第三十話 偽装結婚
「……ん……」
翠は目を覚ました。あの後彼はクリスと談笑しながらもてなしを受け、腹が膨れたので気持ち良くなり、眠ってしまったのだ。クリスの部屋にはベランダがあり、今は閉められている。
「わぁ、もう真っ暗だ!」
ガラス越しに見てみると、外は真っ暗闇だった。完全に夜になっている。
(……そういえばクリス、今夜は挨拶に行くって言ってたな……)
部屋の中にクリスの姿はなく、外に出てクリスを探す。途中でメイドに出会ったので、クリスの居場所を訊いてみた。
「すいません。」
「きゃっ!」
「……本当にすいません。」
「い、いえ。翠様、でしたね?」
「はい。クリスティーナさんがどこにいるか知りませんか?」
「お嬢様なら、一時間ほど前にエドラ卿の下へ発たれました。」
メイドは翠の姿に少し驚いたが、クリスがどこにいるのかちゃんと答えてくれた。エドラ・ケイラス。有名な公爵らしい。公爵との結婚なら、エレノーグも満足するだろう。
「じゃあ、エドラ卿のお宅がどこにあるか、教えてもらってもいいですか?」
「構いませんがなぜ?」
「せっかくだから、クリスティーナさんの結婚相手がどんな人なのか、見てみたいと思いまして。あ、透明になったり小さくなったりできますから、見つかる心配はありませんよ?」
「それなら……ですが、くれぐれも粗相のないようにお願いしますよ?」
それはもちろんわかっている。いくら偽装結婚とはいえ、破談になったら大変だ。こうして翠はメイドからエドラの家を教えてもらい、早速出発した。
外は真っ暗だが、ドラゴンは幸い夜目がきくようで、道に迷うことはなかった。念のため、インビジブルを使って誰にも見つからないように飛ぶ。
「あそこだな。」
やがて、行く手に大きな屋敷が見えてきた。あれがエドラの屋敷だ。翠はサイズを小さくして塀を飛び越え、屋敷の中へと入る。
(クリスはどこかな?)
インビジブルの効果時間に注意しながら、クリスを探す翠。エドラに会いに来たのだから、そばにはエドラがいるだろう。見つからないように気を付けて、スーパーサーチで安全を確認しながら廊下を進む。
(……ちょっと、おかしくないかな?)
進む間に翠は気付いた。屋敷の中の警備が、かなり厳重なのだ。そこら中に兵士が配備されており、常に誰かがいる。外には兵士が二人しかいなかったのに、なぜ中にはこんなにたくさん兵士がいるのだろうか。普通逆なはずだ。仕方ないので、翠はネズミのように小さくなって、廊下の隅を歩いている。おかげでクリス捜索ははかどっていない。
(まるで中にいる人を外に出さないようにしてるみたいだ……)
これはもう完全に、要注意人物を施設内に閉じ込めるための配置である。
(……まさか……)
そこまで気付いて嫌な胸騒ぎを覚え、翠は先を急ぐ。と、
(見つけた!)
ようやく、クリスとエドラの名前が表示されているドアを見つけた。これはつまり、二人が中にいるということだ。しかし残念ながら、ドアの前には兵士が二人配備されていて、開けたら気付かれてしまう。眠らせるという手もあるが、倒れた時に音が出るので、中の人間に気付かれる可能性がある。というわけで、別の手を使うことにした。まず、さらに小さくなる。ハエと同じくらいの大きさだ。こんなに小さくなって大丈夫かと思ったが、体内のものまで全部小さくなるようなので、問題ない。能力というよりは、一種の魔法だ。次に、鍵穴を探す。あったそれから翠はさらに小さく、ノミと同じくらいの大きさになると、鍵穴から部屋の中に侵入した。今まで兵士が警備していたドアも、全てこの方法でクリアしたのである。中に侵入した翠は、すぐネズミと同じ大きさまで大きくなる。それから、物陰に隠れた。部屋の中にはクリスの他に、髪が銀色の男がいる。彼がエドラ卿なのだろう。見つからないように、二人の会話を聞く。
「いよいよ明後日ですな。我々の婚礼は」
「はい。偽装とはいえ、婚礼というのは、やはり少し緊張します。」
二人は明後日の結婚式について話をしていた。クリスは年頃らしく、少し緊張している。ビジュアル的に、それほど悪い人でもなさそうだ。
「ところでエドラ卿。そろそろ、皇帝陛下の弱点がどういうものか、お聞かせ願えませんか?」
「まだ早いですよ。どこで誰が聞いているとも限りませんし、そういう話は式を挙げた後で……」
(僕が聞いてるんですけどね)
翠は心の中で返答した。勝手に入り込んで盗み聞きしているのは申し訳ないと思っているが、やはりエレノーグの弱点というものは気になるし、これから戦う相手なのだから知っておいて損はないはずだ。しかしエドラは話しそうにないので、クリスがもうちょっと頑張ってくれないかな、と思っている。と、クリスが窓を開けて外を見た。よくよく見回してから、窓を閉める。
「……大丈夫です。今確認しましたが、外に不審な人物はいませんし、ドアの前にはあなたが信用している兵士がいるのでしょう?誰も盗み聞きなどできないと思いますが。」
(ナイスだクリス)
もっとも翠が盗み聞きしているのだが。まぁ彼はいろいろと規格外だし、しょうがないね。
「……確かにそうです。では、話すとしましょうか。」
エドラは話す気になった。クリスの働きに翠は小躍りしかけたが、見つかるので思いとどまる。
「その前に聞いておきたい。あなたは私のことをどう思っている?」
「…どう、とは?」
「なに。偽装結婚とはいえ、あなたが私を異性としてどう思っているのか、少し気になっただけのこと。それであなたは、私をどう思っている?」
「……それは、素敵な殿方だと思っております。平和を愛する優しい心の持ち主で、私の思いを汲んでくださったと。」
それは遠回しに、エドラを男と認めていると言っているのと同じだ。エドラはクリスの言葉に気を良くしている。しかし、クリスは続ける。
「ですが、どうかお気を悪くされないで下さい。私はあなたと、本当の意味で婚約するつもりはありません。」
「!?なぜです?あなたは私を認めて下さっているのでは?」
「もちろんそうです。ですが、私が好きになった相手は別にいるのです。」
「それは一体!?」
「……名前は、櫻井翠と言います。あなたも名を聞いたことくらいはありますでしょう?」
「櫻井翠……あの世界各地で帝国と戦い、人々を守っているという?」
「そうです。その彼に、今日私は命を救われました。そして彼から、なぜ帝国と戦っているのか、その理由を聞いたのです。純粋に人々を、世界を守りたい。帝国に忠を尽くし、そして騙されて無念の最期を迎えたネイゼン将軍の仇を討ちたい。とても大きな理由を背負い、真正面から皇帝陛下と戦っているのです。」
「その心がけは立派だが、相手はモンスターだ!モンスターを好きになるなど……」
「例え結ばれなくとも、私はあなたを選びはしません。」
(クリス……)
知らなかった。クリスがここまで自分を想い、自分の気持ちを尊重してくれていたとは。好きになったと聞いた時、翠は少し怖かった。前世で裏切られたからだ。好きで好きでたまらなかった相手に、裏切られたから。そうでなければ、今彼はここにいない。だが、あの時はここまで信じてもらったことなどなかった。思えば彼の人生の中で、人から信じてもらったことなど皆無と言える。だから、こんな感じで信じてもらえると、とても嬉しい。顔が赤くなりそうだ。
だが状況はそう楽観視できるものではなかった。
「……どうしても、私を選ぶつもりはないと?」
エドラの雰囲気が変わったのだ。先ほどの柔らかな雰囲気から、凶悪な雰囲気へと。
「……はい。ありません」
それに気付いているのか気付いていないのか、それとも臆していないだけなのか、いずれにしても不用意に答えるクリス。
「そうか。なら仕方ない」
クリスの答えを聞いた瞬間、エドラが隠し持っていたナイフを抜いた。
「エドラ卿何を!?」
「皇帝陛下の弱点を知っていると言ったのは嘘だ。私は皇帝陛下から、あなたを抹殺するよう依頼を受けている。鬱陶しいあなたを始末すれば、褒美は望みのままとのことだ。」
「そんな……では、私に協力して下さるというのも……」
「ああ嘘だ。お前に近付くためのな」
ゆっくり近付いてくるエドラに対し、椅子から立ち上がって下がるクリス。
「殺すには惜しい女だったから、せめて私を愛してくれれば、私の恋人として生かしてやったものを……私のものにならないというのなら殺して私のものにするしかない」
「このけだもの!恥を知りなさい!私を殺せば、姉様が黙っていませんよ!?」
「心配はいらない。お前はこの世界の未来を嘆き、正気を失って自殺したと処理される。何とでもできるさ」
「!!」
あまり気の進まない、姉の威を借りるという手も使ったが、エドラには通用しなかった。このままでは殺されてしまう。
「あっ……!」
そう思って逃げたが、捕まってしまった。
「どこへ行こうというのだ?屋敷中私の兵で埋め尽くされているというのに。」
「離して!嫌!」
「死ね!」
逃れようともがくクリスに、ナイフを振りかぶるエドラ。しかし次の瞬間、翠がインビジブルを解除して巨大化し、エドラの頭を掴んで床に叩きつけた。
「がぁっ!?」
「み、翠!?」
苦悶の声を上げるエドラと、驚愕の声を上げるクリス。
「この卑怯者!!人を騙すなんて最低だ!!」
騙されたことがあるので、その痛みが誰よりもわかる。だからこそ、人を騙して殺そうとするなど最低の行為だと、わかるのだ。
「エドラ卿!?」
「どうされました!?」
そこに、音に気付いた兵士達が飛び込んでくる。エドラは翠がそれに気を取られた隙に脱出し、兵士達のそばまで逃げた。窓の外からも矢が飛んできて、翠はクリスを抱えて部屋の隅に逃げる。
「翠!」
「ごめんクリス。でも、僕が必ず君を守るから!」
「こいつらを殺せ!」
兵士達が雪崩れ込んでくる。翠はスケイルブレードを構えて応戦した。




