第三十二話 魔弓将軍再び
「場所を移そう。邪魔な兵士は掃除しておいたから、二人きりで心置きなくやれる。」
そう言うと、ブリジットはすぐ横の壁に魔力の矢を撃ち込んだ。刺さった魔力の矢は爆発し、壁に大穴を空ける。ブリジットはその穴を通って外に出た。
「翠、駄目!姉様と戦わないで!」
クリスは翠の腕を掴み、ブリジットと戦わないよう言う。実の姉なのだから、当然だろう。
「……ごめんクリス。僕はお姉さんと、戦わなきゃいけない。」
「そんな!!どうして!?」
「何をしでかすかわからないからだ。」
ブリジットにとって、相手を見る目は狩りがいがあるかどうか。狩るに値するかどうかだけだ。値しないなら、それこそゴミ同然としか見ていない。ここで翠が応じなければ、せっかく気絶させる程度で済ませた兵士達を皆殺しにされるかもしれない。戦う力を持たないクリスも危険だ。
「姉様はそんなこと……!!」
「するよ。一度戦った僕ならわかる」
クリスは戦いではなく、対話という方法でエレノーグと戦ってきた。だから、実戦を経ていない。ゆえに、戦場におけるブリジットの本性を知らないのだ。しかし、翠にはわかる。ブリジットは間違いなく、己の楽しみのためなら家族をも手にかける女だと。
「手加減して勝てる相手じゃない。全力で戦わないと、僕の方が殺される。」
まだ死ぬわけにはいかないのだ。せめて、エレノーグを倒すまでは。翠もまた壁を破壊し、クリスの手を振り払って外に出た。ブリジットが言った通り、庭には弓兵や兵士の死体が無数に転がっている。翠がクリスを逃がそうと奮闘している間に、ブリジットがやったのだ。
(今の僕なら、五分五分か……)
翠は自分とブリジットの力量差を計る。ブリジットに全力さえ使わせなければ、今の翠とブリジットの力は互角なはずだ。矢は吸魔で無効化できる。問題は接近戦。それなら、近付かせる前に終わらせる。
(先手必勝!!)
翠は口から炎を吐いた。同時にブリジットが、ジェノサイドアローを放つ。恐るべき速撃ちだ。ジェノサイドアローは炎を貫通し、翠に向かってくる。翠はそれを吸魔で吸い取った。その隙に、ブリジットが接近してくる。甘かった。最初にブリジットの魔力を全て吸っておくべきだったのだ。
「はぁぁぁぁっ!!」
ブリジットがアブソリュートザミエルを振るい、翠はスケイルブレードで応戦する。
「なかなか頑丈なスケイルブレードだな!リザードソルジャーのスケイルブレードだったら腕まで真っ二つにしているところだ!」
スケイルブレードの切れ味と強度は、鱗の頑丈さに依存する。翠のスケイルブレードはグリーンドラゴンの、それもかなり強化されたものだからアブソリュートザミエルと打ち合えるのであって、リザードソルジャーのままだったら切り結ぶこともできず、腕も一緒に切り落とされている。
「ガァァァ!!」
「おっと!」
翠は自分を巻き込みながらも炎を吐き、無理矢理ブリジットを遠ざけた後、吸魔を使ってブリジットの魔力を全て吸った。吸魔と炎は併用できないので、ブリジットを引き離して隙を作る必要があったのだ。おかげで下半身が焦げ付いてしまったが、自己再生で治癒する。
「まったく、相変わらず守りだけは完璧だな。だが、防御が固いのはお前だけではないぞ。」
(ハッタリだ!あんな軽装で、防御力が高いわけがない!)
ブリジットはアブソリュートザミエルと、夜道を走る上で最低限の装備で馬に乗って急いで来たので、反魔導アーマーを着ていない。以前翠と戦った時と同じ、軽装だ。
(あんな薄い布で、僕の炎を防げるはずがない!!)
翠は再び炎を吐いた。炎は翠が使う攻撃手段の中で、一番攻撃範囲が広い。掻い潜れるだけの隙間もない。いくらブリジットが素早かろうと、かわせるはずがないのだ。
「おおっ!!」
しかしブリジットはかわさず、炎の中に突っ込んできた。そのまま身体を回転させ、炎を切り裂いてアブソリュートザミエルの一撃を翠に浴びせる。
「くっ!!」
すぐさま防いだおかげで、負傷は避けられた。
「こ、こんな方法で……!!」
「防御が固いのは私も同じだと言ったではないか。」
防御というよりは攻撃だが、とにかくブリジットは翠の炎を破ってみせた。
「姉様!!翠!!二人ともやめて!!」
二人の凄まじい戦いに割り込めず、クリスは外から戦いをやめるよう呼び掛けることしかできない。
「クリス!!邪魔をするな!!これは私の狩りだ!!邪魔をするなら殺すぞ!!」
「!!」
ブリジットに言われて、クリスは衝撃を受けた。翠はブリジットと、ひたすら戦い続ける。今度は距離を取ることができず、ブリジットは密着するようにして、左右に交互に移動しながら攻撃してくる。正面に立てば、炎の餌食になることがわかっているからだ。なので決して正面からは挑まず、左右のどちらかからのみ攻撃している。
その時、
「二人とも、戦いをやめなさい!!」
またクリスの声が聞こえた。今度は先ほどよりも、ずっと切羽詰まった感じの声だ。二人が反応して見てみると、クリスは自分の喉元にナイフを突き付けていた。翠はそのナイフに見覚えがある。あのナイフは、エドラが持っていたものだ。二人が戦っている最中にエドラの死体に近付き、ナイフを抜き取ったのである。
「あなた達が戦いをやめないのなら、私は今すぐこの場で死にます!」
「な、何を言っているんだ!?」
「クリス、やめろ。早まるな」
翠は驚き、ブリジットは冷静にやめるよう言う。
「……姉様がそこまで恐ろしい人になっているとは思わなかった。でも、あなたがそうなった理由は、間違いなく私にある。私が弱いせいで姉様は……」
「お前のせいではない。ナイフを下ろせ」
「もう翠を攻撃しないと約束するなら下ろします。できないなら、私は姉様を変えてしまった償いをします。」
クリスはさらにナイフの切っ先を自分に近付ける。近付けすぎて、喉が少し切れた。プロテクションが掛かってはいるが、防御するのは相手の攻撃だけで、自傷行為は防がない。にじみ出る鮮血を見て本気だとわかったブリジットは、アブソリュートザミエルを引いた。
「……興ざめだ。それにお前は、まだ私が全力を出すに値しない。ここはクリスに免じて見逃してやろう」
翠もまた警戒しながら、クリスのところに行く。
「翠!」
たどり着くなり、クリスはナイフを放り出して翠に抱きついた。翠はヒールを唱えて、クリスの傷を治す。
「……ごめんクリス。悲しいけど、ここでお別れだ。」
ブリジットがいる以上、カーウェイン邸に戻ることはできない。名残惜しいが、ここで別れるしかないだろう。
「また、会えますか?」
「きっと会える。その時は、人間の姿になって君に会いに来るから。」
「人間の姿……竜王種に?」
翠もまた、クリスのことが好きになってしまっていた。だが、翠はドラゴンだ。人間ではない。ならせめて、人間に変身できるエメラルドドラゴンに進化してから、もう一度会いに来よう。そう決めた。
「約束する。クリス、僕のこと、好きって言ってくれて、ありがとう。」
翠はクリスに礼を言うと、身体を巨大化させて、飛んでいった。
「……翠……ごめんなさい。ありがとう」
「……」
夜の空に向かって飛んでいく翠を、カーウェイン姉妹はずっと見つめていた。
*
空を飛びながら、翠はネイゼンに尋ねる。
(ネイゼンさん。クリスに会ったことがあるって、言ってましたよね?)
(ああ)
(ブリジットには?ブリジットがクリスのお姉さんなら、ネイゼンさんはブリジットにも会ったことがあるんじゃないんですか?)
(……ある。あの時のブリジットはクリスと同じで、戦争など好まないとても優しい子だった)
やはり、ネイゼンはブリジットとも面識があった。最後に会った時のブリジットは、クリスのような優しい子だったのだが、なぜかあれほどまでに冷酷で好戦的な性格に豹変してしまっていた。
(少なくとも、将軍になるような子ではなかったはずだ。一体何が……)
(……クリスが自分に原因があるって言ってたけど、どういう意味なんだろう……)
確かなのは、クリスの何かが原因で、ブリジットが豹変してしまったということ。きっと翠の想像を絶する、何かがあったはずだ。
(それにしても、やっぱりブリジットは強いな……)
しかしブリジットは強い。グリーンドラゴンに進化したというのに、今回も彼女に全力を使わせることができなかった。あの時よりずっと強くなったはずなのに、まるで力の差が縮まった気がしない。あの有り様では、ブリジットと和解することなど不可能だろう。和解できないなら戦うしかない。だが、今のままでは勝てない。やはり、エメラルドドラゴンになる必要がある。一刻も早くシーラに会うべく、翠はムルギー渓谷に向かって翼を羽ばたかせた。




