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ending

カーテンを閉め忘れた窓は、いつしか夜の深い黒から淡い光を含む薄紫へとその色を変えていた。


雪子は深く息を吐き、そっと鉛筆を置いて夜明け色の窓を見て小さな微笑を浮かべて目を細めた。


「あぁ…」

小さな小さな呟きだった。その中にはきっと数えきれないほどの沢山の思いが詰まってる。そう感じてしまうのは、迫る別れのせいだろう。


ボクの中から抜け出た雪子は、半透明とは言えないくらい透明に近づいてた。


「楽しかったよ。ありがと…」

「まだ終わってないから。お前が上げた話をボクがタイピングして、サイトに投稿するまでは、まだ終わりじゃないから。勝手に自己完結するなよ」


パソコンを起動して、ボクは雪子の書き上げた残りの話をタイピングしながら、


「投稿完了までは絶対逝くなよ」


そう声をかけると雪子は、微かに首を縦に動かし言葉無く頷いた。



明け方の静寂の中。部屋に響くのはキーボードを叩く微かな音だけ。疲労と睡魔で意識が途切れそうになるのを堪えながらも指を動かす事は止めてはならぬと自分に言い聞かせる。

集中しろ。一秒も無駄には出来ないんだ。

あいつにちゃんと見届けて旅立って欲しいんだよ。



世に出せる場所。読んで貰えるかもしれない期待が持てる場所を見つけて、ボクは小説を書いて出した。

たとえ数人であろうが読者がいるって奇跡じゃないか。始めはそ思うっていたんだよ。


毎日毎日。沢山の作品が投稿される中で、自分の書いた作品がふと見知らぬ誰かの目に止まり、読んで貰える事は奇跡なんだよ。

そんな時代が来るなんて。子供の頃のボクが知ったらきっと死ぬほど悔しがるだろうな。

そう思って嬉しくてにやけてた時もあった。



だけど、ボクはそんな事を思うボクを否定したんだ。

結果書く事が嫌になった。

閲覧数にばかり拘って、読者からの反応ばかりを求めて。

数が少ないから負けだろ。感想すら貰えない駄作なんだろって勝手に思って嫌になった。


沢山の人に読んで貰って認めて貰える作品が書けないボクなんて書く資格も出す資格もないんだよ。そう思うようになった。何様だよ、なに気取りだよボクはさ。

はいはいどうせつまんないものしか書けないよ。

すぐに書くのやめちゃうしな。

いいだろ、こんなの、ただの練習みたいなもんだから。

ただ書いてるだけ。暇潰し。

どうせお前さんらみたいに志なんざ高くは持てないよ。熱意持って拘って書き通せる度胸も技術もプライドもございませんよ。

皆様すげーやね。とても堂々としてさ。

胸を張って「小説を書いてます」って言える強さを持ってるんだよね。

うん。本当に凄い。ボクにはそんな事無理だった。


せっかく読んで貰える場所を得たのに。そんなふうに自分を落とす事ばかりを考えて、大事なことから目を背けてきた。


『オマイサンは何故嫌な思いをしながらも書くのですか? 嫌いなら書くな。作品がかわいそうだ』


雪子の言葉を思い出す。あのときはわかんねえって乱雑な言葉で切り捨てた。だけど、本当はわかってた。

だけど、怖かったんだよ。



『私は小説を書く事が好きで好きで仕方ないのですよ。だって、文章のみで人を魅了出来る世界が描けるなんてさ。とても難しくて、とても楽しくて、とても素晴らしいじゃないか』


好きだから。


文字にすればたった五文字程度。そんな短い言葉なのに、それを口に出す事にどれだけの勇気が必要か。

それをいとも簡単に口に出す雪子が腹立たしかった。


だけど、わかったんだ。

短い時間だったけど、雪子と過ごしたこのひと月程で、思い知らされたんだ。


好きの裏側に隠された、沢山の思いを。


本当は雪子だって怖かったんだよな。いつだって震えを堪えながら書いてたよな? 

本当は自信なんてなかったんだよな?

だけど、やらなきゃいけない。

誰の為に?

読んでくれるかもしれない仮想読者の為に?


『違いますよ? いつだって私は私の為に書くのです。作者が楽しめていない作品を読んで、読者は楽しいと思いますか?』


自分で書いててそんな事、考えた事もなかったよ。


『作品にはね、作者の魂が宿るんですよ。読者はね、それはそれは恐ろしいくらいにそういう事に敏感なのですよ。いくら形のよい作品でも、なにも宿っていない状態の惰性化した散漫な作品は、たとえプロであってもそっぽ向かれちゃうんですよ。こいつ、つまんない。ダメじゃんって残酷に切り捨てられちゃうんですよ? それはどんな仕事も同じですよね? 心技体。どれが欠けても良い仕事は出来ないでしょ?』


いや、プラス才能があるのがプロだろ?


『才能は誰にでもあるのです。それを信じてやり抜けるか否かの問題ですよ。後は時の運です。たとえプロ作家が書いたどんなに素晴らしい作品でも、時代に阻まれ、陽の目を見ないまま埋もれてる作品は数えきれないくらいにあるのですよ。たとえ人気ある作家でも、へ~。こんなの書いてたんだ~って事はよくある話。本というのは、そんな奇跡の集合体なのだと私は思っています』


めんどくさい世界だよな。


『そうですよ、本当にめんどくさい。なんとも悩ましい世界です。だけどね、心血注いで魂込めて書き上げた我が子のような作品が、誰かの心に留まり、生涯大事にされる一作になりうるかもしれないって思ったら、凄く幸せじゃないですか。オマイサンにだってあるでしょ? そういう本との出会いが。だから再度書こうって思ったのでしょう?』


うん。そうなんだよな。

あの本に出会わなければ、ボクは書こうって気持ちには向かなかった。

ワクワクしたんだよ。ドキドキしたんだよ。

そして、憧れたんだよ。

だから十五年以上を経た今、もう一度想像、創造の世界へと足を踏み入れたんだ。


『もっと楽しみましょうよ。くだらない事を目一杯想像して、いかがわしさを楽しんでにやにやしましょうよ~。た~のしい~でしょう? 妄想万歳じゃ、にゃっはは~ん♪』


そうだよ。楽しいよ。本当は楽しくて仕方ないよ。

だけど、そう思う事が出来たのはお前がいたからだよ。悔しいよ、ばかやろう。


目頭が熱くなり、画面がぼやけて歪む。今は堪えろ。

打つ指を止めるな。後悔に繋がる事は今は一切排除しろ。

ボクらの「好き」を、我が子を届けるんだ。

きっと、誰かの心に届く。そう信じて。





最後の一文字を打ち、ひとつ息を吐く。

投稿手順を踏み、確認。

そして、


「…投稿完了」


エンターキーを押して目を閉じた。


「ばかやろう…。見届けろって言っただろ…」


もうすでに居なくなってた雪子に、ボクの呟きは届かないだろう。でも…でも。


「ありがとうな。お前と一緒に書けて、本当に良かったよ。楽しかったよ」


もう我慢しなくていいよな?

座椅子に体を預けて天井を仰ぎ見た。視界がみるみるうちにぼやけて、胸が軋むように痛んだ。






あれからひと月が流れた。


ボクはあれから一切小説は書いてないし、投稿された小説を開いて見てもいない。

やりきった。そして、半身をもがれた。そんな気持ちがボクの中に残ったからだ。

なにも浮かばない。頭の中は真っ白だ。

雪子が残したノートも目に触れない場所にしまいこんでしまった。


閉塞を感じながら日常は続く。

気付くといつも、もう居ないはずの雪子の影を探してる自分が情けなかった。

一人きりの休日。部屋にいる事が息苦しくなり、あてなく外をぶらついた。

結局、行きつく場所は馴染みの古本屋だった。


古臭い紙の匂い。棚に並んだ沢山の本を眺めてたら、気持ちが落ち着いた。

あるわけないだろう作者名を目で探し追う。


「…嘘だろ…」


震える手を一冊の文庫本に延ばした。指先を本の背表紙にかけて引き寄せた。


『ストロベリーとアップルパイ  紺野雪子』


「マジか…。なんだよ、この甘ったるいタイトルは」


少女向けの文庫じゃないか…。

中学時代、クラスの女子がきゃいきゃい騒いで回し読みしてた出版社の本だという事を思い出した。


こりゃ、ボクが買うにすげー勇気いるわ。三十路半ばのオッサンに買わすか? これを?


「ふざけんなよ、全くよー」


ワクワクして、思わず笑いが込み上げた。



帰宅して本を開く。この歳でラブコメを読むなんて思いもしなかった。

さてさて、お前様が生前どんな話を書いてたか、じっくり見てやるよ。

そんな皮肉を浮かべながらも、気付いたらガッツリと読むに耽るボクがいた。


「生きてんなぁ…」


飛び跳ねるかのように躍動するヒロイン。バカでドジで自由だ。

まるで作者のようだ。やばい笑える。

文庫本を読みながらにやけてしまう。でもいい。だって一人なんだから。


『いいね~。そのにやにやっぷり~♪ ど~だあ、私、すげ~だろお~♪』


雪子の楽しそうな声が頭に響く。


「うるせーよ、本当むかつくなあ…」


そう呟き笑ってるボクを感じて、更に笑える。


『楽しいでしょ~♪ オマイサンには書けまい、おっほほ~のほ~♪』


「なんだよ、この程度ならボクにだって書けるぞばかやろう」


『オマイサンなら、どう書きますか?』


「ボクなら、ヒロインにもっとでかい試練を与える」


『オマイサンは天才ですね』



読み終えた本をそっとテーブルの片隅に置いて、


「書くよ。書いてやるよ」


ボクは、パソコンを起動させた。




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