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4.相変わらずむせ返るような大阪の潮の香りに、むしろ、らしさと懐かしさを覚えた。

 

 樹脂製のバンドが突然切れた時、嫌な汗が流れ出た。これは借り物の時計、さすがに壊れたまま返すわけにもいかない。何よりテント片手の放浪一人旅、あと数日間は腕時計が必要なことに変わりはない。


 名護市内を原付で駆け回り、道行く人に尋ね回ってようやく商店街の中に一軒の時計店を見つけた。経営者は三十代くらいの夫婦で、白塗りの壁が映える、明るくこじゃれた店舗に快活な笑顔が二つ並んでいた。


 ご主人は時計を見るなり顔をしかめる。バンドを交換すると数千円するので、この時計の場合、交換するなら買い替えも一考を、との提案を受けたが、親爺さんから借りた時計であることを手短に説明すると途端に納得の表情を見せた。


 修理には小一時間かかると伝えられた。店で時間を潰すのももったいないので、1時間ほどで行ける観光スポットを尋ねると夫婦揃ってううむ、と悩み出し、あれやこれやと賑やかなやり取りが始まった。漫才のような和やかな検討会を、うらやましく眺めながら待つこと数分、ご主人は「多野岳の景色は最高」と薦めてくれた。


 今のようにスマホで情報検索、現在位置もGPSで即時に表示という時代ではなかったので、地図を片手にまごつきながら原付を走らせていると、あっという間に1時間が過ぎ去ってしまった。先を急ぐ旅ではないが、店に待たせるのも恐縮だったので多野岳への緑濃き登山道の途中で断念し、名護市内へと引き返した。


「どうです、きれいな眺めだったでしょう」


 大きな新しいバンドのせいで以前より無骨さの増した時計を手渡しながら屈託のない笑顔で問い掛ける夫婦に対して、ええよかったです、と作り笑顔で曖昧に答えて、ボロが出ないうちにその時計店を後にした。


 


 帰りのフェリーは台風の影響もなく、2泊3日の淡々とした日程をこなし、約10日ぶりに大阪湾の茶色く濁った海へと戻ってきた。沖縄での最後のビーチはダイビングの聖地として知られる慶良間けらまだった。波打ち際に立つと、足の甲に水が掛かっているのだが、あまりにも透明すぎて目を凝らさないとその水が見えないくらいの美しい海だった。その海とこの海がつながっているのかと思うと、不思議な感覚にとらわれた。

 旅の終わりを告げるように野太い汽笛を響かせながらフェリーが接岸する。相変わらずむせ返るような大阪の潮の香りに、むしろ、らしさと懐かしさを覚えた。大阪には大阪の海があっていい。



「すんません…」


 定番土産の「ちんすこう」を手に再びガラス戸を明けた。店主の親爺さんは前とは違い、昭和が濃厚に薫る店の奥に座って作業をしていた。白熱電球に照らし出された横顔に、職人の仕事の凄みと神聖さをひしと感じた。


 右目のまぶたでくわえるようにして付けていたルーペを外し、おっ、という感じに親爺さんはこちらに向きなおった。


「すみません。借りていた時計を壊してしまいました。本当に申し訳ない」


 言い終えてから、すすっとちんすこうを差し出したことに後悔した。純粋に沖縄の旅の想い出を共有するお土産として手渡したかったのに、謝罪の品のようになってしまったからだ。


「こんなん、気ぃつこうてもらわんでもええのに」


 親爺さんは目を丸くしてバンドが新調された時計と、いかにも南国風な包装紙を纏った紙箱を丁寧に受け取った。


「まあ、まずはお帰りなさい、やな。怪我とかせえへんかったか」


 意外な言葉を掛けられ、はぁまぁ大丈夫でしたなどと咄嗟に返した。


「あんた、これ直すの結構かかったやろ」


 こんな時計わざわざ直さんでもよかったのに。言葉の内容とは裏腹に、親爺さんの表情は昔を懐かしむような、優しく緩やかなものとなった。


「まあ、そこに座りぃな」


 いつの間にか、熱いほうじ茶の入った湯飲み茶碗がテーブルに置かれていた。沖縄はどうやった? 空と空気と海が輝いていましたよ、などと先ほど終えたばかりの旅の話を続け、一息ついたところで親爺さんが、急にぎょろりとした目付きとなって質問を投げ掛けてきた。


「世界で一番ええ時計がどこにあるか知ってるか?」


 深く刻まれた皺の奥のまなこには少年の無邪気さが揺れていた。



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