2.
それから必ず学校の帰りに隠れ家に寄って、子猫の面倒を見た。
100円ショップでタオルを買って、それを組み立てたダンボールの中に敷いて、猫はその中に寝かせてある。親猫が万が一にも入り込めないように、部屋のドアも窓もしっかり締めるようにした。
容器に猫用のミルクを注いでやって、それを舐めるのを眺めながら、隣に座って沢山を話した。誰にも吐き出せなかった気持ちを囁いた。
子猫はやっぱり目があまり見えないみたいだった。けどあたしがドアを開けるとすんすんと鼻を鳴らし、多分匂いで、あたしがあたしであるのを確めるようになった。
きっと、懐いているのだ。
それを感じて、気持ちが上向きになった。
やっぱりあたしがした事は正しい。やっぱり、あたしは間違ってない。あたしはああはならない。あいつらみたいになったりはしない。
けれど。
弱いものを助けるという英雄的な行為に酔えたのは、一週間くらいだけだった。
儚くて今にも消えてしまいそうに見えた命は、随分としぶとく生きた。
相変わらず全然可愛くなんてない。どう贔屓目に言ったって化物だ。糞尿は臭いし、手間がかかるばかりだった。
──なんか、思ってたのと違う。
そもそもこれにかかるお金だって馬鹿にならない。例えばミルク代だ。猫用のは人のよりも高くて、なにそれってなる。あたしにだって欲しいものは一杯あるのに、どうして拾った猫なんかの為に身を切って我慢しなきゃいけないんだろう。
大体、いつまでこれの面倒を見ればいいんだろう。
そりゃ「助けてあげる」って言ったけど。でも一生の面倒なんて見切れない。冗談じゃない。
おんぶにだっこばっかりなんて、こっちが重たいばっかりだなんて、間違ってるんじゃないかと思う。
そんな億劫な気持ちが芽生えてきてたある日、雨が降った。
梅雨時だから珍しくはないけれど雨足は強くて、ちょっと外を歩くのは大変だった。雨は放課後になっても降り続いてて、それを口実にその日、あたしは隠れ家に行かなかった。
翌日。
空は降りそうで降らない曇り空のままで、あたしは傘を回しながら、猫の様子を見に足を運ぶ事になった。降っていれば来なくて済んだのになんて、隠れ家の周りの泥を踏みながら嘆く。
ついであれが飢えて弱って死んでいればいいのにとか、親猫が見つけて殺していればいいのにとか思った。そうなれば手間はない。
どんな綺麗なお墓を作ってあげようかっていうあたしの思案は、すんすんという小さな、でも確かな鼻を鳴らす音で妨げられた。
どうやって、ドアを開けたのだろうか。
それはそこにいた。部屋という定位置を離れて、外を這いずっていた。あたしの匂いを嗅いで、あたしを認識して、あたしを察知した。
その行動が、端的に不快だった。
あたしの許可もなく、何を勝手に出歩いてるんだ。そう感じた。なんだかあたしの領域を侵犯されたような感覚があった。
同時に、少しだけぞっとした。
あたしが弱いと決め込んでいただけで、これは思ったよりもずっと強いのかもしれない。意外に強かで、自分の意志をはっきりと持っているのかもしれない。
あたしが来なければ死ぬだけの命だって考えていたけれど、そうはいかないのかもしれない。
もしこれがあたしを探して、家まで這ってきたとしたら。
見下ろすと、もうそれは足元にまでやって来ていた。ずるずると前脚でこちらへにじり寄ってきていた。
泥まみれで、ひどく汚らしかった。
思ってたのと違う。
あたしの理想と違う。
──なんか、違う。
そんな心が強くなる。
だから。
あたしは手の中でビニール傘を持ち替えた。
どうせ長く生きたって、これは嫌われて怖がられるだけの生き物に違いない。
ならこれは慈悲で、だからあたしは間違ってない。だからあたしは悪くなんてない。
鈍い傘の先端を、醜いひとつ目に向ける。
突き刺すというよりも、押し潰すようにした。この期に及んでも、それは鳴かなかった。ただ代わりに耳障りで荒い呼吸音を繰り返して、手ひどく暴れた。
あたしは押さえつけるのに躍起になって、お陰で伝わる手応えは、さほど記憶に残らなかった。
やがてそれが動かなくなって、あたしは傘をそれごと隠れ家の中に放り込み、後も見ずに帰った。
すごく晴れやかで、解放された気分だった。
ただこの隠れ家には来にくくなってしまったなって思って、それだけがちょっぴり残念だった。