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ハッピー、エンド?


例えば、もし。

アイツが私の住むマンションに越してきていなかったらどうなっていたのか。

私がアイツの本性を知らないまま時間だけが過ぎていってたら。

一体どうなっていたんだろう、とは、今まで腐るほど考えてきた。


その時出てくる答えはいつだって"もっと平穏でマシな時間を過ごしていたのに"だったし、実際今でもそう思っている。

思っている、はずだ。

なのに、いざ目の前からそのとんでもなくはた迷惑な生活がなくなっていくのを考えると…寂しくなる。のは、この生活になんだかんだで愛着が湧いてきたからなのか、それとも。

どちらにしても分からないことだらけで目眩がしそうなのは事実だ。



―――――…



「…うえ。」


何とはなしに携帯を開いてみた瞬間、私は激しい後悔に襲われた。

今流行りのタッチパネル式のディスプレイに映るのはいつも見慣れている壁紙と、アイコンで小さく表示されている不在着信のマーク。

それを押してみたのがそもそもの間違いだった。


『広瀬由稀―着信54件』


お前は私のストーカーかっつーの!

会わなくなってからまだ3日しか経ってないじゃん!!

他にもメールとか色々来てるみたいだったけどとりあえずそのままにしておく。なんというか…恐ろしくて見れない。


重苦しいため息と共に携帯を閉じると、私はそれをベッドに放り投げた。

ついでに自分自身もダイブ。

普段使っているベッドと違って、これは少しもスプリングの音がしないしふかふかだ。


極めつけといったらこれ、とにかく広い。

シングルだと宮城さんは言ってたけど絶対嘘だ。軽くダブルくらいあるに違いない。

そこまで考えて、私はさっきとは違う意味でため息を吐いた。


やっぱりね、アレなのよ。住む世界が違いすぎるっていうか。

私には逆立ちしたって太刀打ち出来ない所だ。

そう、私じゃ、ね。


目を閉じてそんな考えに浸っているとふいに耳に届くノックの音。

身体を起こして返事をすると開けられた扉と共に入ってきたのは、ここ3日間ですっかり馴染んだ顔の秘書さんだった。


「こんにちは、宮城さん。」


「こんにちは。

昨晩は良く眠れましたか?」


宮城さんはどんなに仕事が忙しくても、どんなに遅くなりそうでも必ず1日一回は私の様子を見に来てくれる。

仕事とはいえ、ここまでしてくれる人ってのも珍しい。

きっと優しい人なんだ。とても。

それとも、罪悪感でも感じているのだろうか。そんなの感じなくったって全然良いのに。


「はい、とても。

このベッド凄く寝心地良いので。」


「それは何よりです。

馴れない場所で気疲れしてはいないかと心配していたんですが…。」


「もう3日も経ったんですよ?

私そんなにナイーブじゃないんで全然平気です。」


冗談っぽく笑いながら言ってみると、宮城さんは少し首をすくめて苦笑した。

やっぱり、少しくらいは罪悪感を持ってくれているのかもしれない。


宮城さんから視線を外して、私は窓の外に目を向ける。

既にお昼ご飯の時間はとっくに過ぎていて、太陽がとても高い位置から私達を見下ろしていた。

下に目線を向ければそこには広大な庭園があり、更に周りを囲むようにしている木々の集まりは林というよりはもはや森に近く、少なくとも私の視界内ではその終わりは見えない。


これ全部日下部グループの私有地だって言うんだから驚きだよね。

森林浴スポットとかでかなり稼げそだ。

終わりの見えない森に、何故か引き込まれてずっと見続けていると、ふいに宮城さんの手が私の肩に触れた。

視線を戻してみると、宮城さんはそれはもう苦笑していた。


「寂しいですか?

まだ、3日しか経っていませんが。」


その言葉に、今度は私が苦笑した。


「…どうなんでしょう。

静か過ぎて気持ち悪いっていうのはありますけど。」


「由稀様は煩かった?」


「煩い…まぁ、確かに。

腹黒いし、人を召し使いにしか思ってないし、傍若無人でいっつも私を振り回すし、最悪な奴だって今でも思ってますけど、」


言っていてなんかすっきりしてきた。

今までアイツの本性を愚痴れる人なんて誰もいなかったから。溜まってたんだなぁ…私も。


「…けど、それでも良いやって、最近思えるようになってきてたんですよね。」


だから、こんなこともスルッと思えるし、サラッと言えるのかもしれない。


「馴れって怖いですよね。

いつの間にかそれが日常になっちゃってて、なんにも疑問に思わない。

最初は本当にそれが怖くって…だって、この日常に馴れちゃったらアイツがいなくなった時、私はどうしたら良いか分からなくなっちゃうじゃないですか?…だから、」


本当は少し違う。

私が怖かったのは非日常に馴れることじゃない。

確かにこんなんに馴れちゃったら人間としてどうかとは思うけど、それは私にとってはさして問題じゃなかった。

私が本当に怖いと思っていたのは、私がアイツを、


「…良かったんだと思います。これで。

いつまでもズルズル引き摺っているわけにもいかないし、良い踏ん切りになるし。」


いつの間にか落ちていた視線を宮城さんの方に再度戻すと、彼はとても柔らかく笑っていた。

それは…そう、慈愛に満ちたっていう表現が一番しっくりくる、そんな表情。


「そう言って頂けるとこちらも助かります。

半ば強引に話を進めていったことは本当に申し訳なく思っていましたので。」


「そんなことないですよ。

最初はびっくりしましたけど、決めたのは私ですから。」


笑いながら言うと、つられたように宮城さんも笑った。

そして彼は私の手を取るとゆっくり立ち上がらせる。


「貴女のそういった所に由稀様は惹かれたのかもしれませんね。」


「それは都合の良い召し使い的な意味でですか?」


悪戯っぽい笑いと口調で言ってみると、宮城さんは可笑しそうに笑っただけで他に何も言わなかった。

そうして彼のもう一方の手が腰に回った時、それは起きた。

ここまで響く屋敷内のバタバタと騒がしい足音。

そして大きな声。

…まさか、


「…嘘。」


その異変に目を丸くしていると、さっきまで笑っていた宮城さんはまた笑った。

それはさっきまでの延長の笑顔に見えて全く違う。

確信に満ちた笑みだった。


「どうやら、いらっしゃったようですね。」


宮城さんがそう言った後、部屋の扉が気忙しく開け放たれた。


そこにいたのは、3日前まで常に行動を共にしていた…奴だった。


いつもじゃ想像出来ないくらい余裕のない表情。

その険しい顔からは汗が滲んでいて、息も荒い。そんな何もかもが新鮮過ぎる奴の姿に私は更に目を丸くした。

対して奴はギュッと眉を寄せたと思ったらこちらに歩いてきた。

そして、殴った。

私じゃない。隣にいた宮城さんを。

避けることもせずモロに拳を受けた宮城さんは衝撃を受け止め切れなかったのかフローリングに身体を打ち付けてしまった。


「ちょ、ちょっと、」


「宮城、テメェ…!」


今まで奴が怒った所なんて見たことなかったから分からないけど、多分…本気で怒ってる。

フローリングに伏した宮城さんは何事もなかったかのように立ち上がると、その傷ついた顔に笑みを浮かべる。

勝利の笑顔を。


「賭けはわたくしの勝ちですね、栗原さん。」


その笑みは間違いなく私に向けられていて、思わず苦い顔をしてしまう。

視線を奴の方にやると、私はそれを自分でも分かるくらい更に苦々しくさせた。


「…バカ。」


「……は?」


勿論私の心理なんて知ったこっちゃない奴はただ疑問符を浮かべるだけだった。

けど敢えて言わせて貰う。

なんで来ちゃったのよ。バッカじゃないの。


「由稀様が、」


私の言いたいことを捕捉するように宮城さんが口を開く。

微笑み付きで。それが今はなんとも子憎たらしいのは私だけだろうか。


「栗原さんをお連れしてから由稀様が一週間姿を現さなければ、今の生活を約束する。

けれどもし、由稀様が栗原さんの前に姿を現したなら…由稀様には屋敷に戻って頂き、栗原さんは…由稀様の付き人としてお仕事をして貰うという賭けでした。」


勿論住み込みで。そう言い切った宮城さんは今までで一番素晴らしい笑顔を称えていた。

対して私はどんよりとした雰囲気で、奴に至っては…さすがに話に着いていけていないのか呆然と突っ立っているだけだった。


「では栗原さん。

約束は約束ですので。」


「ハーイハイ…家族にも話はつけてあるので今日付けでも全然平気ですよー。」


私の締まりのない声にクスクス笑いながら、宮城さんはでは書類を、とか言いながら部屋を出て行った。

残された私達の間には重苦しい沈黙が広がる。これで。


「…おい。」


「何よ。」


「どういうことなのか説明しろ。簡潔に。」


その言葉にため息を吐き出す。


「どうもこうも、宮城さんが言った通りだよ。

賭けは私の負け。あんたはここに残って御曹司としての人生に戻り、私はといえば住み込みの付き人なんてモノをやらなくちゃいけない羽目になったの。」


「だから、なんでお前がそんな賭け勝手に受けてんだよ。

バカじゃねェの。」


その言葉に私はムッと眉を吊り上げた。


「うるっさいな、大体なんであんたこそこんな所にいんのよ、嫌いだから出てったんじゃないの、ここを!」


「お前がアホみたいに連れられてったって聞いたからわざわざ来てやったんだろうが!」


「私はそんなこと頼んでないし、むしろ来て欲しくなんてなかったっつの!」


「お前…!」


「来てなかったら!」


未だ煩く反論しようとする奴の言葉を遮るように、私は語気を強めて被せた。

何よ、人の思いも知らないでエラソーに。


「あんたも私も、元の日常に戻れてたってのに…なんで、なんとも思ってない女なんかの為に来ちゃうかな…。」


言いながらボフッとベッドの縁に座る。

本当、バカとしか思えない。

普段利己主義の塊みたいなこいつが、なんで今回に限ってこんな真似したのかなんて私には理解出来ない。

それなりに自信はあった。

私のことを召し使い程度にしか思っててないこいつなら、一週間くらい姿を見せなくても平気だって。

それなのに、結果はこのザマだ。


けど…あぁもう本当ダメ過ぎる。

それを嬉しいと思ってる時点で私も終わってる。

認めなくちゃいけない。


「栗原、」


「私は好きだよ。」


凄く勇気がいると思っていたその言葉は案外すんなりと出てきて、実を言えば私が一番驚いている。

まぁ、奴も負けず劣らずびっくりしてるみたいだけど。


「あんたが私をどう思ってるかなんて知らないけど、私は…好きだから。

だから、あんたが嫌がってるものから解放したいって思った。」


それが賭けに乗った理由。それだけ言うと私は奴と合わせていた視線を反らした。

そのままの関係でも良かった。だから…せめて、対等な関係で日常を過ごしていたかった。

奴が嫌うものから守りたかったってのも本当だけど、そこには自分の保守も含まれていた。

ただのパシりならともかく、お仕事としての付き人ってことは、私と奴との間に見えない壁を作ることと同義だ。

何があっても親しくなってはいけない、そんな関係。恋愛なんてもってのほかだ。


宮城さんも案外残酷だ。

知っててそんな条件を出してきたんだから。


私の言葉に奴は最初こそ固まっていたけど、やがて我に返ったのかゆるりと動き出す。

そうして私の隣に座ると、今までとは比べられないほど柔らかい手つきで私の髪に触れた。

…誰ですかアナタ。


「なんで来たのかって聞いたな。」


「…うん。」


「正直、俺にも分かってなかった。

ここが大嫌いなことは事実だし、出来るなら一生近づきたくもなかった。」


知ってる。

そのことは宮城さんにも散々聞かされた。

なんでも持ってて不自由なんてないのに、本当の自由をこいつはずっと求めていたって。

それを聞いたからこそ、私は賭けに乗ったんだ。

それならこいつが来るわけないって確信したから。


「…けど、」


髪を触れていた手が、腕が、今度は私を包み込んだ。

抱き締められてると分かった瞬間、私は顔を紅くした。


「栗原がここにいるって知って、なんかもうどうでも良くなった。

お前を側に置いとく為なら、手段は選ばねェって、自分で思い知った。」


次は私が呆然とする番だった。

それは、どういう意味?

いつもみたいにパシりがいないと不便だからってだけ?それとも、


「栗原。」


私の名前を呼んだ奴は少し身体を離して私と目線を合わせる。

何を思っているのか、珍しくその顔は笑っていた。


――――そして耳元で囁かれた言葉に、珍しく私は涙腺が緩んだのだ。





ハッピー、エンド?

(そういやお前、あの時宮城と何してたんだよ。)

(あの時?…あぁ、社交ダンスの練習。暇だったから身体動かしたかったし、宮城さんに相手して貰ってたの。)

(…………。)



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