第、28話 嵐の平日
黄昏の空。
黄金色に輝く雲が戦場を華やかな舞台へと飾り付ける。そこは地上から約九百メートルの大空。流れる風には、少しだけ火薬の匂いが混ざっている。
その空域は、この戦乱の大地『ダイキギョー』でも最も死に近い最前線。男たちは家族や祖国を守るため、旧式艦ヒラシャインに乗り込んでいた。
エンジン、スラスター、各部異常無し!
メイン回路繋げー!!
ラピッドキャノン、弾丸装填完了しました!
換装パーツはまだか!?
ドッグから整備兵の怒号が聞こえてくる。働きアリのように動き回る彼等は、一つの八メートルはあろうかという鋼鉄の塊を取り巻いていた。
人型を模した新兵器。名は、ダンカイザーという。
筋骨隆々のその男、マレッド・ロドリゲスは分厚い透明壁越しにドッグで整備を受けるダンカイザーを眺めていた。
「……」
すっとサングラスを外し、やめたはずの煙草に火をつける。辺りの金属製の壁には火気厳禁と書かれているがそんなことは気にしない。
太く腕たくましい腕。乱雑に生えた無精髭。濃い胸毛。まさしくいかつい漢という風貌だった。
濃紺色の作業着に身を包んだ姿は作業員のそれだが、彼がパイロットスーツを着ることはない。
背後から駆けてきた一等兵が、マレッドの背中に整った敬礼をして言った。
「マレッド大尉、カイザーの準備が完了いたしました。全てにおいて、不備はありません!」
一等兵の声には確かな緊張がある。
それは伝説のパイロットと言葉を交わす事と、そのパイロットに架せられた任務のためである。
マレッドに課せられた任務。それは敵という位置付けにあるリストラ帝国の本拠地、要塞『シャチョーシ2』に突入し、ダンカイザーの駆動機関を暴走させ内側から壊滅させるという内容。つまり、上層部はこの任務を受ける者に死ねと言っているのだ。
マレッドは振り返ると彼の肩をぽんと叩いて、
「……兄ちゃん、もう少し肩の力抜いていけや」
その場を後にした。
「――え」
一等兵は思いがけない事態、艦が急襲を受けた時よりも動揺した。あの寡黙を守ってきたマレッドが口をきいたのだ。自分ごときに。
「――はっ! マレッド中佐もお気をつけて!!」
反射的にそう言うと、マレッドはふり向かず腕を振ることで答えた。
注、これは僕とマキの戦いの日々というお話です。間違ってはいません。
新造兵器ダンカイザーに乗り込んだマレッドは、各部の動作確認を行う。
すると、回線が強制的に開き、ブリッジからの通信が入った。
『マレッド、今、良いか?』
声の主は、マレッドと旧知の仲でもあり、このヒラシャインの艦長を務めているアイメスだった。
「……」
マレッドはやはり無言で返す。
アイメスは彼の沈黙の肯定を受け、この最後の時だからこそ、彼に言わなければならない言葉を紡いだ。
『マレッド、すまなかった。戦場から退役したお前を、ここまで引きずり出してしまった。恨むなら恨んでくれ。お前の平穏を奪ってしまった』
数年前、全大戦終結後、軍を退役したマレッドは小さな農村で孤児院を営んでいた。その頃は戦争孤児が多く、行き場を奪われた子供達が街にに溢れ返っていた。そのため、マレッドの孤児院も三十五人の孤児を抱えていた。
「……気にするな。あの約束だけ守ってくれれば」
『ああ、わかっているとも。お前の孤児――いや、お前の子供達は責任を持って軍が援助する。もう二十三人の里親が決まった。安心しろ、どの里親も軍のお墨付きだ』
マレッドの眉が僅かに反応した。
軍のお墨付き、ということは少なくとも中流以上の家庭で、夫婦に犯罪歴もなく、いわゆる『良い親となるべき男女』ということである。
マレッドの止まっていた手が、再びせわしなく動きはじめる。
「なら、恨むことなんざねえ。それにな、確かに俺はお前にここまで連れてこられたかもしれない。だが、違うんだよ。……戦場が俺を呼んだんだ」
『……マレッド、お前』
哀れむような悲壮感漂う声色に、マレッドは苦笑した。
「アイメス、辛気臭いのはよしてくれや。俺ぁ、そういうの苦手なんだよ」
しばらく沈黙するアイメス。方やマレッドは、各部動作とやオペレーションシステムの確認を行っている。そんな友人同士とはいえ不器用な空気。
ふいに、アイメスが口を開いた。
『あれから、十一年……か』
少し間を置いて、マレッドは答えた。
「ああ、十一年にもなる。あの日からな」
前大戦終戦後、故郷ウケツケへと帰ったマレッドの目に飛び込んできたのは瓦礫に埋もれた街。既にマレッドの故郷は、戦渦に飲まれた後だったのだ。
家に駆けると、そこにあったのは亡骸となった妻子。
マレッドは叫んだ。声の限りに。
俺は何の為に戦ってきたんだ。
何も守れやしないじゃないか。
その時、マレッドの目に飛び込んできたのは泥まみれで両親を探す一人の少女だった。その子も戦争で全てを失い、食べる物も無く衰弱していた。
だが、生きようと必死にもがいていた。
マレッドは人を殺して来た腕で、その子を胸に抱き上げる。
その瞬間、マレッドの心に猛烈な閃光が走った。
――あなた、生き残ったのには意味があるわ。
空耳。いや、だが確かに聞こえたような気がした。
愛しい妻の声が。
「……すまないな、メリンダ。もうこんなことは考えねぇよ」
それからマレッドは退役金で孤児院を建設するのだった。
『マレッド。ほんとうにすまない。俺は……お前に……』
通信機から情けないアイメスの声が漏れた。
「……馬鹿野郎が。そらぁ、強制回線で言うことじゃねぇ」
マレッドがぶっきらぼうに呟いた。
ふとその時、ブリッジに通信が入る。本隊から派遣された連絡船からのようだった。
アイメスは戸惑いながらも回線を開く。
「なんだと、バカな!? す、すぐに回線を回す!!」
そして驚愕し、慌てて回線をマレッドが乗るダンカイザーへと繋げた。
「……あぁ?」
通常回線のランプが点滅している。
マレッドはカイザーのスタートアップの片手間に、スイッチを押した。
『ダディー! ダディー、聞こえる!?』『おうえんしにきたよ!!』『ダディーがんばれー!』『リストラていこくなんかに負けちゃやだよう!』
それは、忘れもしない゛子供達の声″。
「――!? お、お前ら……どうして……?」
さすがのマレッドも動揺を隠すことが出来なかった。しかし、場違いな感動に心を奪われるマレッドではない。
「バッカ野郎ぉ!! ここは戦場だぞ!? 子供が来て良い場所じゃない!」
通信機越しに怒鳴ると、向こう側で子供達がすくみあがるのが見えた気がした。
アイメスの神妙な声が告げる。
『マレッド――』
言い終える前に、マレッドが怒鳴ることで制した。
「アイメス、てめぇの差し金か! こんなところにチビ共を連れ込むなんて何考えてやがる!! そんなことしなくても俺はてめぇらの為に死んでやるよッ!! 今すぐ連れて帰れッ!!」
戦場という死に行く男達が集う場所に、年端も行かない子供を連れ込むなどという行為は言語道断。子供達はこの国、いや、この世界ダイキギョーにとって未来を背負う希望なのだ。
息を荒げたマレッドにアイメスは低い声で返す。
『聞け、マレッド。あの子達は、自分の意志でここまで来たんだ』
「――なんだと!? どういうことだ!!」
『あの子達はな、お前の孤児院から。エイギョウサンカ基地まで歩いて訪ねてきたんだ。ダディーに会わせてくれってな』
「……エイギョウサンカまでだと!?」
マレッドの孤児院からエイギョウサンカまでだと大人でも歩いて二日はかかる。その道をあの子達が歩いてきたというのか。
『ダディー! 負けないで!』
『ダディーが帰ってくるの、待ってるからね!』
『また、フルーツパイ作ってよ! ダディーのじゃないと美味しくないんだ!』
マレッドの目頭が熱くなった。戦場では無慈悲が常である彼でさえ、子供達が苦労しているのを想像すると自然と心が震えた。
そんなことを言うためにここまで……
今からこの世を去り行くマレッドは語った。我が子のために。
「お前達、よく聞くんだ。父ちゃんはよう、ちょっと出かけなくちゃならなくなっちまった。とても遠い所に……」
子供達が一同にざわついた。
それが収まる頃、マレッドは言う。
「それまで、留守番、できるよな?」
返答は返って来なかった。子供達は皆動揺していたのだ。いくら子供とは言え、辛い過去を体験してきた子達である。マレッドの言葉が大きな別れになるだろう事を漠然と理解してしまっていた。
通信機の向こうから少女の声が響く。
『ダディー! どうしてダディーが!』
あの時の少女、ジェシカ。
マレッドの孤児院で最初の子供。普段はとても物分りが良く、面倒見の良い子だ。将来はきっと良い女になるだろう。
だが、ジェシカは賢いがゆえに、この時ばかりは物分りが良くいられなかった。
『ダディー、行っちゃやだよ! お願い、ジェシーを一人にしないで!』
マレッドも、ジェシカはは誤魔化すことが出来ない子だと分かっていた。
「ジェシー、聞いてくれ……。男ってもんはな、誰でも役目を持ってんだ。たまたま世界を救ってやるのが、俺の役目だったんだよ。それにお前はもう一人じゃない、沢山の兄弟がいるだろう?」
『そんな……イヤだよダディー!』
「父ちゃんを許してくれ。こんなことでしか、お前達を幸せにしてやれないんだ」
『……ダディーのバカ!』
とうとう向こう側でジェシカが泣き出してしまった。
マレッドは別れを惜しむこともなくダンカイザーを起動させる。カタパルトが浮上し、デッキへと上がる。
吹き荒ぶ戦場の風の中で、夕日を浴びて輝くダンカイザー。
鋼鉄に包まれた狭いコックピットの中で、マレッドは過去を思い返す。
「ジェシーよう、お前は不器用な俺を困らせないためにいつも良い子だったな……。俺ぁ、たくさん助けられたよ。なにせ、子供のことなんかアイツに任せっきりだったからなぁ」
戦争へと赴いていたマレッドは、子育てというものを亡くなった妻メリンダに任せっきりだったため、知らなかった。
孤児院を開いときも同様で、子供心が理解できないマレッドには苦難が多かった。そんな時、子供達の精神面のケアをしてくれていたのがジェシカだった。人の痛みを理解してやれる優しい子。
いかつい腕が操縦桿を握り締めた。
「お前は賢い子だからよぉ、俺が行く理由、本当は分かってんだよな」
初めて聞くマレッドの涙ぐんだ声。
ヒラシャイン後方の連絡船ではジェシカに限らず、みんな驚いていた。
「でもな、今はそれでいいんだ。ただ、いつか、父ちゃんの気持ちもわかってくれ……」
発進準備完了!
スピーカーから整備員の声が響く。
子供達は切迫する空気に別れが近いことを知り、一斉に騒ぎ始めた。
『ダディー!』
『帰ってくるよね!?』
『返事してよダディー!!』
カタパルトに光電が走り、ダンカイザーが射出される形で雲海に飛び出す。雷光を帯びたダンカイザーが弾丸のように雲間を突っ切っていく。
マレッドは、体にかかるGを子供達の声と共に受け止めていた。
今、何を言ってやれるだろう。
こんな俺が、何を残してやれるだろう。
背部スラスターからジェットを噴出させ、ダンカイザーの姿勢は整えられた。
マレッドは悩んだ末に、
「お前等、あんまりジェシーに迷惑かけるんじゃねぇぞ?」
とだけ言った。
男は多くの言葉、どれが相応しい言葉なのかとうとう見つけることが出来なかった。
ジェシカが泣き叫ぶ。
『イヤだよダディー! 行かないで!』
一際大きな雲を突き抜け、ダンカイザーの前方に戦場が開いた。爆発と、散って行く男達だけに許された修羅場。巨大な黒光りする要塞『シャチョーシ2』が死を撒き散らしている。
ここからはもうノイズが酷くなり、通信ができない。
マレッドはジェシカ、子供達という太陽に別れを告げる。
「……ジェシー、とびっきり良い女になれ。お前だったら新しい親の元でも上手くやっていける。それで、家庭を大切にする良い男を見つけるんだ。そして誰よりも幸せになれ」
子供にはまだ早い惜別の言葉。だがジェシカにはにわかに理解することが出来た。
口下手なお父さんは、
ダディーは、
私達のために、そこに赴くのだろう。
「最後に、お前ら、こんな俺を父ちゃんと呼んでくれてありがとうな。本当は助けられていたのは、俺の方だった……ありがとう」
『ダディー、が――――』
ノイズが混ざったジェシカが何かを言いかける前に、マレッドは通信を切った。それ以上は聞いていられなかった。そんな言葉は言わせたくなかったのだ。
そんな、物分りが良い言葉など。
マレッドは最愛の娘の『がんばって』を聞くことなく、
「まったくよぉ、本当に頭の良い子だぜ……」
操縦桿を前に目一杯倒す。
バオウ!
ダンカイザーのスラスターから漏れる光の勢いが増し、戦場突き進む。戦友達が身を犠牲にして切り開いた道を、ダンカイザーと言う平和への希望が直進する。
全ての悲しみを終わらせるため。
一筋の光が、悲しみの最終地点『シャチョーシ2』へと飛び込んでいった。
「さぁ、父ちゃんからのでっけぇプレゼントだ!! 平和という名のなぁっ!!」
そして、戦場を光が包む。
「マレッドさあああああああん!!」
「死んじゃやだよおおおおおう!!」
テレビの前で修真とミュランダが同時に叫んだ。
ここはリビングこと居間。掛け軸のある部屋である。今は何故か床の間に水虫兜(第16話参照)が鎮座されていたりする和風の部屋で、旧片桐家のテレビを持ち込んだためにゲームをするといえばもっぱらこの部屋だった。
二人が行く末を見守る画面では、大空の一角を制していた『シャチョーシ2』が爆炎に包まれ塵芥となって消えていく。それは同時に悪逆の限りをつくしてきたリストラ帝国の崩壊をも意味していた。
二人とも片手にプレメテのコントローラーを握り締めて号泣していた。
「ちきしょう! マレッドさんがどうして! どうしてマレッドさんなんだよ!」
「だでぃぃぃぃいっ!!」
プレメテの横に『鉄鋼兵器ダンカイザー 〜戦場のレクイエム〜 』というゲーム(シューティング)のケースが置いてある。ミュランダが格安で購入してきたもので、名前こそクソゲーそのものだが、中々面白かった。
「……マレッドさん、あんた漢だよ! 漢って書いておとこだよ!」
現在、それはもう激しい死闘をくぐりぬけて感動的なエンディングを迎えているお二人さん。
画面の上から下へと流れて行くスタッフロールの中、孤児院の前で撮ったらしい思い出の写真が映し出されていく。
最後に『fin』と出て、子供達の集合写真で終わった。中央に映っているのは、マレッドがいつも身に付けていたエプロンをかけたジェシカだった。どうやら里子に出ず孤児院経営を継いだらしい。
「うわああああああん!!」
とうとうミュランダが泣き崩れた。マレッドの死も切なかったが、ジェシカが孤児院を継ぐというひたむきな姿勢も涙を誘った。
と、
「ちょっとぉ〜、うるさいですよ二人とも〜」
エプロン姿のマキが土間から皿を片手に居間に入ってきて、呆れたといわんばかりに腰に手を当てた。
ミュランダは驚いて目を見開く。
「ジェ、ジェシカ!?」
マキは眉を平坦にさせ、ぶいぶいと文句を吐いた。
「誰がジェシカなもんですか。二人ともいつまでもゲームやってばっかりで! もう晩ご飯ですよっ!」
言われてすっと現実に戻る修真。
時計を見ると午後七時を回ったところだった。
「あ、もう晩飯か。しまったな、小一時間遊んじゃったよ」
学校から帰宅して、明日のテストに向けて勉強するはずがミュランダにしつこく誘われて遊んでしまった。気分転換くらいにはなったので別段文句は無いが、それにしてもマレッドの勇姿は泣けた。
修真が涙を拭うと、
「だでぃぃぃぃいっ!」
未だにマレッドさんの死を受け止められずにいるミュランダが背に泣きついた。マキは不思議そうに見ている。
「パパぁぁ〜!! マレッドさんが! マレッドさんがぁぁぁあっ!!」
「お、おい、落ち着けよ、傷が開くって……。何もそんなに……」
どいうわけか、ミュランダはこのゲームに対してとても大きな影響を受けたらしい。というか、大体ゲームをクリアした日はこんな感じになっていた。
「子供達がぁぁぁぁぁ!!」
泣き喚く彼女の肩をがしっと掴む修真。
「いいかミュランダ。マレッドさんは、みんなの未来を守ったんだよ。悲しいけど、決して無駄な事じゃなかった。マレッドさんの孤児院はジェシカが受け継いだわけだし。それにマレッドさんは、ジェシカの心の中で生きてるんだよ」
「う……うん……」
「だから泣くんじゃありません」
ごしごしと涙を拭うと、ミュランダは顔を上げた。
「……わかった。マレッドさんの死を無駄にしないように、あたし、精一杯生きるよ!!」
「おう! その意気だ!」
とは言ったものの、そんなに真に受けられてもなぁ、と修真は苦笑い。マキはこのままゲームやらせて大丈夫なものかと疑問に思って首を捻った。
ミュランダの方はすっかり立ち直って、
「とりあえずごはん食べよう!」
素早く自分の座布団に腰を下ろした。準備は万端である。
マキは「ま、なんでもありですよね」と微笑むと、幽霊さんが作った料理を次々に食卓に運んでいく。からあげが乗った皿を置いて廊下に顔を出した。
「ポ〜チちゃあ〜〜ん! ご飯ですよ〜〜! 降りて来てくださ〜〜い!」
聞こえたかな?
と、首を傾げる。
すると、
(わかった)
壁から、ポチの抑揚の無い声を更に拡声器に通したような声が漏れた。部屋には居ないはずなのにである。
「は?」
「お姉ちゃん?」
不思議に思った三人は、同時にその方を見た。
なんかある。
それは、天井を這うように伝ってきて、手ごろな高さで途切れているパイプのような物体だった。
「これは……なんですかね?」
マキはまじまじとそれを眺めながら尋ねた。
「さぁ? 俺に聞くなよ」
当然修真に分かるはずもない。
顔をしかめる二人を押し退けたミュランダが、そのパイプをむんずと掴む。
「はぁ〜〜〜〜〜〜」
大きく息を吸って、
「ヴォエエエエエエエッ!!」
野獣のようにパイプの中へと吠えた。
半秒あって、
ぎゃー!! がしゃーん!
二階から何かがひっくり返るような音と悲鳴とが響いてくる。
ミュランダは確信がいったとばかりに頷いた。
「きっとこれは、連絡パイプだよ。お姉ちゃんの部屋と繋がってるんだね!」
「うん。お前のおかげでよくわかった」
恐らくミュランダの野獣ボイスは、張り巡らされたパイプを通ってポチの部屋で炸裂したのだろう。
「それにしてもまぁ、いつこんな物を作ったんでしょうかねぇ?」
マキが呆れまじりに苦笑すると、連絡パイプからポチの声が。
(ミュランダ、殺ぉすッ!)
ミュランダの顔から血の気が引いた。
そこからポチの行動は早かった。まず、連絡パイプの蓋を閉じ、次にあまり本が少ない本棚の三番目の列にある分厚い辞書をどけて、壁の奥にあるスイッチを押した。
なんということか壁がずずずと横にスライドし、隠し通路ないし金属製の梯子が現れた。テレビであったのを真似て作ったシステムである。
彼女は何の躊躇もなくその梯子を降りた。
一方その頃、ミュランダは来るべき恐怖にがくがくと震えていた。
ど、どうしよう、お姉ちゃんが殺しにくるッ!
「パパ、ママ! あたし殺されちゃうよぉ! これじゃあマレッドさんに顔向けできない!」
「知らね―よ」
ばっさりと斬り捨てられて、
「パパの人でなしー!!」
部屋から逃げ出そうとしたその時だった。
「ミュランダ!!」
居間にある掛け軸がめくれ、裏側からポチがぬっと現れる。
ミュランダのつぶらな瞳がホラー映画で予想外にも背後から襲われた場面のように戦慄に見開かれた。
「ひぃっ! お、お姉ちゃんどこから!?」
が、気付いた時にはポチが目の前に。
「制裁のパンチッ!」
どちゃーん。
「ぎゃべれッ!」
パンチとは名ばかりの、素晴らしいドロップキックによって吹っ飛ばされたミュランダは、柱にごい〜んと頭をぶつけて動かなくなった。ポチはよいしょと立ち上がって、一仕事終えた職人のように汗を拭う。
修真とマキはもう本当になんと言っていいか分からず、肩を落として額を押さえることしかできない。
「修様……」
「な、何かな?」
もう注意すべき問題が多すぎた。
「沢山ありすぎて、どこから叱ればいいのか私には分かりません。まず、姉妹喧嘩のことでしょうか? 連絡パイプのことでしょうか? それとも隠し通路?」
「うん、俺にも分からん。でもとりあえず言わなきゃならない事が一つあるかな」
修真はぼきごきと拳を鳴らしながらポチに近づく。がしりと頭を鷲掴みにし、ぎぎぎとこちらに顔を向かせた。
ポチは悪びれることも無いどころか、修真の眉間に険しい皺が寄っているのに疑問を感じている風に眉を上げる。
「……何?」
「おめーは何をやってくれてんだよ」
彼がびっと指さしたのは、言うまでも無く昨日までは存在しなかった掛け軸の裏にある隠し通路。あんな物を作ってしまった日には、家の構造に問題とか生じてしまいそうで怖い。
そのことか、と納得したポチは無表情で言った。
「作ってみた。ザ、隠し通路」
そこに罪悪感は一ナノメートルも無い。
海よりも深い溜息をつく修真。こうまで真正直に答えられると怒りも雲散霧消してしまう。
「何が『ザ、隠し通路』だ。勝手にショートカット作ってんじゃねーよ。第一、なんであんなもん作ったんだ?」
ポチは棒読みで、
「遊び半分どぇーっす」
限りなくふざけた。
「ボぉぉぉぉケがぁぁぁぁあッ!!」
すごい音がする寸前、マキは思わず目を瞑ったのだった。
天使二名が畳に沈んで動かなくなった。こんな事は日常茶飯事だし、食事の準備が整うまではこの方が静かで良いだろう。
「えっと、それじゃあ私、お皿運びますね」
マキが居間から土間へと戻っていこうとしたところで、修真が気をつかって呼び止めた。
「あ、俺も手伝うよ」
きょとんとして硬直するマキ。すぐに驚いた表情になった。
「いやいや滅相も無い! 今日は私の当番だから、修様はそこでどどんと構えていてください!」
気のせいか妙に慌てて手を振っているように見える。
しかし、こんな死体が二つもあるところでどどんと構えているのはどうかと思った。というよりも、修真自信が手伝いたかった。今までほとんど自分で食事の用意をしていたのに、急に何もしないというのは心地が悪くてならなかったのだ。
「まぁまぁ、ちょっとぐらい手伝わせてよ」
「え、えっとそれじゃあ、ご飯をよそうので、修様は持って行ってもらえますか?」
修真はどぎまぎしているマキの様子に目を細める。
「なんだよ、急にかしこまっちゃって気味が悪い。また良からぬ事でも考えてんじゃないだろうな?」
頬をほんのり桜色にさせた彼女は、いつに無く小さな声で答えた。
「しゅ、修様がいきなり優しくするからですよ……」
「……え」
ぼっと修真の顔が赤くなった。
マキはもう赤かった。
お互いに視線をそらしたり、その場の空気を取り繕うようにはははと笑ったりする。
細い手がそっと、ほんの少しだけ絡まるように修真の手を握った。修真の手は一瞬びくりとしたが、どういう意味の行為かを理解して、それを許す。
マキは心が温まるような笑顔になった。
「じゃ、じゃあ、準備しましょっか?」
「あ、うん。しよう」
ぎこちない言葉を交わして二人は土間へと消える。距離も微妙に近かった。
なんだか仲の良い二人。何らかの横槍が無ければ修真は辛辣に突っぱねることもないし、マキは強引に彼の気を惹こうともしない。
この時の二人は付き合いたてのカップルのような、それでいて長年連れ添った夫婦のような雰囲気だった。
二人が去った部屋で、むくりと復活を遂げる天使二名。
うえっと舌を出したポチがわざとらしく肩をさすった。
「うわ、見ちゃった。甘い。砂糖のように空気が甘い」
ミュランダもおえっとえづく。
「空気吸ってるだけで糖尿病になりそうだよぉ」
実は倒れていたのはフリだけだったのだが、それにしても見てはいけない物を見てしまった。あの二人があんなに仲良くしているとかなり不気味である。明日は隕石が降ってくるかも知れない。
気持ち悪いとは本当に思っていたが、二人はもう一つ感情を抱いていた。修真とマキが仲が良いと、自分達もなんとなく嬉しい。
スイッチが切り替わったかのようにミュランダは嬉しそうな笑顔になった。
「パパとママ、とってもラブラブだったね」
こくりと頷くポチ。
「うん。なんだかんだ言って順調」
無表情にもうっすらと微笑が浮かんでいる。
親の知らぬところで、姉妹は彼等の進展を喜ばしく思うのだった。
「ところで今日晩ご飯なに?」
メガネを直し、ポチが尋ねる。
「からあげだよ。置いてあるもん」
卓上を見て「ふーん」と何でもない相槌を打ったポチは、皿に手を伸ばしてつまみ食い。もぐもぐ咀嚼しながちょこんと自分の座布団に座る。
「キツネは?」
その横ですぅすぅ寝ている狐モードのセキコの事を尋ねた。
ミュランダは少しばかり物憂げな表情になる。
「ううん。ずっと寝てるみたい」
セキコはまだ傷が完治しておらず、一日中寝て起きてを繰り返していた。だがマキの手当ての甲斐あってかそれほど傷はひどくならずに済み、治癒は障り無く進んでいるようだった。元の力を取り戻すのもすぐになるだろう。
またもや「あ、そう」と何でもない相槌を打つと、ポチは沈黙し大人しく食事を待つ。
「……」
じっと待っている、というかぽけーとしながら座っているの姉に対して、
「ひぃ〜〜〜〜まぁ〜〜〜〜!」
ミュランダは我慢できずにごろごろと転げまわってみたり、箸で茶碗を叩いたりと、すこし騒々しくしている。
土間へと叫んだ。
「ねぇ〜っ、ごはんまだぁ〜!?」
「はーい。じゃあいただきましょうかぁ〜」
タイミング良くマキと幽霊さん、修真が居間に戻ってきて、それぞれの食器を置き終える。
片桐家の面子が勢ぞろいした。にこにこと笑顔を絶やさないマキはエプロンのまま。
何も無いのに楽しそうな顔をしているミュランダは白の可愛らしいブラウス。
無表情のポチは動きやすそうなキャミソール。
ぽろぽろ泣いている幽霊さんの目はから揚げに。
目がから揚げになっている。
「コンニヒテャ、カラア〜ゲ星人ダミョ」
ポチが物体を透過してしまう彼女の特性を利用して、目に当たる部分にから揚げを突き出して声色を変えていた。
きゃははははは、と情けない姿になってしまった幽霊さんを見て大爆笑するミュランダ。
「って! 変なイタズラするんじゃねーよ!」
「おぶっ!」
修真がべしりとポチの頭にチョップを見舞う。その間、修真の後ろに隠れるように逃げる幽霊さん。びくびくとしながらポチを見ている。
透過するのを良い事に、センスの溢れるイタズラを決行したポチはつまらなさそうに口を尖らせた。
「痛いなぁ。せっかく面白かったのに」
後ろの幽霊さんをかばうようにして立っている修真が言った。
「お前な、相手のキャラを良く考えろ。こんな気の弱い人にそんなのしたら、なんかトラウマとか出来ちゃうだろうが」
「ねぇ、見て見て〜」
「ん?」
ちらりとそちらを見ると、まだ泣いている幽霊さんの眉のあたりに海苔が突き抜けていて、ごん太眉毛になっていた。すっきりした顔立ちなのに眉毛がやたら太い。
ぎゃはははは!!
ミュランダを除いた全員が、修真さえもが腹を抱えて笑い出した。
がーんとショックを受ける幽霊さん。唯一の見方だと思っていた少年までもが笑い出したことに、孤立無援になってしまう。
水を得た魚状態のポチ&ミュランダ。
「はい、スーパー魔法瓶人間」
ポチは台所から走って来て、幽霊さんの首からを上をポットにすげかえた。
巻き起こる爆笑。
新手のイジメにより、無抵抗(抵抗しようと思ってもできない)でしかも気の弱い幽霊さんは泣くことしか出来ない。
ひーひー言っている修真に代わって、マキがようやくミュランダを注意した。
「だ、ダメだですって、ほら、幽霊さん泣いてるっ。も、もうだめっ、ほんとやめて! 腹筋がこわれますぅっ!」
「なんだとっ!」
ミュランダの声と共に、幽霊さんの頭がヤカンに変わった。
「きゃははははははッ!!」
笑い転げるマキ。
とうとう幽霊さんは、うわぁぁぁぁん、という動きで床に泣き崩れてしまう。死してなおこの世を彷徨う存在となってから、こんな年端もいかない少女達にタチの悪いイタズラを受ける事になると誰が予想できただろう。
かた。
ぎゃはははははは!!
かたた。
かたたたたたた。
耳に届いたおかしな音とそれぞれの瞳に映った予想外の光景に、一同の動きが凍りついた。
「――え」
動いている。
皿が、箸が、テレビが。
「な、なんだこれッ!?」
一同の顔から表情が消えたその時、全ては起こった。
がだだだだだだだ!!
まず、猛烈な勢いで揺れだす居間。
「ひぃぃぃぃぃい!!」
全員が悲鳴を上げる。
蛍光灯がびかびかと激しく明滅して消えた。
「暗いぃぃぃぃぃい!!」
突如訪れた暗闇に、ミュランダが絶叫する。
部屋の中にびょうびょうとうずまく風。ぴしゃーんと走る稲妻。舞い飛ぶ紙やらなにやら。皿の割れる音。テレビが畳に落ちる音。
原因不明の怪奇現象が片桐家一同を恐怖のどん底に叩き落す。
「な、なんだこれぇぇぇぇえ!!」
「修様どこですかあぁぁあぁぁあ!?」
薄暗い中でも顔が真っ青になっているのが分かるミュランダが、恐怖に慄いた声で叫んだ。
「パ、パパ、ママ! これってポルターぎょえッ!!」
飛んできたポットがミュランダの後頭部に直撃した。
「うおおおおおおおッ!? ミュランダ大丈夫かぁぁぁぁあ!!」
生き残っている三人ははっと息を飲む。これがどういう状況なのか、ミュランダの途切れた言葉で理解していた。
そうだ。
これはポルターガイスト現象!
にわかには信じられないが、この状況を説明しろと言われたとしたら、それしか答えが思い浮かばない。そして、この現象を引き起こしているのはただ一人。この暗がりの中で泣いているあの人だけ。
修真、マキ、ポチが奇しくも同時に気付いた時、
「くっ! 死してなるものか!!」
追い詰められた戦国武将のように言い放ったポチは、転がるように立ち上がった。飛んできた急須を払いのけて、色々な物が飛び交う中を誰よりも先に逃げ出したのだ。
幽霊は倒せない。倒せないなら逃げるのみ、という彼女らしい考え。
が、
「あ、開かない!?」
既に部屋の戸は霊的な干渉を受けて封印されていた。何度引いても戸はあかない。
その一瞬の隙、大きな影が修真の目の前を横切る。
「ポチ! 危ない!!」
修真の声の後、
どぐちゃ!
ふり向こうとしたポチの顔面をテレビ(20インチ)が襲った。ポチ、戦死。
ごうごう嵐が吹き荒れる居間に戦死した娘達の亡骸。
陰惨な光景を目にして修真とマキが心に抱いた想いは一緒だった。
――こ、殺される!
恐怖のあまり半べそをかきながらぎゅうと抱き合う二人。
「ゆゆゆ、幽霊さん、ごめんなさあああああい! うちの娘がごめんなさああああい!!」
「いい、命だけはぁ!! 命だけは助けてくださあああああああい!!」
そんな命乞いと謝罪が効いたのか、
「あ、あれ?」
パッと蛍光灯が点いて、部屋に明りが戻った。他の家電も糸が切れた操り人形のごとく停止し、ばらごとと落ちる。
「た、助かったの……か?」
「わ、わからないです……」
二人の目には、部屋の隅っこでしくしく泣いている幽霊さんが映っていた。
大きく息を吐いて、恐る恐るお互いの顔を見る。
「い、生きてるよね?」
「え、ええ。多分……」
安堵していいらしい事を知り、助かったとばかりに破顔する。恐らくタチの悪いイタズラをした二人だけが裁かれたのだろう。
二人はちらりと娘の死体を見る。
ポットによって撲殺されたミュランダ。
テレビによって頭が破裂したポチ。
一歩間違えれば、ああなっていたかもしれないと肝を冷やす。
「い、イジメって怖いね」
「……はい」
と、そこで、
ん? んんんんっ?
気のせいか顔がやたら近い。体もなんだか温かい。
修真はそこでようやく気がついた。
抱き合ってるじゃん!!
「どわっ!」
「逃がしません!!」
飛び退こうとした修真の足に電光石火の早業でしがみ付くマキ。
が、しがみついた場所が悪かった。
「――あ」
足の自由を奪われてバランスを崩す修真。
マキは目を見開く。
スローモーションとなった視界の中で、傾いていく彼は、
べきょ、
とテーブルの角で頭を打って、そのまま白目をむいて畳に沈んで行った。
最後の最後で修真、撃沈。
「……」
今までの騒がしさが嘘のように、しんと静まり返る居間。
結局のところ、最後まで生き残っていたのはマキと幽霊さんの二人だけ。
「えぇっと……」
とりあえずマキは、
「夕食の作り直しでもよっかな?」
笑って誤魔化してみるのだった。
「いただきまーす!」
誰からともなく一斉に声をそろえた。ぶち壊しになりかけた片桐家の夕食が始まった合図である。
あれから荒れ果てた部屋はマキが適当に片付けて、泣き止んだ幽霊さんが「ごめんなさごめんなさい」と謝りながら料理を作り直したので、全てはもう元通りになっている。どうやら、あの怪現象は本当に彼女の仕業だったらしい。
「よっしゃ、から揚げぇ!」
「あ、あたしもぉ!」
あんな恐怖体験をした後だが、みんな笑顔だった。たとえどんなに恐ろしい目に会おうとも、ぐちぐちと尾を引かないのは片桐家の良い特徴だ。ただ、新ルール『幽霊さんをイジり過ぎてはいけない』が追加される事となったが。
「動物性タンパク質!」
「ちょっとポチちゃん、野菜も食べなきゃダメですよ」
とりあえず全員が肉であるから揚げに箸を伸ばす。片桐家では野菜なんてただの葉っぱに過ぎない。いかに早く、いかに人よりも多く肉を食べるかが重要なのだ。
「あー、美味い。ほんと美味いね幽霊さんの作ったご飯」
修真が誉めると、幽霊さんは恥ずかしそうに顔を背けて、変わりにスケッチブックを出す。
『とんでもないです』
いつのまにやら、そんな謙遜の言葉が書き記されている。このスケッチブックは、言葉が交わせない幽霊さんの為に、修真が購入してきたものである。
続いて、ごくりと口の中の物を飲み込んだミュランダが、さりげなくからあげを取りながら言った。
「ほんとに美味しいよー?」
「ママと比べたら美味」
くぴっと麦茶を飲み、口の中の咀嚼物を胃袋に流し込んだポチも無表情に言う。
マキの箸から、無造作にから揚げが落ちた。
「あ!」
今までただ美味しいと思っていたミュランダの思考回路に、新しい閃きがあり、
「あ、ほんと。ママよりも美味しい……」
幽霊さん>マキという図式が構築される。
マキの笑顔にぴきりと亀裂が入った。
「パパはそこそこ美味。幽霊はとても美味。ママは微妙。今日はから揚げだけど、とても肉が柔らかい。もしママが作ったらから揚げの味がするゴムみたいになってた」
ポチは過去にマキが作ったから揚げが固かったと言っているのだ。
静かに味噌汁を啜った修真は、デリケートな部分を攻撃されているマキを哀れに思い、ほんのりとフォローを入れた。
「あれはさ、料理も覚えて間もなかったから仕方ないんだよ。つーか、ゴム食ったことねーだろ」
ミュランダがばしんとテーブルを叩く。
「食欲は人間の最大欲求なんだよッ!? ご飯が美味しくないと生きていけないよ!!」
「三大だけどな」
「とにかく、我等の食事に安寧が訪れたのは良い事」
うんうんと姉妹が幸せを噛み締めた辺りで、
みしっ、
とうとう何かがひしゃげるような不穏な音がマキの手元から漏れた。
修真は慌てて、彼女を褒める。
「そ、そんなことないって。な? ほら、この卵焼きも美味いし。あ、ほんと美味い。え?」
マジかよ、と皿を二度見する修真。
それをきっかけにマキの肩が震えだした。
「……卵焼き、私が作ったんじゃありません」
ミュランダがあちゃーと顔を覆った。
マキから見ると、彼等はどこからどう考えても幽霊さんを誉めすぎだった。修真は料理作っても美味しいと言ってくれないし、ポチもミュランダも死んだ魚のような目をして、あくまでも事務的に自分の料理を食べていた。
それがどうだ、さっきから美味しい美味しいと連呼する彼等。もてはやし過ぎ。ちやほやし過ぎ。
それよりも家事が得意で、家事ばかりしてきた幽霊さんとは比べないで欲しかった。そんな長年で培った能力に、まだ始めたばかりの自分が勝てるわけが無いのだ。
マキは魂の抜けたようになって、ぼそりと呟いた。
「……そーっすねぇー。私なんて死ねば良いっすもんねー。自爆しーようっと」
「お前らぁぁぁあ!! マキに謝れぇぇぇえ!! マキちゃんは頑張っているよ!! そりゃもう当初とは比べ物にならないくらいに!!」
「知らない。可もなく不可もなくな味にはもうこりごり。最近は落ち着き始めて向上心が見られない」
冷静かつ冷徹に分析した結果を述べる。
「あたし、ご飯は美味しい方が良いなぁ」
ミュランダの無垢な本心によって、マキの表情にいっそう影がさした。
「……ははっ、もうだめっすよねー、自爆しかないっすよー」
気の抜けた笑いでやさぐれる。
「うぉおらああああ!! この馬鹿娘がぁぁぁぁあ!!」
自分の身とマキの心を弁護するのと、二つの意味でポチを叱る修真。常に死と隣り合わせのデッドオアアライブ。
ポチはふんと鼻を鳴らすと、寝ているセキコにぶっきらぼうにからあげを放る。すると、見えていたかのようにセキコはぱくりと食べた。
反省の色が無い姉の姿に、ミュランダが面白くなりそうな雰囲気から茶々をいれる。
「お姉ちゃん、ダメだよぅ。本心は心の中に隠しておけってパパが言ってたよ? 言って良いほんとと、言ったらダメなほんとがあるんだね」
なるほど、と頷くポチを他所に、マキの冷たい目がぎょろりと修真に向く。
修真は慌てて首を横に振った。
「言ってない! 言ってないよ!!」
「……やっぱりそうっすよねー、自爆しかないっすよねー。短い付き合いっしたけど、ありが」
「マキちゃぁぁぁあん!!」
そんな騒がしくも心温まる家族の団欒。食べることが出来ない幽霊さんは、皆が食事する様子をにこにこしながら眺めていた。
イジワルや喧嘩はするけど仲が良い。新しくこの家に住むことになった住人は、そんな子供達だった。
(明るくて、元気だな……)
前の四六時中飲んだくれている住人とはまるで逆タイプの人間だが、漠然と、なんだか仲良くやっていけそうな気がした。
(きっと、好きになれる)
「くっ……なんだこれ……。三角数とか言いながらほとんど英語ばっかりじゃねぇか」
勉強机に向かった修真は難しい表情で呟いた。ちなみに、彼が英語と言っているのは△ABCのABCの部分である。
ここは一階に存在する修真の自室。勉強机とその他タンスやら本棚やらしかない嫌になるくらい普通の、彼の性質が滲み出た部屋である。
この通り、彼は勉強はするが成績は決して良い訳ではない。どう頑張っても平均点という凡才っぷり。
魔機によって強化された肉体や戦闘センスがあろうとも勉強ばっかりはどうしようもなく、テスト前にちゃんと勉強しないと落ちるところまで落ちてしまう。だから至極真面目に取り組まなくてはならない。
ところが、部屋にいるのは修真だけではなかった。
「ん〜んん〜♪」
畳の上で寝転んで漫画を読みふける天使の姉妹。とても上機嫌に鼻歌まじりに読み進めている。
修真の部屋に遊んでもらいに来たものの、完全に無視されてしまい、今に至る。
「ん」
はしたなく仰向けになって漫画を読んでいたポチは、持っていた漫画を閉じると床に放って、ミュランダに手を差し出した。
「ミュランダ、次の巻」
抑揚の無い声でぼそりと言うが、ミュランダの方は姉の呼びかけに目もくれず集中している。それでも適当に返事は返しておいた。
「待って、もうちょっとでトラバスさんが裏切るから」
答えたミュランダに、
「さらっと先言うな! このバカ!」
飛び掛る。
がちゃーん。
「なにすんんんんん!!」
馬乗りになったポチは、指をミュランダの口に突っ込み真横に引き伸ばして怒る。
「読む気なくなった! ミュランダのせい!」
しかしミュランダも、黙ってやられているような性格ではない。
「なにお!」
全力で身を起こして、ポチをひっくり返した。
「あうっ」
そのまま仕返しとばかりに、同じようにポチの口を引っ張る。
「いつもお姉ちゃんだってあたしに嫌がらせするじゃん!」
「ふぎぎぎぎぎぎ!」
そこからは蹴ったり叩いたり髪の毛を引っ張ったりというなんでもありの格闘戦。
突き飛ばされて、どーんとタンスに激突するミュランダ。上に積んであったダンボールが落ちて中身が散らばった。
「やったな!」
反撃のタックルを受けて、ばーんと本棚に衝突するポチ。漫画やら参考書やらが辺りに散らばる。
「おかえし!」
漫画を投げる。
「メガネ爆発しろ!」
教科書を投げる。
「うるさいデブリン!」
国語辞典を投げる。
「デブじゃないもん!」
飛び交う文房具やら何やら。多分、文房具じゃない物も飛んでいた。
ぴくぴくと頬を引きつらせる修真。
集中したいのに、とてもうるさい姉妹の声が修真の勉強しようという意思を削がせる。しかし相手にしないと決めた以上、構ってはいられない。飽きたら出て行くだろう。
そんな風にたかをくくって、教科書に集中するのだが、回答するペースが格段に落ちているのは気のせいではない。
「このー!」
「あっちいけ!」
修真のシャーペンが握力に耐え切れなくなってべきりと折れた。
「もう我慢できないっ! 今日こそぶっ殺してやるんだから!」
我慢できないのは修真も同じだった。
「ほほう……やってみろ! 返り討ちだ!」
お前も返り討ちだよ、と心の中で呟く。
平和な雰囲気から一挙に殺伐とした戦場へ一変する修真の部屋。それはもう積年のライバルと出会ったかのような言葉を交わしたミュランダとポチは、ぼかどかと命をかけた姉妹喧嘩に花を咲かせる。
そして、戦場となった故に、悪意の無い流れ弾もあった。
「死ねっ、メガネーーーー!!」
ミュランダの投げ放った渾身の豚さん貯金箱。
高速で飛ぶ豚さんをしゃがんで避けるポチ。頭上を豚が過ぎていく。
ポチは回避動作の続け様に、CDコンポを持ち上げて、
「消滅しろっ、バカチ――」
「てーめらっいいかげんにし――」
どご。
ふげっ!
振り返ろうとした側頭部に、飛来した豚さん貯金箱が口付け……もとい鼻付けをした。視界に火花が散るほど刺激的。
「ビ?」
「あ」
妙な物音にいったん停止する姉妹。
見ると、修真が机に突っ伏して大流血していた。夢と共に砕け散った豚さん貯金箱の破片が周囲に散らばっている中で、かなりの大きさのたんこぶが頭に生じている。お金が入っていなかったのが不幸中の幸いだったかもしれない。
CDコンポを持ったポチは『うっあー、さすがにこれはマズかったかなー?』という表情で固まった。
しかし、
「隙ありーーー!!」
ここぞとばかりに攻め入るミュランダ。彼女の手にはどこから出て来たのかハリセンが。
だが、ポチも戦いにおいては修羅のごとき強さを発揮する少女。この程度で不意を突かれる間抜けではない。
「誰が!!」
脳天唐竹割の如く縦一線に振り下ろされるハリセンをCDコンポで防御し、軸足から体を百八十度回して後ろ回し蹴り。
「っ!」
即座に体を斜に構えたミュランダの鼻先をポチの踵が掠めた。もう少し遅れていたら、失神ものの一撃を受けていただろう。
これ以上間合いを置いたら危ない。
コンマ0.001秒で判断したミュランダは、距離を詰めるためにポチの腰にタックル。
「うげっ!」
もろに直撃。もんどりうって二人とも床に倒れた。
「くっ、この!」
どったんばったんしていると、
「ちょっと、二人ともーー!! 何を」
騒ぎを聞きつけたマキが怒鳴り声と共に部屋に押し入ってきて、やや半歩下がり気味に固まった。
「な、なんですか、これはっ?」
様変わりした部屋の様相。あれだけ荷物に埋もれていたこの部屋を生活できる程綺麗に片付けたのは、つい昨日の話である。それが泥棒の団体さんでも入ったんじゃないかというくらいに、ぐっちゃぐちゃになってしまっていた。
「くっそー、負けるもんかッ! ディフュージョンサンダーッ!!」
ばりばり〜!!
「今日こそ息の根止める! ブライゼルッ、全てを薙ぎ払えッ!!」
ちゅど〜〜ん!!
その中で姉妹が取り留めなく争っている。マキはすぐにこの惨状を作り出したのが我が子であると理解した。理解できない方がどうかしていた。
「せ、せっかく、片付けたのに……」
彼女ががっくりと肩を落とす間にも、ミュランダとポチという竜巻は部屋を破壊し荒らしていく。
「隙だらけ!」
「くっ!!」
ばたーん!
ブライゼルによって吹っ飛ばされたミュランダが押し入れの戸を突き破って、中の物がどどどどと雪崩のごとく溢れ出した。もう片付ける前よりも散らかっている。
「ふ、ふふ、ふふふふ」
無気味に笑うマキ。怒りのままに小刻みに震えだす拳。
「このっ、メガネとってやる!」
「くっ、メガネは反則っ!」
マキは俯き加減に踏み出す。そこに燃え上がるような怒りは無く、どちかというと怒りのメーターが振り切ってしまい逆に冷静になった危険な状態であった。
「……二人ともいい加減にしておきなさい」
冷たい小声で呟くが、姉妹の耳には届かない。
すっとしゃがみ、落ちているハリセンを片手に立ち上がるマキ。
それでも気付かず、組み付いてぼかぼか殴り合っている姉妹を、
「そりゃああああああああッ!!」
ばちーーーーん!
「ぎゃいんッ!」
がっしゃーーーーん!
まずミュランダがぶっとんで、障子を突き破って裏庭に。
「よいしょおおおおおおおッ!!」
「すぺいんッ!」
今度はポチをホームラン。
弾丸ライナーで飛んで行き、同じく障子をぶち抜いて裏庭へ。
「……」
しーんと夜の静寂が戻ったあたりで、見事なスイングを披露したマキはハリセンで肩をパスパスやりながら鼻息荒く文句を吐いた。
「まったく! どうして、ミュラちゃんとポチちゃんはこうも破壊的なんでしょうかっ」
ふいに、
「ん?」
ハリセンが手の中から滑りぬけていく。
「――あ」
「おめーもだろうが」
すぱーん。
一時間後、破壊された部屋を綺麗さっぱり片付け終えた部屋の中央に、それはもう小さくなって正座させられた三名が正座させられていた。
それぞれの頭に張り紙がしてあり、マキは『筋肉もりもり』、ミュランダ『アフロまゆ毛』、ポチ『すね毛』と、女の子からしたら恥ずかしい内容の文字が書かれてある。
その前でどどんと仁王立ちしている修真。
ポチがひっそりと挙手した。
「はい。ポチちゃん」
「どうして私だけすね毛? ちょっとえぐい」
その背後では、お互いを見合ったマキとミュランダが指をさして笑い合っている。
そこまで分かっていながら修真は、
「お前なんてすね毛で十分だ」
ポチの申し出を冷徹に一蹴。二人はまだ想像上の産物であるのに比べて、事の発端であるポチのだけは少々リアルだった。
弱々しく手を下げたポチを確認し、そろそろか、と修真は口を開く。
「はい、僕が言ったことを繰り返してみなさい」
静かだが厳しい声で言われて、マキから順に答えていく少女達。
「修様は、明日のテストに向けて勉強中なので」
「無駄に頭だけ良いあたしたちは」
「決して邪魔をせず、静かに過ごす事」
三人は一字一句間違わずにしゅんとして答えた。
修真は満足のいく返答に、うむ、と頷いて、
「じゃ、出てけ」
ぽいぽいっと三人を部屋から放り出す。
「じゃあな」
「ちょ、ちょっと待っ――」
マキが言いかけたが、それも聞くことなくぴしゃりと戸が閉められてしまった。
うるうると瞳を濡らし、戸にすがりつきながらがっくりとうなだれた。
「……私、何もしてないですぅ」
その肩にぽんと手を置くポチ。
「ミュランダが悪い」
「な! お姉ちゃんが――」
すぱーんと戸が開く、
「――あ」
そこに立っているのは嫌に笑顔な修真。
彼は夏の高原を彷彿とさせるような爽やかなスマイルを見せた。
「君たち、まだ何か用があるのかな? 僕は静かに勉強がしたいのだけど……どうもさっきからうるさくて集中できないんだ」
にこにこしながら苛ついている彼の表情に、マキ達は顔がひきつった。
「さ、ささ、さぁ、みんなあっちに行きましょうかぁ〜〜!」
蜘蛛の子を散らすように逃げて行く三人。
修真はふんと鼻を鳴らすと、静寂を勝ち取った自室へと引き返す。
三名は壁で見えなくなる所まで逃げて、肩で息をしていた。マキはぐっと拳を握り締める。
「なんなんですか! テストだからって、ちょっとくらいかまってくれても良いのに! テストがなんぼのもんですか!」
不満を吐いたのをきっかけに、続いて姉妹も。
「漫画途中」
「部屋に戻っても一人ぼっちだし……」
それぞれが、寂しげな表情で顔を見合わせた。
彼女達は、今までみんな一緒の部屋で過ごしていた。それが唐突に大きな家に住むことになり一人一部屋与えられたわけで、当然部屋に戻ればひとりぼっち。どう過ごしていいか分からないのである。
いつもならリビングに行けば修真が居たし、部屋でも三人一緒で一人ではなかった。新しい環境に戸惑っているのに修真がこれである。
「なんか……さみしいね」
ミュランダがぽつりと漏らした言葉で、ただ一人その場で凍りついた者がいた。
「……? どうかしたんですか、ポチちゃん」
首を傾げたマキに、ポチは無表情で言った。
「別に」
あれ、おかしいなとマキは眉を寄せる。確かに今、ほんの一瞬、普通なら気がつかないような微細な変化がポチの表情にあったような気がしたのだが、いつも通りの反応だ。
「ならいいんですけど……って、あれ?」
怪訝そうにするマキの背後を、透き通る白装束の幽霊さんがふわふわ通って行く。
彼女は、これまたふわふわ浮いているお盆を従えていて、その上にグラスが乗っていた。ポルターガイスト現象も使いようである。
「あ! 今は――」
ミュランダが声をかけようとして、
「んむぐ!」
ポチがその口と動きを封じた。
幽霊さんは修真の部屋の前で停止して、触れてもいないの自動で戸が開く。中に入っていった。
それを確認して、ミュランダを解放すると、ぜぇはぁと酸欠気味の妹にひとさし指を立てて注意を促した。
「声出したら、バレるし怒られる」
ミュランダは注意を受けて、修真の部屋を指差してひたひたと控え目な地団太を踏んだ。
「ど、どうしよ〜。わぁ〜、きっと怒られるよぉ〜。新キャラとの人間関係に溝が生じてしまうよぉ〜」
くるりと部屋の方を見るポチ。
確かにミュランダの言う通りだったが、特に怒鳴り声は聞こえてこない。
「おかしいですねぇ」
不思議そうにマキが呟いた。
「――っ!? まさか!!」
その頃、修真の部屋では。
「あっ、どうもすいません。気を使わせちゃって」
礼を言われて、幽霊さんは恥ずかしそうにお盆で顔を半分隠した。修真が彼女から受け取ったのは甘いアイスココアだった。
「ありがたいです! ちょうど今、何か飲みたいって思ってたとこなんっすよ」
半透明の彼女は、喜んでもらえて良かった、とほっとしながら、いえいえと手を振った。幽霊さんは一番まともそうな修真から仲良くなろうと考えていたのだ。
机のノートがぱらぱらと捲れて、
「――の!? な、何!?」
シャーペンが宙に浮いて、すらすらノートに走りだした。
突拍子も無く怪奇現象を目の当たりにしてぎょっとする修真だが、すぐに筆談がはじまったことに気付く。
『喜んでいただけて、とても嬉しいです』
「――っ!?」
修真は落涙した。
(なんという良い子! こんな子がうちに居るなんて!!)
修真は世話をする側に回っていた(半強制的)ので世話をされるという実感が、テスト勉強に手を焼いているこのタイミングでアイスココアを作って来てくれるという思いやりが嬉しくてしょうがなかった。
とても気が利く方である。
(そうだ……。思えばうちには破壊バカが三人いるだけで、こんな素敵な子はいなかった!)
兵器という破壊の権化であるマキ、ポチ、ミュランダ。
(破壊バカどころかアホだし、あと四六時中うるさいし……)
ところが、まるで逆のたおやかな幽霊さん。清楚を地でいく革命児。ちょっとくらいポルターガイストができても何ら問題などない。むしろポルターガイストってすごいよね、とさえ思えてくる。
彼に言わせてみれば、天と地ほど、いや雲泥、空前絶後に、とにかく革命的だった。
(そこんところ、幽霊さんはあいつ等とは大違いだ。料理もしてくれるし、洗濯もしてくれるし、食費はかからないし……静かだし、アホじゃないし)
さっきの事件があってからなので、相乗効果もあっただろう。
歓喜からくる涙にうっうっと嗚咽を漏らしている修真にそっと手を添える幽霊さん。心配そうな表情でこちらを見ている。
『どうかなされましたか?』
そうノートに文字が書き込まれた。
ノートと幽霊さんを行ったり来たりして、修真ははっと気付いて涙をぬぐった。
「す、すいません。いや、なんか、どちらかというと俺も世話する方の人間なんで、こういうの新鮮だなぁーって」
そうですか、と言わないばかりに愛想よく微笑んで、幽霊さんの操るシャーペンが修真のノートに走る。
『ところで、大砲のような、爆発のような大きな音が聞こえたのですけど、何かあったのでしょうか?』
幽霊さんなりの、世間話の切り出し方だ。
この少年達には聞きたい事がたくさんあった。修真はまだ学生らしかったし、マキという少女も同じ年頃のように見えた。不思議なのが両者共に未成年なのにも関わらず、二人の女の子に父や母と呼ばれている事だ。
その女の子二人も性格はともあれ、容姿は中学生くらい。どう逆算しても計算が合わない。深い仲というのはどことなく分かっていたが、どうも気になってしまう。
それにどの人物も生身の人間とは思えないタフネスとパワーを兼ね備えていた。
一体、どういう関係なのだろう。
それが彼女の疑問だった。
「……えっとですね」
黙考していた修真は、幽霊さんに苦笑して見せた。
「いや、あれは、姉妹喧嘩なんで心配しなくても大丈夫ですよ。いつものことですから」
姉妹喧嘩?
それであんなにも凄い音がするのだろうか?
幽霊さんは、次の話を切り出す。
『失礼かと思いますが、あなた方はどういうご関係なのですか?』
「……話すと長くなるんですけど良いですか?」
『はい』
修真はこれまでの経緯をかいつまんで幽霊さんに説明した。
改造された事。
街で意味不明な兵器に襲われて命からがら退けた事。
ミュランダが殺しに来て、マキの暗躍によってパパと呼ばれるようになった事。
魔界と呼ばれる地に赴いたら、いきなり杖でぶん殴られた事。
マキが後のポチである天使を破壊しようとした事。
ポチを家族として迎えようと決めた事。
他にも色々な話をした。
修真が過去を思い返しながら楽しそうに喋るのを、幽霊さんはじっと見詰めて聞き入っていた。修真は大げさな身振り手振りで、熱心に語った。
たった数ヶ月……だけど、何年にも匹敵しそうなほど思い出に満ちた話だった。
「という訳なんですよ」
話し疲れた修真はアイスココアをぐっとあおった。
一息つくと、さらさらとノートにペンが走る。
『おかげで、謎がとけました』
「謎、ですか?」
変な顔でオウム返しする修真。
聞き終えて、幽霊さんは一つの答えを導き出していた。
『あなた方は、家族なんですね』
それが幽霊さんの答え。
予想外にも彼らは血のつながりどころか、存在としての種類も全然違った。でも、修真を筆頭に、マキ、ポチ、ミュランダは家族だった。
話を聞いていて、もう誰にも引き剥がせないような、無敵の繋がりが見えたような気がしたから……。
修真は照れくさそうに笑みをこぼす。
「はは、まぁ、そんなところっすかね」
幽霊さんは、もう一度ノートにペンを走らせる。
彼女の熱くなった胸は、自然に書き込む文の量を増加させていた。こんなに焦って人に何かを伝えたいと思ったのはこういう存在になってから初めてだった。
修真は書き記されて行く文を眺める。
『私は、あなた方のお世話をする事になったのが誇らしく思えます。私は、もう自分の名前も、生まれも、どういう道を歩み、どういう風にこの世を去ったのかも覚えていません。そんな女です』
つらつらと書き込まれていく、か細く、小さな文字。
『でも、そんな女でも、私はあなた方を美しいと思いました。春に咲き誇る花よりも、夏を謳歌する命よりも、秋に世を照らす月よりも、冬に舞う雪よりも、あなた達は輝いて見える』
詩人だなぁ、と修真は思う。
『経緯すら忘れてしまいましたが、私はこの社に取り込まれ『封印の巫女』という役割を負いました。肉体を持たない存在ならば、幾星霜の時を越えて社を守り、ヒノトオロチを監視する事ができる。もう何年の間この社に留まっているのかも忘れてしまいましたが、私がこの世に留まる理由はそれなのだと思っていました。ですが、もうヒノトオロチを封印する使命は無くなった……これもあなた方のおかげです。もう私をこの世に縛る理由はありません』
ちょっと最後の辺りには、どきっとさせられた。もしかして成仏とかしちゃうんじゃないかとはらはらしながら、文に続きがあるのに胸を撫で下ろして読み進める。
『けれど、私には思い出すことが出来ないのです、この世を彷徨う理由を。どうしてこのような存在になってここに居るのか、私には分からない。自分の事も満足に覚えていられない……忘れてしまった』
「……」
『そんな女が、あなた方と一緒に居ても良いのでしょうか?』
修真はただ黙ってそんな文字を見ていた。
少々あって、幽霊さんに向く。
そして、マキやミュランダやポチにするように、屈託の無い笑みを見せて言った。
「そんなの、何でも良いんじゃないっすか?」
幽霊さんは、驚いた表情で固まった。
少年は言う。
「俺達は別にそんな大した人間じゃないですよ。美しいとか特に似合わないと思うんですけど……。っていうか、是非とも一緒に居てください。幽霊さんが居てくれないと、家事が大変なんっすよね。ここ二日、すっごく助かってるんですよ?」
幽霊さんは何でもない少年の言葉に、感極まってほろほろと泣き出した。
「どえっ!? な、なんで!? お、俺のせいか!?」
涙もろい彼女が書いた最後の文、涙ながらに書き込んだのは、
『皆様の生活、全て私にお任せくださいませ』
というお堅い決意表明だった。
修真は、彼女への返答を『お願いします!』とノートに書き込ん
「浮気ぃぃぃぃいっ、めっさぁぁぁあっつ!!」
バガッ。
鈍器で頭を殴りつけたような音の後、修真はどっと畳に散った。
ひぃぃぃぃぃっと、驚いて手だけの力で後退る幽霊さんを尻目に、部屋に飛び込んできた少女は揺れる黒髪を払った。
「ふぅ。あぶなく修様がときめく所だった」
冷汗を拭ったマキ手には、殴打に使用したCDコンポが半壊状態でぶらさがっている。
目をまん丸にした幽霊さんは、何故だか安堵しているマキの姿と、畳で死んでいる修真を見比べ、泣きながら狼狽するしかない。
なにがどうなったのかいきなりこの騒ぎである。
雪だるまのようにたんこぶの上にたんこぶが出来て数秒、
「いいぃぃぃいぃぃってぇぇぇぇぇええッ!!」
修真は勢い良く跳ね起きてマキに詰め寄った。
「てめぇぇぇぇぇえ!! 何しやがんだぁぁぁぁあ!!」
しかし彼女も負けてはいない。
噛み付くような勢いで食ってかかった。
「なんですかこの浮気者! 私と永遠を誓ったくせに!!」
「誓ってないのを神に誓うわ!! 大体な、浮気ってなんのことだ。俺は幽霊さんとお喋りしてただけだっつーの!」
マキはうるうると瞳に涙を浮かべる。
「私の目は誤魔化せませんよ!! こんな密室で、二人の男女が筆談だなんて……あ、あれですか! 『幽霊君、今晩どう?』『あ、片桐専務。OKですよ』『ふふ、じゃあいつものホテルに八時で……』みたいなオフィスラブじゃないですか!! このレディコミ!!」
「お前、脳みそ大丈夫か。つーか何てこと言ってんだ」
「くそう! 筆談するくらいなら、私と交換日記しろぉ!」
マキはどこからか取り出した花柄のノートを修真の机に叩き付けた。表紙には『☆LOVE×2 DIARY☆』とか始まる前から終わってるタイトルが太字で書かれている。死んでも交換などはしたくない。
「嫌です。どうでもいいからあっち行って下さい」
相手にするのも疲れて、丁重に交換日記を返却しながらしっしとマキを追いやろうとすると、間を置かずに後続のミュランダとポチが部屋になだれ込んでくる。
姉妹は突入するや否や、
「寂しいよパパ!!」
そう叫んだ。
「はぁ?」
マキから視線を外し、今度は何だと向く修真。まるで意味が分からない。
ミュランダはもう一度、声を大にして言う。
「あたし達、部屋に行ったら一人ぼっちで寂しいよ!!」
冗談に乗せた本気の言葉。
「――なっ」
修真は一気におふざけモードのスイッチが切れて、言葉に詰まった。
彼女達が寂しいと思うなんて思考の中になかった。それどころか、自分の部屋が出来て浮かれているものだと思ってしまっていた。
「……孤独」
珍しく寂しいという表情を表に出したポチが、抑揚無く呟いた。
「お、お前ら……」
そうだったのか。
(だから、晩飯が終わったあとでも、自分部屋に戻らずに俺の部屋に……)
良かれと思ってそうしたのだが、結果的に彼女達を孤独にしていた。なんてことをしてしまったんだと、修真の心は悔悟の念で一杯になった。
がばっと二人を抱き締める修真。
「……ごめんな。俺、てっきり、自分の部屋が出来て喜んでるのかと思ってた。そうだよな。急に、そんなの慣れないよな」
そうだ。俺だって急に一人部屋になった時は戸惑ったじゃないか。過去を思い出し、当時の自分に二人の姿を重ね合わせる。
それに、ミュランダとポチはずっと一緒だったのに、今日からは一人で生活してと言われて、さぞかし困惑したことだろう。
「……パパ」
姉妹はどちらからともなく、泣き出しそうな声で囁く。
修真は、
(テストがなんだ。こいつらが寂しい思いをするくらいなら、勉強なんて。それに、俺は集中できないのをこいつらのせいにしてたんじゃ……)
己の行動をふりかえって、必要無いところまで思いっきり反省するタイプだった。
「眠くなるまで、ここに居て良いから」
彼の懺悔にも似た言葉。
ところが、
(やったねお姉ちゃん!!)
(ミッションコンプリート)
と二人は、にやり顔を修真には見えない角度で披露し、頷き合った。
そう。全ては彼女達が作り出したシナリオ。計算し尽くされた上で導き出された結果だった。
「――はっ!?」
だがマキは気付いた。二人が、それはもうしてやったりという邪悪に満ちた表情でVサインを出しているから。
この一連の流れは完全に芝居だったのだ。
(ポ、ポチちゃん、ミュラちゃん……なるほど!!)
マキは驚愕する。見事な連携プレー。普段はテレビのチャンネル争いに余念がなく、喧嘩ばかりの彼女達からは想像できない妙技だった。
ミュランダ一人では説得力が無い。そこで、無表情で無口なポチに『寂しい』と言わせることによって信憑性を増加させる作戦だったのだ。さすがの修真でもポチがそんなことを言い出したら放っておくわけにはいかない。
(こ、これは……修様の心理を読みきった完全無欠のタクティクス!! 非の打ち所が無いです!!)
感服したマキは、なんとも聡い娘達に音の無い拍手で賞賛を送った。
同時に、
「修様……二人の気持ち、分かってくれたんですね」
勝利へと傾いた雰囲気に、びっくりするくらい綺麗に便乗。
そうとも知らず修真は、
「マキ、お前は気付いてたんだな……。それなのに俺は……!!」
自分の愚を責めるように首を横に振る。ぎゅうと力が込められた抱擁に、ポチは気だるそうに、ミュランダは嬉々として抱きつく。
そんな彼に、妻(的なポジション)であるマキは優しく諭した。
「良いんです。子供達の小さな変化に全部気付いてあげるのは難しいことですから。でもね」
「マ、マキ……」
許しを求めるような修真の肩に、優しげな表情でそっと手を置く。
「それぐらい、父親だったら分かってあげられるでしょ?」
ハートが、
ぶぐしゃあ!!
と、生ものっぽい音を立てて飛び散った。
「ご、ごめんよぉぉおおお!! もうずっと居て! お前らが寂しくないように、ずっとここに居て!!」
(やたっ♪)
(予定調和)
(乙女の勝利です!)
三人が中間テストから勝利を勝ち取った瞬間――というより、彼女達特有のそういう遊びなのである。
「はい、ママの番だよ」
「よーし、いきますよぉ〜」
居場所を手に入れた少女らは、共に戦った戦友同士仲良くトランプに興じていた。ババ抜きというスタンダード極まりないゲームなのだが、現在の勢力図は、マキ残り2枚、ポチ4枚、ミュランダ3枚という具合。
楽しそうな笑顔のマキとミュランダとは別に、ポチは顔をしかめて自分の手札を見詰めていた。
(く、ど、どうして……)
こちらを卑しく嘲笑っている腹の立つ格好のピエロ、もといジョーカー。ゲーム開始当初から、一向に飛び立っていかない彼をポチはかなり疎ましく思う。
「ん〜と、ど、れ、に、し、よ、う、か、な〜」
ポチが般若の形相で差し出したトランプの中から、ミュランダが指でなぞるように選ぶ。
「これかな?」
不自然に飛び出していたカードの上で指が止まる。
ポチの心が躍った。間違いなくババの上だ。
(そうだ、それを引け、愚かな妹よ!! そして、ババを持つ者となって忌み嫌われるが良い!!)
と、悪しき心の叫び。無口でも案外心の中でははしゃいでいる。
そんな姉の願望とは裏腹に、
「やっぱこれにしよ」
あっさり隣のカードを持ち去るミュランダ。そのまま合わさったカードを捨てて、残り2枚。
(……く、こいつ)
無表情の裏側で苛立ちを覚えるとするその間にも、ミュランダとマキの間でカードのやりとりが行われて、両者共に残り1枚。
「はい、ポチちゃんどうぞ」
にこにこと差し出されたカードをポチが受け取り、
「あがりでーす」
マキ一着。
カードを捨てたポチが残り2枚と相成った。
(いや、最初からママとの勝負は捨てていた。ママはずっとにこにこしてるから読みにくいし)
ぎろりと鋭い眼光を妹に向ける。
次に引くのはミュランダ。ここで彼女が当たりを引いてしまった日には負け確定。どうにか赤い糸で繋がっているレベルで手札に居座り続ける彼に飛び立っていただきたい。
そんな緊張の瞬間である。
「……」
「じゃあ引くねー」
運命の選択が始まる。
(確率は2分の一。いや、落ち着け私。ここを乗り越えれば、この後私が当たりを引く勝率はぐっと上がる。待てよ、ここでミュランダがババを引けば……。きた! それだ! それを引け!)
と、脳裏で激しく思考を巡らすポチ。意外にもやかましい。
数秒悩んでからミュランダは、
「あ、こっちにしよ」
ひょいと左のカードを掴んだ。
ぐぐぐ。
「……お、お姉ちゃんっ、これはっ、ズルイんじゃないかなぁっ?」
「なんのこと? 早く引けば?」
両者の手によって、メリメリ、ミシ、と悲鳴をあげるトランプ。どれだけ力いっぱい引こうとも、カードは姉の手から引き抜くことが出来ない。
顔をひくつかせて引っ張るミュランダ。
ポチは涼しげな表情で呟いた。
「引けば良い。引けるカードを」
相当な反則だった。ポチはババでない方のカードを、尋常じゃない力で握っているのだ。
「そ、そっちがその気ならっ」
ミュランダは姉のズルには屈せず、カードを引こうとする。
メリ、ミシ。
「そ、そんなにぎゅっと持ったらカードがっ」
相当な力で引き合う両者。
ポチも涼しい顔をしてはいられなくなった。
「引けば良いっ。でもそれを引いたら大切な何かを失う事になるっ」
そう言った彼女から怨念のようなオーラがどんどろどんどろと発散され始める。暗黒のオーラにも見えるそれは大きくポチの背後で膨れ上がっていく。
最終的に、ミュランダの見ていたオーラは、ある形を取った。
「――はっ、これは!! トムソンガゼル!?」
猛り狂うトムソンガゼル。
ひづめをがりがりとさせながらきょええええええん、と嘶くトムソンガゼル。
ポチの勝利への執着がそれを見せたのか、単にミュランダの頭が弱いのかは定かではないが、そこに雄雄しい草食動物の姿があるのは確かだった。
きょえええええええん!!
唾液を撒き散らし、狂ったように跳ね回るトムソンガゼル。
「……うっ」
結果的にミュランダは圧倒されて怖気づいていた。
「……はぁ。わかったよぉ。じゃあこっちにしてあげる」
ここでババを引かなかったらまたもや大喧嘩勃発である。そのへんも含めてババを引いてやることにした。
ついに、憎たらしいピエロがポチの手札から、ミュランダへと譲渡される。
(よし! 時は満ちた! ここで私が!!)
納得いかないという表情のミュランダは、そのままさくさくと二枚のカードを切って、
「はい。お姉ちゃんの番だよ」
ぶすっとしながらカードをポチに突き出した。
「……な」
ポチの時間が止まった。
二枚のうち、一枚が飛び出している。
(ど、どっちだ!? 何故、一枚だけが不自然に!? 落ち着け、読むんだ。あいつの心を!!)
ごごごごごご。
真剣に選ぶポチを見て、マキはくすくす笑う。
(これは、あのカードに注意を引かせる作戦。ということは、あのカードがババ? いや違う。その逆。あのカードはあくまでも意識を撹乱させるための物、本当のババは左の……あ、その逆もありえるな……全然わかんね)
「お姉ちゃん早くしてよ」
ゆっくりとカードに手を伸ばすポチ。だが、絶対的な勝利への執着で、心は確信に満ちていた。
(甘いなミュランダ、それが妹の限界! その程度の小細工で私がどうにかできるとでも思ったか! 本当のカードはこっちだ! この世界の全てよ、我に力を与えたまえぇぇぇぇえ!!)
ずばーんと雷がポチを打った。体に駆け巡る電流。
まるで天啓を得たようだった。迷いが消滅し、彼女に見えるのは一枚のカード。勝利という名のスペードの7だけ。
(こっちだあああああああ!!)
引く。
引き当てる。
「あはは、ありがとぉー♪」
ババでした。
(ちきしょーーーーーー!!)
これで2、1。
「んっと、これ……いや、こっちだね」
「ダメ」
「いや、ダメって言われても。ずるしないでよ」
「ダメ」
「も〜、これじゃあ終わらないじゃん」
「ちょっと待って」
後ろを向いて、もう一度カードを切る。良く確認してから、ミュランダに見えないように畳に伏せるようにして出した。
「良い?」
「良いよ」
「じゃあねぇ……、こっち!」
カードを裏返して、
「はい、あーがりっ。お姉ちゃんよわ〜〜」
ミュランダは合わさった二枚のカードを捨てて、ばんざいして喜ぶ。
がっくりと両腕を畳につけるポチ。
「そ、そんな……どうして」
実は、マキとミュランダはある条件に基づいたカードを選んで、ババをさけていた。簡単に言うと、ババを選びそうになるとポチがにやにや笑うのだ。ポチは気付いていないが。
「あははッ! お姉ちゃんってば、カード選ぶ時に、思いっきり顔に出てるんだもん。そんなんじゃ負けるに決まってるじゃーん」
悔しい。
何より、ミュランダに負けたのが。
思い知らせてやる。
この姉の力でッ!
「ブライゼルッ!!」
凛とした声と共にブライゼルを召喚。光が散ると同時、二メートルはゆうに越える長槍がその場に現れ出でた。青く澄んだ精美な刃には金色の装飾が施されており、荘厳な印象を与えてくる。
それは見間違うことなき、神槍ブライゼル。あのやたらめったら強力な化け物槍だ。
「ポ、ポチちゃん!?」
マキが驚愕の声を上げるが、ポチの耳には届かない。
中空に浮かぶブライゼルをがしりと掴み、ぶぉんと振り上げた。その切っ先の標的は腰を抜かしている妹。
「ひゃああああああああ!!」
「ちぇええええええええ!!」
どがご。
「……あ」
部屋にいた全員がおかしな物音の方へと顔を向けた。
嫌な沈黙に包まれた皆の中央に、ばらり、と落ちてくる天井の破片。マキとミュランダは気まずい表情になって顔を見合わせている。
「しまった」
目測を見誤ったブライゼルの刃は、ものの見事に天井板をぶち抜いていた。
「……ポチ」
がしりとポチの頭を鷲掴みにする修真の手。びくりとして振り返ると、
おんどろおんどろおんどろ、と吹き上がっている怒気。
(……お、怒られる)
ポチの額からどっと冷汗が溢れ、顔の輪郭をなぞった。
そして爆発。
「お前ら退場っ!!」
どんがらどどどがっしゃん。
再び廊下にボールのように放り出される三人。
ばしーん!
これでもかと強く戸が閉められた。
「あたた……って、ちょっと修様! 私何もしてないですってば!!」
部屋から放り出されたマキが言いすがるが、部屋の戸は鉄のように固く閉じられてしまっている。ていうか、ブライゼルでつっかえ棒がしてあるので開かない。
幽霊さんも危険を察知し、いそいそと壁を透過して出て来た。
向こう側から修真の声が。
バカやってないで、さっさと風呂でも入って来い!!
「はぁ〜い」
少女達は明るく返事をして去って行った。
時代錯誤なヒノキ作りの浴場。シャワーはもちろんついていないし、壁が壊れていて応急処置といわんばかりの板がでたらめに貼り付けてあった。
そこは片桐家の広々とした風呂場。たっぷりと水が張られた浴槽は、昨日のような熱湯ではなくちゃんとした人間が入浴できる温度の湯である。
うっすらと立ち込める湯気が窓の格子からもわもわと逃げて行き、群青色の夜空に昇っていく。
それをぽけーと眺める三つの顔。湯面に広がるタンポポ、真珠、夜色の三者三様の髪。
「ほーんと、オロちゃんには感謝だよねぇ」
肩まで湯に浸かったミュランダが、極楽極楽とばかりに顔を弛緩させた。昨日の戦いで受けた傷はとうに塞がっており、時折腕に違和感があるものの、完治していると言っていいだろう。天使の再生能力の賜物である。
その隣。
「妖力で湯を沸かすなんて、昔の人中々やる。精霊の力を機械の動力に用いるのと同じ原理」
上気した頬のポチが抑揚の無い声で賞賛し、何の気なくゼンマイ式のアヒルのおもちゃを発進させた。
びちゃびちゃ泳いで行くアヒルがマキの二の腕に衝突。
「まったくですねぇ。修様が人間界は普通普通って言うから、こんな不思議文化があるなんて思いもしませんでしたよ」
向きを変えてやると、アヒルはまた泳ぎ始めた。三人はこのアヒルが泳ぐ姿を見ると、なんともいえない喜びを感じずに入られなかった。
ことのほか入浴と言う行為が好きだったマキ、ポチ、ミュランダは、みんなで一緒に入りたいという願望を持っている。
ところが彼女達は、前までの風呂ではせまっ苦しくて三人も同時に入れず、せいぜい二人が限界だった。しかし今は違う。七人入ってもおつりがくるほど広いのだ。
大暴れした疲れを、湯船にもたれてゆったりと癒す。
「こういうのって、あれだよね」
「うん。あれ」
「癒し、ですよねぇ〜」
ほうと大きく息を吐く三人。
まったりしていると、
「ほら見て〜、泳げるよ〜」
ミュランダが、ばちゃばちゃ犬掻きで泳ぎ始めた。
横着な妹の頭をごんと叩いて沈没させるポチ。
「泳ぐな」
「いいじゃんかぁ、別に他に誰もいないでしょー?」
「居る。それに節操がない」
微笑ましい光景をにこにこと眺めるマキ。
すると、ざぱぁと立ち上がったミュランダは浴槽から出た。
「ねぇ、飛び込みできるかな?」
問いにマキが温かな苦笑で答える。
「ミュラちゃん、いくらなんでも危ないですよ。死んじゃいますよ?」
ポチは妹の実にバカな疑問など耳に届かず、我関せずという構え。
よし、と決意したミュランダははマキの注意を聞きながらも、山のように積んである桶を飛び込み台とばかりに浴槽の前にセッティング。
「だーいじょうぶだよ〜。見ててね〜」
てててっと走りだし、
「とうっ!」
どっぼーん!
次の瞬間には水飛沫が天高く上がった。
「わっ」
「きゃ」
思わず顔をそらす二人。
飛沫が消えると、思った通り水面に大きなたんこぶをこさえた金髪の水死体が浮いていた。
マキは呆れた表情で漂流してきたミュランダを救い上げる。
「あぁ、もう……。ミュラちゃーん、生きてますかー?」
「い、意外と浅かったよ……」
「桶の意味がわからない」
痛みが切ない彼女は、そのままぎゅうとマキにしがみついた。
「ぅぅっ、お尻が痛いよぉ」
おっと、とよろめきながらもマキは彼女の頭をよしよしと撫でてやる。
「ほらぁ、だから言ったのに。しょうがない子ですねぇ」
するとポチはざばっとあさっての方を向いて、顔半分お湯の中にをうずめた。
ん?
マキはぶくぶくと泡を吹いている彼女を見て、可笑しくなった。つっけんどんな求めが真っ白な背中に宿っているところが、どこかしら゛彼″に通じていて、なんとも可愛らしく思える。
(まったくもぉ、して欲しいならして欲しいって言えばいいのに)
照れ屋な彼女を、後ろからがばっと抱き寄せた。
「ポーチちゃんっ」
「う、わっ、なな、なにするっ」
彼女にしては珍しく感情が篭もった驚きの声を上げた。
しかしマキは強引に引き寄せ、両脇に二人の娘を抱えてにっこり。
「はいっ。みんな仲良しですよぉ〜」
「いえ〜、仲良し〜」
きゃっきゃと喜ぶ妹とは対照的に、
「は、離せっ」
姉はなんとか逃げようとする。が、マキにぐわしと捕獲されてしまう。
「はいはい、照れない照れない〜」
とうとう限界に達し、
「て、照れてない!」
ぱしーんと、腕を振り払った。
マキは困ったように眉を傾ける。
「もぉ〜、修様みたいに恥ずかしがりですねぇ」
ねぇ〜、とミュランダも相槌を打つ。
じゃぶじゃぶと風呂の隅っこの方に逃げたポチはこちらに背を向けてしまった。ただ、マキには風呂場から出て行かない辺りが可愛らしく思えて仕方が無い。
ふと、脱衣所から声が響く。
おーい、ここにパジャマ置いとくからなー。
修真の声だ。
マキは脱衣所の影に向かって声を張り上げた。
「ありがとうございますー! 修様も一緒にどーですかー!?」
けっこうですーーー!!
ばたばたと慌ただしい音を立てて逃げるように消えて行くシルエット。
二人のやりとりを見ていたミュランダはけらけら笑った。
「パパ、お姉ちゃんみた――」
かこーん。
どこからか飛んで来た桶が後頭部にクリティカルヒット。ミュランダはぶくぶくと沈んでしまう。
はぁ、と溜息をついたマキは神妙な面持ちでポチに近寄った。
「あのですねぇ、ポチちゃん」
「なに」
「誰かに甘えることは、別に恥ずかしいことじゃないんですよ? 修様は子供には悪い見本ですから、マネしたらだめです。ああ見えて押すとすぐに崩れるんですけど」
と、優しく諭す母、マキ。
しかし、ポチは背中を向けたまま冷淡に斬り捨てる。
「マネなんかしてない。ベタベタもしない」
「どうしたもんですかねぇ」
だめだこりゃ、と肩をすくめた。
そこでポチは、
「あの、さっきの、言ってた……」
ごにょごにょと何か言おうとしてを口篭もった。
「なんですか?」
「……さ、゛寂しい″ってなに?」
マキはそれはもう予想だにしない質問と、それを言った人物がまた予想外だったことに、半秒の間目が点になった。
なんと答えてよいのかわからず、
「え、えぇっと……、心細いというか、満たされていないというか。欲しい物が得られずに、物足りないみたいな意味だったと思いますけど……」
咄嗟に辞書っぽい回答をしていた。
「……そう」
どことなく真剣な表情で湯へと目を落とすポチ。
「ポ、ポチちゃん……」
どうしてそんなことを訊いたんだろう。どうして訊く必要があったんだろう。
マキはその疑問を短絡的な答えに結びつけることが出来たが、やはりこの子がそう思ったりするのだろうかというのが引っ掛かる。
(……こう言う時、どう訊けばいいんでしょうか?)
揺れる湯面を見詰めている無表情に、マキはずいっと顔を近づけて尋ねた。
「ものっすっごく身も蓋もない言い方ですけど……もしかして゛寂しい″んですか?」
彼女はしばらく俯いていたが、考えがまとまったのか、
「個体判別上や意見交換上の意識、性格はあるけど、私にはそんな感情ない。そんなのいらない」
顔を上げて、ぼそぼそと呟いた。いつもの無表情とはほぼ一緒だったが、なんとなくそれ以上訊かないでくれというような、尋ねることを許さないような雰囲気の表情。
「……」
マキはそれ以上どうすることも出来ずただ沈黙することしかできなかった。
その瞬間。
ざぁっぱぁ、
「やーい、寂しがり屋のトムソンガゼルぅ〜!」
と湯を割って復活したミュランダが、指をびしりとポチに突き立てた。
どがッ!!
凄い音の後、ミュランダは再びお湯に漂う水死体と成り果てていた。制裁の一撃を加えたポチは、ずかずかと風呂場から出て行ってしまう。
「あーあ、完全に怒っちゃいましたね。ミュラちゃん、からかうから……」
「お、お姉ちゃん、いつもより、力が強――」
そこまで言って、ぶくぶくと沈んだ。
風呂場を飛び出したポチは、体も拭かずにどすどすと広間を通り過ぎていく。
「ん?」
偶然トイレから帰ってきた修真と鉢合った。彼はただならぬ様子の彼女に気付いた。何故かせっかく持って行ったパジャマも着ずにパンツとスポーツブラという下着スタイル。
「どうかしたの? パジャマ向こうに」
「ほっといて」
「置いておいた……よ?」
すれ違い様に呟いてずかずか歩いて行く。
と、彼女が歩いた床には水溜りが。
「ってちょっと待て! お前、体拭いてないのか!?」
くるりと振り返ったポチは、
「うるさい」
と、剣呑な目つきで言葉を吐き捨てる。
そんな事を言われても、はいそうですかと引き下がるわけにはいかない修真は、踵を返した彼女の前に回り込んで、どどんと立ち塞がった。
「いーや、そこは譲れないね。よこせ」
肩にかけていたバスタオルを強引に奪い取り、
「うわ、やめろっ」
髪をわしゃわしゃ拭き始めた。
「いーからっ、大人しくしろっ」
タオルの上から修真の声が降ってくる。
手をわたわたさせて暴れていたポチは、抜け出すのが不可能と知ると急に大人しくなった。
「……」
されるがままに頭を拭かれている。
「お、何かいい匂いするな。リンスって変えたっけ?」
「……」
無言。
修真はそんなこと気にも留めず、幅の狭い肩と面積の少ない白い背中も適当に拭いてやって、バスタオルをポチの首にかけた。
「ほい、あとは自分でドライヤーな」
彼女は珍しく真っ赤になって、
「よ、余計なまねをっ」
とか悪役のごときセリフで突っぱねた。修真の方は怪訝そうに首をひねっている。
「だーからどうしたんだよ。えらく不機嫌そうだけどさ……」
ポチはきょろきょろと周囲を見渡して、きゅっと修真のシャツを掴んだ。俯いて、ぼそぼそと口を動かせる。
「……あ、あいつらが」
修真は、少し腰を曲げてポチの目線に合わせる。優しく訊き返した。
「うん、あいつらが?」
と、
「あ、お姉ちゃん甘えてる」
「ほんとですねぇ」
もの凄くタイミングよく入浴を終えたあいつらが、風呂場の暖簾から顔を出した。
ポチはゆでだこのように真っ赤になって、声にならない悲鳴を上げる。
「〜〜〜〜〜ッ!!」
きん、と光るポチの体。
「――え」
どっかーん!!
猛烈に巻き起こる爆発。
ちゃっかり風呂場に避難していたマキとミュランダが恐る恐る顔をのぞかせると、
「だ、大丈夫ですか修様!!」
黒コゲになった修真がぴくぴく倒れているのだった。
「…………な、何でこうなるの?」
それから三十分後。
風呂から上がったマキは、修真の部屋を訪れていた。二人は神妙な面持ちで向き合っている。瞬きする間に黒コゲにされた修真に包帯巻きながら、マキが切り出した。
「ねぇ、修様。なんか今日ポチちゃん変じゃありません?」
これには頷かざるを得ない修真。
あの暴れ方は彼女にしたら尋常ではなかった。いつものポチなら何を言われてもさらりと受け流すはずなのだ。
ぽりぽりと頬を掻く。
「だよな。なんかトゲトゲしてるっていうか、荒れてるっていうか……」
「お風呂でも妙なこと訊いてくるし」
「妙なこと?」
痛む首をさすりながら返すと、マキはあの場面を脳裏に思い浮かべる。
「……ええ。なんか『寂しいってどういう意味?』とか。ちょっと変ですよねぇ」
「そんなこと訊いてきたのか……それは変だな」
「何かあったんでしょうか?」
ポチを案ずるマキの表情に、修真は今日のポチの行動を思い出していた。思いのほか、すぐに気になる節に思い当たった。
「そうそう、今朝もあいつ変だったぞ。なんか一番に起きて、居間で一人ぼっちで座ってたんだよ。最初は特に気にもしなかったけど、爆睡大明神のあいつが朝一で起きるのって無くないか?」
「確かにです。いつもなら最後ですもんね」
不可解なポチの行動に、軽い胸騒ぎを覚える二人。何か悩み事でもあるのかと心配になる。
「こういう時って、どうしてあげれば良いんでしょうか?」
非情に難しい質問だった。修真もマキも曲りなりにも親という位置付けになっているが、二人とも初心者なのだ。それも兵器の親である。普通ではない。
渋い表情で腕を組んだ真は、答えが見つからず唸った。
「うぅ〜〜ん、わからん」
二人は自分達が親が初心者という事も理解しているし、ミュランダとポチが子供初心者ということもちゃんと理解していた。親でも子でも、分からない事ばかりなのである。
マキは不安そうに口を開く。
「ポチちゃんって普段はちょっと感情に欠けるっていうか、あまり感情を表に出さないタイプじゃないですか。だから、言いたいのに言えないことがあるのかと思うと、気掛かりというか……」
「うん。あいつ結構大人びてるけど、人間としてはまだ一歳にもなってないもんな」
「はい。でも大丈夫だとも思いますし……」
それでもなんとなく、彼女達が間違ったように学んでいないという確信は持っていた。多分、自分達がどうこう教えたとかではなく、ポチとミュランダ自身が学校や外で自分なりに、自分なりの目線で人間を学んでいるのだろうと思う。
「ただの杞憂だと良いんですけど」
ほぅ、と穴が開いた天上を眺めて溜息をつくマキ。どうすれば良いか方法を探っていた修真は、やはり片桐家らしい手段を提案した。
「まぁさ、俺達が心配してもしょうがないし、なんとかなるんじゃない?」
なんとかなる。マキはこの投げやりめいた言葉で、心にあった不安が急に軽くなっていくのを感じた。
修真は黙ってしまった彼女に目をやり「ん?」と眉を上げる。
マキは、
「でっすよね〜」
とてもはつらつとした魅力的な笑顔になった。
「……」
「ん?」
なんとなく気の抜けた顔の修真がこちらを見詰めていた。キツネにつままれたような表情だ。
マキは眉根を寄せる。
「あれ? やっぱり不安ですか?」
「ん、いや、別に……」
修真はさっと視線を適当な所へそらした。思わずマキに見とれていた自分に驚きながら。
惜しくもそれに気づくことが出来なかったマキは、
「ま、そうですよね。大丈夫ですもんね、私たち」
と言って、すっくと立ち上がった。
ポチを信用しているから大丈夫だと思う。大丈夫だと言える確証はどこにも無いが、それで十分のような気がした。
くるりと背を向けた修真が、ぽつりと呟く。
「当たり前だろ」
その後姿は、
「……あ」
やっぱり、ポチに似ているような気がした。
だから、
「しゅ〜さまっ!」
ぎゅっと抱き締めた。
やはり彼はびくりと体を強張らせて、じたばたもがいた。
「うわっ、なんだよ急に! やめろっ、はなせ!」
ああ、そっくり。そういう所が特にそっくり。
衝動からマキは修真の頭を思いっきり抱き寄せて、撫でるのを通り越してこねくりまわす。
「あぁ〜もぉ〜可愛いなぁ〜。よしよし♪ 大好きですよぉ〜♪」
「わ、訳の分からんことをぬかすな!!」
当然、その副産物として何か違和感が修真を襲う。
それはとても温かく、とてもこの世の物とは思えない柔らかい感触だった。修真も年頃の男の子なので、それの正体が何であるかすぐに気が付いた。
「あ、顔に当たってるって、変なところが!!」
しかしマキは恥ずかしがる素振りも見せず、
「まま、遠慮なさらず!」
わざとっぽく言ってぎゅぅ〜っと抱き締める力を強めた。結果、より強く、より大きな面積が触れる事となったわけで。
修真の脳内の恥ずかしメーターがぼすんぼすんと爆発しはじめ、ついに羞恥心が限界に達した。
「だぁぁぁぁあッ!! てっ、てめーは痴女か!!」
力任せにマキを振りほどいた。不満げに眉根を寄せたマキが口を尖らせる。
「もぉ、どこまで似てるんですか」
はぁはぁ肩で息をしながら、修真は吠えた。
「な、何がだよ!」
まぁそんなこんなで、一応の話がまとまったので、
「そういうことだから。勉強するんであっち行ってもらえます?」
修真は真顔に戻って、くいっと親指で部屋の入り口を差した。
マキはぱっと顔を明るくし、思わず手を合わせる。
「じゃあ私が、教えてあげ」
「いいよ。自分でできるから」
早すぎる返答にマキはむぅ、と頬をふくらませる。
「どーしてですかぁ」
「お前だけには教えてもらいたくないからだね」
ふむ、と何かを考え始めるマキ。
「なるほど。それはあれですか、普段はバカだと思っている私に勉強を教えてもらうという行為が悔しくて仕方が無いってことで……」
ぴーんと疑問が一本の線に繋がった瞬間。
「あ! 私のことバカだと思ってるんですね!?」
「うん、そーだよ」
修真はあっさり即答する。
むきぃぃぃぃっと、怒りに打ち震えるマキ。
そして、
「そこまで言うなら勝負です!! 私が勝ったら、勉強教えさせてもらいますからね!!」
「いや、何でそこで勝負になるの?」
「覚えてろっ!!」
マキは逃げるように部屋から出て言った。
女子達は彼の部屋の前に再集結していた。マキの招集によるものである。
わくわく期待しているミュランダ、ぼへっと壁にもたれているポチ、何故ここにこうしいるのかさえさっぱり理解していない様子の幽霊さんといった具合で、綺麗に整列させられていた。各々の手には、どこから持ってきたのか、不気味な無表情を保っている能面やら呪いの水虫兜やら、はたまたきらびやかでド派手なサンバの衣装などが握られている。
前にはマキが訓練生の教官がごとく腕を組んで瞑目している。
たっぷりもったいぶって、開眼と同時に声を発した。
「みなさん、これは戦いです」
緊張感のあるマキのセリフにミュランダと幽霊さんはごくりと唾を飲んだ。ポチは相変わらずの無反応。
マキはぐっと握り拳を作る。
「もし、私たちが修様に勝つことができたら……」
このあたりで、どうして呼びつけられたのか理解する少女達。飽きもせず、勉強中の修真をどうにかするような感じだった。
マキは拳を天高く掲げて宣言する。
「なんとっ、今晩ずぅっと一緒に居ることができるのですよ!!」
――今、なんて?
一同の耳がぴくりと動いた。
その動揺を把握しつつ、マキはにやりと口の端を上げる。
「おぉっと、それだけじゃないですよぉ〜。なんとっ、修様と交換日記もできる特典付き!!」
一緒に居る。
その言葉の意味を理解して数秒、ミュランダが我先にと肉に飛びつく猛獣のごとく戸に飛びかかった。頭の中は、修真とべたべたする妄想で一杯。
素早い動きにきょとんとしている幽霊さんも、ずっと一緒に居られるというボーナスに少なからず価値を覚えていた。もしそうなったとしたら、彼と早く打ち解けられるだろう。リスクも無い。
ポチはむず痒そうに、理性で飛びつきたい衝動を押し殺していた。
「――ですが」
とマキが呟いたところで、今まさに戸を引こうとしたミュランダはぴたりと動きを止めた。
「どうすれば勝ちなのか、分からないですよね?」
それもそうだとこくこく頷きながらマキを見るミュランダ。
幽霊さんは割と真剣に、ポチはあくまでも興味がなさそうに聞き耳を立てる。
「それはね――」
しかして作戦は開始された。
ぱしーんと戸を開くマキ。開けるや否や、言い放った。
「一番! マキ、ブリッジです!」
まったくもって理解不能な発言に、修真はくるりと椅子を回して眉をひそめる。
「はぁ?」
ところが彼の疑問は一切無視で、
「とう!」
マキは壁を使って逆立ちを敢行した。
逆立ち少女とそれを冷静に見守る少年というけっこうシュールな光景が展開される。
「……」
「……」
意味不明な静寂が部屋を押し包む。ただ、逆さになったマキは、どこか勝利を確信した微笑を浮かべて修真を見ていた。
この何ともいえない沈黙に耐えかねた修真は、嘆息混じりに尋ねてみる。
「あのさ、何から突っ込んでいいかわかんないけど……それ、逆立ちなんすけど」
「何点ですか?」
「いや、意味がわからん」
マキはひどく顔をしかめて口を尖らせた。
「おもしろかったかどうかの点数に決まってるじゃないですか! 私達は、修様を笑わせれたらこの部屋にいる権利を獲得できるんですよ! 今晩はずっと一緒なんだから!」
「うっわ、初耳」
勝手に決めてんじゃねぇよ、と言おうとして修真は思いとどまった。
もしこれで笑わずにいられたら、マキ達は諦めて退散していくのではないだろうか。ちょっとくらい時間がかかっても、後の利益を考えたらこれは良い取引なんじゃないだろうか。そうだ、彼女等を上手くやり過ごしてから、勉強に打ち込めばいいのだ。
と、脳裏で考えをまとめて、彼女の行為に点数をつけてやった。
「良いだろう。そういうことなら、それは2点だな」
二点という采配に、マキの瞳がきらきらと輝いた。
「こ、ここに居ていいんですか!?」
「ダメに決まってんだろうが」
「じゃあ交換日」
「帰れ」
マキはしゅんと肩を落として部屋を後にする。
何だったんだろう。
首を傾げながら勉強机に向かおうとすると、入れ替わりで幽霊さんが入って来た。
「ん?」
傍に『二番、幽霊!』と書かれたスケッチブックが浮いている。その力強いタッチの字は彼女が書いた物ではなく、マキかミュランダあたりに取り上げられて書かれたものだろう。
「……すっごく意外なんですけど、幽霊さんもですか」
修真が仏頂面で尋ねると、彼女は目尻に涙を浮かべて恥ずかしがり、スケッチブックで顔を隠した。この様子から察するにほぼ強制参加と考えていい。
「あの、嫌ならやらなくても良いんですよ? あいつら馬鹿だから適当にあしらっておけば――」
言い終える前に、ふるふると首を横に振った。おずおずとスケッチブックをめくると、
『家族ですから』
とあまりにも小さい字で書いてある。表情から死ぬほど恥ずかしい(もう死んでるけど)のが見て取れた。この世に未練を残して死んだ者が、笑いを取るために一発ギャグをすることになると誰が予想できただろうか。
ちなみに彼女、本当は人を笑わせるなんて自分には無理だと判断して身を引くつもりだったのだが、マキに『あ〜あ、せ〜っかく新しい家族が増えたと思ったのに、ああそうですか、戦力外通告ですか。残念ですねぇ』とのたまわれて今こうしている。
(そうだ、マキさんに家族と認めてもらったのだから期待に応えなくては!)
その言葉をバカ正直に真に受けた幽霊さんは、恥ずかしさを押し殺してスケッチブックをもう一枚めくった。
精一杯考えて、全力を尽くした彼女なりの一発ギャグ。
『声が遅れて聞こえる人のモノマネ』
修真の顔から表情が消滅した。
あり得ない。あんまりだ。もしかしたら『いや、あんた喋れないでしょうが』というツッコミを入れるのが正解なのか。
修真が悩んでいると、幽霊さんはページをめくる。
『あれ?』
めくる。
『声が』
この時点で、結果が悲惨なものになるのは大体予想できた。止めることもできたが、それでは無粋なので見届けるようと決める。
そうとも知らず、真っ赤な顔で次の一枚をめくる。
『遅れて』
せめて笑ってやろう。笑いを取るために死ぬのならば、せめてもの手向けとして笑ってやろう。
そして、
『プリンセスドリーム!!』
「なにおうッ!?」
恥ずかしさのあまり幽霊さんは点数も聞かずにばたばたと部屋から逃げだした。その場に『プリンセスドリーム』という乙女チックな言葉が力強く書かれたスケッチブックを残して。
修真はそっとスケッチブックを拾い上げる。
プリンセスドリーム。
見間違いではない。
(な、なんなんだ、プリンセスドリームって何だ!! あの人のセンスは理解できん!!)
意外にも奇抜なセンスを持ち合わせていた彼女に、後味の悪い疑問を抱えてしまうことになる修真。
悶々と苦悩していると、
「次いい?」
今度はミュランダが顔をのぞかせた。
修真はさっとスケッチブックを後ろ手に隠しながら招き入れる。
「お、おう。かかってきやがれ」
こんな物を見詰めている姿を見られた日には、恥ずかしくて死んでしまう。
ふふん、と胸を反らせて鼻を鳴らすミュランダ。
「三番! とらんすふぉーむ!」
そう元気良く宣言すると、こめかみに指を当てて難しい顔をし始めた。
黙って見ている修真。
少しして、閉じられていた瞳がかっと見開かれた。
「あ、オロちゃん聞こえる? うん。そうそう。ちょっと力を分けて欲しいんだ〜。え? いい? やった、ありがと〜」
突然誰かと喋り始めた。しかも上手いことに話がまとまったようだ。
「お、おい、脳みそ大丈夫か?」
修真が病院送りな彼女の奇行を声を心配して声を掛ける。
ミュランダはもう一度瞳を閉じて、すぅっと指先を天に掲げた。
その瞬間、
「来て! オロちゃん!!」
ドオオオオオオオッ!!
赤い力の奔流が、ミュランダの体から噴き出す火山のごとく立ち昇った。
同時、ちりりと肌が刺されるような感覚が部屋を支配する。
それはまさしく妖力。ヒノトオロチの力だった。
「ちょ、ちょっと何やってんの!? とんでもない力が――」
慌てて制止しようとするが、
「ドォォォオラゴンッフォォォオオオオオスッ!!」
眩い閃光が迸り、部屋を真紅に染め上げる。
やばい!
危機感から修真はおもいっきり身を縮めた。
(……………あれ?)
が、特に異常はない。爆発でもすると思ったのに体に痛みや衝撃の感覚は伝わってこないではないか。
代わりに、うっすら目を開けると、
「……な」
目の前にとんでもない光景が広がっていた。
ぷしゅ〜と吹き上がる謎の蒸気。
霞む視界に映る、シルエット。
「……ど、え?」
炎が宿る赤い瞳。刃のように尖った金色の角が二本、額からにゅっと突き出している。そして、黒い鱗がびっしり生えた鋼のような尻尾が腰から発生していた。何より見落とせなかったのが、タンポポ色の髪。
「いや、あの、えっと」
混乱したが、それはやはりミュランダであり、しかしミュランダではない別の何かだった。正確に言うと、ヒノトオロチの力を借りて天使化した姿である。
畳に肩膝をついていたミュランダは、すっくと立ち上がる。指先には黒い爪、つま先からも。普段の彼女がもつ柔らかな印象とはかけ離れた、真逆の姿。
修真はこれから何が始まるのか、緊張感から息を飲んだ。
が、
「……パパ!!」
゛このミュランダ″は、ようやく出会えた歓喜の衝動そのままに、長く鋭利な爪が生えた手を修真の首に回した。
「パパ……やっと会えた!!」
「はぁ!?」
抱きついた。
思いっきり。
ぐさ、ぶしゅう。
「いぎゃあああああああああっ!!」
それはもう聞きなれた悲鳴と共に、修真の頭から血飛沫が舞う。
「ええ!? パパ!! パパぁーーーーー!!」
ミュランダは気付いていなかったのだ。
自分の額から生えた角に。
「うんうん、なるほどな。お前はデカポチみたいなもんなのか」
ひとしきり説明を受けて、ようやく納得した修真が言った。頭部には包帯を巻いている。
ドラゴンミュランダは、今にも泣き出しそうな顔で謝罪した。
「ご、ごめんねパパ。あたし、角が生えてるなんて気付かなくって……」
「いや、もういいって。これは事故だったんだよ。今後は気をつけようね」
「……うん」
彼女の説明によると『個別の肉体を持った表裏一体の人格』とかいうこの世の理とかを一切無視している存在らしく、あるきっかけで表のスイッチが裏に切り替わると天使細胞が体を『裏』専用に再構成する為、劇的に容姿が変わるらしい。体が大きくなるのも『裏』という存在が戦闘向きの人格になっているから、とのことだった。
すっかりしょげてしまった彼女をしげしげと眺めていた修真だが、その奇抜な姿に感嘆して言った。
「しっかしまぁ、すごい体してるなぁ」
戦闘向きとはよくいったもので、刃のような角、鋭利な黒い爪、さっきからせわしなくうごめいている尻尾、どれもが殺傷能力を持っていた。とりあえず角と尻尾の生え際が気になる。
「そ、そうかなぁ?」
可愛らしく首をかしげて笑うミュランダ。吸血鬼のような尖った牙が見えた。
「な、なんか怪獣みたいだな」
思わず率直な感想を述べてしまった。
ドラゴンミュランダの心に、
「……あぅっ」
ぐさ!
と修真のデリカシーの無い言葉が突き刺さった。
怪獣みたいだな。
怪獣みたい。
怪獣。
かいじゅう。
「……ふえぇ」
まずいと思った頃には、時既に遅し。
「ひどぃよぉぉおぉぉ! あたしだって、こんな訳わかんない体で出てくるつもりじゃなかったのにぃぃぃいぃぃぃ!」
ミュランダは畳に倒れるとわぁわぁ泣き出してしまった。触れてはいけない部分に触れてしまったらしい。
修真はなんとか取り繕うとする。
「わーっ! ごめんごめん! うーそ! うそだから!」
「どうせあたしなんか一生怪獣なんだよぉぉぉぉぉ! 角の生えた不気味な娘なんだよぉぉぉぉお!!」
「そんなことないって! あーもう! 俺のバカ!!」
修真から十分過ぎる魔力を吸い取ったポチは比較的普通な容姿だが、ヒノトオロチやらセキコやらから力を吸い取っているミュランダの姿はそれらの要素を含んだ体になってしまう。裏ミュランダ自身は、もっと普通の姿で修真に会いたかったのだが、表のミュランダの突発的な思いつきにより引きずり出されてしまったので、今の姿はひどく不本意な形だったのだ。
「あー、俺が悪かったから、な? 怪獣なんて思ってないから」
」
えぐえぐしゃくりあげながら顔を上げるミュランダ。
「ほ、ほんとにぃ?」
「お、おう。ひどい事言って悪かったな。ど、どんな格好しててもお前は俺の大事なそのなんていうかあ、あれ……なわけで……」
最後の方はぼそぼそで何を言っているか分からなかったが、何か嬉しいことを言ってくれているのがわかった。
わかった途端に、あの衝動のまま修真に飛び込む。
「パパぁーー!!」
「あぶねぇぇぇぇぇえ!!」
即座に思いっきりの横っ飛び。
次の瞬間、
どどす!
とても物騒な音が聞こえた。
「え、えっとぉ……」
間一髪のミュランダの突進をよけた修真は冷や汗を拭った。殺傷能力満点の角は、思いっきり壁をぶち抜いている。
危険過ぎる!
あれが自分の体だったらと思うと、生きた心地がしない。
ミュランダがずぼっと壁から角を抜いて、目尻の涙を拭う。
「あぁ、ごめんねパパ。ちょっと感極まっちゃって」
「あはは、良いんだよ。あはははは」
ひきつった笑いを漏らした後、修真は壊れた壁を見て気付かれないように涙を流した。
まぁしょうがないかと頭を掻くと椅子に戻って、申し訳なさそうにへたり込んでいるドラゴンミュランダに微笑みかける。
「ま、まぁ、せっかく出てきたんだから何かしようよ。やりたい事とかないのか?」
大きくなったミュランダは、拳を口に当てるともじもじしながら上目づかいで見た。
「あの、それじゃあね……昨日ね、頑張ったからね、抱き締めて頭……撫でて……?」
「うっ」
がくっと椅子から滑り落ちそうになった。
また刺されろというのか。あの殺傷能力の塊みたいな体に抱きつかれろというのか。あの爪で体を抱かれ、角で頭を。
そこでミュランダは、青ざめた修真に提案する。
「ほら、あたしがしちゃうと角とか、爪とかが刺さっちゃうから……。だから、パパがしてくれると嬉しいな」
「……えぇっと」
話によると彼女は昨日とても活躍したようで、もし彼女が目覚めなかったらみんなヒノトオロチにぼっこぼこにされて燃やされていたかもしれなかったのだそうだ。
その点も含めて、彼女は誉めてあげるべきだろう。修真は色々な雑念(恐怖)を振りほどいて意を決した。
「よし。いいぞ!」
「い、良いの!?」
瞳が喜びに輝いた。
修真はミュランダの頭へと手を伸ばし、そっと抱き寄せる。
大丈夫角はよけた。
意図せず安堵の溜息が小さく漏れた。
「えへへ」
ミュランダは嬉しそうに破顔し、くすぐったそうに身をよじる。
修真の胸は温かかった。温度や気温などではなく、正真正銘に心が温かかくなった。体も心も近いような気がして、とても気持ちが安らいだ。
最強の安らぎと、最大の喜びがそこにあった。
「嬉しいなぁ」
その一方、修真はほんの鼻先数センチにある稀有な物体をまじまじと見ていた。
それにしても凄い。
これだけ鋭ければ、頭も壁もさっくりいかれるはずだ。
「撫でてよぅ」
甘えた声のミュランダに言われて、優しくタンポポ色髪に触れた。っていうか、髪の毛を撫でるという名目の下に、角の生え際を確認した。
これはまた……。
髪が生えているそこから、頭皮を押し退けて角が。ごく自然に不自然が生えている。
(おぉ、ファンタスティックだな)
こうなってくると、尻尾も気になるのが常というもの。
「な、なぁ、ちょっと言いにくいんだけどさ、尻尾って見せてもらえるかな?」
「いいよぉ〜」
しゅるしゅるり、と修真の腕を尻尾が這い上がってきた。
お気に入りのピンク色のパジャマを破いて生えているそれの表面は、ぬらぬらと光を反射する黒い鎧のような鱗が覆っていて、細長い三角錐型で続いている先っぽには、釣り針のような返しが付いた鉤があった。
さ、触ってみたい……。
「ねぇ、これ、触っても大丈夫?」
「うんっ」
どきどきしながら触ると、恐ろしく固かった。鱗の目が粗い上の部分は金属のように硬質的で、赤色の鱗の目が細かい下の部分はじゃりじゃりとしている。
胸の中でミュランダが呟いた。
「どうかな? あたしの尻尾」
「……いや、えっと」
どうと言われても!!
返すべき言葉が見つからない。見つかる訳が無い。誰に尋ねてもまともな返答が無い自信がある。
だが、伊達に女の子と生活していない修真には秘策があった。
「い、良いんじゃないかな?」
とりあえず褒める。これ以上に無難な選択肢はない。
意外にもそれが嬉しかったのか、ミュランダの肩が震え始めた。嗚咽が漏れないようにさっと口に手を当てている。
「お、おい、なにもそんなに……」
ミュランダはゆっくりと顔を上げる。
「――え」
青い。
顔が、真っ青だ。
例えるならブルーハワイ。そんな顔色だった。
ミュランダの口元がひきつったその瞬間。
「パパ、時間切れげぼはぁっ!!」
「ぎゃああああああああああ!!」
まさかの吐血。
口から飛び出した大量の血液が目の前の修真に降り注ぐ。
「血が、血がぁぁぁぁあ!!」
視界が血で真っ赤に染まって混乱する修真と、苦しそうに喉を掻きむしりながら床を転げ回るミュランダ。阿鼻叫喚の事態である。
「おい、ミュランダ! しっかりしろ!」
血液を拭いながらミュランダを抱き起こす。
すると彼女を中心にもう一度光が満ちた。体から何かが脱け出て行くように、ぽわんと光が散り散りに放散していく。
消える光を呆然と眺めていた修真だが、急に軽くなった腕の感覚に視線を落とした。
「はいっ、とらんすふぉーむでした〜」
そこにいたのは元の小さいミュランダで、しかも何事も無かったかのように立ち上がると、くるりと一回転してお辞儀をして見せた。
「はいっ、じゃねーよ! お前は何がしたいんだ!」
怒鳴った修真の肩を揺さぶるミュランダ。
「ねぇねぇ、点数はぁ〜?」
猛烈な勢いで疲れた修真は、がっくりと脱力する。
「もうね……点数とかじゃなくて、バカ」
「えーっ、なにそれぇ〜?」
ミュランダは点数にもならない判定にぶーと頬を膨らませて、穴が開いたパジャマのまま部屋を出て行った。
静かになった部屋を見回すと、穴だらけ。そこら中の壁に、傷が残っている。ついさっきまでは綺麗だったのに。
「……はぁ」
修真が大きく溜息をついたあたりで、次はポチがやってきた。
うらめしげにうなだれた首を向ける。
「……まだやるの?」
その問いには答えず、
「四番、ポチ。間違い」
お題を宣言するとポチはがっちりと腕を組んだ。
「……」
「……」
入り口に突っ立ったまま微動だにしない。
修真も椅子に座ったまま微動だにしない。
動かない。全然動かない。それどころか喋りもしない。静まり返った部屋の中でただただ無な時間が経過していく。
(……いやいや、何? この時間)
数秒が過ぎた頃、修真は目を細めて直立不動の構えを解かないポチを注視した。
彼女のお題は『間違い』。だが別段変わった所は無い。むしろすごく堂々と立っていらっしゃる。表情にも一切の揺らぎ無し。まっすぐな視線でこちらを凝視している。
見合う、というかもはや睨み合う両者。
(な、なんなんだこいつ。どうして何もしないんだ……)
そろそろ修真の心が苦しくなってきた。変な汗が出てきている。
(も、もう、だめ……)
ついに根負け。仕方なくといった具合でポチに問う。
「な、なぁ、さっきから黙ってるけど、何かしにきたんじゃないの?」
ポチは無表情で逆に質問で返した。
「間違っている所はどこでしょう」
「何もしてない所だよ」
もっともな回答だったが、ポチは腕を交差させて×を作る。
「ぶー。正解は、ミュランダのパンツを履いている、でした」
「知らねーよ」
「点数は?」
と、小首を傾げた彼女から視線を外し、ぐるんと椅子を回転させて机に向かう修真。
「ミュランダに聞いてこい。あいつなら高得点付けてくれるよ」
「わかった」
従順にも承諾して出て行くポチ。
その後、
「このタコメガネーーーー!!」
そんな声と一緒に爆発音。
あぁこの家が壊れるのも時間の問題かもな、と本気で覚悟する修真だった。
マキは険しく眉を寄せてぎりっと親指を噛んだ。居間にはそれぞれが持ち寄ったおもしろグッズと、謹厳にも正座をしている他三名がいる。
どん!
と拳でテーブルを叩いたマキが怒鳴った。
「皆さんどういうことですか!! もう一週回ったのに一人も成功者がいないなんて、なんという体たらくぶり! それでも片桐家の一員ですか!?」
きつい叱責の声を飛ばすと、目を細めたポチが壁にあるお粗末な張り紙を指差して言った。
「ママ、真っ先に脱落した」
「そこ、うるさいですよ」
ちなみに張り紙にはそれぞれの得点、
『マキ、二点』
『幽霊さん、プリンセスドリーム』
『ミュランダ、バカ』
『ポチ、タコメガネ』
が書き込まれており、言わずとも見事なくらいの惨敗っぷり。
そのお粗末な結果がマキを怒らしている。
「とにかく! みなさん、ちょっと手を抜きすぎなんじゃないですか!? 特に私!」
「そこはちゃんと分かってるんだね」
はは、とぎこちない笑いを浮かべたミュランダには目もくれず、マキは拳をぐっと握り締めて演説調に言う。
「もっとこう、体を張らないとダメだと思うんですよ! ほら、私達って体張ってここまでやってきた訳じゃないですか。その点ミュラちゃんは良い線いってましたよねー」
「やっぱし? うんうん。あたしって一番おもしろいもんね」
「魅力は皆無」
うがああああっと取っ組み合う天使二名。
「はいそこ喧嘩しない! っていうか幽霊さんもっと喋りましょうよ! 小説(?)なのに喋れないってなんですか!? 存在感無さ過ぎでしょう!!」
姉妹を諌めつつ、矛先をどうも浮いている(物理的にも雰囲気的にも)幽霊さんに向けるマキ。幽霊さんは困ったように笑いながらスケッチブックを一枚めくった。
『存在感と言われましても、一回死んでますし……』
「どうしようもないよねぇ」
こくこく頷く。
あっさりと諦めた幽霊さんに呆れるマキ。
「いや、もっと頑張りましょうよ」
『頑張れと言われましても、一回死んでますし……』
と、スケッチブックをめくったあたりでポチがひっそり呟いた。
「存在感ならもっと無い、ザリガニ以下の奴がそこにいる」
一同が彼女の指差した先を見る。そこにはすーすー眠っている赤い狐セキコが。
ミュランダは悲しげに眉を下げた。
「しょうがないよ。セキコ怪我してるんだし」
しかしポチは首を横に振る。
「違う違う。そうじゃなくて、存在する必要性が感じられない。前回から疑問に思ってた」
とんでもない事を言い出したポチに向かってスケッチブックを向ける幽霊さん
『それを言ってしまっては元も子もないような、何もかもが崩壊してしまうような……。それにしても、こんなこと言って良いのでしょうか?』
不安そうな表情になった彼女に続くミュランダ。
「そうだよ。そんなこと言うと、いつの間にか自然にフェードアウトして、セキコ消えちゃうよ」
「可能性は捨てきれませんよね〜」
ほんと捨てきれない。ほんと怖い。
「って違いますよ、今そんな話はどうでも良いんです。一体誰なんですか、このサンバ的な服持ってきた人。持ってきたなら使ってくださいよ。まずどこから持ってきたんですか」
話を切り替えたマキは、くしゃくしゃになって落ちているサンバの衣装を掴み上げた。
『あ、ごめんなさい。それ私です』
おずおずと手を上げたのは幽霊さん。
ミュランダがけらけらと笑った。
「使うとか使わない以前に、まず着れないよねぇ〜」
全くその通りである。
すいませんすいませんとぺこぺこ頭を下げている半透明に、ずいと顔を寄せるマキ。
「そうですよ。ちゃんと考えてるんですか? 触れたり触れなかったり、ポルターガイストみたいなことしたりしなかったり、なんかその辺りが曖昧なんですよ。ちゃんとしてください」
『まったく面目無いです』
とスケッチブックを立てて机の下に隠れてしまった。
だが、マキは鼻息荒く追及を続ける。
「大体ですね、私とキャラかぶってるんですよ。ですよ口調は私だけで十分間に合ってますから、迷わず成仏してくださいよ」
「ママ言い過ぎだよぉ。確かに活字(?)で見るとそう感じるかもしれないけど、実際はスケッチブックでの筆談だし、そんなにかぶってないと思うよ? それ持ってパラパラ捲ってるとADみたいだね」
スケッチブックがぱらりとめくれた。
『そろそろCM入りまーす』
「それですよ! 真面目ぶってないでそういうのもっとバリバリ使っていきましょうよ! ボケる精神みたいなのが無いと生き残れませんよ!」
マキの素晴らしいお言葉に、腕を組んで静観していたポチもうむと頷いた。
「そう。でないと狐みたいに消える」
まだ消えてません。
「いやいや、ポチちゃんも問題ありですからね。何なんですか、ああいう雰囲気で何もしないって」
ポチはいたって平然として新しい可能性を唱えた。
「そういうのも有りかなと」
「無いですよ」
むっと細い眉をしかめるポチ。
「今思うとそうかもしれない。でもママには言われたくない」
少々毒の入った言葉に、マキの眉間に皺が寄った。
「言っておきますけどね、私のブリッジは後のハードルを下げるためにやったようなもんなんですから。せっかくの素晴らしいトスだったのに誰もシュートを打ってくれないじゃないですか。どうして私の犠牲フライを棒に振ってくれてるんですか。あれですかストライクですか」
上手く例えているのかどうかも微妙、しかもスポーツの種目がめちゃくちゃである。
ポチはしれっと返す。
「ママのネタは人生棒に振ってるけどね」
『そこまでひどくは無かったかと……』
「おかしなフォローしないでください。もっと痛々しくなるじゃないですかプリンセスドリーム」
ナチュラルな斬り返しに、いやぁぁぁぁっ、と真っ赤になって崩れ落ちるプリンセスドリーム幽霊さん。あんなことしなければ良かったと本気で後悔するが、もう遅い。
「ねぇ」
ここでようやく、それはもしかしたらオフサイドなんじゃないかなぁと考えていたミュランダが、話の方向性がずれて血で血を洗う中傷合戦になっている事に気付く。
「あたし達、何の話してたんだっけ? ルールの話だっけ? トムソンガゼルの話だっけ?」
「だからあの狐が」
『CM開け五秒前〜』
「あ〜〜もうっ、いいですか!? ここからは二週目、二週目プレイなんですよ! 気合を入れてやってくださいね!!」
「一週目では見れない裏エピソードだね!」
『いや、そういう意味ではないかと……』
「こいつに真面目につっこまないで良いよ。頭が腐る」
「いざ、交換日記!!」
と、例の如く締まらない空気のまま少女達は作戦会議を切り上げたのだった。彼女達の目的は一つ、修真を笑わせること。
そういう遊びなのだ。
「はぁ……はぁ……よ、よっし、提出物はなんとかクリアだな。後は教科書だけだ……ふふ、ふはははっ」
血走った目。危ない光を宿した彼の瞳は、机の上に広がったノートとプリント類を映している。その全てに死に物狂いの回答がされており、テストへの対策はある程度補填できたことだろう。始末するのにかなり時間がかかってしまったが、もう焦る必要は無い。なんなら小休憩を入れてもいいぐらいだ。
大きく息を吸い、
「はは、ははははっ、明日はひゃくてんだぁ〜」
ぐたぁっと背もたれに身を任せる。
どこか壊れてしまっている現実逃避。本当はかなり限界。答えを書いてみたものの、合っている自信はこれっぽっちも無いし、丸付けをしたらえらいことになるだろう。厳しい現実である。
修真はおいおいとすすり泣いた。
「うぅ、もうダメだ。完全に間に合わない。大体、一夜漬けでなんとかしようと思ってたのが間違ってたんだ……」
最近遊んでばかりであまり勉強していなかったことを深く後悔する。
肌触りの良い夜風が開け放たれた窓から舞い込み頬を優しく撫で、修真ふと目を外にやった。
窓の外には、風情のある景色。灯った燈篭から漏れる柔らかい光。聞こえる涼やかな虫の声。ぼんやりと見える庭は植物が多く、その合間を縫うように飛び石が点々と続いている。どこかしらライトアップされた日本旅館のようだった。
胸の奥から湧き上がってくる熱い感動。
「……あぁ、やっぱ良いな」
テストの危機感など忘却の彼方にかっ飛ばし、マンション暮らしからずっと憧れていた一軒家という物に感動し、浸る。
この美しい景色は自分の物。
うっとりしているその時、安らいだ心がもたらしたのか、彼の中で大いなる閃きが。
「――そ、そうだッ! まだ諦めなくてもいい!! 追試に向けて頑張れば良いんだよ!!」
明日のテストは捨て、後日行われる追試を拾えば良い。その方がよっぽど堅実だ。最低ラインのハードルを飛び越え、補習授業をさければ良いのだから。
「すごい! 天才かも!」
なんとも腐り果てた発想の転換である。
なんにせよ、彼の中で萎れつつあったやる気はこれで復活を遂げたわけで、気楽な気分でテスト勉強を再開した。
と、その時。
「五番、びっくり!」
窓の外からひょこっと何か――異物が現れる。
「どぉおッ!?」
突然視界に割って入ったのは能面だった。驚いて椅子ごとひっくり返る修真。
「び、びっくりした。お、お前、何つけてんだよ……」
椅子を元に戻しながら、窓から顔を出している能面に尋ねた。能面はピンク色のファンシーなパジャマを着ている。間違いなくミュランダだ。
しかし、愛くるしい顔はどこにもなく、首から上が不気味な表情を湛えた能面が覆っている。和風な庭園にそれだと妙にマッチしていて薄気味悪い。
不気味な能面は無表情を可愛らしく傾けた。
「おもしろいでしょ?」
「いや、怖かった。つーかまだ続いてたのか。もうやめない? 静かにしてくれるなら、部屋に居てもかまわないからさ」
そんな彼の譲歩も虚しく、ミュランダ(?)の独壇場はおかまいなしに続く。
能面はとことこ近づいて、
「ねぇ、ちょっとここ引っ張ってみて」
お面の横からぶら下がっている紐をちょいちょいと指差した。
「ん、これを引けば良いのか?」
「うん」
何が起きるんだろうか、などという考えも無く、修真は何の気なく言われた通りに紐を引っ張った。
その瞬間。
シャキン!
いきなり能面の横から飛行機の主翼のような物体がとび出した。
「――え」
どどどどどどどどど!
主翼の先端部分がジェットを噴き、その場で病的にくすぶり始める。
「――ちょ」
そして、重力を振り切る推進力に達したのか、ゆっくりと上昇し出すではないか。
どごごごごごごごご!
飛んで行く。
能面が。
夜空へと。
ミュランダがくっついたまま。
「……」
その勇姿を目を点にして見送る修真。
広がる星空の中で一際きらりと輝いて能面は、ミュランダは、見えなくなった。ジェットの残響もやがて夜の静寂へと呑みこまれていく。
夜空へと昇る一筋の煙だけを残して。
肌寒い空気がどこか切なかった。
「……………は!? な、えぇぇぇえええっ!?」
意味が分からない。
ただ確実なのは能面が、夜空を裂いて飛んで行ったという事。
窓から身を乗り出していた修真の横から、飛び石を踏みながら白いパジャマのポチが現れた。
「お、おい、ポチ! 今、あの、多分ミュランダだと思うけど、な、何か飛んでったぞ!!」
夜空を指差しながら叫ぶ修真を怪訝そうに見詰めるポチ。
「いや、だからね、ミュランダが来て、能面で、紐を引っ張ったらどどどどどって」
そうとしか言いようが無かった。
何かが飛んで行ったのだから。
一方ポチは大げさに肩をすくめると、
「六番、ポチ。デビルザマスクVSサンダーザリガー」
手に持っていたザリガニ(トルム・ゲルドッサー)と、どこぞの覆面レスラーが被っていそうな平凡なマスクをその場に置く。
指をパチンと鳴らした。
「ライトアップ」
彼女の合図をきっかけにカカッと渇いた音が響き、
「うわっ!」
思わず目を覆った。どこからか強烈な光が照らしてくる。
恐らくスポットライトであろうそれが、デビルザマスク(ただのマスク)とサンダーザリガー(ただのザリガニ)を白く照らし出した。
「レディ、ファイ」
死ぬほど覇気のないレフェリーポチによる開戦の合図で、デビルザマスク(ただのマスク)とサンダーザリガー(ただのザリガニ)が激突する。
「……」
「……」
両手を大きく広げデビルザマスクを威圧するサンダーザリガー。対するデビルザマスクはそれを受けて微塵の動揺も見せない。熾烈極まる駆け引きが、熱い男の闘いが、そこに見え隠れしていた。
というのはポチ目線で、ぶっちゃけてしまうと、何の動きも無いザリガニとよれたマスク。
面白い要素など皆無。
こいつは本当に笑わせる気はあるのだろうか?
すましてるけど本当は一番頭が弱い子なんじゃないだろうか?
そんな風に修真が不安で一杯になったところで、レフェリーポチは微妙な空気に感付いて首を傾げた。
「……どう思う?」
「最早シュールとかじゃないよね」
あきれ果てて答えると、ポチはおもむろにポケットから何を取り出した。
「じゃあこれ押して」
彼女の手の平に乗っているのは正方形の真中に、赤いボタンがついている謎の装置。
押したら絶対よからぬことが起きる。
修真は本能から悟り、渋った。
「え、嫌だよ。またおかしなことになるんだろ?」
「ならないならない。早く押して」
淡泊に急かされて、恐る恐る手を伸ばす。
「えぇっ……わ、わかったよ……」
かち。
押した。
シャキン!
「――いや、これ」
どどどどどどどどど!
「さっき」
どごごごごごごごご!
「みたいに」
マスク飛びました。
「やっぱ飛ぶだろうがぁぁぁああっ!!」
夜空に消えていくデビルザマスク。夢をありがとう。
「だから何なのこれっ!! 何で飛ぶの!?」
もの凄い剣幕で尋ねると、
「ああ。ひまだったから、さっきのお面と同じように作ってみた。スポットライトも作ったよ」
ポチは珍しく楽しそうに答えた。
「変なもん生産してんじゃねーよ。そういう才能もっと他に生かしたら?」
才能の無駄使いとはこのことである。
ただ、彼女は修真の反応がお気に召さなかったのか、
「もういい」
ぽいっと発射ボタンを部屋の中に放り投げて、あっさりと引き下がっていった。修真的にはもう部屋にいていいから、大人しくしていて欲しかったのだが。
そうこうしていると、息つく暇も無く、
『七番、幽霊』
とスケッチブックを持った幽霊さんが今度は屋内から登場。
どうやらまだまだやる気らしい。
「……まぁ、ここまできたら見ますけど」
ひどく疲れた表情で受け答えする修真。次の瞬間、彼の目は予想外の文字を映すことになる。
幽霊さんは、申し訳ございませんとばかりに頭を下げて、スケッチブックを一枚めくった。
『成仏』
「――なッ!?」
そう書いてある。彼女にとって一番危険な気がする言葉が、そこに太字で書き記されてある。
スケッチブックがぱらりとめくれ、さきほどポチが持っていた発射ボタンが描いてあるページになった。もう一度めくると、指がボタンを押している絵に。
その瞬間、パッと部屋の明りが一斉に落ちた。
「え!? なに!? なにこれ!?」
真っ暗闇の中、窓から差し込む月明かりに照らし出される幽霊さん。
色が薄い。
「あの!」
声をかけ、手を伸ばしたのその時、辺りに薄い靄が立ち込め、もよもよとステージ効果のスモークがごとく部屋を漂う。
驚愕に見開かれる修真の瞳。
「な、なんだこれぇっ!!」
天上から降りてきた青白い光に包まれ、瞳を閉じる幽霊さん。体を構成する霊気が浄化され、
ふわぁぁぁぁ
と、散り散りになっていく。
まずい。
完全に成仏しようとしている!
「ちょ、ちょ、ちょっとぉぉぉぉおおお!!」
消える消える。どんどん消える。
やばいやばいやばい!
それはもう焦りまくって、何とかする術を探す修真。ところが彼の手は幽霊さんを透かしてしまう。
(やばい)
本気で表情が無くなったその時、咄嗟にポチが捨てていった発射ボタンに目がついた。
そうか、これだ!
全部これきっかけで始まってるのだから、止める事が出来るのもこれのはず。
そう思った修真は、
「うおぉぉぉぉぉぉおッ!!」
血気溢れる横っ飛びで、謎の発射ボタンに飛びついた。ばしーんとビーチフラッグを取るかのごとく押す。
「ど、どうだ!!」
ふり向いた視界の中、
どごごごごごご!
窓の外でザリガニが飛んでゆきました。
「ちがったーーーーー!!」
修真は滂沱する。
幽霊さんの体から霊力の光が粒となって、昇華されていく。どうにもできない修真はとにかく助けを求めた。
「だ、誰かーーーー!! 誰か来てーーーー!!」
彼の切なる叫びを聞き届けたのは、
「修様!!」
他でもないマキだった。小脇に抱えているのは呪いの水虫兜。
気が動転している修真は、マキ助けを請う。
「マキ! 幽霊さんが!」
「七番、マキ! カブトムシいきます!」
「そんなことしてる場合じゃねぇぇぇぇえ!!」
彼女は兜を持ち上げ、頭上に掲げる。
「――おまっ」
修真に戦慄が走った。まさか、あれを。
「ふん!」
かぶった。
かぶってしまった。
その途端、
「あ、足がぁぁぁっぁあああ!! かゆいぃぃぃぃい!!」
マキは耳をつんざくような悲鳴を上げて、狂ったように転げ回りだした。実際、狂ってしまうほど痒いのだろう。だがこれが彼女なりの体の張り方なのだ。
端から見たら自殺行為そのものだが。
「お前ほんとバカだろぉぉおお!!」
修真はのた打ち回っているマキを支え起こす。
マキは兜の中から泣き叫んだ。
「こっ、ここにぃぃっ、居させかゆいですぅぅううう!! こ、こんな水虫女でも、愛してくれますかあぁぁぁあ!?」
「と、とりあえず兜を外せ――――!!」
消えていく幽霊さんと、痒みに狂うマキ。状況はまさに地獄絵図。あとミュランダは飛んで行った。
この騒乱の中で、修真は心から思う。
こいつら狂ってる――と。
「頼むから静かに勉強させてくれぇぇぇぇぇぇぇえ!!」
「イヤですぅぅぅぅう!! 私は修様と交換日記するんですぅぅぅぅう!!」
「わかったからぁぁぁぁぁあ!!」
全てがしっちゃかめっちゃかになっていく中で、彼の魂の叫びは夜の町へと響いていくのだった。
すっかり時は過ぎて翌週。
修真はマキと共に教室の黒板の前に立っていた。
二人の視線の先には、磁石で張り出された紙が。
「……う、うそん」
書いてある。
補習授業出席者というおどろおどろしい文字の下。
出席番号7、片桐修真。
「あ、すごい。学年でたった五人の選ばれし者ですよ」
マキは、ひどく恨みがましい鋭い目になってずいっと修真に顔を近づけた。
「分かってるんですか。修様が選ばれし勇者になったら、私は買出ししなくちゃいけないんですよ。なに選ばれてやがるんですか」
「……なんていうか、男ってもんにはそれぞれに役目があってさ」
彼はどこか遠い目で、
「たまたま補習授業を受けるのが俺の役目だったんだよ」
哀愁を込めて呟いた。
余談。
「そういえば、結局ミュランダってどこに行ったの?」
「今ごろ太平洋」
「――え」
はい、どうも。嘘つき悪魔こと定休日です。
いや、違うんですよ。早く更新するとか言って、こんな事になってしまったのは風邪のせいなんです。
やっと話が出来て文字数オーバーとかね。もう本当についてませんよね(笑
次回はアレです。みんなが通う学校の話を交えたポチの話です。
あと、感想くれる心優しきお方へ。
ちゃんと見てます! 褒めていただけると凄く元気とやる気がでます! ありがとう!!