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記者会見騒動ごっこからの翌日、仕事を終えて帰宅した午前0時過ぎ。鍵を開けてドアノブを引くと、


「お~、待ちに待ったよ連休様ぁ~~ん♪ お帰りなさいませ連休様~~っ!」


玄関でそわそわと待ちわびていたのだろう、雪子はドアを開けたボクに両手を広げて飛び付いてきた…けど、幽霊だから飛び付けるわけもなく。スカッと空振りしてすり抜ける。うん、今日もいつも通り。


「くそぅ…今日はいけそうな気がしたのにぃ~…」

雪子のうらめしそうなつぶやきを耳にしながら、ボクはリビングの床上に通勤用の鞄を、テーブルの上にノートパソコンを入れている鞄を置き、ダークグレーのスーツの上着を脱ぎ、白いワイシャツの首元の窮屈なネクタイを緩めて外した。安堵と疲労が混ざる息をひとつ吐き、シャワーを浴びよう部屋着を手に取り歩くと、背後にピタリと雪子の気配が…。


「…いい加減、毎回つっこみたくもないけどな。一応お約束として言っとく。どんなに頑張ったってお前を風呂には絶対に侵入させないからな」


痴女対策として風呂の入口には盛り塩。ドアに小さなお札が貼ってあるからな。こうでもしなきゃ、こいつは此方にお構い無しで「これも書く為の取材みたいなものですので~」とか、「人物描写の技術力を磨く為の観察です~」とか言いながら勝手に入ってきやがるので。


「…わかってますよ~だ。裸なんて減るもんじゃないのにチラッとも見せてもくれないケチで乙女なオッサンにはもう頼まないのです」

「あのさお前も元は人だろ? 人にはプライバシーってもんがあるという事を忘れたのか? じゃあお前は裸見られてもなんの抵抗もないってのか?」

「ありませんよ? 脱いでみせましょうか?」


冬だというのに季節感に全くそぐわない、布切れ一枚を簡単に縫い合わせたような質素な袖なしの白いワンピースの肩口に手をかけて、雪子はにこりと笑った。


「お前は恥じらいって言葉を知らないようだな」

「そんなものは遠い昔に消え失せたのだよ、ふふふ」

「あ、恥じで思い出した。お前のあの超酷い誤字の数々、ぷっ」

「いやぁああああ~~~っ! そんな恥ずかしい記憶は直ぐに滅却して~~っ!!」


頭を抱えてじたばたと悶える雪子を見て、にやにやしたい気持ちを抑え、風呂場に向かいシャワーを浴びた。


「つーか、裸見られるより、誤字のほうが恥ずかしいって、どんなだよ…」


やれやれと息を吐くと、笑いが込み上げてきた。

あいつは本当に変なやつだな全く。この部屋に縛られてる身でここ以外のどこにもいけない狭い稼働域なのに、めいっぱい自由だしな。

まあ、そんな雪子と接する事が楽しくて仕方ないと感じてるボクもきっとおかしな人間なのだろう。

シャワーの水圧を顔や頭に浴びながら、


「…いや、でも脱いでも平気とか、ないだろそれ…」


戸惑う事なくワンピースの肩口に手をかけた雪子を思い出す。生前、そんな軽い感じで誰かに素肌を晒したりしてたんだろうか…。


『私の色気は生前の半分以下ですよ?』


そんな言葉を思い出した。まあ…二十二の若い女性だ。なにもない、まっさら純情。んなわけないよな。


目を閉じると、瞼の裏側に雪子の顔が浮かぶ。


『私はオマイサンが欲しいのですよ』


「ボクだって…」

言いかけてやめた。


「あーあぁ…」

わかってる。無理だってそんな事は。なんとも苦い気持ちが心の中に広がる。そんな気持ちを洗い流したい。顔にシャワーを浴びた。





風呂から出ると雪子は、床にぺたりと寝そべり、ぼんやりと白い天井を見つめていた。この姿もボクには見慣れたものだ。

小説を書く為の儀式のようなものがこの寝そべりらしい。脳内にさ迷う話のパーツを繋げるにはこの体制が雪子には不可欠であるようだ。邪魔をしないように

ボクはいつも通り濃紺の肘掛けのない座椅子に胡座をかいて座り、ノートに書かれた雪子の小説を読み返す。早いものでノートはもう八冊め。しかもそれも残りは僅か数ページ。話もそろそろクライマックスを迎えるまでに進んでいた。


書き出したボクの文章は、単に暗くて硬いだけのものだった。しかし、雪子はそんなボクの文章にまるで命を吹き込むかのように登場人物達を細部まで動かし、話の世界を広げていった。

それでも雪子が書くにあたり、幾度となくケンカまがいの言い合いになった事もあったし、互いにアイデアを出しあいながら話の方向を決めたりもしてきた。


雪子は一体どんな結末を選ぶのだろう。



「ねぇ…」


雪子は、天井を見つめたまま、


「…オマイサンなら、どんな結末を望みますか?」


ボクにそう尋ねた。


「ボクが書くなら、生かさない終わりを選ぶ」

「そうですね。書き出したオマイサンの冒頭部分には、そんな結末を匂わすものを感じましたから」

「お前だって。要所要所にそういう覚悟を込めて書いてきたんじゃないのか?」


ボクの問いかけに、雪子の返答はなかった。


「まあ…なんにせよ、お前が書いてる話だから…」

「生んだのはオマイサンですよ?」

「育てたのはお前様なんだろ? なんだよ、偉そうに説教かましたくせに、お前も結局は育児放棄か?」


こんな嫌味を言ってやれば、また偉そうな態度口調で熱の入った言葉をボクにに飛ばしてくるだろう。

だけど、


「放棄したくなくてもやむ無く手離さなきゃいけない時もあるのですよ」

「え…?」

「留まれる時間は永遠ではない。そんな事はわかっていたんです」


雪子は、ゆっくりとか細い両腕を伸ばして、翳すように眺めて呟いた。


「お前…手が…」


半透明だが、原型はしっかりと保たれていた雪子の両手は、今にも消えてしまいそうな程に透明になり、その形を辛うじて留めているだけのものと化していた。


「凄いよね? 哀しさと悔しさと寂しさしかなかった二十年が、たったひと月でチャラになるなんてさ…」


ボクを見て、雪子は小さく笑んだ。だけど、その唇は笑みに反するかのように震えてた。




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