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八話

 カチ、カチ、カチ。

 文字盤が三種類ついている大型の柱時計が静寂の中、それぞれが異なるタイミングでリズムを刻んでいる。

 金属の歯車を複雑に入り組ませた意匠で見づらいことこの上ないが、ただ雰囲気だけはしっかりと出ており、この手の逸品が好きな人間からしたら垂涎ものだろう。

 レトロなアンティークに囲まれた琥珀色の室内は落ち着いた雰囲気で、香炉から漂う匂いは柔らかく鼻孔をくすぐる。

 しかし、残念ながらこの精神を落ち着かせるアロマな香りを楽しめない人物がいた。いや、正確には人ではないが。


「ほえぇ……」


「どうしたんだい、そんなに阿呆な声を出して。もしかして頭のネジでも緩んでしまったのかい? それとも、ついに心までも不精者になってしまったのかな。すまない、これは元からだったね」


 雑多な書類に姿がほとんど隠れてしまい、特徴的なアホ毛がみょんみょん動いているのが何とも可愛らしい。だが、同居人を心配してかけた言葉は容赦なく真鍮の心を傷つける。


「いや、ひどくない? いくら私でも流石に今の言葉は傷つくよ。怠け者ってのは、まぁ、そうなんだけどさ」


 火のついていない暖炉をぼんやりと眺めながら、『彼女』は深々とショーウッドチェアに身を沈める。

 ふわふわしたモール糸が使われたジャガード織りの椅子は柔らかい肌触りでいつまでも触っていたくなるほど魅力的だが、やはり、『彼女』には感じられない感覚だった。


「暇ならその辺の掃除をしてくれないか。掃除道具なら夫人に頼めば貸してくれるだろう……ああ、待った。くれぐれも書類以外のものには手を触れてくれるなよ。一応決められた場所に置いてあるのだからね」


「頼まれたって掃除なんかしませんよーっだ。大体、生まれてこの方部屋の掃除なんてお母さんに任せっきりだったのに」


「新しく生まれ変わったのだから、過去のことは関係ないじゃないか」


「ソレ。他の人だったら結構神経質になりそうな言葉じゃない?」


「そうなのかい?」


 頭はいいくせに人の心が分からない少女に『彼女』はため息をつく。

 本当にこの子の元で生活していて大丈夫なのか、少し不安になり改めて今後のことを尋ねた。


「ねぇ、シャーリー? 本当に私ここにいていいの?」


「何かと思えば、どうしたんだい? そのことに関しては先日解決済みじゃないか」


 それはそうだけど、と『彼女』はあの時のことを思い返す。

 この世界、蒸気都市に転生を果たしたあの日。立派な建物で行われた話し合い。そこで『彼女』は新しい名前と居場所を与えられたのだった。



 ✽   ✽   ✽   ✽



「大丈夫かい? いきなり倒れたから故障したのかと思って心配したよ」


「っ! や、やだ!」


 十七年間生きてきて初めて男に抱き起こされ、思わず体が拒否反応を起こしてしまい手を突き出す。

 せっかく人形相手に真面目に介抱していたというのに、ジョーンズは目覚めた『彼女』に悲鳴をあげられたばかりか、体を無理やり離され軽くショックを受けた。


「セクハラはダメですよ警部」


「い、いや。そういうつもりではなかったんですけど……ハハ」


 力なく笑う警部をジト目で睨む少女の追撃に呆れた顔をする軍服の女性。三者三様の反応にただただ頭に疑問符を浮かべる自動人形は少しずつ自分の置かれている状況を理解し始めた。

 これも常日頃から妄想を欠かさなかった賜物だろう。


「ええと、本当に私ってお人形さんになっちゃったの……?」


「あの時そう言ったはずなんだけどな。君も理解していた様子だったけど、違ったのかい」


「あの時?」


「太ったちょび髭の、人形に乗ったオッサンを相手取ったときのことだよ。自動人形オートマタに心当たりはないか尋ねただろう?」


「おーとまた?」


「ああと……そうだな、そう、あの時は自動人形と言ったんだったか」


「じどうにんぎょう。ああ、児童人形!」


「なんか君の発音だと別の代物のように聞こえるのだけれど、まさか、それでこちらの言っていることが伝わっていなかったなんてことはないだろうね。そんな出来の悪い喜劇じゃないんだから」


「ええ、ハハ、そうですねー」


 どこか遠い目をして『彼女』は乾いた笑いをする。

 流石にそれでごまかせるほど甘い相手ではなかったが、ここでこの話題に興じていても仕方がないと誰もが聞かなかったことにした。


「それで、名前なんだけど思い出せそうかな」


「あー、そうですね。無理っぽいです。他のことは覚えているのに、何故か名前のこととなると頭が痛くて……」


「すみません、シャーリーさん話が見えないんですけど」


「そうだ、こちらにも分かるように説明をしろ」


「はぁ、お二方に説明をして理解できる話じゃないと思うんだが。そうだね、一応『彼女』について言えることは、ご覧のとおり見た目は自動人形だけど、その中身は生身の誰かの魂が入っているということくらいかな」


「……何を訳のわからないことを言っているんだ。そんなことがあるわけがないじゃないか」


「あっ、確かにシャーリーさんそんなこと言ってましたね。でも、よくそんなこと分かりましたね。流石は名探偵」


「ふむ、もっと褒めてくれて構わないよ警部」


 自慢げに顔を上げる少女の言うことを信じられないロゼは、疑わしい眼差しで間抜けな顔をしている人形を見やる。

 確かに、言動や反応は人間のようだが、果たしてそんなことがあり得るというのか。これでは最近台頭してきた心霊学派の勢いを増してしまう事例として世間を賑わしてしまう。


「それだけは断じて阻止せねばなるまい。探偵、貴様の言うことが正しかったとしてだ。やはり、この人形は我らで預かったほうがいい」


「いやいや、権力にものを言わせて人々から財産を巻き上げてはいけないよ」


「別にこれは貴様のものではあるまい。それならば口出し出来ないはずだが」


「『彼女』はボクのものだよ」


 その言葉に不意にドキッとしてしまったなんて『彼女』は同性にも関わらずうろたえてしまった。

 胸の奥でシリンダが激しく動いている。


「ハッ、何を根拠に……」


「警部も見ただろう? ボクが『彼女』の力を開放してところを。それに、ボクが所有者だからこそ、こうしてあの被害の責任を取らせるべくここに呼ばれたんじゃないか」


 シャーリーの言葉に唇を噛み締める。

 この探偵はどうあったって自分を曲げるということをしない。自分の我を通すためにあの手この手でこちらを言い負かしにくるのは既に経験済みだ。

 ここで張り合っても仕方ないのは分かるが、立場上、ハイソウデスカと彼女の言い分を認める訳にはいかなかった。


「それならば監視をつける。貴様の人形が安全かどうか分かるまで、こちらの用意した人間が判断するのはどうだ?」


「プライバシーというものはないのかな」


「そこは配慮しよう。なに、貴様も見知った顔だ」


「それが妥協点だろうねぇ」


 シャーリーも彼女の立場を考え、これが最善かつ速やかに納得できる条件だと判断した。

 ジョーンズと当の『彼女』だけは彼女たちのやり取りに残されてしまっていたが。


「さて、それじゃいつまでも名前がないと困るから暫定的に名前を付けるとしようか。なにかいい案はないかい」


 シャーリーの言葉に『彼女』は悩む。暫定的ではあっても変なものはつけられない。

 思いがけない第二の人生の到来に喜ぼうにも複雑な心持ちで、なかなか考えがまとまらない。


「ううん、何か……出来るなら可愛いやつ」


 前の名前を思い出せないが、これでも一応女の子だ。欲を出せば納得のいくものがよかった。


「ま、こういう不思議な世界を冒険するなら『アリス』なんだろうけど……ま、さすがに柄じゃないし、私には可愛すぎるよねぇ」


「それじゃ、それで決まりということで」


「ええ! いやいや、もっと他にいいのが……」


「どうせ、本当の名前を思い出すまでさ。それに、アリス……うん、なかなかに似合っているんじゃないかな」


「マジですかい」


 こうして、『彼女』は『アリス』の名を手に入れ、蒸気都市で生きていくための存在証明を確立したのである。

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