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九話

「しかし、アリスはない気がする……」


「まだ言っているのかい? あれから三日は経っているというのに、君も未練がましいねぇ」


 ギャラリでの回想を終えた『彼女』ことアリスは、頭に浮かんだ名前を迂闊うかつに言ってしまったことの後悔で頭を抱え悶える。

 確かに何故か自分にしっくりとくるものの、日本人である彼女にアリスという名前は背中がむず痒くなる何かがあった。


「そんなに名前に気を遣うかね。ただの個人を特定するための記号じゃないか」


「まだ三日の付き合いだけど、シャーリーがどういう人間かはわかったよ。異世界に来て右も左も分からない私の保護を買って出てくれたのは感謝しているけど、どうも考え方には共感できないなぁ」


「ボクのことを理解しようとする気持ちはありがたいけど、たかが三日で全てを察したかのような発言は見逃せないな。例えば、そうだな……ボクの性格はどう見る?」


 シャーリーはアリスを見ようともせず、変わらず書類の向こうで何やら作業をしている。アリスが彼女の世話になってからはずっとそうで、特に新聞記事や手紙を何度も見比べては気になった箇所に印をつけていた。


「性格? そんなの自信過剰のうぬぼれ屋、理性的ではあるもののうっかりの多いドジっ娘じゃないの」


「……君、仮にも住む部屋を提供してあげている家主に向かって、少しは気の利いたお世辞も言えないのかい?」


「自分で聞いてきたんじゃない。で、間違っているの?」


「間違っているね。ボクはうぬぼれ屋ではないし、その、ドジっ娘なる珍妙な性質も持ち合わせてはいないよ」


 紙の束で表情は見えないが、少しイラついているのが言葉の端々に混じる語気の強さから感じ取れた。


「そうかな? 結構自信あったんだけど……昨日だって、紅茶と間違えて夫人が私のために用意してくれた油を飲むし、何もないところで転んで私のおっぱいに顔を埋めるし。着替え中なのに覗いたりもしたよね」


「あ、アレは夫人がボクの愛用のカップと似たやつを机に置くから! それに君のむ、胸に当たったのだって事故で――!」


「ハイハイ、今日も私に夜這いをかけてきたのも事故だったんですねー」


「よばっ――」


 恥ずかしさで最後まで言えなかったシャーリーの純情さに口元が緩んでしまう。

 アリスの言うとおり、一度トイレに起きたシャーリーは寝ぼけて彼女の寝ているところに潜り込んでいたのである。

 ちなみに、自動人形である彼女は人間のように眠る必要はないが、心までが機械仕掛けになってしまったワケではないので、精神衛生の観点から夜は眠るものと決めていた。


「しかし、今よく考えてみると私ってば物語のヒロインばりにセクハラ受けている気がする……もしかして、私がここに来る前から色んな女の子相手にラッキースケベなことしてたの?」


「な、なんだそのラッキーなんとかってやつは。君のいた世界ってのは変な言葉ばかりあるんだな……」


 まだ動揺が収まらないのか、アリスの言葉に警戒して過剰に反応してしまっている。

 言葉遣いこそ大人ぶってはいるが、聞けばまだ十五の少女と知ったアリスは、すっかり彼女に対して気を許していた。


「それでも身体は許さないけどね」


「は?」


 そう簡単に彼女の嫁候補にはなるまいと決意するが声に出ていたようだ。

 人形でも恥ずかしいと胸の奥が苦しくなるんだと、どこか他人のような感想を抱いたアリスは、ふとシャーリーが何をしているのか気になり彼女のもとへ近づく。


「な、なんだね。まさか、ボクに何かしようというんじゃないだろうね」


「しないしない」


 ソッチ方面の弄りには慣れていないのか、すっかり怯えてしまった様子にアリスの中で何かが芽生え始める。

 年相応の少女の純朴さと子犬のような上目遣い。たまらず抱きつきたくなるが、それこそ物語におけるヒロインが主人公の魅力に雁字搦がんじがらめになる常套だと思い直し少し距離をとる。彼女はその手の話の作品を読むのが好きだったのだ。


「いやさ、なんか休む暇を惜しんでまで何をしているのかなーって思って」


「ああ、どうせ君に教えても仕方のないことだから気にしなくていいよ」


「むかっ、だからそういうところがうぬぼれ屋だって言うのよ。もしかしたら分かるかもしれないじゃない。そうやって相手を見下すのは良くないと思うなっ」


 アリスは唇をとんがらせて、目の下に薄らと隈の出来ている少女に親切心から忠告をする。

 しかし、そんな彼女の思いなど気にもとめない探偵シャーリーは、深いため息とともに細い肩をコキコキと小気味良く鳴らす。


「そのもしかしたらに期待してまで言わなければいけないことなのかい? どうせ知らなくてもボクはきちんと結果を出すんだし、それから知ってもいいじゃないか。それに見下してはいないよ、ただ物事には言うべきタイミングというものがあるんだ」


「……シャーリーが私にこの体の説明をまだしてくれないのも、そのタイミングってやつ?」


 ギャラリでシャーリーの言っていた『説明』とやらは三日経った今でもしてくれてはいなかった。

 そのことにヤキモキしていたが、何度聞いても「ああ」とか「うん」しか言ってくれないので、アリスは二日目の午後には諦めて流れに任せることにしていた。


「そうだね。気分を悪くしてしまったのなら謝るけど、それだけ君の体……伝説に名高い『人形師』の制作したものはデリケートな話題なんだ」


「ふぅん」


 お約束と言ってしまえば身も蓋もないが、自分にそんな大それた力があることにどこか気持ちが高ぶる。

 きっとこの先、危険な場面がきたら格好よく活躍できるかもしれない。そんな根拠のない期待にニヤける顔をシャーリーは冷ややかに見つめる。


「はぁ……どうして君が選ばれたんだか」


「何か言った?」


「いや、何も……そうだな、これくらいは教えてもいいのかもしれないな」


 そう言って、シャーリーは自身の右側の棚の引き出しから一枚の紙を取り出してアリスに渡した。


「なにこれ?」


「まぁ、契約のための書類みたいなものだね。『軍』の方はあの銀髪がなんか話を通してくれたからいいけど、ジョーンズ、ほら細い優男風の警察官の方がね。警察としては強盗犯の持っていた自動人形ということで君を預かりたいみたいなんだが、はっきり言って彼らでは持て余すだろうからね。ボクが正式な所有者であることを法的に証明しないと面倒なことになるのさ」


「はぁ……」


「だからこれはそのためのもの。初めから君はボクが所有していたもので、現場にはご主人様のピンチに駆けつけたってことにする。あのグサーノが言っていた行商人から買い取った話をボクってことに偽造するんだよ」


「はぁ!?」


 要は捏造である。あの場には数多くの警官がいたにも関わらず、グサーノの経験を自分のものに書き換えようとしているのだ。


「大丈夫なの?」


「平気さ。なんてったって警察はボクに恩があるからね。行商人から買ったっていう契約書を用意すれば何もいえないさ」


 渡された紙を見てみれば、確かに自動人形を買ったようなことが書かれており、いくつかのサインが信憑性を増していた。

 しかし、これは犯罪ではないのだろうか。


「バレなければいいんだよ」


 そう言って探偵はより本物であるかのように色々と工作を始めたのだった。

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