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オマイさんてなんだよ。

遡ることひと月ほど前。雪子はボクがこのアパートに越してきた日の晩に突然現れた。…というか、彼女は元々この部屋にずっと居座り続けているのだから、単に波長があって見えてしまったという事なのだが。


一部地方にチェーン展開するファミレスの雇われ店長という仕事の都合上、中距離転勤が多くてアパートを転々としている身だが、幽霊に遭遇したのは初めだった。だけどボクは不思議は否定しない派だから、雪子を見ても大きな動揺はなかった。寧ろワクワクしたというのが正解だ。


初めは控えめに台所の隅で此方を伺うだけの彼女をちらりと見て、まあ、害はないだろう。そう思って越してきたばかりの少ない荷をほどき、生活環境を整えた後にガラステーブルの上に置いたノートパソコンを開いて、趣味で続けている小説の続きを書こう、キーに指を乗せた。


――瞬間。


「書きたいよぅ…」


雪子はいつのまにやらボクの隣にいて、ひとさし指でキーをつつこう仕草をみせた。しかし、雪子の指はキーを押す事が出来ずにすり抜けてしまう。


「羨ましい…書きたい…よぅ…」


何度も何度も何度も。すり抜けてしまうのに雪子はキーを押す動作をやめようとしない。なんだかそんな姿を見て少々気の毒になって、


「…書きたいなら代筆しようか?」

ボクは雪子に声をかけた。すると、


「オマイさん、私が見えるのですか…?」

驚いた顔でボクを仰視して固まった。


「見えるよ、そして聞こえるよ。ボクの隣で黒いおかっぱ頭の女っぽい、しかし半透明な人ではないだろうなにかが書きたい書きたいと羨ましそうにキーを押してる姿が見える」


「…なにそのつまんない説明文臭い話し方。オマイさん、それでも物書きですか?」


「はあ? すいませんねこんなんでも物書きですけど? アマチュアですけどね。本業ではない単なる趣味の人ですけどね。そういうお前様は何者で何故こんなとこに留まってうらめし屋をやってるんですかね?」


つまんない説明文臭いとか…人が気にしてる事を臆する事なく言ってくれて少しカチンときたボクは、嫌味混じりに雪子が留まる理由を尋ねた。


「お前様ではなく私の名前は雪子ですけどね? 生前は原稿料を貰って小説を書いてましたけどね?」

「えっ…プロ作家だったの?」

「…世に出た小説はたった二作だけですけどね! 三作目を執筆中にちょっと気分転換にと夜歩きしてたらあそこの道路で飲酒のクソ野郎の車にはねられてアッサリと死んでしまったのですけどねっっ!! まだたった二十二年しか生きてなかったのにねっっ!!! ああ…三作目は私史上最高傑作になるはずだったのに…」


雪子は盛大に怒りをぶちまけた後、澱んだ遠い目を窓に向けて自分が息絶えた場所を指差した。


「あれから二十年近く。ここにいても誰にも気付いて貰える事なくずっと独りでした。気付いて欲しくて住人に念を送ると皆怖がってこんなとこには住めないと出ていってしまい退屈だし寂しいし。人と話したいのに話せない、書きたくてもペンも握れない、パソコンだって触れないこのすっけすけの不憫な体…」


いや、皆が怖がって逃げるのが普通でしょ。

そう思って小さく苦笑したくなった。


「いやあ~~っ、二十年耐えましたがしかし、今私の目の前に、ついに現れたよ救世主様が! 小説の神様は私を見棄ててはいなかったのですねっ! ありがとう神様~~っ! 贅沢を言えばもっと見目麗しく若き美少年が良かったですけどこの際オッサンでも我慢します!」


「悪かったな! 三十路のオッサンでさーせんね! つーか生きてたらお前のほうがボクより年上のオバサンだけどな!」


「うわあ~い♪ ごめんなさ~い♪ 永遠の二十二歳でごめんなさ~い♪ まあよしよし。三十路でも冴えないオッサンでもなんでも許してさしあげましょうっ! その代わり、私の執筆の為、その体とパソコンを貸してくださいなっ!」


「お断りします」


「ぇえええええええええ~~~~~~っ!!」


「代筆くらいならしてやってもいいとは思ったけど、体を貸すのは無理だね」


幽霊に取り憑かれて、体を乗っ取られる事に抵抗を持つのは人として当たり前。命大事。


「代筆なんてやだやだやだ~~っ! 小説は自分で書いてこそ楽しいものですし、なにより未完の妄想エトセトラ~を声に出して人に話すなんてそんな恥ずかしい事死んでも無理無理無理無理~~っ!!」


顔を両手で覆い隠し、盛大に首を振って代筆を拒絶する雪子を見て、苦笑いが込み上げた。


「まあ確かに。創作中の書く内容を他人に向けて声に出すのはボクでも抵抗あるかも」


「じゃあ貸してくださいっ! 体っ!」

「えー…」

「お願いいたします、体っ!」


眼前に迫る雪子。幽霊とはいえ結構な綺麗さを持つ女性だ。顔が近付き過ぎるとなんだか困るので少しずつ後退りしてしまう。


「お~願~い~~っ! オマイさんの体が欲しいよ~~! 朝にはちゃんと返しますから~~っ!」

迫られて後退りを数回繰り返し、背中がベッドに当たり逃げ場がなくなってしまった。


「ねぇ…お願いです。私のこの抑えの効かぬ激しい欲を、どうか貴方のその熱い身体で慰めてください…」


「おい。そういう人聞きの悪い表現方法はやめなさい」


「いいじゃないですか。この部屋には書くを愛する者が二人きり。誰も見てなんかいませんから。ね?」


雪子は黒い瞳を潤ませて、逃げ腰の状態のボクの膝の上に乗るようにして迫ってきた。瞬間、


「ちょっ…、体が動かないんだけど…?」


ボクの体は、まるで脳の命令を遮断したかのように全く動かせなくなった。


「念で縛らせて貰いましたわよ、うふふ~ん」

「念?」

「まあ属に謂う金縛りってやつですよ、うふふ~~ん」

「うふふ~~んじゃねーよ、無理矢理とかズルいだろ」

「無理矢理ではありませんよ? こうして縛ったとてオマイさんが私を心底拒絶するなら、私は貴方の中には入れないもの…」

「拒否です。無理です。絶対嫌です、さーせん」


目力を込めて雪子にノーのサインを送ったけど、


「ねぇ…お願ぃ…。ね?」


ボクを見上げる度に微かに揺れる、肩ほどの長さの真っ直ぐな漆黒の髪。とろりと惚けて潤んだ黒い瞳で見つめられ、懇願の言葉を柔らかそうな唇から零される。

…なんだよ、このズルい色気の拷問は。


頭では解ってるんだ。こいつは幽霊だ。

上に乗っかられても重さも温度もなにもないし、顔が近いにも関わらず生きた呼吸もない。だけどその存在感は生き物以上。生殺し状態だなこれ。


「中に入れてくださいな…、オマイさんとひとつになりたいのです。もうこれ以上は我慢ができないのです。どうか私を満たしてくださいな」

「ちょっ……」

せつなげな艶のある声で囁かれて、近い顔が更に近づいて。


唇が触れる…と思った。反射的に目を閉じてそれを受け入れよう気を起こしてしまった。全くしょうがない奴だな、ボクのばか。

すると、


「よし、受け入れ許可ゲット~♪ おっ邪魔しま~~っす♪」

「しまった!!」

雪子は楽しそうな声をあげて、ボクの体の中に浸透するように入ってきた。


それから朝までボクの体は雪子に支配され。

意識は雪子とは別にあり、起きてる状態だが体は雪子に勝手に動かされているわけで。解放された翌朝のボクは完徹の状態。寝不足と疲労でフラフラで死にそうになりながら仕事をしたわけで。


「もう二度とお前の無駄な色気には釣られないから」


そう宣言したがしかし、いまだにボクはその哀しき無駄な色気に負け続けて、雪子に体を貸す日が続いているわけだよ全くよー。


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