第四話『約束』
「イヴァン! イヴァン起きろ!」
ぼやけて歪んだ視界から誰かが僕の名を呼んでいた。ここはどこだろう。僕は何をしているんだろう。時間がゆっくり流れているように感じる。世界の流れがスローに見える。今ならここはどこか、自分は何をしているのか考えることができるかもしれない。
数十分前、僕ら反政府軍は敵勢力である政府軍の拠点の一つであるリェーヴノスチと呼ばれる要塞を襲撃した。当然、政府軍も兵力を動員して応戦してきた。政府軍の装備、乗り物は何から何まで最新式だ。新型の突撃銃を手に持ち、新型の拳銃をホルスターに挿し、新型の軍用車を乗り回す。対する、我が反政府軍は全部旧式のモノだ。突撃銃は時代遅れのAKライフルの旧型だし、拳銃も安価で手に入るベレッタのものだった。車両も似たり寄ったりの古くさいトラックだった。
それでも今日まで僕らが生き残ってこれたのは個人個人の実力と反政府軍の戦闘技術から来るものだったのだ。
しかし、さすがに敵の大拠点を叩くとなると僕らも苦戦を強いられずにはいられなかった。
当然、死んでいくものもいる。一人は銃弾に脇腹を裂かれ、そこから出た腸やら臓物やらを引きずりながら、のたうち回って死んでいき、また一人は顔面に弾をモロに喰らい、即死した。
僕は戦場に立つときは自分の命だけを心配するように心がけていた。そのつもりだったけれど、やはりフリストの次に仲の良いアンドレイが首筋に被弾し首を抑えながら倒れたなら、駆け寄らずにはいられなかった。
「アンドレイ!」
僕はAKをフルオートで牽制射撃しながらアンドレイの元に駆け寄ろうとしたが、
「来るな!」
アンドレイは兵士としての直感がそう告げたのか、僕を制した。
アンドレイの近く……前に正方形の白いモノが投げ入れられた。粘土のようにも見えるそれの真ん中には赤いライトが埋め込まれており、不吉に点滅していた。
粘着爆弾だ。
そう認識した時には、僕は爆風でふっ飛ばされ、アンドレイの体は木っ端微塵となっていた。
「イヴァン! イヴァン起きろ!」
ぼやけた意識の中でフリストがそう叫んでいるのを認識した僕は、アンドレイが先刻倒れた方向にぼんやりと目を向けた。そこに僕の知っていたアンドレイの姿はなく、あるのはアンドレイだったモノの肉片と盛り上がった臓物の山だった。
僕の意識がハッキリと覚醒し、肩を揺さぶっていたフリストの手を振りほどくと、敵兵のいる方向を睨んだ。
「随分押されているな。アンドレイも今日で終わった。こりゃ撤退かも―」
「フリスト」
僕の暗く、冷静な声音に驚いた様子のフリストは僕の顔を見た。きっと今の僕の顔は、怒りで歪んで鬼のような形相をしているに違いない。
「アンドレイはどういう奴だったか?」
僕のその問いにフリストは、
「あ、ああ……。いいヤツだったよ。ユーモアに溢れてて」
面食らった顔をしつつもそう答えた。
「そうか……。だったら」
僕はAKを腰だめの姿勢で構えた。
「イヴァン、バカなことはよせ!」
厳しい口調で諭すフリストには目もくれず、僕は走っていた。
走りながらAK突撃銃をフルオート全開で撃つ、撃つ、撃つ。前方の敵は僕の突然の行動に驚いたかのように、じりじりと下がっていた。
走っている僕のAKから、カチカチと弾切れの音が響いた。
再装填する間も惜しく、走りながら僕はホルスターからベレッタ拳銃を取り出し、前方の敵に向けた。走りながらで標準はお察しの通りだろう。その筈なのに、僕の拳銃から発せられた弾丸は敵兵の頭部を正確に射抜いていた。
一人、また一人と倒れていく政府軍の兵士。僕はその死体を飛び越えると後方にいる兵士に向かって駆けていた。
今度はベレッタから弾切れの合図が発せられた。僕はそのベレッタを捨て、ナイフを抜いた。刃の部分が弧を描くように湾曲した、まさに人の体の一部を抉り取るのに適したカランビットタイプのナイフ。僕はそのナイフを手に、後方の政府軍兵士に凄まじいスピードで駆け寄る。
死の危機がとてつもないスピードで目前に迫ってくる恐怖に目を見開いていた、敵兵の一人の呟きを僕は聞いたような気がした。
「悪霊……!」
※
気が付くと、そこに居た政府軍の兵士は全滅していた。イヴァンは返り血を浴び、倒れこんでいた。
フリストは急いでイヴァンに駆け寄る。
「勝機なんてまるでなかったのに、いとも容易く……。まるで化け物だな」
反政府軍兵士の生き残りは言った。
「違う!」
フリストのその叫びに兵士はびくっとする。
「そんなんじゃねぇ。こいつは俺の友達だ。化け物なんかじゃ……」
フリストはその兵士よりも抱きかかえているイヴァンに聞かせるようにそう言っていた。
※
目覚めた最初に感じたのは額に伝わるひんやりとした布の感触と、それとは対照的な手を包み込む暖かな感覚だった。
目を開けると天井の照明を逆光して心配そうに覗きこむイリーナの顔が見えた。
「やぁ、イリーナ」
その声を聞くとイリーナの顔は一瞬、わっと泣き出しそうに歪められたが、何とか押し殺そうとしていた。
「今朝食べたスープまだ残ってるかな? なんかお腹すいちゃって……」
僕は微笑みながら言うと、イリーナはとうとう我慢できなくなってしまったのか、寝かされている僕に飛びついていた。
「馬鹿……」
「あぁ……」
僕も相槌を打つ。
「バカバカバカ……」
「うん……!」
「バカバカバカ!!」
「わかったって! 僕、怪我人!」
「それで、そのアンドレイって人がその、殺されてからは記憶が無いの?」
スプーンを使ってスープを冷ます僕にイリーナは言う。
「記憶が無いとは違うかな。ただ、頭に血が上ったのは確かで凄く怒ったんだけど、……なんというか怒りそのものが体をコントロールしてたというか、僕の体が怒りで言うことが聞かなくなってるかのような……」
イリーナはキョトンとした。
「つまり我を忘れるくらい怒ったってこと?」
「いや、思考は冷静に働いてたよ。パニックとも違う何か……、なんだろう。とにかく未知の感覚だった」
僕はスープを人肌の温度まで冷ますと、がっついた。
「……限界だよ、兄さん」
イリーナの言葉に僕はスープを食べる手を止めた。
「兄さんはスーパーマンじゃない。でもあたしにとっては兄さんで、母さんにとってはあたしも兄さんもかけがえの無い子供なんだよ。兄さんは後先の事も考えずただ今を生きるために、戦場に行ってるんだろうけれど、明日死ぬかもわからないところにほぼ毎日放り出されるなら、母さんの前にあたしの身がもたないよ」
珍しく饒舌なイリーナを僕は横目でちらっと見る。
「でも食べていくためには―」
「あたしも母さんも今よりずっとひもじい生活になっても、今ある生活が一日でも長く続くならそれが何よりの幸せだと思っているよ」
僕はスープのカップをベッドの隣の台に置いた。イリーナに正面から向き合う。
「今より贅沢はできなくなるよ?」
「わかってるよ」
僕が聞くとイリーナは即答した。
「母さんの治療のためのよく効く薬ももらえなくなる。いいのかい?」
「ないよりはマシだし、治ってきてるから母さんも気にしないと思うよ」
イリーナは答える。
「敵わないな……。わかった。もう戦の仕事からは手を引くよ」と僕は言った。
「イヴァン……兄さん」
イリーナは驚きに目を見開いていた。
「戦争ばかりでお前とも遊んでやれなかったしな……。仕事が見つかればいっぱい遊んでやるよ」
僕はいたずらっぽく微笑む。
「兄さん、あたしそんな歳じゃない……」
「それもそうだね」
僕とイリーナは一緒に笑う。しばらくぶりだろう。こんなに心の底から笑えたのは。
僕はイリーナと色んなことを話した。今朝読んだ警告状の事などすっかり頭の中から消え去っていた。




