白雪姫とリンゴ
「ああ、何てこったい!」
白雪姫が助かった理由を知ると、お妃さまは歯噛みしました。白雪姫のリンゴ嫌いを治そうとついた嘘が、白雪姫にリンゴのトラウマを植え付けることになるだなんて、誰が想像できるでしょう。
「かくなるうえは、リンゴの木を倒すしかないだろうか」
お妃さまはもう一度過去に戻るための呪文を唱えました。
「ふう。なんとか過去に戻れたようだね」
そこは白雪姫が生まれるよりも前、お妃さまが王様と結婚して数年目のお城でした。
壁には今よりも少しだけ綺麗な魔法の鏡が掛かり、部屋には綺麗な家具が並んでいます。机の上には、美味しそうなリンゴのたくさん入ったかご。
時間は、真夜中でした。
若くて可愛らしいお妃さまが、シルクの天蓋付きベッドですやすやと寝ています。
お妃さまは若い自分を起こさないように、そうっと部屋を出ると、誰にも気づかれないように庭に降りました。
お城の庭に植えてあるリンゴの木は、王様がお妃さまのために国一番の苗木屋から買ったものでした。
それはそれは大きくて、はちみつ色の幹は滑らかで、青々とした葉っぱの隙間から見えるリンゴはルビーのように真っ赤です。お妃さまはこのリンゴの木が一等好きで、この木のリンゴしか料理に使わないほどでした。
「さて、ああ。可愛い可愛い私の木。どうか許しておくれ」
お妃さまは最後に木の幹を優しく撫でて、リンゴをひとつ採りました。
そうしてむにゃむにゃと呪文を唱えると、空を覆う真っ黒な雲が現れました。雲の中では雷がピカピカと光っています。
「さようなら、私の木」
お妃さまが両手を振ると、ひときわ大きな雷がリンゴの木めがけて走りました。
雷がリンゴの木を切り裂く瞬間、弾けるように思い出が飛び出しました。
王様と初めて出会った日。
王様にプロポーズされた日。
王様との綺麗で壮大な結婚式。
お城の庭にリンゴの木が植えられた日。
......白雪姫が生まれた日。
それは、お妃さまが記憶する中でも鍵をかけるほど大切な思い出たちでした。
「ああ、私のリンゴの木。私の大切な思い出が詰まっていた。ああ、そうだ。白雪姫が産まれたときは、この子を一等大切にすると決めていたのに。
ああ、私のリンゴの木。もう元には戻らない。白雪姫への愛情も、今は憎悪でしかない」
やがて、雨が降りだしました。お妃さまは、二つに切り裂かれたリンゴの木の前に、いつまでも立っていました。
「......さぁ、これで私は頻繁にリンゴ料理を作ることはなくなったろう。今も庭にリンゴの木はない。あの日採ってきた最後のリンゴ。これであの子を殺そうじゃないか」
お妃さまは嗄れた老婆に化けると、七つ山向こうの七人の小人のところへ向かいました。
――コン、コン、
「はい、どなた?」
窓から顔を覗かせたのは、雪のように白い肌と血のように赤い頬を持ち、黒檀のように黒い髪をした可愛らしい女の子でした。
「これはこれは可愛らしい娘さんだ。こんな山奥まで来た甲斐があったねぇ。リンゴは好きかい?」
「ええ、とっても」
「それはよかった。では、このルビーのように赤いリンゴをおひとつどうぞ」
「まあ、ありがとう。けれどお婆さん、私は七人の小人に言いつけられている通り、どんなものでも、誰からも受け取ってはいけないのよ」
「おや、まあ。お前さんは毒でも入ってはいやしないかと思っているんだね?それなら、大丈夫だよ。私もこのリンゴをひとかけ貰おう」
そう言ってお婆さんは、ナイフでリンゴのまだ青い部分ををひとかけ切り分けて食べました。
あまりに美味しそうに食べるので、白雪姫は思わず赤いリンゴを受け取ってしまいました。
「そのリンゴはとても美味しいよ。ほれ、この場でひと齧りしてみてはどうかね」
白雪姫は、リンゴをくれたお婆さんに一言お礼を言おうと思い、大きなリンゴを両手で持って一口齧りました。
途端に白雪姫は、ばったりと倒れてそのまま息絶えてしまいました。
「ああ、ははは!ついに白雪姫を殺したぞ。本当に死んでいるか、家に帰って確かめなければ」
邪悪なお妃さまは、お城に帰ってくるなり魔法の鏡に言いました。
「鏡よ鏡、壁にかかっている鏡よ。この世で一番美しいのは誰だい」
『お妃さま、あなたこそ国で一番美しい』
それを聞いたお妃さまは満足そうに頷いて、安心して眠りました。だって、やっとあの白雪姫がいなくなったのです。国で最も美しい女は、ようやくお妃さま一人になったのです。
一方その頃、白雪姫。
家に帰ってきた七人の小人たちは、床で冷たくなっている白雪姫を見つけました。
「ああ、何てこった」
「白雪姫、どうして死んでしまったんだい」
小人たちは何か毒になるものはないかと白雪姫の髪をすいたり、水や酒でよく体を洗ってみたりしましたが、白雪姫が息を吹き返すことはありませんでした。
小人たちは白雪姫をガラスの棺に横たえました。棺には金文字で白雪姫の名前を書き入れ、王様のお姫様であることも書き添えました。それから、棺を山の上へ運んでいって、七人のうちのひとりがいつでもそのそばにいて番をすることになりました。