笑って。見つけた。
ボクの中に入った雪子は、残り少ないノートを開いて、
「本当はまだ、覚悟が決まらないのです。本当にこの結末でいいのか」
大きなため息をひとつ落として、
「私は、今まで一度も人の命が消えるお話は書いた事がないのですよ。私が書くお話は、明るくて甘くて、どれも幸せな結末ばかりでした。読者はそんな世界を私に望んでいたのです。勿論それは私が望むべき理想の世界でもありました」
雪子の視界を通して、何度も何度も繰り返してノートに書かれた文章がボクの視界にも伝わって入ってくる。
…………
『 叫ぼうにも叫ぶ術が見つからない。仮にたとえその術を見つけられたとしても、誰かが助けてくれるなんて希望は湧かなかった。 どう考えようにも抗う術が浮かばないのだ。本来親に与えられるべき温もりも安らぎも得る事ができず、与えられるべきではない暴力と非情な言葉の刃の前になす術はなかった。閉塞感と孤独に蝕まれて疲れきり、日増しに弱々しくなる自身の命に脅え続けても尚、耐えるしかない日々が続いた結果が瑞季にとっての今であった。
それは、瑞季と共に過ちを分かち合った真人もまた同じであった。 真人は父親が殺人者だということで親族はおろか、社会からその存在、生きる価値を尽く否定され続けたのだから。それでも踏みとどまり生きようと耐えもがいた 。
その年月はあまりに長過ぎた。そして、耐えに耐え続けた結果は光を得る事が出来ない、暗闇は明けることがないという絶望だった。
『ねえ、もしも…、もしもお互い普通の家庭に産まれていたら、私達は…』
『叶わない「もしも」なんて哀しいだけだ』
生きる柱中、希望を描いてみてもそれを望むことすら諦めなければいけない闇で育ってきた二人には、至極普通の生活が眩しかった。それは本来ならば当たり前にあるべきはずなのに、二人にはあまりにもそれが途方もなく果てしなく遠過ぎた世界だった 』
………………
「真人は無差別に人を殺めるという大罪を犯したんだ。その代償は絶対に軽いものにしちゃいけないとボクは思う」
「分かっています。分かっていますが、彼が救われる余地は本当にないのでしょうか。潜伏中のモーテルでかつて父親を逮捕した警官に撃たれて絶命するという道は、なんだか違う気がするんです。まあそれもひとつの運命だとは言えますが、それでは瑞季が置いてきぼりになってしまう気がします」
「じゃあ、警官から尚逃げて、最果てっぽい崖から二人一緒に飛び降りて死ぬとか…」
「安っぽい。ああ、なんて安っぽい。なにそのベタ過ぎる展開は。昼下がりの奥様ですか? サスペンス~なドラ~マの再放送ですか?」
「う、うるせーなあ。適当に言ってみただけだ」
「んまあ、なあ~んて素敵な適当っぷりでしょう。どうせ適当かますなら、思わず笑っちゃうくらいの適当っぷりを発揮してくださいな~っと」
「…じゃあ、お前はなにかあるのかよ」
「実は、なにを隠そう瑞季は特殊能力者であったのだ。真人が撃たれる間際にその能力が突如開花し、銃弾を跳ね返すバリアをはって尚且つ瞬間移動もできて、いやいやもう空だってびゅびゅ~んて飛べちゃうんだぜ~い♪ そうだ! いっそ、空飛んでアメリカ行って、ホワイトハウスにでも殴り込みに行きましょうかっ!」
「はあ? なんじゃそりゃ! あっほらし」
バカな妄想をあしらおうため息をこぼしたかった。なのに、なんだかあまりにもくだらなさすぎて笑いが込み上げてしまった。
「どんな脳内構造してんだよ全く。嫌だわ! 瑞季が空飛ぶとかアメリカ行くとか。絶対ないわあー」
「なんなら、目からビームとか出させます?」
「ちょっ! やめろって! 想像したくねー!」
「もうね、真人はぽか~ん状態ですよ? 目が点ですよ? そうだ! 真人は高所恐怖症って事にしましょう。瑞季は得意気に空飛んでるけど、真人はひたすら恐怖に叫ぶってのはどうですか?」
「ギャグ小説か? オレ達はギャグ小説を書いてんのか?」
ふざけんなよ。笑わせ過ぎだろ、ばっきゃろー。
堪えようのない笑いが止まらず、
「酷いわあ~。そりゃないわあ~」
「うんうん、我ながら酷い妄想だと思いましたよ。もうやだっ! 私の頭の中の見目麗しい真人と瑞季が、ギャグっぽく愉快に崩壊してゆくのがとまらない~~っ!」
二人で盛大に声をあげて笑った。
どうにか呼吸を整え、息を吐くと、
「想像って楽しいですね。二人だから二倍、ううん、何倍も楽しい~」
雪子はまだ燻りやまない笑いを噛み締めるように、
「本当に楽しくて仕方がない」
幸せそうに呟いた。
「…二人だからこそか…。互いを永遠に忘れない為の楔がひとつあったとしたら」
ボクの頭の中にひとつのシーンが浮かんだ。雪子は黙ってボクの言葉を待ってくれた。
「瑞季に真人の最後を託したい」
頭の中で、瑞季にナイフで心臓を貫かれて、ゆっくりと穏やかに微笑む真人の顔が浮かんだ。そんな真人を見つめて瑞季もまた、ボクの頭の中で穏やかに笑んでいた。
「…素晴らしい。オマイサンは天才ですよ」
雪子は清々しい声ををボクに向けて、
「さあ、クライマックスです」
残り僅な白いノートを見つめて鉛筆を握った。
八冊目のノートが物語で埋め尽くされ、九冊目の真新しい白いノートもまた、走るように鉛筆が動かされ、物語の世界がエンディングに向かい広がり延びていく。
時間を忘れて雪子は鉛筆を動かす。時折小さく震え、鼻をすすりながら。
お前なに泣いてんだよ…。
そう思うボクも知らぬ間に泣いてた。