第三十一話 暗闘
闇が支配する夜道を、一つの明かりが飛んでいく。その正体は、魔弓将軍ブリジット。馬の横にランタンを提げ、周囲を照らしながら夜道を駆け抜けていく。
「!」
と、ブリジットは何かに気付いて、アブソリュートザミエルを手に取ると、レギオンアローを放った。
「ギャー!!」「グギッ!!」「ゲェーッ!!」「ガッ!!」
矢は四つに分裂し、茂みの中に隠れ潜んでいたホブゴブリンを、それぞれ一発で仕留めた。
「それで隠れているつもりとはな。狩人の風上にも置けん連中だ」
ブリジットは呟いた。今のホブゴブリン達は通りがかる旅人を襲っていたのだが、襲い掛かる前にブリジットに気付かれてしまい、仕留められてしまったのだ。そうこうしているうちに、目的のカーウェイン邸に到着し、門をノックする。
「はいどなた様で……ブ、ブリジットお嬢様!!」
カーウェイン邸の門を開けた兵士は、外にいたブリジットに驚く。
「突然帰ってきてすまないな。」
「い、いえ。どうぞお入り下さい」
兵士は動揺しながらも、ブリジットを屋敷に通した。
(何と、ブリジットお嬢様が。よりによってなんという時に……)
カーウェイン家の執事は、内心焦っていた。ブリジットは帝国の魔将軍。そしてここには、魔将軍を三人も破った翠がいるのだ。しかも、翠はブリジットとも戦ったと言っていた。今はいないのがせめてもの救いだが、翠がここにいたこと、エドラ卿の屋敷に行ったことだけは、絶対に知られてはいけない。もし知られたら、ブリジットは絶対にエドラ卿の屋敷に行くだろう。翠を狩りに。
(今夜はもう遅い。何とか早急にお休み頂いて、翠様には戻り次第すぐここを発って頂かなくては……)
執事は自分の内心を知られないように気を引き締めて、ブリジットの部屋に入った。
「おかえりなさいませ、ブリジットお嬢様。」
「ああ。ただいま」
「今夜はずいぶんと突然なご帰還でしたね?前もって言って下さっていれば、夕食を用意しておりましたのに。」
「婚礼が明後日だと聞いたのでな。帰ってやれと部下に言われて、帰ってきた。クリスは強い子だから、別に私が見てやっていなくてもうまくやると言ったのだが。」
「それはそれは。」
執事は紅茶を淹れてやり、ブリジットは一口飲み、それから執事の顔を見た。
「……どうした?お前から動揺を感じるのだが、何かあったのか?」
ブリジットにいきなりそう言われて、執事は一瞬ヒヤリとした。この狩人は、ある時から突然勘が鋭くなっている。相手の内心を察することに長け、それを利用して真実を暴き出すのだ。とはいえ、ここに翠がいたことなど、何の手掛かりもなくわかることではないので、
「何でもございませんよ。ブリジットお嬢様が突然戻ってこられた驚きが、まだ治まっていないだけです。」
と答えておいた。
「そうか?ならいいが。」
ブリジットも気付かなかったようだ。
「しかしすっかり夜になってしまったな。そういえば、クリスはどこだ?」
「エドラ卿のお屋敷でございます。明後日の婚礼の挨拶に行かれました」
「挨拶か。それにしては少々帰りが遅くないか?もう九時だが。」
ブリジットが時計を見ると、時刻は既に九時を回っていた。
「本当でございますね。」
「まったく、エドラ卿は話好きだな。これでは待たされている御者が可哀想だ」
「いえ、帰りはエドラ卿に送って頂くと。」
「……何?クリスはいつもそうなのか?」
「いえ、今回が初めてです。」
それを聞いてブリジットは、少し妙だと思った。なぜ今回に限って、エドラ卿はクリスを送ると言ったのだろうか。
「……ブリジットお嬢様。今何か良からぬ想像をしておられませんか?」
「可能性の話だ。」
「そうだとしても、エドラ卿を疑うような真似は……」
「将軍をやっているとな、いろいろと想像を巡らせずにはいられないものなんだ。」
そう言うと、ブリジットは席を立った。
「エドラ卿の屋敷に行く。クリスの命が危ないかもしれないのでな」
「!?」
執事は耳を疑った。今行かれてはまずい。どうにかして押し留めなければ。
「お待ち下さいブリジットお嬢様!!考えすぎです!!」
「それは私が決めることだ。将軍の私の言葉なら、例え爵位を持つ者であっても拒否はできまい。」
「それはそうですが……」
「それとも、私に行って欲しくない理由でもあるのか?」
そこまで言われた執事は、言葉に詰まった。これ以上何か話せば、翠について知られてしまう可能性がある。
「……いえ。」
「そういうわけだ。行ってくる」
結局押し留めることはできず、ブリジットはエドラ卿の屋敷に出発してしまった。
「翠様、お逃げ下さい……!!」
執事は一刻も早く翠が逃げてくれるよう願った。
*
ケイラス邸。
「ハァァァァ……!!」
激闘は続いていた。クリスのことを考えて、翠は眠りの吐息を使う。襲ってきた兵士は全て眠らせたが、エドラだけは逃げてしまっていた。クリスは翠が使ったのが眠りの吐息だと気付き、手で口を塞ぐことで眠るのを防いでいる。
「とにかく外に出よう!」
翠が言うと、クリスは口を塞いだまま頷く。しかし、外には弓兵がいるようなので、うかつに飛び出すのは危険だ。仕方なく、裏口を探すことにする。翠一人だけなら問題なく正面突破できるが、こちらはクリスを連れているのだ。可能な限り、安全面は考慮しなければならない。
「いたぞ!逆賊を殺せ!」
途中で兵士が向かってくるが、これも眠りの吐息で眠らせる。
「……逆賊か……」
クリスはただ帝国の侵略行為を止めたいだけなのに、ひどい扱いである。だがそれも仕方ないのだ。皇帝になった男が問題だったのだから。と、今はそんなことを考えている暇ではない。
「絶対に君を死なせない。だから安心して」
翠がそう言うと、またクリスはこくりと頷いた。クリスを守りながら、裏口を探して進む翠。今度は兵士と魔法使いの混成部隊に出くわした。先ほどと同じように、眠りの吐息を使って兵士を眠らせる。と、
「スリープキュア!!」
魔法使いが何かの魔法を唱えた瞬間に、眠らせたはずの兵士達が復活した。今魔法使い達が唱えたスリープキュアという魔法には、聞き覚えがある。そうだ、オールキュアという状態異常回復魔法に、名前が似ているのだ。スリープキュアは睡眠状態を回復させる魔法なのだろう。しかし、これは面倒だ。眠りの吐息が効かないのでは……
(……大丈夫か)
しかし、さほど問題のある事態でもないことに気付く。翠は吸魔を使い、魔法使い達から魔力を全て奪った。翠は先の戦いで、遠くにいる相手からも魔力を吸い取れるようになったのだ。魔力を奪ってスリープキュアを使えなくしてから、もう一度眠りの吐息を使えばいい。再度眠りの吐息を使用する翠。しかし、使われるとわかっているせいか、兵士達は口を押さえて向かってきた。
(結局こうなるのか)
翠は限界まで切れ味を落としたスケイルブレードで反撃しながら、兵士を戦闘不能にしていく。しかし、なかなか裏口に着かない。元々二階にいたし、この屋敷はやたら広い。そもそも、裏口の場所がわからない。クリスもこの屋敷に来るのは初めてではないが、大人にもなって公爵の家を探検したりなどというはしたない真似はしないので、わからないらしい。かといって壁を破壊すれば、その瞬間に弓兵達から集中放火を受けることになる。
(地道にやるしかないか……あ、そうだ)
翠はいいことを思い付いた。
「プロテクション!リフレクション!」
防御魔法のプロテクションとリフレクションを、クリスに掛けたのだ。これなら例えクリスへの接近を許しても、クリスがダメージを受けることはない。念のためあと三回、重ね掛けしておく。ブリジットのアブソリュートザミエルのような、魔法防御を無視する武器があったらアウトだが、倒れた兵士達の武器をスーパーサーチで調べたところ、特にそんな効果はないことがわかった。やはり将軍クラスが持っている武器は特別なのだ。防御を固めた翠はクリスを連れて、兵士や魔法使いを戦闘不能にしながら裏口を探す。屋敷全体の戦力が大きく減ったところで、
「くそっ!役に立たない愚か者どもめ!」
エドラが再登場した。
「こうなれば私が相手だ!!私が爵位しか持たないと思ったら大間違いだぞ!!」
エドラは今、剣を一本持っている。翠がスーパーサーチで調べてみると、魔法防御無効の効果が備わっていることがわかった。
「やれやれだ。」
スケイルブレードを構える翠。
「行くぞ!!覚悟しろ櫻井翠!!」
エドラは剣を構える。
その時だった。
「今、そのグリーンドラゴンを櫻井翠と呼んだか?」
エドラの後ろから声が聞こえた。
「えっ?」
エドラが驚いて振り返った瞬間、彼の額に魔力の矢が突き刺さり、エドラはあっけなく、これといった見せ場もなく死亡した。
「ね、姉様……」
クリスが息を飲んだのがわかる。翠もまた、焦っていた。クリスの姉、ブリジットがここに来ていたのだ。
「ブリジット……!!」
「報告では、お前はリザードソルジャーに進化したと聞いたのだが、いつの間にかグリーンドラゴンに進化したらしいな?まぁ、私にとっては嬉しい誤算だ。文字通りの意味で、愚か者を追っていてドラゴンを見つけた気分だよ。」
「姉様、どうしてここに!?」
「お前のことが心配になって来たんだ。私の予想通り、エドラ卿はお前を暗殺するつもりだったようだな。しかし、また会えて嬉しいぞ櫻井翠。次はどんな獲物になっているかと思うと、ワクワクしてたまらなかった。」
翠としては全く会いたくなかったが、クリスがブリジットの妹であり、彼女と行動している以上ブリジットと遭遇する可能性は十分にあった。それを考えなかった翠が悪い。
「さて、私とお前はこうして再会したわけだが、もちろんわかっているな?この後どうなるか、何が起きるか。」
ブリジットに翠を逃がす気はない。グリーンスネークより遥かに強大な獲物に成長した翠に、また会うことができたのだから。




