら分かるよ。水の冷たさ、太陽の肌を焦がす暑さ、自然の匂い、そのどれもがこの体では感じられなくて少し寂しいかな」


 眉を八の字にして笑う顔はシャーリーの胸にわずかな痛みを与えた。

 今まで誰かの『痛み』なんて考えたこともなかった彼女にとって、これは初めての経験だった。


「……やっぱり、苦しい?」


 帽子の下の覗き込む瞳は不安に揺らめいて、夜空の如く深い色は一層濃く、吸い込まれそうなほど美しい。


「えっ、いや、へへ平気だって。むしろ、なんか強くなったような気がして生きていたときよりも調子がいいくらいだよ!」


 シャーリーの表情に胸の円筒シリンダが不規則に動き、アリスは頭の中が真っ白になり口からでまかせを言う。自動人形の体に生きている人間のような調子の良さなどあるはずもなく、常に決まった出力パフォーマンスしか出せないもどかしさはあった。


「そう? それならまだ救いはあったかな」


「?」


 シャーリーの言葉の意味は今のアリスには通じない。これは街の中央に座す『時計塔』を制覇した彼女にしか分からない。

 何かに安堵した小柄な少女と彼女の言葉に頭を捻る金髪の美しい自動人形は、これから待ち受ける困難を暗示するかのように薄くもやのかかる街の雑踏に飲み込まれていった。



 ✽   ✽   ✽   ✽



 二人が着いたのは未だ瓦礫が大量に残っているファルガ広場の近くの高級住宅街だ。

 複雑なレリーフが施された外壁に、見るモノを圧倒する威容は主人の傲慢さを表しているようで、どことなく近寄りがたい雰囲気を醸し出している。


「こっちだ」


 シャーリーはそれらの中でも特に奇抜な造形をした建物の前に行き、入口に立っている仮面をつけた男と何か言葉を交わす。

 彼は最初シャーリーの姿に驚いた様子だったが、すぐにうやうやしい態度に戻り、職務を全うしようと中へ案内しようとする。


「ちょっと待ってくれ、連れがいるんだ。アリス、こっちだ。いいかい、中に入ったら一言も喋ってはいけないよ」


「えっ、どうして……」


「いいから。そういう決まりなんだ」


 顔を上半分だけ隠した仮面の男が丁寧な仕草で金の犬の飾りのついたドアを開ける。

 外も日の光が遮られ明るくはなかったが、建物の内部はさらに薄暗い。明かりも蝋燭ろうそくの頼りない火が数本だけで、奥に行くと深い闇が広がっている。


「――っ」


 何かが動いた気がした。見えないが中では何かが蠢いている。

 自動人形とはいえ、専用の調整をしない限りは全ての状況に対応できるというわけではない。アリスは暗闇に目が慣れるまで、怖さを紛らわせるためにシャーリーの服を掴もうとする。

 しかし、彼女はアリスを置いて先に進んでしまう。


「(ちょっと待ってよー)」


 口には出さないように心の中で彼女を呼び止めるも届くはずがない。

 シャーリーは自動人形であるアリスなら暗闇でも自分のことがしっかり見えていると思っているため、彼女の慌てぶりには気づいていないのだ。

 そうこうしているうちに目の前の彼女の姿はどんどん闇に飲まれていく。


「(うう、人形の体っていっても、中身は人間なんだから怖いものは怖いよう)」


 内股の情けない格好でアリスはシャーリーに追いつこうとおそるおそる先を急ぐが、ふわりと何かが彼女の視界を遮る。


「(ひっ)」


 声にこそ出さなかったが、咄嗟に抑えた口からは音になりきらなかった空気が漏れる。

 恐怖で足が止まり、思わず周囲の様子を警戒してしまう。


「(なんだ、カーテンか)」


 冷静に見てみれば、それは蝋燭の灯りに照らされた暗幕であった。

 自分を驚かせた正体が分かり彼女はほっとため息をつくが、すぐにあることに気づく。


「(あれ、シャーリーはどこ? うそ、置いてかれた――っ)」


 暗幕に気を逸らされたことで先を行くシャーリーの姿を見失い、一人ぼっちになってしまった恐怖で抑えていた感情を爆発させてしまいそうになる。

 気が動転し、禁じられていた大声で彼女を呼ぼうと口を開けた時だった。


 横から白い手が伸びてきて彼女の腕を掴み、暗幕揺らめく内へと強い力で引っ張られる。


 声を上げる暇さえなかった。

 それは唐突に理解が追いつく前に行われ、既に口は大きな手で塞がれている。


「(何!? 何が起こったの?)」


 背後から抱きつくようにして拘束されているのは何となく分かった。しかし、この姿勢はまさに暴漢に襲われる寸前で、彼女の女性としての危機感がより気持ちを焦りへと導く。


「(誰か助けて。シャーリー、助けて!)」


「まったく、ここでは大声は厳禁だというのに。あの探偵はそんなことさえも教えなかったというのかね」


 低く、身体の芯へと響く耳に心地いい男の声がすぐ後ろから聞こえた。


「やれやれ、体を離すけど叫ばないでくれよ?」


 彼の問いかけにこくこくとゼンマイ仕掛けの玩具のように首を動かす。

 その様子が面白かったのか、息を漏らすような軽い笑いが耳をくすぐった。


「失礼、怪我はないはずだが、どこか調子が悪ければ容赦なく言ってくれ」


 解放されてすぐさま距離を取る。

 目の前にいる長身の男は仮面をかぶっており、素顔もどんな表情かも分からない。

 しかし、得体のしれない力をまとっているのか、彼の姿は陽炎のように揺らめいて見えた。


「自己紹介をしよう、お嬢さん。私はここでは『M』と呼ばれている者だ。これからもよろしく頼むよ、世界を混沌に導く者よ」

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