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バターぺろぺろ人間vsマザー

「ぺろぺろ。バターはおいしいなあ」


 坂本は独り部屋の中でバターを舐めていた。


 坂本がバターを舐め始めたのは今年の5月から。社会人としても生活が始まり、環境の変化に肉体がついてこれなくなったことが発端だった。ストレスを逃すための行動としてバターを舐め始めた。


 最初はなんとなくだった。特にバターが好きだったわけでも、思い入れがあったわけでもなかった。最初にバターをぺろぺろた一週間後、猛烈にバターをぺろぺろしたくなった。これが薬物中毒の症状でいうところのフラッシュバックだろうか。とにかく坂本はバターを舐めなければ生きていけない人間になってしまった。


 病院に行こうかとも考えたが、そのために仕事を休むのも面倒だし、そしてなにより症状はバターを舐めなければならない事だけで、生活に不便をもたらすことはなかったからだ。


「ふう……」


 今日も一箱のバターを舐めきってしまった。いつもの事であるが、口の周りがこの上なくギトギトしている。タオルで拭う。


 満足した坂本は眠りに落ちた。



 止まらない頭痛。止まらない咳とくしゃみ。流れ続ける鼻水。坂本は風邪をひいていた。今まで実家暮らしだった坂本にとって自分一人で病気に対処するのは初めてだった。しかし、やらなくてはならない。


 仕事を休み、朦朧とする意識で風邪薬を買い、眠る。一晩経ったが治る気配がない。


 そろそろバターを食べたくなってきた。しかし、頭がガンガンする。まともに出歩けるような体調ではない。かくなるうえは。


「もしもし。お母さん?」


 坂本の母親は隣県に住んでおり、親しい知り合いのいないこの地では最大の助けだった。母は、


「どうしたのよ」


「実は風邪ひいちゃってさ」


「あら。そりゃ大変って感じね」


「ちょっと買ってきてほしいものがあるんやけど」


「いいわよ。なにが欲しいのよ」


「バターだ。バターを買ってくれ」


「いいわよ~」


「持ってきてくれるととても助かるんやけど」


「いいに決まってるわよ!」


「ありがとう!」


 快諾された。坂本は母の助けを期待して再び布団にもぐりこんだ。



 坂本の部屋のチャイムが鳴らされたのは、数時間後だった。


「鍵はかけてない。入ってよ」


「あらー!」


 マスクを着用し風邪予防が万全な坂本の母親は、坂本の部屋をじろじろと見る。その手には近くのスーパーの袋が握られている。あの中にバターが!


「ありがとうお母さん」


「なんかちょっと太ったんじゃないの? 肌も脂ぎってるし、食生活が乱れてるんじゃない? 大丈夫?」


「うるせえよ! とっとと帰れ! クソババア!」


 じゃないとバターぺろぺろできないだろうが!と心中で続ける。


「ああ! わかったよ! 二度と助けんからな! このクソガキが!」


 そう吐き捨てると、袋を投げつけて坂本の母親は出て行ってしまった。まあすぐに機嫌を直してくれるだろう。そう思いながら坂本は母親が残してくれた袋に手を付ける。


「こっ……これは……!」


 坂本は驚愕のあまり腰を抜かす。


「マーガリンじゃねえかあああ! ふざけるな!」


 マーガリンとバターは全くの別物だ。決して代替可能なものではない。このままバターが手に入らなければ最悪の場合発狂してしまう。その核心が坂本にはあった。


 母親に電話! しかし着信拒否されていた。流石にもうすこし時間が必要か! 腹が立ったのでとりあえず罵詈雑言のメールを送っておいた。


 自分で出歩く? いや厳しい。頭が痛いうえ、バターだと思っていたらマーガリンだったショックのせいで坂本の精神はズタズタだった。自力でスーパーに辿り着けるか怪しいところだ。


(俺はいますぐバターを舐めたい!)


 しかたがない。坂本自身のポリシーには180度反することだが、マーガリンでこの衝動を抑えるしかない。


「いくぞ……」


 恐る恐るマーガリンを舐める。


「グエエエ不味い」


 坂本はその場で嘔吐する。胃の中のものすべてを吐き出す。それどころか体のなかのすべてが体外に漏れ出るような感覚。


「オエエエエエ!」


 嘔吐は止まらない。さながらマーライオンか。涙が出る。止まらない。さながら玉ねぎ調理中か。このまますっからかんになって死ぬのかもしれない。坂本はもはや苦しむことすら忘れ、ただ流れるままに任せていた。


 そうして一時間ほど経っただろうか。坂本の嘔吐はようやく収まった。


「うう……」


 ゆっくりと起き上がる。そして坂本は言う。


「めっちゃすっきりしたー!」


 どういった仕組みか、坂本の体内の老廃物は先の嘔吐によってすべて排出されたようだ。そのせいで坂本の体調はこれ以上なくよかった。肉体のみならず、精神的にも快調だった。もうバターに頼らなくてもよい。その確信があった。


 坂本はすぐに母親に電話をかける。これもすべて母親がバターと間違えてマーガリンを買ってきたおかげだ。すぐに感謝を伝えたかった。一時間も吐いていたから、すんなりと電話が通じた。


「ありがとう! 母さんのおかげで風邪治ったよ!」


「おめでとう!」


 こうして坂本母子の結束はより強まったのであった。


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