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第27話、れじぇんどおぶミュランダ(後編)

 赤茶けた岩壁に包まれた、大きな空洞。

 熱気で揺れる視界。

 自然が削りだしたような柱が点々とあり、部屋の中央からみさきのように出っ張った地面がある。その先には、ごぽごぽと湧き出る溶岩の泉が存在している。

 空気が赤光りして真紅に染まっていた。

 熱砂の空間に、ぽつり、岬のようになった地面の先端部分に、女が立っていた。

 あしもとまで伸びた髪に、剣呑けんのんかつ非情な表情を隠しており、熱気で視界が揺れているせいでもなく半透明の体をしている。


「……」


 彼女は手をかざしていた、溶岩の泉に向かって。

 存在するかどうかも疑わしい程に透明な指の先からは、淡く光る湯気のような霊気が放出され、それが泉全体をドーム状に覆っている。

 かれこれ、数時間。

 ずっと、そのまま。

 顔色一つ変えず、ずっとそうしていた。

 あの少女から、゛家に住む者″の懇願こんがんを受けて。

 彼女の体は、今朝よりも透明度が高くなっていた。

 風でも吹いたらそのまま掻き消えてしまいそうなくらいに。元々だったのが、もっと弱々しく。


「……ヨ……ク……モ」


 ふいに、世にも恐ろしい声が辺りに響き渡る。途切れ途切れで、だが確実に憎悪、怨嗟えんさもった声。


「ニ……ン……ゲ……ン……ゴ……ト……キ……ガ……」


 繰り返される反響はこの空間のどこからともなく、だがその大元は目の前の泉から。


「……」


 それを聞いて女は眉一つ動かさない。声の主がどういった存在かを、そして自分が如何いかなる使命を背負ってここに立っているのかを知っているからである。

 その儚なげな手から溢れる霊気の量が増した。


「クッ……オオ……ッ」


 強烈に発光を始めた。霊気がではない。溶岩の泉がである。赤黒く、底知れぬほど禍々しく。

 声は次第に早くなっていった。


「我ガ……牙デ……噛ミ砕イテ……ヤルッ!」


 負の情念が一瞬だけ弾けたような声の後、ドーム状の霊気に、ぴしりとひびが走った。そこから、熱気と禍々しい妖気とが滲み出る。

 どす黒い、赤。


「許……スマジ! 許ス……マジ、ニンゲン!!」


 またも、怨み辛みの言葉がどこからか紡がれ、霊気のドームに罅を走らせた。もう、あと一突きでもすれば崩れ落ちてしまいそうだった。


「ヨクゾ、゛ヤツラ″ヲやしろニ招キ入レタナ。誉メテツカワスゾ!」


 鮮明さが増す声。


「……!?」


 女は自分の存在を削り取り、霊気を流し続ける。

 恐ろしい声は、


「ゥ、ゥゥゥッ、ゥゥウウウウヴッ!!」


 怒りに打ち震え、堪えてもなお漏れてしまったような、身の毛がよだつ呻き声を上げる。怒り一色だった。

 そのまま、激昂げっこうに乗せて全てを吐き出す。


「グゥゥウアアアアアアアアアアアア―――――――ッ!!」


 まさしくそれは憤怒ふんどの叫びだった。深い心の内からの憎み、ねたみ、黒い感情があって初めて出せる狂気。同時に、何者かから吸い取って蓄えた力を放散させた。

 刹那、

 ドーム状の霊気が、膨れ上がり内側から外へ広がろうとする力に耐え切れず、

 粉々に砕け散った。

 立ち上がる。轟々(ごうごう)と。さえぎる物が無くなった溶岩の泉から、劫火ごうかが竜巻となって吹き上がった。熱波の螺旋らせん、真紅の衝撃波。

 そして、灼熱の怒涛の中から、


「……ゥゥヴッ!」


 黒い鱗と、炎のように赤い皮膚を持った巨大な化け物が、全く無造作に現れ出でた。

 呼吸の度に、吐息と共に口から漏れる火炎。

 鋭く、刃物を思わせるような角。

 狂気の宿った金色の目。

 長く、太く、波打つ巨大な胴。

 背から生えている、槍のようなひれ

 まさしく、龍。

 古代の神、ヒノトオロチ、その顕現けんげんだった。

 たける龍は、炎の吐息を繰り返しながら、復活の感触を確かめる。すると、下腹部に小さな、ほんの小さな違和感を感じた。

 地面に方膝をついた女の姿。

 龍の瞳が彼女を一瞥した。

 した、瞬間。


「グゥゥオオオオオオオオオ――――――――ッ!!」


 大気が激震する咆哮を上げ、たぎる妖力を爆裂させた。

 強大な力の発揮により、あたりの地面がめくれ上がり、吹き飛んだ。

 女、もろとも。 

 あっさりと、いとも簡単に。




「――な、なに、今の!?」


 セキコの背で揺られていたミュランダが目を開けた。音の残響で大気が震えている。それどころか、この地下一帯が揺れていた。

 ぱらぱらと砂埃が落ちてくる階段を駆け上がっていたセキコが、嫌な予感をあおるように焦り声で告げる。


「あかん! ヒノトオロチがもう復活した! 地上に出てまうで!」


 ミュランダが肩をから身を乗り出す。 


「ええっ!? 出るとどうなるの!?」


 今から対峙する妖怪を知っているセキコは、その実力を伝承として訊いた限りで、端的に説明した。


「この街が火の海になってまう……やろな」 


「そ、それって、ちょーヤバくない!?」


 ミュランダが信じられないという顔で言う。

 街が火の海にさせられる。その最悪の事態は何が何でも避けなければならない。というより、街が火の海ならば、上で眠っている修真達も炎に撒かれてしまうだろう。

 セキコは走りながら、肯定と解決手段を提示した。


「ああ。めっちゃヤバいで……。地上に出る前に、ここで退治するしか……もう」


 正直言って、勝算はこれっぽっちもない。

 セキコ自身は、ヒノトオロチの足止めにもならないと自覚している。ミュランダであっても、かなり消耗しているため、倒すまでには到底いたらないだろう。

 二人で戦っても、刺し違える事も叶わない。


「あたしも走る!」


 ミュランダがそう叫んで、ぴょんと背から降りた。矢継やつぎ早に走り出す。

 だが、この絶望的な状況で、不思議とセキコの足は止まらなかった。彼女一人ならば、逃げ出していた事だろう。それ以前に、今、ヒノトオロチを倒さなければならないという使命は彼女にはない。この街が火の海になろうとも『関係ない』。

 横に並走する少女のように、守る物も取り戻したい物も彼女には無いのだ。

 ゛神社に居たヤツラ″のように、人の為に、自分を犠牲にするなんてまっぴらごめんだと思っていたのに、

 そんなのただのバカだと心では思っていたのに、


「いくで! ミュラっ子!」


「うん!」


 不思議と足は止まらなかった。

 決意の二人は、ついに階段を上りきり、


「準備はええな!?」


「いつでもいけるよ!」


 たったそれだけの意思確認を経て、押し寄せてくる妖気の発信源であろう空間に飛び込む。

 二人は赤茶けた岩壁に包まれた、大きな空洞に踊り出た。


「グゥゥオオオオオオオオオ――――――――ッ!!」


 灼熱の空気が渦巻く中央で唸る゛敵″をその目に認め、恐怖した。


「……あれが、ヒノトオロチ、なの?」


 他を寄せ付けない轟々と燃え盛る炎を従え、


「みたい、やな……」


 周囲を戦慄させる憎悪を撒き散らす禍々しい巨躯。波打つ赤い蛇腹。

 角、牙、爪、鰭、体の全てが殺傷能力を持ち、こちらを見下ろしている金色の眼は既に、ミュランダの心臓を串刺しにしているかのようだった。

 悪意を、そのまま形にしたような化け物だった。

 圧倒的な威圧感。

 排他的な存在感。


「えらい妖気や。肌がちりちりする」


 セキコも身震いした。武者震いなどではない。真に、本能で勝てない事を理解しているからこそ体が勝手に震えだしたのである。

 想像を遥かに越えた存在だった。

 こうして対峙しているだけなのに、どんどん体力が消耗していく気がする。


(か、勝てるんか……うちらに……)


 見上げていた龍の体がわなわなと震え始めた。金色の瞳に、少女を宿し、憎悪と怨嗟が込み上げる。


「ニ、ニンゲン……ゥゥ、ニ、ン、ゲ、ン―――――ッッ!!」


 何かが蛇腹の中で膨れ上がり、

 のどまで込み上げ、


「バハァッッ!!」 


 超巨大、爆熱の火炎弾を吐いた。

 高速で飛来する爆炎は灼熱の尾を引き、柱をぶち抜き、


「――っ!」


 ボグァァアアアアアア!!

 ミュランダとセキコが居た場所を爆炎と共に燃焼させる。身が裂けるような壮絶な爆風に、その場を離れて直撃をさけた二人を、軽くゴミのように薙ぎ払った。

 己が炎でどろどろに溶けた岩壁と、濛々(もうもう)と吹き上がった粉塵ふんじんを目にも留めず、


「ゥゥゥヴヴヴオオオオオオオ――――――――!!」


 ヒノトオロチは声の限りに、咆哮を上げた。


「……ん、ぐっ」


 地に伏っしたミュランダは、激痛が走る体を引き摺るように起き上がらせた。


(なんて馬鹿力……、よけきることもできないなんて……)


 擦り剥いて血が滲む肩を押さえながら、ふらふらと立ち上がる。

 全く出鱈目な破壊力だった。たった一撃で、埋めようの無い力の差を痛感させられる。


「ミュ、ミュラっ子……血が……」


 セキコが足を引き摺って、粉塵の中をこちらに戻ってきていた。


「だ、大丈夫。大した怪我じゃない……よ」


 互いの状況を確認していると、そこで土埃つちぼこりが晴れた。

 明瞭となったミュランダの視界の端に、


「――っえ!?」


 倒れている女、あの幽霊が飛び込んできた。ほぼ、消えかけた状態の。

 たじろいだ。


「どうして、どういうこと? なんで、こんなとこに倒れてる……の?」


 たじろいで、駆け寄る事が出来なかった。


「グフゥゥゥッ!! フゥゥゥヴッ!! 封印ノ巫女ゴトキ霊力デェッ、我ヲ止メラレルトデモ、思ッタカァッ!!」


 憤怒の咆哮を上げ終えた龍が、荒ぶる魂が鎮まらぬまま身をくねらせ、盛大な怒声を上げる。


「封印の……巫女みこ……?」


 混乱に叩き落されたミュランダは、目を見開いたまま、掠れた声で呟いた。

 セキコが、足を引き摺りながら横まで来る。


「あ、あの幽霊の姉ちゃんの事や。社に取り込まれて、ヒノトオロチを封印する役目をになってる。けど、封印が破られてしまった今じゃ……」


 封印する役目?

 なにそれ?

 意味わかんないよ。

 わかんない……

 敵だと思っていたのに。セキコに出会ってからは、ヒノトオロチの手先だと思っていたのに。

 女がヒノトオロチと敵対しているのは一目瞭然だった。それどころか、封印をする為に一人でここまで……。


(敵じゃ……なかった……っていうの?)


 その思い込みが覆されそうな予感で、ミュランダには理解することができなかった。立ち尽くすことしか出来なかった。拳を握り締めて。

 少女の混乱も知らず、ヒノトオロチは牙だらけのあごを大きく開く。


「憎キ、封印ノ巫女ヨォッ!! ココデ全テノ因果ヲ、断チ切ッテクレルッ!!」


 またあの動きだった。

 オロチの腹部で妖力が練られ、膨れ上がり、


「バハァアッ!!」


 爆熱の火炎弾が、あの女に、封印の巫女に留め一撃を刺すべく放たれた。


「――ッ! ミュラっ子、離れろ!!」


 セキコが警告と共に跳躍した。

 驚異の威力を有するヒノトオロチの火炎。

 消えかけた雑霊を消滅させるには十分過ぎることが、分かってしまった。

 分かってしまったから、迷いが生じ、足が止まってしまった。

 巨大な火炎弾が冷徹に迫る。

 凄まじい熱波が吹き荒れ、ミュランダの肌を焦がした。


「…………わかんないよ」


 直後、女を、ミュランダを、

 ボグァァアアアアアア!!


「ミュラっ子ぉ――――――ッ!!」


 衝撃と、爆炎が一瞬にして飲み込んだ。




「うそや……そんな……」


 巻き上がった粉塵を目にして、セキコは崩れ落ちた。

 火炎弾が接触する最後の最後まで、彼女の視界にいたミュランダは動かなかった。あの距離では、どう考えても助からない。


「うそやうそやうそやッ!! こんなの!!」


 まさに直撃だった。


「……くそッ! くそぉッ!!」


 悔しさと憤りを込めて地に拳を打ち付ける。

 その姿を眼に捉えた、ヒノトオロチは哄笑を上げた。


「グハハハハッ!! モウ、封印ノ巫女は消滅シタ!! 我ヲ遮ル障害ハ、皆無!!」


 セキコはぴくりとも動かない。

 心が、隙間風が吹いているように寒かった。大事な物が、抜け落ちてしまったように。

 ゛あの時″のように。

 嗚咽でもなく、涙でもなく、ただ冷たい声で囁く。


「いつもそうや……。いつも、ええやつだけが……死んでまう……。うちを残して……一人ぼっちにして……。こんなんなら、こんな思いするくらいなら……」


 そして、慟哭。


「うちが死ねば良かったのに!!」


 セキコの悲しみが、空洞全体に伝わった。

 しかし、彼女はコピーといえど『天使』という物がどういった存在かを理解していなかった。


「そんなこと言っちゃだめだよ」


「――え」


 煙が晴れ、

 そこには、

 緑に発光する壁に包まれた少女が、

 とびきっりのええやつの姿が。


「ミュラっ子……。ミュラっ子!!」


 紛れも無く、夢でも幻でもなく、そこに存在していた。

 ミュランダは幽霊の女をかばうように立っていて、二人とも無事なのがわかる。彼女は火炎弾が着弾する直前、全力で魔力障壁の出力を上げて身を守っていた。

 もちろん、幽霊さんも助かるように。

 驚愕したのはセキコだけではない。荒ぶる龍もまた例外ではなかった。


「――ヌゥゥヴッ!? 我ガ炎ヲ防イダトイウノカッ!?」


 無双の破壊力を持つ己が炎を、小さな、ちっぽけなニンゲンが防いだのだ。その事実が、ヒノトオロチを、絶対的な力を持つ者の心理を揺さぶる。

 ミュランダは龍に語りかける。


「ねぇ、ヒノトオロチ。パパを、みんなを、元に戻して」


 その切願を、ヒノトオロチは盛大に嘲笑った。


「グハハハッ!! ヤツラノチカラ、美味ダッタゾ! 得ニ、キサマニ似タ女ノチカラハナァ!!」


「――っ!?」


 ポチへの侮辱を受けて、ミュランダの心の中に、カッ、と火花が散った。唐突に、マグマのような激情が胸の奥深くから湧き上がる。

 それを抑え、ミュランダは呟く。


「みんな、を、元に戻、して、よ」


「モトニ、モドス? ハハハ! 誰ガニンゲンヲ救ウナドト、バカゲタ真似ヲスルモノカ!!」


 ようやくミュランダは、目の前の化け物が話して分かるような奴ではない事を理解する。

 同時に、心が破裂してしまいそうだった。

 怒りが、身を引き裂いてしまいそうだ。

 龍は酷薄こくはくにも残虐な笑みを浮かべ、挑発する。


「地上ニデタアカツキニハ、マズ、ヤシロノナカニイルニンゲンヲ喰ラッテヤル。チカラガ美味ナノダカラ、肉ハサゾカシウ美味デアロウ!!」


 更なる修真達への侮辱で、ミュランダはついに爆発した。絶対に、絶対に、それだけは許せなかった。

 怒りが、静かに爆発した。


「……お前、言っちゃいけないこと言った。もう許さない、ぶっ潰してやる」


 龍は硬質的な鼻面に、憤怒のしわを寄せる。

 少女の大胆不敵な発言が、龍の怒りの琴線きんせんに触れた。


「ホザケェェェェエエ―――――ッ!!」


 腹が膨れ上がり、爆熱弾を吐く。

 着弾。

 ボグァァアアアアアア!!

 しかし、ミュランダはその炎の中で、無傷だった。最大限まで高めた魔力障壁に守られて。


「――ナンダトッ!?」


 龍の動揺も他所に、ミュランダはぶつぶつと何かを呟いていた。


「……静かにしてよ。今、すっごくもやもやしてるんだから」


「アリ得ン!! アリ得ルハズガナイィィィイイイ!!」


 そして、怒りを込め、もう一度、


「バハァアッ!!」


 火を吹いた。

 ミュランダは無言で片手をかざす。炎に、その向こうにいる龍に向けて。

 手の先にありったけの魔力を集中させた。きらきらと淡く緑に輝く光が集束し、凝縮され、オロチの火炎弾を上回る巨大さの光球となって浮かび上がった。


「……お前うるさい!! ちょっと黙ってろ!!」


 ミュランダが叫んだ。

 全く無造作に、だが引き絞られたつるを放した矢のように、魔力の塊が飛び出す。

 驚くべき速度で飛ぶオロチの火炎弾とミュランダの魔力がぶつかる。

 閃光が走り、次いで、

 ドオオオオオオオン!!

 大爆発。

 残ったのは爆発の煙幕だけだった。双方の力はぶつかり合い、消滅した。

 それでもなお、ヒノトオロチは驚愕する。


「馬鹿ナッ!!」


 己の力が、相殺された。

 神と呼ばれていた力が、か弱く、ちっぽけで、見下していた存在の力によって対消滅した。

 そのおごりから生まれた、一瞬の隙。

 眼前の煙幕が、押し退けられるようにしてぶわりと広がった。


「――ッ!?」


 映っていた。

 淡い緑に輝く力の塊が、こちらに進んでくる。

 ミュランダが続け様に放った一撃だった。

 怒りの一撃。


「ゴウッ―――」


 龍は一瞬、呻き声を漏らし、それもろとも光に呑まれた。燦然さんぜんと輝く中を、魔力の奔流ほんりゅうに身を焼かれ、ゆらりと傾くヒノトオロチ。


「オ……オオ……」


 バアアアアガンッ、という鈍い音と共に頭部を壁面にめりこませ、崩れてきた岩くずに押し包まれた。

 ミュランダはその光景を見届けながら、芸が無いと心底思う。今のは術でも何でもない、ただ魔力を放っただけ。

 乱れた心のままに、自分に対する怒りと幽霊のこと、修真達を侮辱した事、色々な苛立ちを全部ひっくるめて、ぶつけた。

 そして、限界を超えた力の代償はあまりにも大きかった。


「――っく!」


 時を同じくして地に落ちる。足が立っていられなくなったのだ。


「んぐ、は、う、あぁっ……!」


 震えながら肩を抱く小さな体には、激痛と虚脱感が駆け巡っていた。無理な魔力の消耗による反動が体をむしばんでいるのだ。それをも覚悟した攻撃だったが、無いものを限界まで絞り出し、ヒノトオロチ同等の力をニ発も放出した痛みは、予想以上に激しい。

 少しでも油断すれば、意識が飛んでいってしまいそうだった。


「く、うぅ、はっ……」


 苦痛に歪むミュランダの表情。

 痛みにもだえる少女に、セキコが蒼白の表情で駆け寄る。


「ミュ、ミュラっ子! なんてことを!」


 限界を超えた力を使うことに、如何なる危険があるのかを十分承知しているセキコには、この少女の身に何が起きているのか、すぐに察する事が出来た。 

 危険である。

 命に関わるほどに。


「これでなんとかなるかは分からんけどッ! 堪えるんやで!」


 セキコは両手をミュランダの背に添え、霊力をゆっくりと、少しずつ流し込んだ。


「うっ! くぅあああッ!!」


 またも激痛が少女を襲った。

 全く異質な力が体の中に侵入してくる。空っぽになった体を、霊力という彼女が持たない力が満たして行く。


「耐えるんや! ミュラっ子!」


 それでもセキコは続けた。

 この行為、いうなれば型の違う血液を輸血するのと同義である。セキコのような霊獣の中でも、本当に命の危機にひんした時に、イチかバチかで使用する禁じ手。助かる確率も非常に低い。


「あああああっ!!」


 今、ミュランダの体は、侵入してきた霊力というウィルスと戦っている。体が霊力に対する抗体を作り、それを無害な物に変換しようとしている。

 本当にイチかバチかの苦汁の選択だった。

 ミュランダの体が抗体を作れなければ、霊力に呑まれ、死に至る。逆に、抗体を作り上げることが出来れば、霊力を取り込み、力に変えることができる。

 もともと持ち合わせた素質のせいだろうか、吉兆きっちょうはすぐに現れた。


「はぁ……はぁ……」


 ミュランダは大分、呼吸も落ち着いてきた。しかし、油断できる状況ではないことに変わりは無い。

 だが、本当の賭けはこれからだった。


「ミュラっ子、良く聞くんや」


 セキコが強張った表情と、張り詰めた声で呟いた。


「はぁ……はぁ……」


 ミュランダは、頷きだけで返答する。

 セキコは心の中で、この提案をするのが本当に彼女の為になるのかどうか葛藤かっとうする。

 いや、このままでもこの子は戦うだろう。

 しかし、上手くいかなかったら……。

 葛藤に答えを見出せないまま、沈んだ声で言った。


「うちらが、正攻法で攻めてもあいつには勝たれへん。でも、一つだけ勝てるかもしれへん方法がある」


 ミュランダはすがるように、セキコの肩を握り締める。 


「き……聞かせて」


 観念というよりも、やはりそうなのか、とセキコは溜息を吐いた。

 彼女は決して諦めない。

 だが、死を覚悟して険しい道を選んでいるわけではない。

 生きて、大切な人と再開するために。

 ただ、それだけのために。

 セキコはそんな彼女を気に入った。だから、ミュランダが望むのならば、最大限の強力を惜しまない。彼女の身を危険にさらすようなことでも。

 提案まではすることが出来たが、それを実行できるかどうか自信が無い。

 でも、ミュランダの瞳を見た瞬間、たった今、その覚悟を決める事が出来た。


「……今、うちが流したんは、ほんの少しの霊力や。その方法はな、うちの全霊力をミュラっ子に託すことやねん」


「そ、そんなことしたら、セキコが……」


「アホ、うちはミュラっ子みたいな無茶せえへん。自分に必要な最低限は残すつもりや。それにな、うちにはたくわえがあんねん」


「……蓄え?」


 赤い三本の尾を振って見せる。


「尻尾や。この尻尾一本には、うちの、五十年分の霊力が詰まっとる。でもな、うちがそれをつこても、あいつには勝たれへん。体がもたん、残念やけど物理的に。つこたとしても時間稼ぎくらいにしかならんやろな」


 自分の無力さを噛み締め、そして言葉に出した。


「……それを、一本丸々ミュラっ子に託そうと思うんや」


 ミュランダはそれがどういう意味を持つのかすぐに理解できた。さっきの何倍もの霊力が身の中に流れ込んでくるのだから、痛みも、苦痛も半端ではないだろう。

 そこまで承知して、


「……やって」


 そう決めた。

 セキコは、あまりにも率直でまっすぐな返答を受けて、ほんの少しだけ決意が揺らいだ。


「ええんか? 下手したら――」


 すぐにその後に続く言葉が彼女の為にならないことを思い出し、頭を振る。


「あかん。うち、提案しといて何言うてんねやろな」


 苦しげに笑った。

 ミュランダも消えてしまいそうな笑みを浮かべて答えた。


「セキコ、優しいから」


 がらっ。

 ヒノトオロチが倒れた瓦礫がれきの山から、岩が溶岩に転げ落ちた。

 時間が無い。

 セキコは、様々な雑念を振り払い意を決した。


「……んじゃ、やるで」


「待って。ちょっと、時間ちょうだい」


 ミュランダはセキコに掴まりながら立ち上がると、女の幽霊に歩み寄った。

 力無くそばにしゃがんで、


「ごめんね。あたし、あなたの事、誤解してた。てっきり、あなたがパパ達を変にしちゃったんだと思ってたの。ごめんなさい」


 彼女の口から出たのは謝罪だった。


「……」


 女は首を横に振って答える。

 穏やかな目をしている。なんとなく、言いたい事がわかるような気がした。

 多分、「気にしないで」と言っているのだと思う。

 その許しにも似た行動で、瞳からぼろぼろ涙が溢れ出した。

 ミュランダは、この優しき女に向けて放った言葉を思い出し、後悔する。


(「みんなを元に戻してよ!!」)


 嗚咽の混ざった声で謝罪を続ける。


「あ、あたしが、みんなを元に戻してって、言ったから、ここまで一人で、来たんだよね……。ごめんね。あたし、何も、知らなくて……」


 女はまた首を横に振った。ゆっくりと消えかかった手を伸ばし、ミュランダの涙を拭ってやろうとする。だが、指先はミュランダを通り抜けてしまい、無情にも触れることができない。生ある者と、そうでない者の、越えようのない壁がそこにそびえ立っていた。

 しかしミュランダはその手に触れられない事を知っていながら、あたかも触れているかのように両手で優しく包み込む。

 そして、鼻をずずっとすすり、意志を表情に露にした。


「後はあたしに任せて。何とかしてみせるよ」


 堂々と立ち上がる。もう少女は言えないような力強さと逞しさが、ミュランダに宿っていた。


「――!?」


 女は穏やかな表情を一変させ、少女を引きとめようと手を伸ばす。

 掴もうとした手が、ミュランダをふわりとすり抜けた。


「セキコ、お願い」


「ああ。わかったで」 


 セキコはミュランダに託す霊力を体に滾らせる。そして、強い少女の、小さな体を抱き締めた。

 強く、強く。

 想いを乗せて、全てを託した。

 ミュランダは感じる。

 セキコの力が、想いが、身の内に流れ込んでくるのを。

 まだ出会ったばかりなのに、悲しくなるくらい、心配してくれている。

 修真達を取り戻すのを、心から願ってくれている。

 応えたい。

 彼女の思いに応えたい。


「セ、キコ……」


「なんや?」


「あたし、絶対、に、あいつに、勝つ、からね」


「うん。信じてるで」


 ミュランダはセキコの『本当は、こんな辛くなるような事はしたくない』という心を知って、『でも、この子には協力したい』という葛藤を垣間見かいまみて、胸の底から嬉しくなった。

 想いのまま、小さく囁く。


「ありがと。あたし、セキコも大好きになったよ」


 セキコは首をぶるぶる横に振った。ミュランダには見えないようにしていた赤毛の尾が一本、小さくなっていく。


「そんなん、言いっこなしや」


 強く抱き締めるセキコに、ミュランダはうつろになり始めた意識の中で、一つ、頼みごとをした。


「セキ、コ、この幽霊さん……も……」


「分かったで。絶対消えさせたりせえへんからな」


「じゃ、ちょっと、寝る……ね……」


 腕の中で、ミュランダは気を失った。

 ぐったりとした体を、


「ミュラっ子……!」


 もう一度強く抱き締める

 小さい体でも、今は頼りなくは感じない。

 すごく逞しい。

 大きい。

 セキコは切なさで一杯になった瞳を封印の巫女に向けた。


「あんさん、絶対にこのまま消えるなんて許さへんからな。ミュラっ子悲しませるなんて許さへん……」


 片手を胸の上に添えると、ぼっと、淡い光が、消えかかっていた女に存在感のような物を取り戻させた。

 全てをやり遂げた彼女の尾は、一本と、その半分程度に短くなった一本だけだった。

 そっとミュランダを寝かし、ゆっくりと立ち上がるセキコ。

 瞬間、空気が肌を刺すような感覚を持ち始めた。


(さて、こんだけで、何分もつやろか? いや、もたせなあかんねやな)


 ミュランダの為に時間を稼ぐ。それが最後の仕事。


「グゥゥゥウオオオオオオオオオッ!!」


 瓦礫が弾けた。

 憤怒の龍が、ぐんと身を起こす。


「小娘ェェェェェエエエ!!」


 逆鱗げきりんに触れたかのように怒り狂った咆哮。

 その刹那、

 青白い炎で象られた犬が、


「――ッ?」


 龍の鼻面に喰らいついた。

 牙を立て、爪を立て、しかし固い龍には通用しない。


「コザカシイッ!!」


 ぶんと縄のように首を振ると、犬の炎は引き剥がされ岩壁に衝突。ぼんと破裂した。

 ヒノトオロチは、誰の手によって放たれた力なのかを悟り、それの方に顔を向けた。

 青白い人魂ひとだまを身の回りに無数に従え、その中心でこちらを睨みつけている人に化けた狐。その狐が呟く。


「なぁ、ヒノトオロチ」


 セキコは先ほどとは全く違う、他を恐怖させるような幻想的な空気を背負っていた。歩みを進め始めると、彼女の進む道の両脇を人魂が、ぼっ、ぼっ、と燃え上がり、行列を作る。

 彼女はその中心を歩む。さながら、数多の兵を従えた王のように。

 龍はその幻想的な光景を訝しげに見据え、声を落とした。


「貴様、『善狐ぜんこ』ノ身デ、死霊ヲ従エテオルノカ……」


 それは死霊しりょう

 死して彷徨う哀しき魂。

 おびただしい量まで増えたそれらの不気味な炎に照らし出されたセキコは、自嘲を込めた不敵な笑みを浮かべる。


「善狐? はは、昔の話や。まぁ、『野狐やこ』でもないけどな」


 しゅん、と死霊の一つが体に飛び込んだ。


「本当ならやっちゃいかんのやけどな。死霊を喰うなんて」


 ぼう、と青白い炎がセキコを包む。


「ま、同属の中でも、『狐の黄泉入よみいり』知ってる奴なんてそうそうおらんやろけど」


 星が流れるように一つ、また一つとセキコの体に死せる魂が飛び込んでいく。

 全てが終わる頃、凄まじい霊力がセキコを取り巻いていた。

 燃える彼女はオロチと対峙し、目を狂気的に見開き、牙を見せ、妖艶かつ野性的な笑みで嘲弄ちょうろう


「そんなことより、ちょっとうちと遊んだってくれへん? みんな寝てしまって暇なんよ」 


「ヨイ度胸ダ! タカガ狐ノ分際デェェエエエエッ!!」


 顎を九十度開き、蛇腹が今までとは違う動きを見せる。

 腹から直通で、口へと妖力が込み上げ、そのまま吐き出す。


「ゴアアアアアアアアアアッ!!」


 爆熱弾とはならず、広範囲に広がる灼熱の息吹いぶき

 火炎の津波がセキコに押し寄せる。


「そうやな。ほんなら、『本当の狐の力』見せたるわ」


 赤い輝きに照らされたセキコの影が、高温に溶け出すように伸びた。

 真紅がその場を薙ぎ払う。

 だが、すでにセキコは居なかった。

 その上。

 彼岸花のようにきらめく鮮やかな赤毛。

 奇怪な文様が浮かび上がった尖った鼻面。

 足首や関節に施された、白骨の装飾。

 青白い霊炎に包まれた巨大な赤狐が、そこに悠々と存在していた。あのセキコとは思えない、陰の影響を大きく受けた霊狐の降臨だった。

 霊狐は間髪入れずに、刺々しい牙が覗く口を大きく開け、


「ガァァァア――――――――ッ!!」


 青白い怒涛を吐き出した。

 霊炎がヒノトオロチを押し流すように飲み込み、その体表を焼く。その奥の岩壁までおも溶かしうる高熱。

 だが、


「笑止ィッ!!」


 龍はすぐに妖力を爆裂させ、炎を吹き飛ばした。

 次いで、腹の中で妖力を煮えたぎらせ、


「バッハァアッ!!」


 爆熱弾で応戦する。

 凄まじい爆発、霊狐の影が炎に掻き消された。

 かのように見えた。

 一撃目よりも遥かに威力の高い青白い炎がヒノトオロチを横殴り薙ぐ。


「グクゥゥゥウッ!!」


 これには溜まらず仰け反るヒノトオロチ。

 不思議な事に、霊狐は無傷で全く違う場所から攻撃を加えてきていた。 

 まるで、瞬時に移動したかのように。

 龍は言い知れぬ違和感を感じながらも、


「バッハァアッ!!」


 霊狐に爆熱弾を放出する。

 するとまた、霊狐は真正面からそれを受けた。受けて消えた。その一瞬、赤狐が青白い霊炎になって散ったのが見えた。

 そして今度は頭上から霊炎がヒノトオロチを叩き潰した。

 青白い炎に包まれた龍は違和感の正体に気付く。すると、なぜ一撃目があれほど弱かったのか、合点がついた。

 これはまやかし。

 本体ではない。

 一撃目の広範囲に及ぶ炎は、゛霊狐を隠す幕″だったのだ。


「小癪ナ真似ヲッ!!」


 ヒノトオロチの体内に渦巻く妖力が、今まで以上に膨れ上がる。


「ゴアアアアアアッ!!」


 そして、火炎弾ではなく、炎の息吹で周囲を焼き払った。

 水を零したように広がった炎の中に、青白い軌跡。柱の影に逃げ込んだ。

 ヒノトオロチが、不気味な、勝利を確信した笑みを硬質な面に浮かべた。


「ソコカァッ!!」


 特大の爆熱弾を吐く。

 爆炎が柱もろともその場を吹き飛ばす。

 立ち上がった煙の中から、衝撃に翻弄ほんろうされる霊狐が飛び出した。龍は波打つ胴をくねらせ、それを追う。

 セキコがそれに気付いたのは、牙がずらりと並ぶ口が閉じる寸前だった。


「ぐっ!」


 バガン、というあごが噛み合わさる音。

 空を蹴る霊狐の後ろ足に、激痛が走った。

 龍の鋭い牙が足首を深く掠め、血が尾を引く。


「ガアアアア――――ッ!!」


 セキコは身をひるがえし、苦し紛れに霊炎を吹いた。しかし霊炎を受ける龍は、その直前に身を後退させ、それをかわした。

 したと同時に、爆熱弾を吐く。゛幕″を逆手に取った攻撃。


「――!?」


 己の攻撃手段を巧みに利用された一瞬。

 青炎を掻き消して飛来する真紅の炎に、セキコの反応がわずかに遅れた。

 盛大な爆発が霊狐を包む。

 



 暗い場所。光は無く、物質も皆無だった。

 ゛そこ″でミュランダは漂っていた。

 はっきりとした意識は無いが、さっきからずっと何かに揺られているのは感じることができた。

 波のような。

 水のような。

 とても心地が良い。まるで、海の中で目を閉じて波に身を任せているようだった。


(あれ……、なんかだるい……気がする)


 体が羽のように軽い、それに熱っぽい。自分の呼吸が荒い事には気がついていない。

 ミュランダは、


(ここは、どこ?)


 目を開ける。


「――おぎょ!」


 開けた瞬間、突然重力が襲ってきてその場にどすんとしりもちをついた。


「あてて……。な、なんなのぉ?」


 言ってからぎょっとする。

 何も無い暗黒に、手が、足が、ついている。その下の方にも宇宙のように広大な暗黒がひろがっているというのに、見えない床がそこにあった。


「な、なにこれ……。ちょっとファンタジックすぎるよぉ……」


 訳の分からない空間に一人ぼっちという寂しさから、ついつい涙が溢れ出しそうになってしゃくりあげた。

 えぐえぐしゃくっていると、ふいに声が。


「……どうして、泣いているの?」


「誰!?」


 顔を上げると、真っ暗な空間に人影が立っていた。いつから居たのか、じっとこちらを見下ろしている。


「……お、お姉ちゃん?」


 シルエットと雰囲気から、ミュランダは不思議とそう呟いた。言ってから、どうやら違うらしい事に気付く。


「違う……。あなた、誰?」


 そう問うと、柔らかな光がその場に降り注いできた。

 きょろきょろしながら軽い混乱に陥っている彼女を他所に、人の影が次第に照らし出されて行く。タンポポ色の髪、胸に巻きつけたシャツ、制服のスカート。


「え」


 自分と全く同じ服装をしているではないか。

 だが、決定的な違いがある。ポチ(大)と同じような二対の翼。背から生えた鳥のような青い翼と、腰から生えた同じ色のコウモリのような、被膜が覆った翼。ミュランダは後者の翼はもっていない。

 その人物は、静かに答えた。


「――あたしは、あなた――」




 



 霊狐は、爆熱弾によって抉られた地面で、四つの足でよろよろと立ち上がった。後ろ足からは血が滲んでいる。

 着弾の瞬間、咄嗟に霊力を燃え上がらせて衝撃を緩和かんわさせたものの、そのダメージは計り知れないほど強大だった。


「くっ……やるやん。さすが、ヒノトオロチっちゅーところか……」


 セキコの苦しみの混じった賞賛しょうさんに、龍は口から火炎を漏らし高圧的に返す。


「グフゥゥゥッ、貴様ノ霊力ナド、所詮ハ、ソノ程度ダ」

 

 しかし、セキコは笑みを零す。苦しくてもそれだけの余裕が、


(はっ、うちは、真打や無いねん。ただの時間稼ぎや)


 心の奥底から湧き上がる、あの少女への期待が彼女を強くしていた。

 牙を剥いた霊狐を、ぼうと霊炎がセキコを包む。


「いくで!! 本当の戦いはこれからや!!」


「貴様ァッ!!」


 そして、龍と狐は再び激突する。






 ミュランダは、それはもうぶっとんだ返答に数秒きょとんとした。


「あ、あたしぃ?」


 自分を指差して訊くと、自分と名乗る人物は、そう、と頷く。

 ミュランダは、目を細める。疑わしげに、自分とやらを下から上に流し見た。

 すらりと伸びた手足。

 くびれた横腹。

 顔立ちも大人びていて、ぺにゃっとした体の印象のミュランダよりも、引き締まった体つきをしている。身長もずっと高い。

 そして、何より見過ごせなかったのが、確実に、絶対に、自分には無いもの。

 ふっくらと、ふくよかに膨らんだ胸。

 胸。

 きつそうにシャツに縛られた、ある、胸。

 ミュランダはキレた。


「ば、バカにしてんのかぁ!! みんなしていい加減にしろぉ!!」


 足やら手やらをばたばた振り回して抗議すると、その人物は言った。


「それでもあたしはあなた」


 ミュランダは涙目になりながら、本人を前にして名を騙る不貞者に、びしりと指を突き立てた。


「うそだね! あたし、そんなに胸おっきくないもんね! そんなにセクシーじゃないもん!!」


 なんとも悲しい物的証拠である。

 彼女自身、言っていてとっても悲しかった。

 しかし自分そっくりな格好と、そっくりだけど大人びた顔立ちの女は、


「受け止めて。あなたの知らないあなたが、あたしなの」


 まったくもって淡々とした調子で続ける。

 ミュランダは完璧に喧嘩腰で対する。


「なにそれ。何であたしなのに、あたしが知らないの? 答えてよ。胸ばっかり大きいくせに! あ、羨ましくなんかないぞっ!!」


 その人物は、むきーっと一人で怒っていらっしゃる自分を見ながら、はぁ、と呆れて溜息を吐いた。 我ながら自分と会話するのはわずらわしい。

 そんな風に思いながらも、理解を得られるように説明をする。


「だから、あたしは、あなたが壊れないように眠っていたの、゛不完全″だから。あたし゛本当は目を覚ます筈じゃなかった″のに」


 彼女の言葉に、ぴたりとミュランダが停止した。


「……不完全って……どういうこと?」


 沈鬱な声で訊くと、同じような声で答えが返ってきた。


「……あたしは゛模造品もぞうひん″だから、お姉ちゃんみたいに完全な存在じゃないの。あたしはグリントが作り出したコピーで、失敗作だから」


 ミュランダはとうとう黙ってしまった。どこかで恐れていたというより、予想していた出来るだけ耳にしたくない内容だった。

 消したい過去。

 思い出したくない、記憶。

 痛いくらいの事実。

 ぶるぶると首を振って、゛大切な今″と゛分けへだてなく、娘として扱ってくれる少年″を思い浮かべた。

 多分彼は、失敗作なんて関係無いって言ってくれるだろう。むしろ失敗作とか言ったら怒られそうな気がする。

 いや、それどころか修真はそんな風に考える事すら出来ない。

 魔機や天使という兵器を、人間としてしか見れない、扱えない。それに兵器だと言うとちょっと怒る。兵器なのに。

 そんなおかしな心の持ち主。

 ただ、こんな自分を娘として、一人の人間として見てくれる。兵器に笑いかけてくれる。

 素敵な、この世でたった一人の『パパ』。

 ミュランダは、ひっそりと呟いた。


「……あたしは失敗作なんかじゃないよ、もちろん、あなたもね。そんなこと言うと、パパに怒られるんだから。あたしの癖にわかってないなぁ」


「……そう。以後、気をつけるよ」


「それで、眠っていたって言ったけど、もう目を覚ましたの?」


「うん。凄い力が流れてきて、びっくりして起きちゃった。まぁ、あなたが危機に瀕したから、不完全でも目覚める事が出来たのかも」


 ミュランダの表情が沈んだ。 


「セキコがくれた霊力……」


 と、セキコの事を思い浮かべ、感傷に浸りそうになった時、胸を、とん、と突付かれた。なんだと思って顔を上げると、自分が眉を寄せてこちら見ている。


「それよりも、あなた、無茶し過ぎ」


 ミュランダは、うろたえて半歩さがった。


「ええっ、そんなこと言われてもぉ……」


 その頬を、眠っていたという大人びたミュランダがずいっと一歩出て、細い指でむにっとつまみ上げる。そのまま、あまりに暴れん坊な自分自身に、びよんびよん頬をひっぱりながら釘を刺した。


「あなた分かってるの? あなたが壊れてしまったら、あたしも壊れてしまうんだからね。あなただけの体じゃないんだから、大事に使ってよ」


「ふぇ、ふぉうはほ(え、そうなの)?」


 ぱっと、手を離す。


「うん。あなたが表、あたしが裏。あなたが壊れてしまったら、あたしも壊れてしまう。普通でしょ?」


 ミュランダは頬をさすりながら、自分が告げた自分の事に少々驚いていた。だが、どこかで聞いたような話だ。

 そうだ。

 これは、


「なんだかパパとママみたい……」


 呆気あっけに取られながら呟いた彼女に、ミュランダ(大)は大きく頷いた。


「そう。パパとママみたいに、ちょっと違うけどあたし達も一心同体なの。これなら分かりやすいよね」


「うん。すっごくわかった」


 うんうん頷いて、それから尋ねる。


「っていうか、あなたもパパとママを知ってるの?」


 暗い空間に沈黙が流れる。

 数秒、何かを確かめるように目を閉じていた大きな自分は、手を胸に抱いて、


「うん、あたしはあなただから……。直接会ったことは無いけど、パパもママも大好き。お姉ちゃんも」


 出会ったことのない、ミュランダ(小)というフィルター越しにしか知らない修真達に、思いを馳せた。

 会いたい。

 喋りたい。

 遊んでもらいたい。

 私の事も知ってもらいたい。


「会いたいな。パパ……」


 その様子を見ていたミュランダは、何ともいえない気分になって、ふぅん、とだけ相槌を打った。

 信じられないが、どうやら彼女は本当に自分の一部らしい。認めたくはないけれど(特に胸の辺りとか)。

 と、そこで、パパとママという言葉を聞いて、えらいことを忘れている事をいまさら思い出した。


「にゃああああああ!! そうだ! ねえ、早く行かなきゃ。みんなを元に戻さなきゃいけないんだよぉ〜!!」


 ミュランダ(大)は腕を組んで、小さい自分をじろりと見る。かなり消耗しているのが見ただけで分かった。それに、まだ取り込めていない霊力が体の中で暴れ回っている。


「そう……。でも、今日の相手は、今のあなたでは難しいかもね。あたしが言うのもなんだけど」


 言われて、むぅ、と押し黙るミュランダ。

 確かに、ヒノトオロチは強い。勝てないかもしれない。

 それでも……。

 頭をぷるぷる振って、


「……それでも行くの! 行くったら行ーくーのっ!」


 不安を吹き飛ばすように叫んだ。

 それに対して、大きな自分は半目になって言う。


「この頑固者」


「むっ、うるさいなぁ! あたしのくせに!」


「だってあなただもん」


「あたしはそんなにうるさくないもんね!」


「あ、そ」


 軽くあしらわれたミュランダが、悔しさでどすどす地団太を踏んでいるのを尻目に、ミュランダ(大)はまたも何かを考える素振りで指先をあごに当てて首を傾けていた。


「う〜んっと、どうしようかな……」






「ガッァアァアーーーー!!」


 青白い霊炎と、無数の狐火がヒノトオロチへと一斉に飛んだ。自由自在に宙を滑る龍は、身をくねらせて巨大な霊炎をかわす。その身を、避け切れなかった小さな火の玉群が襲った。

 複数の小さな爆発が、龍の長い胴を包むように巻き起こる。

 しかし、龍は怯まず驀進ばくしんする。


「終ワリダァアアアアアア!!」


 ついに大顎が宙を駆ける霊狐の横腹に喰らいついた。

 固い物が砕けるような嫌な音がセキコの体から鳴り、牙によって裂けた腹から血が飛ぶ。

 しかし、


「ガヴウウウウウッ!!」


 霊狐も、爪を龍の胴に食い込ませ、龍の首に牙を立てた。

 鋼のような鱗が砕ける。炎のように赤い血が、龍の身から溢れ出した。






「なに、まだ文句あるの? あたしはもう決めたんだから!」


 ミュランダが無闇に食ってかかって言った。


「でも、でもね……」


 大きなミュランダは、もじもじしながら言うべきか言わざるべきかを迷っている。

 そして、きっ、と目を吊り上がらせて息巻いている自分に、少女っぽい動作で、


「ねぇ、ちょっと交替して欲しいな。あたしも外で暴れてみたいの」


 と、手を合わせて頼んだ。

 当然ミュランダには意図が掴めなかった。


「へ? 交替って……なに?」


「だから、表に出させてって意味。良いでしょ?」


 ぽかんとしていたミュランダが、意外の声を上げた。


「えぇ〜〜!! それって、あたしがここに残って、あなたが戦うってこと!?」


 大きな自分はこくこく頷いている。なんだか動作も似ている辺りが、ちょっと変な感じがした。

 次いで、彼女は駄々っ子のように、


「おーねーがーいーっ。ずっとあなたが表だったんだから、少しくらい外の世界に出てみたいのっ」


 足をばたばたさせながら言う。

 ミュランダは少々不安になった。


「でもそれって、あたしが変になったり……しないよね?」


 無表情を守ってきた大きな自分が、にっこりと微笑んだ。


「だいじょーぶ。あたし達は長時間は入れ替われないけど、ちょっとの時間だけなら問題無いから。ダメ?」


 う〜ん、と考えながら辺りを見回す。

 どこかも分からない、どこまで続いているのかも分からない深い水底のような世界。自分と大きな自分は、どこかから降り注いでくる、まるでスポットライトのような包まれているが、それ以外は何も無い。

 陰鬱な景色を目に映して、


(ここ、暗いな……)


 ミュランダの感想は割と率直だった。


(こんな暗いところで、もう一人のあたしはずっと眠っていたんだ……。私の目で、外を見ながら……)

 

 ふいに、胸が締め付けられた。目玉焼きの黄身が潰れてしまったような、手をつけずにとっておいた大好物を嫌いな物と勘違いされて食べられてしまったような気分。


(そうだよ。あたしがだけが楽しい思いできるなんて、ずるいよね。一緒なんだから)


 ミュランダは、じっと大きな自分を見詰めて尋ねた。


「ちゃんと返してくれるよね?」


 すぐに彼女は返答する。


「うん。あたしが表にいられるのは大体、三十分か四十分……くらいかな? それ以上は体が持たないし。三十分経ったらちゃんと元通りになるよ」


「ほんと?」


「ほんと。自分にウソついてもしょうがないでしょ? あなたが壊れたら、あたしも壊れてしまうんだから、無茶はしないよ。余裕を持って、二十五分で戻るから」


「……わかった。じゃあ、ここで待ってる」


「良いの? 本当に?」


「うん。みんなのこと、お願い」


「うん、わかった。安心してそこで見てて」


 もう一人の自分が、光に包まれる。

 そして風のようにふわりと消えた。





「ウグアアアアアアアアッ!!」


 霊狐に牙を立てたまま、乱暴に首を振り乱して放り捨てた。

 狐の華奢な体躯が地面に落ち、数度跳ね、そして転がる。


「ゥゥ……」


 腹の骨も砕かれ、立つのすら難しい。

 視界が朦朧もうろうとしている。どうやら目もかすんできているようだ。

 限界だった。

 最初から天と地ほどの差がある太古の神ヒノトオロチを、貧弱な霊獣であるセキコがどうこうできる話ではなかったのだ。それ以前に、ここまで戦えた事が奇跡に近い。

 九十度かたむいたぼやけた地面と、燃え盛る龍を遠くに見ながら、セキコの意識は薄れてゆく。


「タカガ狐ゴトキガ、我ニ刃向カウナドト、愚カナ真似ヲ……」


 龍が何か言っている。

 それさえも残響がひど過ぎて聞き取れなかった。


(ああ、ミュラっ子、早く来てくれへんかな……、もう疲れたわ。うち、こんなに頑張るタイプやないねん)


「我ハ、地上ヲ、火ノ海ニィィッ。裏切ッタ、ニンゲン共ニィ、ソノ身ヲモッテシテ、償ワセテヤルノダァッ」


(……恨まんといてや。うち、自分なりに結構頑張ったんやで)


「サァ、マズハ、貴様カラダ」


 凄みを効かせた声。その表情には゛目的″の達成に近づく歓喜で恍惚こうこつとしている。

 蛇腹が風船のように膨れ上がった。


(ミュラっ子……さっさと、こんかい。うちが、どれだけ、大変か、分かってんのか……?)

 

 そして、


「ミュラっ子、遅いわ」


 ドオオオオオオオオオ!!


「――ッ!? 何ダ、コノチカラハ!?」


 刹那、地下空間を震わすような凄まじい力が、どこからか燃え上がった。

 風が渦巻き、空気が鼓動を打つかのように脈動している。

 龍の全身がとある感覚から硬直した。゛危険″を告げる本能。


「ド、ドコダァッ!!」


 当惑に満ちた金の瞳を、周囲に巡らせる。

 その途中。

 痛みさえ感じる風の中心で、


「ニ、ニンゲン……ダト!?」


 倒れていた筈の少女が幽鬼の如くゆらりと立ち上がった。手がぶらりと垂れ下がり、全身に力が入っていない。

 だが、この力の津波はこの少女から発せられていた。

 ドクン、ドクン、と鼓動が鳴る度に、少女のシルエットがぼやけて、もう一人の何かが、背後に居るように見えだした。


「ナ、何ガ起コッテイルト言ウノダ……!?」


 ヒノトオロチさえも震えるほどの圧倒的な力。

 燃え上がる強烈な魔力が周りの風景を歪ませている。鼓動と同時に生み出される力の波紋はもんが、ヒノトオロチをすり抜けて広がっていき、それが空気を揺らしていた。

 少女は肩越しにふり向き、


「……くくっ」


 龍を見据えて笑う。


「――グッ!?」


 ヒノトオロチの体に冷や水を打たれたような感覚が走った。

 内側から怯えた。

 今、このニンゲンを始末しなければ自分が消される、認めたくは無いが本能がそう告げている。


「クッ……、消エ去レェェェエエエエエッ!!」


 セキコへと向けていた爆熱弾を、現行最も危険な存在へと向ける。否定という憤怒を混じえ、爆熱弾を吐くその一瞬、

 駆け抜ける赤い影、


「ガァアアアアアッ!!」


 どっ、という鈍い衝撃がヒノトオロチを襲った。

 龍の体勢が崩れ、爆熱弾は見当違いの方向へと飛び出す。

 霊狐の巨体が龍の横面から突進し、強引に爆熱弾の軌道をそらした。ミュランダの脇を巨大な劫火が飛びぬけ、大爆発を起こす。

 その爆炎を背に、少女は一歩踏み出す。


「雑魚ガ邪魔ヲスルナァァァアアアアッ!!!」


 激怒した龍は、突進の反動で落下して行くセキコ目掛けて持ち上げた首を振り下ろした。

 龍の頭部には、研ぎ澄まされた刃のように鋭利な角。

 セキコは出し得るだけの霊力を出し切り、霊狐の変化が解けた狐となって落ちて行く。

 彼女の表情は、穏やかだった。


「へへ、うちの役目はこれで終わりや……」


 鋭利な角がセキコの胴を斬り付け――

 へし折れた。

 めきめきと音を立てて、

 角が、

 細い手によって、へし折られた。


「――あは、脆弱な体だね」


 揺れるタンポポ色の長髪。

 大人びた体に生えた、二対の翼。

 ぴんと尖った狐の耳。

 ほんの一瞬で目の前に現れた彼女の手には、たった今、怒れる龍の頭からもぎ取った角が握られている。

 セキコは落下していきながら、その凛々しく残虐な姿に、

 霊狐の要素を含んだ体に、゛九本の尾″に目を奪われた。

 いつかそうなろうと思っていた゛理想の姿″が、すぐそこにあった。




「ウグゥオオオオオオオォ!!」


 痛みに悶絶する龍は、頭をを振り乱し、そこら中の壁に激突した。割れるような激痛が体を走り、耐え切れず暴れ狂っている。

 そこから少し離れた場所に、姿を変えたミュランダが気を失ったセキコの体――小さなな狐を抱きとめて、ふわりと着地した。


「……あぁ、なんか体が変。まだ定着不足なのかなぁ? おかしなのも生えてるし……」


 ぴょこぴょこと耳を動かし、九本の尾をふらふらと振ってみる。


「まったくもう。あたしったら、吸い取った力に影響を受けることぐらい知っといてよね」


 ぶっきらぼうに呟くと、頭の中でもう一人の声がざわめく。


「はいはい、言っておかなかったあたしが悪いのね、今度から気をつけるよ。でも今はあたしの番だから大人しくしてて」


 ごん、と頭を叩いて、よいしょ、とセキコを地に寝かせる。

 足と腹部はかなりの傷を負っている。だが、早く手当てをすれば命に別状は無さそうだ。


「セキコ、ありがと。正直な所、あなたじゃ無理だと思ってたけどよくやってくれたね」


 優しく頭を撫で、ミュランダは颯爽と立ち上が――

 ろうとして、前のめりに転んだ。

 ずしゃあっと倒れて、


「あてて……。思った以上に、調子悪いみたい。ま、初めてだししょうがないか」


 むっくり起き上がる。

 体が鉛になってしまったように重い。


「くっ……」


 やはり少ないようだ。この状態――゛天使″を維持できる時間が。

 ならば早めに片付けるまで。

 ミュランダは頭の中で現状を把握はあくし、ふわりと九本の尾を踊らせると、


「キサマキサマキサマァァァァアアアアッ!!」


 激情に呑まれ、猛進してくる龍を睨みつけた。


「さ、こっちだよ」


 と、その場を真上に跳躍。

 龍は、傷付いたセキコには目もくれず、鬼気迫る勢いでその場をぐんと上昇、ミュランダの姿を追う。


「ウガアアアアアアア!!」


「あんた、うるさいってば」


 宙でぐるんと踊るようなステップを踏む。すると、セキコが従え、操っていた霊炎――無数の青白い群炎が周囲に燃え上がった。


「いけ」


 彼女の一声で霊炎が矢となり、龍に降りかかる。

 流星群のように見える、美しく、そして苛烈な攻撃。霊炎が接触した龍の巨躯は、盛大な爆音と青い炎に包まれる。

 しかし、爆炎から煤だらけの龍の頭が踊り出た。


「ゴアアアアアアアアアッ!!」


 間をおかず、広範囲に及ぶ灼熱の息吹。

 ところがミュランダは眉一つ動かさず平然としていた。


「馬鹿の一つ覚えだね」


 まわりの空気を抱くように両手を頭の上で組み合わせ、合わさった一つの拳に風が集束。

 力を込めて、


「ジェノサイドテンペストッ!」


 振り下ろす。 

 キン、と閃光。その後、生み出した旋風の大刃たいじんがヒノトオロチの灼熱を消し去り、龍の身まで彼方かなたへと吹き飛ばした。

 あれだけ堅牢を誇ってきた体が、いとも簡単に風に流され、


「ゴガハッ」


 壁面に激突。

 ミュランダの追撃の手は止まらない。


「さっき、良い物見たの」


 ぼぉん、と頭上に広がる橙色の魔法陣。

 右の拳を腰に溜め、陣へと、


「見せたげるッ!!」


 突き上げる。

 拳が陣を貫き、だがその手首から先は、

 同時、壁に叩き付けられた龍の下方、その地面から岩が隆起。


「――ブグアッ!」


 鈍く、鋭い痛みが龍を下から襲う。岩石が巨腕を形成し、龍の下顎を殴り飛ばした。

 崩れた岩と、龍の巨躯が弱々しく地に落ちて地響きとなる。地下空間を揺るがす轟音が龍の体の巨大さを物語っていた。

 パン、と光の粒子となって陣が掻き消える。

 ミュランダは、あたかも自分の拳で殴ったかのように、右手をぷらぷらと振りながら言った。


「どう、素敵でしょ?」


 あの溶岩帯で襲ってきた炎の腕を真似た、彼女だからこそ出来る即興そっきょうの術だった。

 ミュランダはふわふわと浮かびながら龍の上に陣取る。強き者よりもさらにに強き者は、その華美な髪をなびかせながら、地でくすぶる龍を冷酷な笑みで見下ろした。


「……ふふっ。あんたこの程度なの? 何が目的か知らないけど、そんなのじゃ地上は燃やせないね」


 一度崩れ落ちながらも龍は首を起こす。

 セキコに噛み抜かれた皮膚から血がぼたぼたと滴った。


「キ、キサマニ、ナニガワカルゥウッ!!」


 鼻面に皺を寄せて吠え立てる龍に、ミュランダは冷徹に、しかし炎のような内なる怒りを込めて返す。


「わかんないよ。でも、お前はパパ達を侮辱した。だから、わけ分かんない危険思想と一緒にこの世から消えるの。じ、えんどってことだね」


 つい先刻まで勝ち誇っていた相手に、見下される屈辱。

 と同時に、


(コヤツノ尋常ナラザル殺気、我ノ知ラナイチカラ――サテハ!?)


 目の前の少女が、


「貴様! コノ世界ノ者デハナイナ!?」


「ん、今頃気付いたの? そうだよ……っていうか人じゃないし。あたしは人工的に造られた兵器『天使』。ま、欠陥品だけどね――っとと、これ言ったらダメなんだっけ」


 この世界の人間ではないことと、゛認識が誤っていた″事を痛感する。


(……ソウイウコトカ)


 なるほど道理で強い訳だ、と龍の疑問に全て合点がついた。この少女は先ほどの霊狐と比べると、決して油断や手加減して戦える相手ではなかった。

 事実を再確認するとヒノトオロチはぎちぎちと全力で歯噛みし、喉を震わせ唸った。

 

「ゥゥゥヴッ、……ウアガアアアアアアアア!!」


 怒りのままに飛び立つ。

 迎え撃つミュランダの表情には一切の動揺もない。ただ、力に裏付けされた余裕に背中を押され、堂々と浮いていた。


「バッハァ!!」


 龍による爆熱弾。地上での活動を予測して押さえていた力を、惜しまず攻撃に注ぎ込んだ一撃。その熱量も質量もかなり強まっている。

 対するミュランダは力をたぎらせ――

 ドクン。


「――ぐっ」


 鼓動が一つリズムを忘れ、体を異常が襲った。反射的に胸を握り潰すように掴む。


(こ、んな、時、に……!)


 息が出来ない。

 体が動かない。 

 ゛模造品″ゆえの天使化からくる反動が早くも顕著けんちょな形として現れ始めていた。

 目の前には、もう爆熱弾が。


「くっ!」


 ――ドガアアアアアアアン――

 広がった炎が、膨れ上がって消える。 


「……はっ、あ……く、はぁ……はぁ……」


 随分と薄い魔力障壁を展開させたその中心で、ミュランダは冷や汗を流しながら乱れた呼吸を続けていた。

 掲げていた右腕が、

 びしゃっ、

 無理な力の発揮により、剃刀で切り刻まれたように内側から裂けた。


「く、そ……」


 後退を余儀なくされ、迫り来る龍から逃げるようにゆるゆると距離を取る。

 しかし、龍はそれを許さない。


「逃サンゾッ、小娘ェェェエエエッ!!」


 突然相手の様子がおかしくなったのを勝機と見て、ナイフのような牙が並んだ口を大きく開けて猛進。

 一直線に驀進する龍の頭部、あの刃のような角をまともに受けるのも、受け流す余裕もない。


「――っく!」


 すんでの所で翼を羽ばたかせ身を翻す。

 ばがん。

 壮絶な音を立てて顎が閉じた。噛み切られた感触はない。


「なんとか――――!?」


 迫る視界一面の黒と赤。

 凄まじい勢いで進み行くヒノトオロチの横腹がそこにあった。


「しま――――」


 それは牙をよけられるのを想定した、二段重ねの攻撃。龍はむちのようにしなった巨躯をミュランダへと打ちつける。

 瞬間的な衝撃と、どうっ、という衝突音。ミュランダの視界に極彩色が散った。

 天使の体が膨大な質量を有する胴に勢いのまま弾かれ、大型車両にき飛ばされたゴミ屑のようにくるくると宙高くを舞い上がる。

 舞い落ちる木の葉のように、地面に落下。

 

「あぐっ!」


 受身を取る事もままならぬうちに、体を打ちつけた。


「……うぐ、く」


 体が、きしむ。

 全く逆の立場に陥ったミュランダは、しかし地面を握り、精一杯で立ち上がる。

 龍は傲然ごうぜんとミュランダを見下ろし、嘲る。


「ドウシタ? ヨモヤ、病ヲワズラッテイルトデモイウノデハナイダロウナ……?」


 ぼうとミュランダから魔力の奔流が生まれた。


「……そんなんじゃ」


 びち、びちっ、そんな悲痛な音を立てて、腕から裂けていた傷が肩へ、背中へと広がって行く。天使の翼に朱色の飛沫が散った。


「……そんなんじゃ」


 突如、ひゅおうと風が逆巻き、濃く、手で掴めそうな靄がミュランダを中心に広がり始める。もわもわと広がるそれは、肌を刺すような冷気。

 ゛この場所″で、それが起こっていた。

 冷気に包まれた中から物音が聞こえる。

 きちきち。

 きち。

 がり、ばり。

 

「ないったら!!」


 何か゛巨大な物″を振ったように、ぶおうと風が横殴りに放散した。

 散り散りになっていく靄の中から、一直線にミュランダが飛び出す。


「――ッ!?」 


 ヒノトオロチは、目に飛び込んできた意外な状況と、突発的な攻撃に息を飲んだ。この復讐に駆られた神でさえ、そのおぞましい光景に顔を歪ませていた。

 瞳に映るは、赤黒い腕。ミュランダの裂けた腕が、絹のような肌をもつ肩から、白く細い指先まで、凝固ぎょうこした赤黒い何かで覆われていた。


「――血、ダト!?」


 自分自身に魔法をかけ、使い物にならなくなった腕を止血効果と痛み止めも含めて再生させる。

 彼女の体には似つかわしくない、巨大な゛武器″として。


「お前なんかッ――」


 腰から体を捻らせ、左肩を前に。

 龍はいたたまれずに、すぐさま迎撃の構えを取る。

 ごうと風が龍の大口に吸い込まれた。


「ゴアアアアアアアアアッ!!」


 猛る灼熱が直進するミュランダを飲んだ。


「ぐっ――ああああああああ!!」


 身を焼かれながら、それでも進む。

 炎の中を飛び抜ける。


「パパを返せぇえぇぇええええ!!」


 凍てついた腕を突き出した。

 ぐぶしゅ。

 水分で満たされた肉を貫く音で、龍の視界が右から半分、暗転。

 残った視界の中には、鼻面の上に立っている女の姿。


「ウッ、グウゥッ!? オノレ、コムスメェエッ!!」


 目を潰された。

 だがそれどうなるヒノトオロチではなかった。ミュランダを乗せたまま少し身を引き、そのまま岩壁に頭突き。

 間髪居れず爆熱弾。


「バッハァアッ!!」


 壁面にめり込んだまま、自分ごと吹っ飛ばした。

 広がる衝撃と盛大な爆炎。

 しかし、爆炎の中心から龍の巨躯がまったく逆方向に弾き飛んだ。

 次いで四枚の翼を広げた兵器が弾丸のように飛ぶ。

 爆炎の中で殴り飛ばした龍の頭に追いついて、


「このっ、バカ――――――――!!」


 氷の巨腕でアッパーカット。

 龍の身が力無く、浮遊。


「お前なんかっ」


 紅蓮の炎に包まれ、燃え上がる九本の尾。それぞれの尾が炎となり、一本に凝縮。


「どっかいっちゃえ――――――!!」


 ぐるんとその場で一回点。しなる巨大なフレイムテールを振る。

 紅蓮の尾が乱立する柱を爆砕、爆砕、爆砕。

 最終的に龍の胴を、


「ゴッ――」 


 打ち砕く大爆発。

 ヒノトオロチは斜線を描く弾道で飛んで行き、天井にぶち当たって、岩屑とともに崩れ落ちた。小山とも思えるほど積み上がった岩と、下敷きになった龍。


「はぁっ……はぁっ……も、もう、時間切れ……か」


 ミュランダは荒く息づきながら。残された時間がわずかなのを知っていながら、化け物のような氷の腕を高く掲げる。


「……でもっ! あたしの無茶はこれから!」


 体の中に存在する、゛こちら側″の魔力を掻き集め始めた。

 ぼっ、ぼっ、と無数の霊炎が燃え上がる。

 凍てついた指先から螺旋状に魔力が立ち昇り、頭上に巨大な魔力球を形成。その中へと霊炎が飛び込む。

 力の光が輝きを増した。

 淡い緑の光が辺りを埋め尽くす。

 タンポポ色の髪を靡かせ、天使の瞳は冷たく冷え切っていた。


「……あははっ。お前のせいで、この後、パパに会う時間がなくなっちゃった……」


 いまだ巨大化していく魔力球を片手に、゛このミュランダ″は怒りに震えていた。

 瓦礫の中からむくりと身を起こす龍の目に、それはもう爆発的な魔力と怒気を体中から発散させている少女が飛び込んでくる。

 最後の一撃、と言わずとも、集まる力の膨大さが龍に物語っていた。


「ナラバ!!」


 相対する龍は、同じく一撃に全霊をす。

 口を大きく開け、迸る妖力に導かれ、龍の周囲で真紅の炎が無数に燃えがる。


「……どう責任取ってくれるのよ!」


 せっかく知ってもらうチャンスだったのに。

 このあたしを見てもらえると思ったのに。


「なんだか知らないけど、こっちはいい迷惑よ! せっかく、せっかくぅッ!」


 こめかみにばしばし青筋を立ててぶちギレるミュランダ。

 両者のあまりの力の発揮により、地面にひびが走り、瓦礫が浮かび上がる。そこだけ逆さの重力が働いているかのように。

 そして、


「パパに会えると思ったのにぃ――――――!!」


 ぶん投げる。


「クダケチレェェェエエエエッ!!」


 吐く。

 周囲を圧壊あっかいさせながら二つの力が進む。

 全力がぶつかり合い、

 鮮烈な光が広がり、

 やがて全てを染め上げる。

 燦然とする光の中で、炸裂する力が両者の影を薙ぎ倒した。






 土埃が晴れ、赤い炎の世界は静寂に満ちている。

 静かに燃える溶岩の泉、乱立していた柱は、激闘の証として一つ残らず消滅していた。

 あれだけ満ち満ちていた力のせめぎ合いは嘘のように、今の地下空間には噴き上がる妖力も、燃え上がる霊力も、爆発する魔力も無い。

 本当に静かだった。心なしか燃えている溶岩も勢いが弱まったかのように見えた。

 嵐が過ぎた後のような不思議な静謐感せいひつかん

 そんな中に、人(?)の姿がちらほらとある。

 倒れた赤狐。

 消えかけた幽霊。

 そして、崩れ落ちてきた岩の中に、天使化が解けた小さな体のミュランダがうつ伏せになって気を失っていた。

 艶のあるタンポポ色の髪も今はぐしゃぐしゃ、服も煤だらけでぼろぼろ。両腕は裂けていてもう動かせない。立ち上がることも出来ない。魔力も空っぽ。

 これ以上ない満身創痍まんしんそういだった。

 ほどなくして彼女は気を取り戻した。


「…………ん」


 脱力感だけが体の中にたっぷりとある。それにものすごく痛い。

 何が身に起こったのか、もう一人の自分に脳裏で問い掛けた。


(……ねぇ、どうなっちゃったの? あたし……)


 返事がない。


(眠っちゃったのかな?)


 ミュランダはなんとかごろんと体を返して、仰向けなった。

 すぐに現状を把握する事になる。


「……そっか」


 あたし、負けちゃったんだ。


 その瞬間、前方で山のように積み上がっていた岩が内側から炸裂した。

 ヒノトオロチ。


「グフゥゥッ……」


 龍が、鎌首かまくびをゆっくりと首を持ち上げた。片目は潰れ、長い胴は所々血が湧き出ている。セキコ、ミュランダとの激闘で蓄積されたもの。特に天使状態の攻撃をまともに受けた傷が大半だった。


「ォォォ、コ、小娘ェェッ」


 ヒノトオロチもまた満身創痍だった。けれど、修真達から吸い上げた力は、なお体を動かさせていた。いや、人間に対する復讐の執念しゅうねんだけがそうさせていた。

 隻眼せきがんとなった瞳を、目を奪った敵へと向ける。


「キ、サマ、ノ、オカゲデ、モウ、復讐ヲ果タス、ダケノチカラヲ、失ッテシマッタ……」


 もう叶わない。今一度、社にいる連中から力を吸い上げようかとも思ったが、そんな妖力も残されていなかった。

 対照的に、ミュランダは大の字に倒れたまま誇らしげに笑う。


「あはは、ざまぁみろ。パパ達には、手出しさせないんだから」


 龍は悔悟の念から歯噛みした。

 この娘が、この娘さえ、いなければ。

 その時、復讐の標的がすり替わった。


「ダガ、コノママ、消エル我デハナナイ!! キサマラヲ、道連レニィッ!!」


 本懐を遂げられない事を悟り、狂気の宿った声で咆える。

 だが、どうしてだろう。


「…………そっか」


 全て空っぽになって初めて、敵対心という決め付けを取り除いて龍を見ると、案外悪い奴じゃないのかも、と思えてしまった。

 そう言えば、どうしてパパ達から魔力を吸い取ったりしたんだろう。

 ヒノトオロチはぶるぶると抑揚を効かせた声で呟く。


「我ハ、憎キ人間共ニ復讐ヲスルノダ!! 憎イ! ニンゲンガ、憎イッ!」


 よくよく考えてみれば、このヒノトオロチという妖怪の事を何も知らない。戦いにおいては相手の事情を知るということは、情が生まれてしまうためあまり好まれないことなのだが、こうまで純粋に復讐を願われると理由が気になってくる。

 自然とその問いが口から漏れた。


「ねぇ、どうしてそんなに人間が嫌いなの?」


 龍は動揺しながら、復讐の動機を語り始める。ずっとそうして欲しかったかのように。


「キサマニハワカルマイ。水ノ神デアッタ我ヲ、水ヲ清ラカニ保ツ役目ヲ負ッテイタ我ヲ、人間共ガ、私利私欲ノタメニ殺シ、ソノ土地ヲ奪ッタ事ヲ! コノ身ヲ焦ガス怒リガ!」


 確かな怒りと悲しみが声に宿っている。


「そうだったんだ……」


 理由があったんだ。

 ミュランダは初めて知った。

 ヒノトオロチという妖怪が、元々゛水の神″だったことを。人の欲が、彼を怒れる龍の化け物へと変えてしまったこと。

 だから、もしかしたらと思って、いや、そうできると信じて和解の道を選択した。


「でも、人間ってそんな人ばかりじゃないよ? あなたが、知っているみたいな人間ばかりじゃない」


 穏やかにそう言うと、龍の瞳はますます動揺の色が濃くなった。

 ぐっと見を縮め、それでも怒りというきっかけに乗せて、言葉を吐く。


「……ナ、何ヲ言ウ!! 人間ナド、汚レタ生キ物ダ!! 洪水ハ、河川ノ汚レヲ押シ流シ、清流ヲ呼ビ戻スタメニ必要ダトイウノニ!!」


 言い切ると、ぼうぼう口から炎が溢れている。

 ミュランダは彼の記憶を自分に置き換えた。もし、自分が゛この子″の立場だったらどう思うだろう。


「――あなた、悔しかったんだね」


 龍の目が一瞬見開かれ、口から溢れていた炎が煙を上げて燃え尽きた。

 だが、また怒りの炎が燃え上がる。


「ワ、我ヲ愚弄スル気カ!!」


 咆えたが、そこに勇ましい龍の気迫はもう感じられない。

 怯んでいた。ミュランダに対して。彼女が゛差し伸べる手″に。

 ミュランダは雨の中で震える野良犬に手を差し伸べるように声をかける。優しく、全てを包み込むような声で。


「……違うよ。でも、生き物のためにしてた事なのに、人間に、もうお前は要らないって、洪水を起こす悪い奴だって言われちゃって……、あたしだったらちょっと悔しいなって」


 ずっと一人で。

 誰も言葉に耳を傾けてくれず、憎しみだけを糧に生きてきた。

 悲しかっただろう。

 憎かっただろう。

 彼の身になって考えると、心がぎゅっと締まった。


「哀レムナ!! 我ハ、哀レデハナイ!!」


 ヒノトオロチはやはり動揺し、喚き散らした。

 怖がらせようと吠えたのに、少女は、


「うん、哀れじゃない。だけどちょっと頑固者かな?」


 そう明るく微笑みかけた。


「…………ッ」


 予想通りの反応が返ってこず一層、怒りの炎が小さくなった。

 龍は大いに混乱していた。

 何故、敵に微笑みかける。何故、敵の身になって話をしている。


(エエイ!! ドウシタトイウノダ我ハッ! 何故、今、コノ娘ヲ消シ飛バスコトガ出来ンノダ!?)


 優しさが怖い。

 信じられないから優しくされるのが怖くて仕方がない。だが、龍自身はそれに気付くことができない。

 今まで、この復讐の姿となってから、こんな風に話を聞いてくれた生物は一匹とていなかった。それはその姿が、他の生物を遠ざけ畏怖させたためでもある。龍が、他を遠ざけたために、今の荒々しい姿となったのだ。ヒノトオロチという妖怪の姿に。

 それなのに、他を遠ざけているのに、目の前の娘は物怖じ一つせずそこにいる。

 ミュランダは、傷付いた龍に優しく問い掛ける。


「ねぇ、今この時代で生きてる人達は、あなたに酷いことをした人間じゃないのに復讐する必要なんてあるのかな? あなたを苦しめた人達はとっくの昔にいなくなってるんだよ?」


「……アル!! 同ジ、人間トイウ生キ物ダカラダ!!」


 ヒノトオロチの精一杯の反論に、ミュランダは呆れて溜息混じりに言った。


「……ふぅ、頑固だねぇ」


 この龍は、どうしようもないくらい真っ直ぐな考え方を持っている。真っ直ぐすぎて折れる事が出来ない。

 恐らく、ずっと真面目に架せられた役割を果たしてきたのだろう。遊んだり、さぼったり、誰かに甘えたり出来ず、一生懸命に。

 そんな゛良い子″が復讐を糧に生きているという事実が、ミュランダにとってはショックだった。

 なんとか、彼を復讐という呪縛から解放してあげたい。


「……復讐なんてあなたには似合わないよ。もうやめない? こんなことしてたら、あなたが壊れちゃうよ」


 人ではなく、この世界の人でもない少女から告げられた一つの提案に、


「……ヤメル、ダト?」


 ヒノトオロチは困惑し、


「ナラバ、我ノ怒リハドウスレバイイ!? コノ怒リヲドコヘ向ケレバヨイトイウノダッ!!」


 激情した。

 折れたらこの怒りをどうすれば良いのか分からない。逆に言えば、一つの考えに捕われすぎてしまう堅物だった。

 ヒノトオロチの疑問に、


「それは……」


 ミュランダは答えられなかった。

 忘れろ、許せ、なんて言えない。中途半端な答えではこの龍を説き伏せる事は出来ない。

 自分の不甲斐ふがい無さを噛み締め、囁いた。


「……ごめん。わかんない」


「……ヤハリナ。ヤハリ、復讐シカ道ハ無イノダ」


 龍は少しでもあらがおうと、もしかしたらこの娘が新たな道を示してくれるのではないかとに期待した他力本願な自分を恥じ、絶望した。あと少しで溶けそうだった心の氷が、また凍てついていく。


「でも違う……。違うんだよ」


 そうじゃない。

 そんなことない!

 ずたずたに裂けた腕を引き摺りながら、ミュランダは這い出す。そして心の中で、渦巻く伝えたい事を必死で言葉にした。


「でもっ、でもね、頑張って生きてる人達の邪魔しないであげて! みんな生きてるんだよ! あなたみたいに!」


 龍は説得に対して、疑問で返す。


「先ニ邪魔ヲシタノハ人間ダ!! コノママ黙ッテ引キ下ガレト言ウノカッ!!」


「復讐なんてしたら、あなたを苦しめた人と同じになっちゃうんだよ!? そんなの悲しいよ! あなたはこんなに綺麗な心を持ってるのに!」


「――ナッ」


 予想だにしなかった言葉に、詰まる。


(悲シイダト? 綺麗ナ心ダト? コノ復讐ニ汚レタ我ガ……?)


 ヒノトオロチの感情や彼を支えていた信念が、ぐらぐらと大きく揺れた。

 それでも『一度信じたものは覆さない』という実直さが働き、更に少女の言葉が……

 心に葛藤が生まれ、とうとう龍の混乱は頂点に達した。


「……デハドウシロト言ウノダ!? 我ハドウスレバ良イ!? 何ガ答エナノダ!? 教エテクレッ!! 知ッテイルノダロウ!?」


「そんなのあたしにも分からない! けど、もっと良い方法があるはずだよ!」


 息を切らして叫んだミュランダ。

 龍の体から発散されていた激情がゆらりと揺らめき、消沈した。

 音を立てて崩れ落ちて行く。

 自分を支えていた全てが。

 怪訝そうに見ているミュランダにどこか空虚な声で言う。


「我ハズットソノ答エヲ探シテキタ……゛ソナタ″ヨリモズット、永劫トモ思エル時ノ中デ。ダガ、復讐トイウ手段シカ我ニハ思イツカナカッタ……」


「じゃあ、あたしと一緒に考えようよ! あなたが一人で探してる答え、二人だったらもっと早く見つけられるよ! 一緒に悩むから、考えるから! もう復讐なんてやめて!」


 言い募ったミュランダに、穏やかな瞳を向ける。 

 しなやかな強さを持った少女。それは自分には無い強さだった。


「……フフッ、やなぎハ嵐デハ折レナイトハ、ヨク言ッタモノダ。ナント強キ娘ヨ。我ヲ、折ッテシマウトハ。モシカシタラ、ソナタハ柳デモ巨木デモナク、嵐ソノモノナノカモシレンナ」


「……え?」 


 ミュランダには古臭い例え話が上手く理解できない。


「ダガナ、綺麗事デハ解決セン問題モアルト我ハ思ウノダ。心トハ、ソレホド簡単ナモノデハナイ」


 それだけ言い終えると、この深い地下空間よりも遥かに上にある大地を見上げ。


「人間ヘノ怨ミガ消エタ訳デハナイガ、我ハモウ疲レタ……」


 嫌な戦慄がミュランダの体を駆け抜ける。

 その様からは、怒りや復讐心と共に、大事な何かも抜け出てしまったのが分かった。


「ソナタノ強サニ免ジテ、我ハコノママ消エルトシヨウ……」


「――!? ……ま、待ってよ!! まだ、話は終わってないじゃん!!」


 龍はミュランダとほぼ相打ちになるまで戦い、全力のやりとりの中で全てを悟っていた。

 力だけの強さでは、道を踏み外す。その力を扱う心も大事なのだと。

 片方だけしかもたなかった己は、弱者だったのだと。

 改めてこの少女の強さを思い知った龍は、


「……ソノ答エハ、ソナタガ見ツケテクレ」


 彼女の強さに想いを託す。

 ミュランダは涙目になってこばんだ。


「勝手にそんなこと言わないで! あたし、そんな難しいことできない!」


 少女の言葉を聞きながら、龍は過去を振り返る。

 死んだ神、すなわち人から必要とされなくなった神は、ヒノトオロチだけでない。人にたれた者、自ら消える道を選んだ者。沢山の神がこの東方の地にはいた。

 需要じゅようを失った神々は、どちらにせよ消える。

 それがこの世界のおきてだった。


「……思エバ、必要トサレナクナッタ神ガコノ世ニ存在シ続ケル事ガ間違ッテイタ。我ハ、ソレヲ認メルコトガ、必要トサレナクナッタ事ヲ受ケ止メルコトガ出来ナカッタノダ」


「そんな……そんなのって……!」


「ソナタガソレニ気付カセテクレタ。ダカラ、ソナタニハ出来ル」


 ミュランダは拒みに拒んだ。

 彼の頼みを聞いてしまったら、彼が消えてしまうから。


「やめて! あなたが生きる道が絶対にある! あたしが見つけてあげるから!」


 涙声で切願せつがんするミュランダに、ヒノトオロチは慈愛に満ちた瞳で語りかける。


「……頼ム。愚カナ我ニ、最後ニ誰カヲ信ジサセテクレヌカ? 昔ト同ジヨウニ……」


 ぶるぶる首を振った。


「……だめ、いや、絶対いや!」


 濡れた目で、太古の神を見上げると、一瞬だけ、ヒノトオロチが笑みを零したように見えた。

 そのまま、ぽつりと。


「スマナカッタ」


 とだけ言い残し、彼の中に存在する妖力が、きらきらと天へと向かって昇り始めた。

 ヒノトオロチの影が薄れて行く。

 瞬時、蝋燭ろうそくの炎が消える寸前のように、ぼうと勢い良くその巨躯が紅蓮ぐれんに包まれた。

 燦然と真紅に輝く龍の体。炎には邪気は一切無く、青空のように澄み切った色をしている。

 消えてしまう。

 彼が、消えるのを選んでしまう。


「パパ、どうすればいいの……!? あたしじゃ、この子を救えないよ!!」


 炎が黄金の輝きを帯びた。


「グゥゥウウオオオオオオオ―――――――!!」


 龍が最後の咆哮を上げて、地上へと飛び立つ。

 ミュランダはあらん限りの力を込めて、


「パパ――――――!!」


 この世で最も信頼できる彼を呼んだ。



 天へと消え行く龍の眼前に、一筋の光。

 それは疾風のごとく舞い込んだ。

 翼を模した金属からもれる淡い輝き。聞きなれない駆動音。


「てめぇ」


 静かな声が上から降ってくる。


「――!?」


 龍の目に映る、握り締めた拳を振りかぶった少年。


「うちの娘になにしてくれとんじゃあああああああああああああ!!」


 そのまま怒りの一撃を鼻面に打ち付ける。

 ドゴン。


「――ッ」


 反射的に漏れたうめき声もままならぬまま、一挙にふっとんだ龍は地面をぶち破り、頭からめりこんだ。

 ほんの一秒も無い、わずかな時間の中での出来事だった。

 ミュランダの瞳から自然と涙が溢れた。

 会いたかった。

 助けに来てくれた。

 色々ひっくるめて、喜びの涙。

 歓喜のままに、気付いたら、腕が裂けていることも忘れて、転がるように走り出していた。


「……パ、パパ! パパ!!」


 ゆっくりと着地した修真は、


「ミュランダ!!」


 少女をその目に認めて、大きく腕を開く。

 ミュランダは、跳んだ。

 早く抱き締めて欲しくて。

 早くその温もりに甘えたくて。


「パパ〜〜〜〜〜〜っ!!」


 そして修真は、胸に飛び込んできた娘を受け止め、強く抱く。

 抱いて、


「お前も風呂になにしてくれとんじゃああああああああああああ!!」


 ジャーマンスープレックス。


「ぴぎゃああああああああ!!」


 もうとんでもない悲鳴と共にミュランダは地面に頭からめり込んだ。ヒノトオロチくらいめり込んだ。

 少年の内側から素っ頓狂な声が上がる。


(ええええええええええええっ!? しゅ、修様! そこはミュラちゃんを抱き締めてあげ――)


 言い終えぬうちに、修真は胸を見下ろして声を荒げた。


「うるせえ! おまえに何がわかる! 俺は、俺はまだ、入ったことなかったのに! マイホームの大きなお風呂に!!」


 ある意味、それも悲しみだった。

 修真はうっうっと泣き始める。それだけひょんなことから手に入れたマイホームへの思いが強かったのだ。マンションのせまっ苦しい風呂とは違う、素敵なお風呂に入りたかったのだ。

 ちなみに、彼の背後では頭から墜落したミュランダがアレな感じにぐったりして、ぴくぴくしている。

 悲しみに暮れる修真にマキがするりと抜け出て言った。


「とっても綺麗なお風呂でしたよ! まるで温泉みたいに!」


「ちっぐじょおおおおおお!! なんでいきなり露天風呂になってんだよ! もう意味わかんねーよ! 廊下も水でべちゃべちゃだったしさあ!!」


 全く、どこでも変わらぬテンションの二人はぎゃいぎゃい喚き合う。

 ミュランダが地面からずぼっと顔をひっこ抜く。もう体の痛みとか、魔力が無いとか関係なかった。


「ごめんねパパ! あたしが蔵の入り口燃やしちゃったから!」


「てめぇぇぇえ!! どんだけ家ぶっ壊せば気がすむんだああああああ!!」


 一緒にいるだけで、元気がふつふつと沸いてくるから。それこそ、魔法みたいに。

 怒鳴ってくる修真が面白い。

 半分泣いているような顔が面白い。

 ミュランダはけらけらと笑った。

 楽しくて。


「……グ、グゥゥゥ」


 地面を砕いて横たわる龍が苦しそうな呻き声を漏らした。


「修様、ちょっと落ち着いて下さい! なんか、あの龍が起き上がりそうな季節ですよ!」


「どんな季節だよ! なんで家の地下にダンジョンあって、しかもボスがいんだよ! とんだ欠陥住宅だわ!」


 ほんと今更なことにツッコミを入れる。


「確かにそうですよね。下手したら死んでましたもん」


 ちなみに彼等も、ミュランダとセキコが苦労して突破してきたあのルートを攻略してきたので、所々服が焦げていたりする。炎鳥や炎の腕に追い掛け回されて、命からがらこの部屋に辿り着いたのだ。

 そんなこんなで、現状がさっぱりわからぬままこのヒノトオロチの間に突入してきて、取りあえずマキが敵と判別したヒノトオロチをぶん殴った訳で。唯一分かっているのは、昨日の晩からこいつのせいで色々と恥ずかしい事を言ったあたりな訳で。

 修真はその辺の怒りと、ミュランダのことも含めてびしりとヒノトオロチ(虫の息)を指差した。


「おい! よくもまぁ、俺を洗脳して恥ずかしいセリフ言わせてくれやがったな!」


「『マキ、いつになく可愛いよ』ですって! キャー!」


「ぐおおおおおおっ!!」


 頭を抱えてごろごろ転げ回る修真。恥ずかしさMAXである。

 そこでマキが、ずいっと前に出た。


「っていうか! よくもまぁ、洗脳解かれやがってです! 後少しで、ここでは言えないあんなことやこんなことまで発展しそうだったのに! 既成事実が出来そうだったのに!」


「本当に危なかったんだぞ! っつーか、うちの娘をえらくかわいがってくれたみたいだな!」


 という風に『今から戦うんじゃないか』的な気概きがいを負って言ってみたものの、


「……ゥゥゥッ」


 敵らしき龍は既に虫の息。

 二人は、『あっれえええええええ!? なんか雰囲気ちがくね!?』という表情で顔を見合わせた。

 焦りながら辺りをきょろきょろと見回せば、戦いの傷跡がそこら中に刻まれているし、ミュランダは傷だらけだし、すみっこの方には。


「あ、なんか倒れてません? あれ」


「のおっ!? 幽霊さん、大丈夫ですか!」


 すぐさま駆け出して、幽霊さんへ向かう修真。その透き通った肩を助け起こそうとして、手がすり抜けた。


「あ、そっか、触れないんだっけ」


 マキは、その光景――許せない行為にわなわな震えて叫んだ。


「修様のヘンタイ!! この状況で、そんな、そんなっ!!」


「は? ……あ――」


 感触が全く無いので気付かなかったが、すり抜けた手がちょうどおっぱいの辺りをすくい上げる感じになっているではないか。


「どわっ、ごめんなさい! ってか、触れねーよちっくしょう!!」


 なんなら触っておきたかったくらいである。

 マキは泣きながら言った。


「しゅ、修様がそんな、眠っている女性にイタズラする犯罪者だったなんて! ――はっ! まさか私の体も!?」


「いや、それはない」


 不安げに胸を掻き抱く彼女をばっさり切り捨てる。


「んなっ! そこまでいうなら!」


 何故かシャツを脱ぎ捨て、


「さぁ、揉むと良いです! 欲望のままに、その両手で!」


 ブラジャー丸出しで恥ずかしがる事も無く豪語ごうごした。

 もちろん修真は、


「うわあああああああ!! やめろおおおおう!!」


 とってもセクシー……というよりも脳内で見てはいけないものとインプットされている光景を目にして、幽霊さんをそっちのけで逃げ出した。

 の途中で、どむっと何かにつまづいた。


「ん? なんじゃこりゃ」


 何か犬っぽい変な赤い生物が倒れていらっしゃる。


「新種だ!」


「あ、ほんとですね。真っ赤っか。学会で発表しましょう」


「いや、まず服を着よう。話はそれからだ」


「触ってくれないなら、服なんか着ません」


「そうか。じゃあ一生そうやって生きていくといいわ」


 ここまでくると大体の感じは掴めてくる二人。 

 どう考えても終わってる。

 どう解釈しても、ドンパチやった後にしか見えない。


「あ、あれ? もしかして、そういう感じ?」


「み、みたいですねぇ。あはは」


 困惑する二人を唖然として眺めていたミュランダは、ようやく我に帰って慌てて声をかけた。


「あ、あの、パパ、ママ?」


「ちょ、ミュランダ、説明してくんない? って、ん?」


 もう一度、ミュランダを見て、


「え? あっれ!?」


 なんか凄い格好をしている。

 びっくりしすぎて思わず二度見してしまった。何故か制服がセパレート化しているという、奇抜を通り越してイカれた格好。

 いや、そこは多分洗脳されたんだろうと勝手に完結させて、それ以上に見逃せない所に。


「ど、どうしたのその腕!?」


 流血を続けている切り刻まれた腕にも気付いた。ぱっと見、物凄く重傷。

 たまらず駆け寄った。


「え、血! 血だよねこれ!? ヤバイ! きゅ、救急箱!!」


 手をあたふたさせながら、パニクっている修真。

 マキは至って冷静に答える。


「何言ってるんですか。こんな深い傷、マ○ロンじゃどうになりませんよ」


「バッカ! マ○ロンとイ○ジンは万能なんだよ! 何にでも効果を発揮するんだよ!」


「あ、あはは……」


 心配してくれているのがとても伝わってきた。だが、それは自体は嬉しいが、


「ちょ、ど、どうしよう!? マキちゃんどうすればいいの!? 俺、こんなの初めてだから! 初めてだから優しく教えて!」


「とりあえず、その場でジャンプしてればいいんじゃないですか?」


「おっけ! まかせろ!」 


 ちょっといき過ぎだ。

 何の疑いも無くジャンプしている彼を見て、あまり心配をかけないようにミュランダはぎこちない笑みを浮かべながらあやふやに答えた。


「えっと、これは、ちょっとその、成り行きっていうか……。裂けちゃった、みたいな?」


 バカ丸出しでジャンプ続行中の修真がぴたりと停止した。


「お、お前、裂けちゃったって、そんなの聞いた事ねぇよ。さらっと言ったけど、普通は腕って裂けないからね。うん、そんな簡単に裂けないから。え、裂けないよね?」


「いや、裂ける時はあれぐらい裂けますよ。ぱっくりいきますからね。私なんか、このあいだ足がバリッバリに割れましたもん」


「マジでか」


 マキがしみじみと言う。


「にしても、ほんと、さっけさけですね」


「そうだよ、さっけさけだよ! お前、病院とか行かなくて大丈夫!? ダメだ、普通の医者じゃ手におえねぇ!」


 言われて、ミュランダは眉を悲しげにひそませ、ふり向いた。


「病院が必要なのは、あたしよりも……」


 修真がその視線を追うと、


「っていうか、誰なんだよあの赤いやつ!!」


「あのね、狐のセキコっていうんだけど……」


「赤い狐って、うどんじゃないですか!」


「うぉおい!! そんなん言ったらダメだって!」


「えっと、これも、ちょっとその、成り行きっていうか……」


「また成り行きかよ! どんな成り行きがあったらこうなんだよ! 全然理解できない! もうさっけさけだよ!」


「さっけさけですよ!」


 と、まぁ、ここで今までの分を巻き返しに掛かる二人。ボスと戦えないという不完全燃焼感が、二人を思いっきりボケに走らせていた。

 ミュランダはさっきからうざいくらいにテンションが上がりっぱなしの修真とマキを見て「ああ、多分二人はまだ瘴気にやられていて正気じゃないんだな。あ、ダジャレみたい」と思うことにした。

 そのまま、倒れたヒノトオロチに歩み寄って、気まずそうに苦笑いで喋りかける。


「……ね? 人間って、あなたが知ってる人ばかりじゃないでしょ?」


「……」


 龍は長い長い沈黙を経て、


「…………ソノヨウダ」


 とだけ答えたのだった。






 現在、時刻は午後二時。

 今日は平日であるため、昼下がりの住宅街はとても穏やかだ。鳥のさえずりと、時折過ぎて行く車の音が遠くから聞こえる。あと銃声も聞こえる。

 ミュランダは自室に用意された布団の中で、特に眠くも無いのでぼーっとしていた。

 あれから修真とマキに運ばれて、マキによる手当てを受けた後ここで横になっている。マキいわく、今日は絶対安静にしていなければならないらしい。

 幽霊さんはと言えば、セキコから貰った霊力のおかげですっかり元気(?)になって、かいがいしくみんなの世話を焼いていて、今はセキコの手当てをしている。

 ぎっぎっ、と足音が近づいてくる。


「うーい、調子どうだ〜?」


 すっと戸が開いて、修真が顔を出した。


「あ、パパ。うん、さっきよりもだいぶ良くなったよ」


 包帯でぐるぐる巻きになっているミュランダが、布団の中から答えた。

 修真は、その場にどかっと座って、


「そりゃあ良かった。ってか聞いてよ、セキコ……とかいったっけ?」


「うん。セキコがどうかしたの?」


「あいつさぁ、なんだか分かんないけど獣医に連れて行っても無駄ってマキが言ったからさ、手当てしてたんだよ。そしたらすっげー嫌がってさ、マキに噛み付いたんだよ」


「あはは。そうなんだ」


「それでマキのやつが怒り出して『せっかく手当てしてあげてるのにー! 親知らずー!』とか言って、ガルアスをバンバン撃ちまくるだろ? もう家が傷だらけだよ……」


 くっと目頭を押さえる修真。

 ああ、さっきの銃声はそれですか、と理解しながらミュランダは、


「そこは恩知らずだよねぇ」


 にこにこ笑って聞いている。

 すると修真が突然顔を上げて、


「んで、腹減っただろ?」


 そう問う。ミュランダの瞳がぎんと見開かれた。


「エンプティー!!」


 どうやら腹ぺこらしい。


「んでさ、こんなん買って来たんだけど……」


 彼は後ろ手に隠していた紙袋を「ほれ」とミュランダの前でちらつかせた。


「あ、ハンバーガーだ! どうしたのこれ!?」


 尋ねられて、修真は照れくさそうに答える。


「まぁ、なんていうかな。片桐家は病気の時はこれって決まってんだよ」


 ミュランダはハンバーガーといういつもよりワンランク上の食べ物を前にして、はやる気持ち抑えながら遠慮がちに訊いた。


「ほ、ほんとに食べていいの?」


 修真はぐるりと周囲を見回して、にかっと笑って言う。


「うん。ポチに見つかる前に食っちまえ」


「うんっ!」


 ぱぁっと顔を明るくして、子供っぽい笑顔。

 修真は「俺も小学生の時とか、こうだったのかなぁ」と妙に微笑ましい感傷に浸る。

 と、


「……」


 ミュランダが真顔で停止している。


「ん? あ、悪い悪い」


 彼女が今腕を動かせない事に気付いて、紙袋の中からハンバーガーを取り出して口元に運んでやる。


「えへへぇ〜、ありがと」


 ミュランダはばぐっと、なんとも良い音を立ててかじりついた。


「どうだ? うまいか?」


 もぐもぐ咀嚼そしゃくしながら大きくうなずく。

 修真もうんうんとうなずいて、オレンジジュースを運んでやる。

 ものの数秒で彼女は全てを平らげてしまった。


「ぷっは〜、美味しかった〜」


 嬉しそうにストローからオレンジジュースを吸い尽くして、一息ついた。


「良かったな。そんじゃ、俺はゴミ片付けてくるから」


 部屋を出て行こうとした修真をミュランダが呼び止める。


「ね、ねぇパパ……?」


「ん? まだ何か欲しい物あんの? まぁ、今日ぐらいは特別だから、なんでも聞いてやるけどさ」


「じゃあ、八億円が欲しい」


「今すぐ出て行け」


 それからミュランダは申し訳なさそうに尋ねる。


「あ、あの、今日、学校……」


 そこまで言って口籠った。

 なんだそんなことか、と理解した修真は、


「バーカ。学校なんか行ってられっかよ」


 にっと笑って出て行った。

 またも一人になったミュランダは、ぼふっと布団に倒れる。

 このむず痒いような、あったかいような、そんな感情を心の中で叫ぶ。


 パパ、だーい好きっ!!




 こうしてこの街に降りかかろうとしていた危機は去った。

 一人の少女と、一人(?)の幽霊、そして一匹の狐の活躍により、今日もこの街はゆっくりと時間が流れて行くのだ。

 人々は、笑い、泣き、大切な今を過ごして行く。

 だが、彼女達が身を賭して守ったことは誰も知らない。

 そんな中で全てを知る者がいる。それは遥か下に存在する地下空間で、激闘の傷をいやす龍。

 高熱の溶岩の中で身を縮めた彼は思う。


(我ハ、今マデ何ヲシテキタノダロウカ……)


 色んな意味で愚かな人間を見た彼の心に、もう激しい憎悪は無かった。

 馬鹿な人間に復讐すること自体が馬鹿らしくなってしまったのだ。

 だがそれでも、彼は復讐をやめたりはしない。一度、そうと決めた事は簡単に変えたり出来ない。


(人間ハ愚カダ。自然ヲ破壊シ、ソノ欲望ハ地ニ住マウ神ヲモ殺シテシマウ。全ク、間違イシカオコサナイ……)


 ところがあの少年、あの少女と出会い、彼の行動指針は変わったのである。

 復讐はやめない。

 彼はその方法を変える道を選んだ。

 太古の龍は、生き残った神の端くれとして、


(ダガ、ソレガ人間デアル何ヨリノ証ナノカモシレン)


 ちっぽけな存在が、この世界でどう愚かに生きて行くか、

 世界がどう変わって行くか、

 楽しげに見守り続ける。

 それがヒノトオロチの復讐。 




 余談。

 どどどどど。

 すごい足音が近付いてくる。

 すぱーん、と勢い良く開かれる戸。


「ミュランダ!」


「あ、お姉――」


 言いかけた瞬間。


「このバッカス!!」


「へぶっ!」


 いきなり張り倒されて、ミュランダは吐血と共に布団に沈んだ。

 真っ赤になって激怒しているポチの顔。

 そこにはミュランダ直筆の、バカっぽい落書きが記されていた。




 はい、毎度お待たせしております嘘つき星人、定休日です。ここまで読んでくださったあなたは我慢強い人なんだなぁと思います。

 いや、違うんですよ。春のせいなんですよ。なんていうんですかね、「こんなのもありかな?」とか思ってしまったのは春のせいなんです。更新の限界が六万文字と知ったのも春のせいなんです。「せっかくだから一気に読んで欲しいなぁ、同じ日に二つ更新しちゃえ」とか思ったのも春のせいなのです。

 はい、どうでもいいですね。

 ちなみにセキコの過去なんですが、まぁ、そのへんは適当に想像しておいてください(笑)。いやね、書くとシリアスになっちゃうんで。

 そうそう、話は変わりますが定休日……

 ――幽霊見ました。

 本当ですって! 見たんですって!

 あれはしとしとと降りしきる雨の夜のこと……

 あ、これは次回にしよう。


 次回はアレです、死ぬほどほのぼのしていきます。内容的には、中間テストと散りゆく男達、という浅はかな予定です。

 なるべく早く書こうと思いますので、出来ることならまた読んでやっていただけると幸いです。

 ありがとうございました。

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