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第26話、れじぇんどおぶミュランダ(前編)

 水色にすっきり晴れた空。今日は雲一つ無い快晴だ。

 久しぶりに暖かな風が街に吹き、この時期ではこれ以上ない洗濯日和だった。その証拠に、どの家庭でも雨で見送らざるをえなかった洗濯物を、こぞって干しているのを窺うことができる。

 そんな穏やかな風景の一角に、その家はあった。

 見上げるくらい大きな家屋。年代ものだが、綺麗に使われているおもむきのある造り。修真達が住むことになった二階建て庭付き一戸建てという好条件のマイホームだ。

 そして、その二階にある一室から物語は始まる。

 十畳という広い部屋なのだが、まだ物が少なくすっからかん。あるといえばタンスが一棹ひとさおに、ダンボールが数箱置いてある程度で、これらは昨日の引越し作業で持ってきた物だ。


「ふぅぁ〜〜」


 あくびと共に、ダンボールの影から少女が起き上がった。まだぼんやりとした瞳のミュランダである。


「はれぇ……? そっか……、昨日あのまま寝ちゃったのかぁ」


 目をごしごし擦りながら、昨晩のことを思い出す。

 昨夜、荷車の膨大な積荷をこの新しいマイホームに運び入れる作業をした。大きな冷蔵庫や、タンスは結構な重労働だったが、みんなで運んだのは楽しかったのを覚えている。

 その後、個人的な荷物はそれぞれの部屋で片付けることになった。恐らく、その途中で寝てしまったのだろう。

 彼女は窓までのろのろ歩いていって、取り付けた黄緑色のカーテンを開ける。すると、ぱあっと部屋に光が差し込んできた。眩しいのは一瞬で、目が明るさに慣れると目の前に爽やかな景色が広がっていた。


「わぁ〜〜〜〜」


 とてもいい天気。ゆったりと撫でるように吹く風が、タンポポ色の髪をさらさらと靡かせる。白い雲が気持ち良さそうに空を泳いでいた。

 じんわりと幸せな気分になる。


「ん〜、案外この家もいいかもぉ」


 あまりにも平和過ぎて手すりにもたれかかったまま、まどろみそうになる。思わず声も漏れてしまった。

 修真達が住むこの街は、最近は梅雨というよりも夏の空気に近づいてきた。気温も徐々に高くなってきて、衣替えをしたのはもう二週間前の話になる。ミュランダ自身は、四季というのを知識でしか知らないので、これから訪れるとされている゛夏″という季節に幾ばくかの期待を寄せていた(片桐魔界とさほど変わらないのだが)。

 ふと、とある日の会話を回想シーンが脳裏に広がる。


 ねぇ、夏ってどんな季節?


「夏? 夏かぁ……、一言で言うと、゛暑い″かな? うん。夏になると早く涼しくなれって思うけど、それ以外の時は早く夏にならないかなって思ったりする、そんな季節だ」


 ママみたいだね。ほら、゛夏″のところをママに置き換えると……


「ばっ、おま、何言ってんだよ! そんなんじゃねぇっつーの!」


 ママー、パパが、もがもご。


「へ? 呼びましたか?」


「呼んでないよー!!」


 

 そこでミュランダは回想の世界から現実に戻った。目覚し時計の音が騒がしく鳴り出したからだ。

 いけないいけないと首を横に振って、半覚醒の意識を覚醒させた。


「遅刻はダメなんだよねっ」


 そう言うと、床に転がっているダンボールから目覚し時計を取り出して止める。ん〜っと猫のように伸びをして、着ていたピンク色のパジャマを子供のようにぽいぽいっと脱ぎ捨てた。


「着替え着替え〜」


 十分の八裸くらいの姿のまま、クローゼットに向かおうとした所で、


「ん?」


 大きな姿見が目が付いた。

 そう言えば、この姿見があったからこの部屋にしたんだっけと思いながら、前に立ってみた。くっきりと自分の全身が鏡に映し出されている。

 綺麗にカールした睫毛まつげ、人形のようにぱっちりした淡いグリーンの瞳。ほんのり赤らんだ頬と桃色の唇は、元気良く愛嬌あいきょうある印象だ。

 ピンクとホワイトの水玉模様の下着を身を包んだ姿は、まだ発展途上といった具合で、目立った凹凸は無い。胸はまな板よろしくといった塩梅あんばいで、マキに頼んでもまだブラジャーは買ってもらえなかった。

 彼女は鏡に映った自分の姿を見ると、腰に手を当ててタンポポ色の髪を払いながらポーズをとってみた。

 が、


「ん〜?」


 どうもイメージと違う色っぽくない自分に首をかしげる。

 この行為は、昨夜風呂の脱衣所でマキが練習していたものだ。彼女いわく『ビーチでプチ悩殺攻撃』という名前のポーズらしく、修真を゛落とす″為に日夜試行錯誤しているものらしい。

 マキの体でそのポーズを取ると、起伏きふくに富んだ体のライン、主にバスト、ウエスト、ヒップから作り上げられる優雅ゆうがな曲線が、扇情的な色っぽさと子悪魔的な誘いを彷彿ほうふつとさせていた。その美しさたるや、無表情の負けず嫌いポチが巨大化してセクシーポーズを張り合いだしたり、それを笑って横で見ていたミュランダ自身が、内心はちょっと綺麗だなと思ってしまうほどだった。


「なんかなぁ……」


 その゛綺麗な女の子″を今再現しようと試みた次第なのだが、どうにも自分の体では再現出来ないようだ。圧倒的に何かが足りていない。

 平べったい自分の体を見下ろして、ほんの僅かに膨らみかけているかいないかというラインの胸に手を当ててみる。


「やっぱり、ここか」


 どこか残念そうに呟いた彼女は、マキが大真面目に言っていたことを思い出す。


「(ここが大きいとですねぇ、男性に優しくしてもらえる確率がアップするんですよ。ブラジャーするのとか面倒なんですけどねぇ〜)」


 ということは、ここが大きかったら修真も今以上に優しくしてくれるに違いない。もっと遊んでくれるし、もっと頭を撫でてもらえるかもしれない。

 ん?

 そういえば……

 ミュランダは記憶の片隅からある光景を呼び覚ます。

 浜辺で修真にのしかかっている特徴的な夕暮れ時のような髪の女。その体型は、マキ以上にグラマラス。

 修真はエルナに優しかった。


「そうなんだ。やっぱりそうなんだ」


 ポチが巨大化している時は、妙によそよそしく接しているし(パンツスタイルだった為)。昨日の幽霊にはそこそこ優しかった(初対面の為)。

 ならば、自分や律にはどうだろうか。

 えっと……。

 どうだっけ……?


「……はッ! 特にそういうの無い!」


 ママの言っていたことは本当だったんだ!

 その事実に十分の八裸くらいの姿のまま、わなわなと震えだすミュランダ。

 大体掴めてきた。修真は゛女″と認識できる体が近くにあると優しくなるのだ。

 ということは、


「あたしは女の子じゃないの?」


 自分が゛女″として見られていない事に気付いてしまう。

 なんか悔しい。

 ミュランダは、最初から圏外とされていることに妙に、かなり、とても腹が立った。

 あたしだって女の子なのに!

 むーっと頬をふくれさせる。だが、彼女も今すぐどうにか出来る事ではないのぐらい理解していた。


「ま、いっか。そのうちおっきくなるよね。そしたらもっと優しくしてもーらおっ」


 苦笑じみた笑いで言うと、姿見の前から消えた。

 ごそごそ聞こえてくる衣擦れの音。数秒もしないうちに戻ってくると、再び鏡に映った彼女は、薄手の半袖シャツにリボン、スカートという涼しげな格好に早変わりしていた。夏の仕様に変わった制服である。

 くるりとその場で回ってみると、スカートのすそが鮮やかに波打った。

 イイ感じ♪

 襟はちゃんとしているし、ボタンも掛け違えていない。


「あ」


 ちょっとだけずれていたリボンを直す。


「うん!」


 満面の笑みで頷くと、少女は鞄を片手に部屋を出た。ライオンが牙をむいている愛用のスリッパを履くと、目の前に『私専用聖域ポチサンクチュアリ』と書いてある札がかけられている戸が目に入ってくる。ポチの部屋だ。

 ひょんなことから自室を与えられたミュランダは、こうして姉の部屋を見るとなんとなく新鮮な気分になった。ここから先はお姉ちゃんの領域。

 同じ家なのにそこだけ他人の家みたいだ。この奥にある自分の部屋とは違う空間を想像すると、なんだか緊張するようなわくわくするような感覚がある。

 ミュランダはくすりと笑みを漏らすと、


「お姉ちゃーん、朝だよー。起きなきゃだよー」


 まだ寝ているであろうポチに声を掛けて、板張りの廊下を歩いって行った。

 今日の朝ご飯は何かな?

 などと考えながら歩いて昨日まで酒乱の保健医が使っていた(宴会場と名づけた)部屋を通り過ぎようとした時、ふいに話し声が聞こえた。どうやらあの二人の声みたいだ。

 ミュランダは、宴会場を覗いた。

 窓辺に立って遠くを眺めている修真とマキ。二人とも着替えもしていない寝巻き姿のままで、やけに甘ったるいムードで肩を寄せ合っている。


「どうよ、マキちゃん。新たなる我が家は」


「はい。とっても素敵ですぅ」


 修真はマキの頬にそっと手を添えた。そして一言。


「バカ、お前の方が素敵だよ」


 衝撃の発言に、背後で絶句する少女。一方マキは、頬をバラ色に染めてうっとり。


「修様ぁ……」


「マキ、いつになく可愛いよ」


 見詰め合う二人は文字通りバラ色の世界に浸っている。

 ミュランダはみつのように甘い雰囲気で、


「はふっ……」


 気絶しそうになった。あまりの気持ち悪さに全身に寒気が、いやむしろ吐き気すら覚える勢い。彼女は部屋の入り口でくらくらしながら、いちゃいちゃしているご両人に尋ねた。


「ぱ、パパ、ママ、な、何してるの?」


 修真がくるりと首だけで振り向き、


「ミュランダおはよう、今日もとってもキュートだね。お目覚めはいかがかな?」


 これまた気持ち悪い爽やかさで答える。


「きもおうぇっ」


 ミュランダはリバースしそうになった胃の中身を必死に押し込んだ。次に湧き上がって来たのは疑問。

 何かがおかしい。絶対、何が何でもおかしすぎる。

 激しく眉をひそめて、二人に言った。


「ねぇねぇ、パパもママも気持ち悪いよ! もう学校行く時間だよ!?」


 すると、マキが修真の首筋に腕を回して、とろんとした瞳で呟いた。


「修様ぁ、学校ですってぇ」


 普段の彼なら「だぁぁあ気持ち悪い! どっか行け!」と怒鳴りそうな場面だ。

 だが、


「学校とどっちが大事かって? バカだな、お前の方が大事に決まってるだろ?」


 何故か『仕事と私、どっちが大事なのよ』とか訊かれた感じになっている。マキは甘い発言で、頬に手を当ててくねくね身をよじった。


「いやぁ〜ん」


「いやんじゃないよ! 学校! 今日は月曜日で、水曜日からは中間テストもあるんだよ!? パパ、今週は肩が爆発しても休めないって言ってたじゃん!」


 そう食い下がったミュランダに、白い目を向ける修真。ひどく鬱陶うっとうしいという顔になっている。

 それまでの調子とは一変して、気だるそうな声で答えた。


「はぁ? 学校なんか行かないっつーの。肩が爆発してまで行ってられっかよ」


「え?」


「今日はず〜っとこうしてましょうね〜」


「ええっ!?」


 ショックだった。

 この二人が理由も無くそんな事を言った記憶は無いし、絶対に言う性格ではないのに。ミュランダは急に不安になって修真の服を掴んで引っ張った。


「ほ、ほんとに行かないの!? だ、だって――」


「あー、うっせぇな! お子様はどっか行ってろ!」


 どん、と肩を押されて、ぺたんと尻餅をつく。何をされたのか理解するのに数秒要した。明らかな嫌悪がこもった恫喝どうかつ

 半分以上真っ白になった頭のままでも、胸がきゅんと苦しくなるのは鮮明に感じた。


「……っ……んっ」


 じんわり涙が出てくる。

 こんなに冷たくされたのは、初めてだった。


「パパのバカ――――!!」


 ミュランダは捨て台詞のように言い残して、部屋を駆け出していく。

 そんな彼女に、二人は見向きもしなかった。



 ミュランダは自分の部屋へと舞い戻って、ばたんと床に飛び込んだ。クッションを顔に押し当てる。

 バカ。

 パパのバカ。

 アホ、ドジ、マヌケ、タコ、ドテカボチャ、くたばれ、しんじゃえ。

 と、これでもかという量の暴言を心の中で修真に向ける。朝っぱらから早くも二回は死亡している。

 彼女にとって修真は『怒るけど優しいパパ』マキは『優しくて面白いママ』だった。それが、さっきの二人はまるで人が違ってしまったようだった。

 彼女はこの深い深い心の傷をペットに癒してもらおうと思って、タンスの上に置いてある虫かごを見上げた。


「――ん?」


 まだ真っ赤な目のままで、虫かごに近寄る。中では、トルム・ゲルドッサー(ざりがに)がひっくり返ってバンザイのポーズを取っていた。

 え? 死んでる!?


「ゲ、ゲルちゃん!?」


 ふたを開けて、指で突付いてみるが何の抵抗も見せない。ただ、ぶくぶく泡を噴いている辺り、死んでいる訳ではないようだった。


「なにこれ……」


 すんすん鼻をすすりながら首を捻る。マキや修真だけでなく、トルム・ゲルドッサー(ざりがに)までも変になってしまった。

 やっぱり変だ。

 でもどうして……

 そんな時、頭をよぎったのは、


「そうだ、お姉ちゃんはどうしてるんだろ? お姉ちゃんだったら……」


 ミュランダは『ムカツクけど強くて頼りになるお姉ちゃん』に助けを求めて部屋を出た。

 昨日の晩に、みんなと決めた部屋割り。修真が一階の部屋、マキが階段を上がって右手にある部屋。その廊下を少し歩いて、元美穂の部屋を過ぎると、突き当たりにある向かい合った二つの部屋がある。

 右がミュランダ、左のテラスに面した部屋がポチ。姉妹だから部屋は近い方が良いと配慮されて、隣同士になった。

 自室を出ると、すぐに『私専用聖域』という札が下げられているポチの部屋の戸が目に入ってくる。

 ミュランダは、焦りつつもポチの部屋をノックした。


「お姉ちゃん、入るよ? 良い? 入るね?」


 引き戸を開ける。


「――ッ!?」


 予想だにしない光景。

 部屋の隅でぐったりと壁にもたれているポチ。その正面に立っている幽霊。


「……え、あ」


 数秒混乱した後、ミュランダは昨日の『嫌な予感』を感じ取った。起きてからすっかり忘れていたけど、『嫌な予感』はずっとこの家全体に張り詰めている。

 すぐに状況と答えが直結した。

 みんなをこんな風にしたのは゛コイツ″だ。

 ミュランダはいきなり敵意を剥き出しにして咆えた。


「お前っ、お姉ちゃんを離せ!!」


 食って掛った少女に、女の幽霊は気付いて振り返った。昨日の優しげな瞳とは違う、鋭い目つき。


「お前、みんなに何をしたの!?」


 身構えて、おぼろげな女を睨みつける。しかし、戦おうにもポチが人質に取られている状態では手出しが出来ない。

 どうしよう。なんとかお姉ちゃんを助けないと。

 そう思いながら、ミュランダは時間稼ぎの為に問答を続ける。


「みんなを元に戻してよ!!」


 ミュランダの問いに、


「……」


 幽霊は答えなかった。口が利けないのだからそれもそうだろう。

 答えずに下を向くと、すすすと吸い込まれるように床に消えて行く。


「あ、待て!」


 追おうとしたが、少し遅れてミュランダの手は虚空こくうを掴む。勢いあまって踏鞴たたらを踏んだ。


「くっそ〜〜〜っ!! 逃げられた―――!!」


 悔しさともどかしさから、声を上げる。

 表立っては感情的な反面、脳裏では案外冷静に逃げた先を考えていた。恐らく、行き先は一階だろう。

 その時、


「……う」


 倒れているポチの口から、ほんの少しだけ苦しんでいるような声が漏れた。弾かれたように駆け寄るミュランダ。


「お姉ちゃん!」


 薄っすらと瞳を開けるポチ。


「ミュラン……ダ?」


「どうしたのお姉ちゃん! 何されたの!?」


 泣き崩れそうな妹の肩をぐっと掴み、顔を寄せる。


「障壁……絶対に解いちゃダメ……」


 小さく言い残し、ポチは瞳を閉じ、ぐったりと壁に身を任せた。


「お姉ちゃん!?」


 まさか死――

 とは思ったものの、どうやら呼吸はしているようで、寝てしまったようだ。

 一体何をされたのだろうか。

 障壁とは……


「……あ!」


 ミュランダはふと昨日のことを思い出した。

 それは寝る前のこと。あまりにも゛嫌な予感″がして、彼女は最低限の魔力障壁を展開して眠りに付いたのだ。とても薄い壁なのだが、今になって解くのを忘れてしまっていたことに気付いた。


「解いちゃ、ダメ? どうして?」


 またも疑問が二つ浮上する。どうして障壁を解いては駄目なのか。


「それに、やっぱりこの家は……」


 ――どうしてこんなに『嫌な予感』がする家で、起きた時は幸せな気分だったんだろう。

 実は彼女、昨日からこの家に住むのは大反対だったのだ。おばけ屋敷に住むなんてとんでもない。

 しかし、今はそう思うのに、どうして起きた時には……

 今になると身の毛がよだつ思いだった。


(怖い怖い怖い怖い。寒い寒い寒い。あぁ〜、鳥肌がぁ〜)


 状況から置いてきぼりにされたミュランダは、肩をさすりながらポチの部屋を後にした。

 とぼとぼ自室に戻って、溜息を吐く。


「はぁ……、一体どうしてこんなことになっちゃったのかなぁ」


 理解できる限りの状況整理を始めた。これまでの経緯からみんながおかしくなったのと゛あの幽霊″が何らかの関わりがあること。

 やはり原因は……

 彼女はむむっと表情を険しくすると、ダンボール箱に手を伸ばした。


「んっと、こっちだったかな? あ、みーっけ」


 三十センチほどの短剣が二本。これは彼女愛用の一品だが、接近戦はあまり得意ではない。短剣自体に特殊な魔術が施されていて、ある程度の魔法ならば切り裂くことができる。いわゆる゛お守り″である。

 それをさやに収めて、腰にくるように皮のベルトを巻く。


「んしょ、あ、こんがらがった、どっち、これ?」


 少々手間取りながらも、ばっちり装備した。一度、試しに鞘から抜いてみたが、柄の握り具合も、刃を抜くときの鞘走りも、久々だが良い感触だ。


「うん。大丈夫。下手っぴになってない」


 力強く頷くと、今度は懐かしの漆黒のローブを取り出して、


「ひっさしぶりぃ〜」


 ばさりとひるがえして身にまとった。これは魔法と物理攻撃をある程度防ぐまじないがしてある。これで完全装備。

 そうして歩き始めようと――


「おぶしっ!」


 ローブをの裾を踏んづけたまま踏み出したので、つんのめって転倒。眉を平坦にさせた。


「ダメだこれは。やっぱいらないや」


 もぞもぞとローブを脱ぎ捨てて、部屋を出た。

 彼女の目的は一つ。あの幽霊をとっちめて、みんなを元に戻してもらうこと。

 戦いの匂いがするミュランダは、意を決して歩み始める。最後に一目修真を見ておこうと思って、元美穂の部屋の前で足を止めた。


「……パパ」


 二人とも、死んだように眠っている。さっきまでは元気に起きていたのに。

 やはりあの幽霊の仕業なのか、そう俯いて、ミュランダは強い表情になる。

 みんな、私が何とかしてあげるからね!



 寂々(せきせき)とした新片桐邸。

 階段を下りたミュランダは、一階の広間で立ち止まった。


「うーん、これからどうすれば良いのかなぁ? あの幽霊を探すにしても一人じゃちょっと大変かも……」


 この家は広い。見つけたとしても一人で捕まえられるだろうか。何しろ相手は幽霊、壁や天井をすり抜けられるのだ。

 が、


「ま、でも、なんとかなるよねっ。レッツゴ〜」


 と腕を掲げて、深く考えずに出発した。

 まずは道なりに歩いて、風呂場に到着。『ゆ』という暖簾のれんを見上げた。


「いやぁ、さっすがにここには居ないよね〜」


 はははと笑いながら入っていく。脱衣所には何も無い。念のために棚を開けてみたりしたが、あの女の幽霊は影も形もない。

 次に浴場。戸を開けた所で、真っ白の気体がミュランダを押し包んだ。


「うわっ、すっごい湯気〜」


 もうそこら中まっ白。腕で湯気を払いながら浴槽に近づいた。

 霧のような湯気で見づらいが、たっぷりと張られた湯がぼこぼこと煮立っている。


「ええ!? どうなってんの?」


 不思議だった。ヒノキで造られている浴槽は給湯機もついていないのに、勝手に沸騰しているのだ。これはいくらなんでもあり得ない。


「えっと、んと、とりあえず出よ!」


 湯気から逃げるように出て、戸をぴしゃりと閉めた。

 どういうこと?

 彼女には゛原因が無いのに湯が沸騰している″という事実がさっぱり分からなかった。


「こんなの普通じゃないよ……」


 頭を抱えてしゃがみ込む。ふと、脱衣所のかごの中に、みんなの洗濯物が積まれているのが目に入った。


「パパ、ママ、お姉ちゃん……」


 それが、昨日の夜を思い出させる。

 いつもの女子三人で風呂に入って、背中の洗いっこをした。他にはお湯をかけて遊んだりもしたし、マキにはシャンプーしてもらった。ポチには無理矢理湯船に沈められて溺れそうになった。


「ああっ!」


 どたどたと騒々しい足音と共に消えるミュランダ。

 数秒して、


「ふっふ〜んふ〜んふ〜ん♪」


 るんるんスキップしながら帰ってきた。なにやら達成感のある顔つきである。

 もう一度暖簾から中を見渡す。


「よし! お風呂は変だけど、ここには居ないよね!」


 出て行こうとして、くしゃっと落ちているタオルが目に付いた。

 あのタオル……

 風呂上りに、広間のソファーでくつろいでいた修真に、タオルで頭を拭いてもらった。不思議なくらい心地良い気分になったのを覚えている。


「……だめだめ」


 床に落ちているタオルを籠の中に入れて、小さく首を横に振る。ちょっと切なくて、込み上げてくる涙をぐっとこらえた。


「さぁ、次、行かなきゃね」


 寂寥せきりょう感だけその場に残して、ミュランダは風呂場を出た。


「ん〜、あっちに行ってみよう」


 その後も、ミュランダの幽霊捜索は続いた。


「ここじゃないか。っていうか使わないもんね」


 トイレには居なかったし、


「パパったら、片付けろって言ったくせに、自分は全然片付けて無いじゃん」


 新、修真の部屋には荷物が一杯で足の踏み場も無かった。


「ここって、普通はあるのになぁ……」


 リビングの掛け軸の裏にはやっぱり隠し通路は無いし、


「ここでもないの?」


 土間には本当に何も無い。

 縁側に来たミュランダは、


「もぉ〜〜、ぜんっぜん居ないじゃぁ〜ん!」


 足を投げ出して、へたり込んだ。

 がっかりしながら視線を上げる。

 ん?

 ミュランダの瞳にあからさまにおかしい景色が飛び込んできた。

 トマトやピーマンなどが植えられている家庭菜園。昨日は綺麗な緑色だった野菜は茎から枯れて、実はしなびてしまっている。


「どして? 隣の家はそんなことないのに……」


 普通、一日そこらでここまで様変わりするものだろうか。ミュランダはスリッパを脱いで、つっかけで地面におりた。

 やはり変だ。


「空気がよどんでる……」


 他の家と違って、この家だけ生命力のような物が感じられない。


「あいつの影響かな? 生命力を吸い取るの? あ、そっか、だからあたしは無事なんだ!」


 魔力障壁は物理的な干渉には何の効力を持たないが、魔力的な干渉は受け付けない。偶然にも展開していた自分は無事で済み、修真達は生命力を吸い取られてしまったのだろう。

 どおりで皆眠ってしまう訳だ。吸い取られてしまった生命力を回復する為に、体が本能的にそうしているのだから。

 あーあーなるほどね、と一人で納得したミュランダは、辿り着いた答えの副産物にどきりとした。 


「ってことは、このまま放っておいたらパパ達がしなびちゃうかも!?」


 目を閉じて、想像してみる。

 しわくちゃな修真、マキ、ポチ。

 やだやだやだ。そんなの絶対ダメ。

 やっぱり、あたしがなんとかしなくちゃ。

 一刻も早く!


「こんなとこで休憩してる場合じゃないや! 早くあいつを見つけなきゃ!」


 しゃがんでいたミュランダは焦燥感しょうそうかんと共にいきり立った。しかし、どうすれば良いのかが分からない。あの幽霊本体が生命力を吸い取っているのか、それとも別の場所で何らかの装置を使って吸い取っているのかがはっきりしないことには動きようが無い。

 ふと思い当たった。


「でも、そんなに沢山の生命力を取り込んで大丈夫なのかな?」


 あの三人の生命力といったら凄まじい量だ。普通の人間の比ではない。それを限界まで吸い取って、一雑霊が無事で居られるだろうか。゛霊″というものを形成する意識組織が無事でいられるだろうか。

 と、ちょっぴり難しいことを考える。


「っていうか、幽霊ってそんなに強い影響を生体に及ぼせるの?」


 推理探偵がごとくその場でくるくると歩き回る。

 彼女が見る限り、霊という存在は゛残留思念ざんりゅうしねん″を中心に、周囲にほんのわずかに存在するマナを取り込んで、限りなく゛無″に近い状態で存在しているようだった。


「ん〜、マナは超自然的な力だから、生命に悪影響を及ぼすものじゃないと思うんだけどなぁ」


 ちなみに彼女、バカそうな発言が目立つが、実は超がつくほどの天才っ子である。

 彼女が得意とする゛魔法″というものは、円陣術方式学えんじんじゅつほうしきがくから成る゛想像を意のままに操る術″という、超強力、超高難易度、超自由度、三拍子揃った出鱈目なものだ。


「幽霊を探知できる魔法でも考えておけばよかったなぁー」


 円陣学(円陣術方式学の略)というのは円の上に描かれる゛魔法陣″を基本として、己が想像する事象をその場に具現化ぐげんかするものであり、非現実的な事象を限りなくリアルに思い浮かべる想像力と、魔法陣を書き上げる理解力とが必要になる。

 想像力と実力次第ではどんなことでも出来てしまう。そんな長所の反面、魔法陣においては自分の想像を具現化できるものを書き上げなければならない。この術の肝はここである。


「今から陣を考えてる暇は無いしー」


 つまり、゛オリジナルの想像″を術として発動させる゛オリジナルの魔法陣″を書かなければならないのだ。

 この魔法陣を書くという行為は非常に知識と労力を消費するもので、簡単に言うと、何もない無の状態から因果律いんがりつに干渉する独自の理論を練り上げ、どういった事象でどれほどの威力を持つのかというイメージを、矛盾が生じないように細心の注意を払いながらひたすら円の内側に書き込んでいくというもの。

 円自体にも回転式や、内側にもう一つ円を書くという二重構造式などの様々なバリエーションや仕組みがあり、それらを総合して複雑かつ高難度の陣を一から構築していく必要がある。

 そういった様々な行程を経て、陣の発動に必要な魔力を注ぎ、初めて術が行使できるのだ。そのため、どこの地の果てまで行っても、同じ魔法も陣も二つとして存在しないし、真似ることも出来ない。個人の力が大きく左右する術、それがミュランダの使う魔法。作成した陣を記憶しておかなければならないのも重要なことである。


「こういう時の魔法なんだけどなぁ」


 ところが、彼女はその円陣学式魔法を簡単そうにばんばん使っているし、それどころか、単純な術に至っては陣無しで発動することが出来る。

 これがどういうことかというと゛頭中ずちゅうの陣″すなわち頭の中に、今までに作った膨大な量の陣を正確に記憶しており、強力な術が必要とあれば、記憶している陣をその場に展開させることが出来るし、難易度が低い術ならば、その経験と勘から、その場で、一瞬のうちに、頭の中で陣を練り上げ、現実的に発動までさせてしまうというスキルまで会得しているのだ。

 ここまでくるともはや天才としか言いようが無い。


「とにかく行かなきゃだね! 考えてもぜんっぜんわかんないしぃ〜」


 ただ発言はかなりバカっぽいが。

 そんなこんなで、意気込んだミュランダは幽霊捜索を続けるために家の中に戻ろうとした。

 刹那。

 遠雷のように低い呻き声が、どこからか響いた。


「――ッ!? なに?」


 とっさに飛び退いて身構えたミュランダは、空を向く。

 大気が震えている。

 唐突に風が吹き止んだ。


「凄い力……、お姉ちゃん? 違う、もっと……、どこにいるの?」


 ポチ、いや、それ以上の力。だが上からの異変ではないようだ。神経を集中させ、それの発信源を探す。あまりにも力が強い為に、すぐにどこからか分かった。


「下……なの?」


 ミュランダは地面を見た。否、その遥か下方から噴き上がってくるひどく禍々(まがまが)しい、どろどろした感覚を見据えた。怨念おんねんや憎悪に近いそれは、遠く、それも地面の下から、怒涛どとうとなって噴き上がってくる。


「こんな力が、どうして、こんなところに……」


 怖い。

 感じているだけで圧倒され、体がすくんでしまう。

 彼女はその正体に、幾ばくかの心当たりがあった。


「これが、あたしの嫌な予感?」


 昨日からずっと感じている違和感。

 今感じている感覚は、それが、数百、数千倍になったような途方も無い力だった。

 戦慄が体を駆け巡る。しかし、その禍々しい力は打ち寄せた波が引いていくように、再び地中の奥深くへと沈んでいった。 

 緊張の糸が切れたミュランダは、その場にへなへなと崩れ落ちる。


「……今の、なに?」


 あの幽霊?

 それとも別の何か?

 困惑するミュランダには、その答えが見つけられない。だが、一つだけ分かることがあった。


「原因はこれだ……」


 みんなが変になってしまった。

 それに続くように、今の嫌な力。

 昨日の今日だということから、何らかの関係があると見たのだ。ミュランダは、きっと眉を寄せた。


「こんなの放って置いたら、大変なことになっちゃうよ。原因を突き止めなくちゃ!」


 背から広がる、青く澄んだ翼。

 とん、と軽く地面を蹴った彼女は、飛ぶではなく跳躍ちょうやくの補助として翼を使う。昨日の修真の事故(家の周りに張られている結界に激突したあれ)を考慮してのことだ。

 のきに着地し、続けざまにもう一度跳んで、屋根の上に舞い降りた。


「よっとと」


 バランスを崩して落ちそうになりながらも立て直し、小手をかざして街を眺め見て、呟いた。


「どうやって地面の下に行けば良いの? ドリルで掘れば良いのかな?」


 残念ながらドリルは持っていない。

 街を見ていた視線を今度は家に向ける。

 全体を見下ろして、


「おりょ? あれは……」


 敷地内、家の裏手側、縁側から少し離れた場所に小さな蔵がある。

 さっきあんなのあったけ?

 首をかしげたミュランダは、二階の屋根から飛び降りた。



 かなり太く頑丈そうな錠前がかけられた鉄製の堅牢けんろうな扉。古い家なのだから、雨風にさらされて老朽化していても良いものだが、何故かこれっぽっちもび付いていない。

 その前に立ったミュランダは、半目で言った。


「あやしい。すっごいあやしい」


 直感とでも言うのだろうか。とにかくそこを怪しいと決め付けた彼女が蔵に入る事を決意したのは、ごく自然な流れだった。

 龍が巻きついているような取っ手を引いて、がちゃがちゃしてみる。


「鍵がついてるなぁ。宝箱とか取り忘れたっけ? まいいや、ぶっ壊しちゃえ」


 あくまでもロールプレイングゲーム感覚で考え、とってもロールプレイングゲームっぽくない行動に移る。

 腰に差してきた短刀を、逆手さかての状態になるように柄を握る。

 大きく息を吐き、


「――せあっ! ていっ!」


 二刃を抜刀ばっとう。同時に、腕をクロスさせるようにして錠前じょうまえに斬撃を叩き込んだ。

 高い金属音。

 びぃぃぃぃん。


「ぉわぁぁああ、手がしびれるぅぅ」


 しかし、錠前には傷一つ付ける事が出来ず、逆にびりびりとする反動が全身に伝わって身を震わせる。

 妙に堅牢な扉を下から睨みつけた。


「……こんのぉ〜、ちょっと怒ったからねっ!」


 ぴょんと距離を取ったミュランダは、ぐんと背筋を伸ばすと、 


「フレイムテールッ!!」


 ぼうと燃え上がった四本の尾が、緩やかな曲線を描いて扉に突進。

 どがーーーん。

 爆風と共にこっぱ微塵みじん。紙くずのように吹き飛ばした。


「どーんなもんですかいっ」


 扉相手に一人で勝ち誇るミュランダ。

 が、少し威力が強すぎたのか、


「ってうわっ! 燃えてる燃えてる!」


 砕け散った扉の周りで火が燃え始めていた。




 ゛それ″は、きつけられていた。

 霊力とはちがう゛力″。いつからか感じているこの不思議な力へと向かって、突き進んでいた。本能的に。あるいは、己のために。

 胸の鼓動が駆ける速さを上げさせる。

 なんだろうこの感覚は?

 この先に何があるんだろう?

 その時、゛それ″は、気分の高揚こうようが押さえられなかった。これほど興奮し、楽しいと感じたのはいつ以来だろうか。

 とある時、つまらない神社を抜け出し、それ以降は野を越え山を越え、各地を転々とする気ままな放浪生活を送っていた。数年間もそんな生活を続けていて、これからも気楽に放浪するつもりだった。だから、この街を訪れたのも成り行きに過ぎなかったのだ。ただ、そこを通りがかっただけのこと。

 ところが、偶然にも゛それ″は知っていた。求める゛不思議な力″が魔を封じた社の中から感じる事を。魔が不思議な力を吸い取り、肥大化していくことを。

 ゛それ″には分かった。これほどまでに強い力を手に入れた魔が、人の施した封印を破るのも時間の問題だ。そして、魔が復活を果たした時。大いなる災いがこの街に降りかかるであろうことを。

 ゛それ″は、ただ不思議な力へと向かって疾駆しっくする。山を越え、谷を越え、人多き街を駆け抜ける。

 息を切らし走っていた。




「はぁ……、疲れた」 


 ミュランダの手からポリバケツが落ちて、ごろんと地面に転がった。

 あれから彼女は、地獄の一人バケツリレーによる必死の消火活動にてんてこ舞いだった。

 風呂場まで走っていき、見つけたバケツに水を汲み、蔵まで走る途中に転んで廊下を水浸しに。また水を汲みにいっての繰り返し。


「今度からは気をつけよ」


 その消火活動が功を奏し火は消し止められたのだが、風呂と蔵を行き来するのには結構な体力を必要としたのだ。

 もうこんな無茶はしない。二度と家の敷地内で魔法は使わないぞ。

 そう固く心に誓うと、へなへなしながら立ち上がって、


「――?」


 おかしな気配けはいに気付いた。どうにも危険視するほどではないのだが、小さな違和感が近づいてくる。

 ――がさり。

 ミュランダは反射的に物音へとふり向いた。


「くせものッ!? くらえ、フレイムテールッ!!」


 どが―――ん。


「ぎゃいん!!」


 何の通告もなく物音に術を放つと、明らかな悲鳴が響いた。どうやら生き物だったらしい。

 ミュランダはしまったと思って、煙る中の何かに近づいた。


「けほっ、こほっ、……ん?」


 そこには、ぐるぐる目を回している赤毛の犬が横たわっているではないか。いや、犬とは少し違う。

 細く尖った鼻面。華奢きゃしゃな骨格。どうやら犬ではないようだ。


「ん〜、死んだの、これ? おーい、聞こえますかー?」


 何か良く分からないけど、とにかく声を掛けたり突っついたりしてみる。

 と、その時、


「ぎゃううっ!!」


 がぶり。

 いきなり身を起こした獣が、ミュランダの腕に牙を立てた。ぶっすりと食い込んだ牙から血がしたたり落ちる。


「……あ」


 しかし、腕を噛まれても、ミュランダは真顔のまま反応しなかった。

 獣の方は、攻撃しても眉一つ動かさないニンゲンにそれはそれは驚いたようで、後退りのような動きでミュランダから距離を取ると、その場でうろうろし始めた。

 ミュランダは自分の腕を見る。

 出てる。

 どくどく血が出てる。

 血が出てるって事は――


「うわああああああん!! 痛いよおおおおおお!!」


 大号泣。

 ミュランダは、もう音量最大のスピーカーを通したような爆音で鳴き始めた。

 獣は、びくりと縮み上がり、耳を倒して、尻尾を巻いた。

 泣いているミュランダの腰から、ぼ、ぼ、と炎の尾が一本づつ生えていく。感情の高ぶりからか、その時は六本ほど生えて、うねうねとのたまっていた。

 その光景に、獣は目をひん剥いた。

 ミュランダは泣きながら足をばたつかせる。


「痛いよおおおおお!! パぁぁぁパぁぁあぁぁああ!!」


 紅蓮ぐれんの尾が、辺りを適当に破壊し始めた。地を焼き、木を切り、もうめちゃくちゃ。


「うわっわわわわっ!! ごめんなさいごめんなさい! 堪忍したってー!!」


「へ?」


 ミュランダが正気に戻って前を見ると、赤い髪の女が立っていた。りんごのように赤い髪を、鈴のついたひもで左右を結っており、明るい印象。容姿的には二十代前半と言った所だろうか、しかし異様な事に、女の頭にはぴんと尖った耳が生えていて、腰からは赤毛の尻尾が三本。朱色の恐ろしく丈の短いほとんどミニスカートにしか見えないはかまを穿いている。その上には所々赤の刺繍ししゅうが施された白い和服を着ていた。そでのあたりにも鈴がついている。

 そんな怪しいとしか言いようのない女。

 ミュランダはもっと混乱した。


「知らない人が怪し過ぎるぅぅぅうう!!」


 どがーん。

 どごーん。

 風呂の壁が崩壊。

 赤毛の女は、ぱらぱら飛んでくる家の破片を腕で払いながら、言った。


「ちゃうねん! 待ったって! うちは怪しいことあらへんって! せやから、そんな横着おうちゃくせんと、落ち着いてや!」


 ミュランダが止まる。


「うっ、ひぐっ、痛いよぉぉ、腕が痛いよぉぉ」


 ぴーぴー泣いている少女に、恐る恐るといった調子で女が歩み寄る。優しく背中を撫でながら、小さな子をあやすようにささやいた。


「噛んでしもてごめんな? でも、うちかてそんな本気で噛んどらんさかい、軽傷や。ほら、痛いの痛いの飛んでけーって、な?」


 ミュランダは見ず知らずの変な女が接近してきた事と、腕の痛みで、


「うぐっ、ぐす」


 また泣き出しそうになる。

 女の顔がぎょっとなった。また泣き出してあんな攻撃されたらたまったもんじゃない。


「あーあー! 分かった! 手当てやな!? よっしゃ、うちに任しとき!」


 泣きたいのはこっちやー、と心の中で叫びながら、赤毛の女はミュランダを抱き上げると、ひょいひょーいと軽やかに跳んで、縁側から家の中に入って行った。




「ほいっ。これで、ばっちぐーや!」


 にかっと笑って、女が救急箱を閉じた。どこかの鈴がりんと鳴る。

 新リビングで座らされたミュランダは、女に傷を消毒してもらい包帯まで巻いてもらった。彼女は小さく頷く。


「……うん」


 女はほっと胸を撫で下ろす。

 ミュランダは上目づかいで女を見上げた。

 少し妖艶な印象の切れ長の瞳。右目の下には、泣き黒子がある。かなりの美貌をもっているが、なんとなく人懐っこいような顔をしているので、美人でもとっつきにくい感じではない。手足も体のラインも全体的に細っこい女だった。

 いや、そんなことよりも重要なことがあった。


「……ねぇ、あなた、誰?」


 女は一瞬目を丸くすると、


「ん、うちか? うちはセキコってゆーんや。よろしゅうな」


 またも底抜けに明るい笑顔で答えた。笑った拍子に、頭の鈴がりんと鳴る。


「え、あ、うん」


 曖昧あいまいな返事をすると、セキコはずいっと顔を近づけて来て、がしっとミュランダの手を取った。ぶんぶん上下に振る。


「にしてもあんた、六尾ろくびもあるんやな! えらい驚いたわー!!」


 きょとんとした表情で、


「な、なんのこと?」


 そう尋ねると、セキコはぺしぺし肩を叩いた。


「またまたー、何とぼけてんねん。尻尾の数にきまっとるやろー? ほれ、うちはまだ三本しかあらへんねん」


 腰から三本生えている尻尾を、それぞれ自由自在に動かして見せた。動いている尻尾をまじまじと見詰めるミュランダ。

 本当に本物だろうか。

 おもむろに手を伸ばし、


「えいっ」


 掴んでみた。

 すると、


「あんっ」


 色っぽい声を上げて身をよじった。唖然としているミュランダの手からするりと尻尾が抜け出て行く。

 手から解放された尻尾を胸に抱いて、セキコは真っ赤な顔で怒った。


「ちょ、いきなりどこ触ってんのー!?」


 何で怒っているのか全く理解できない。それ以上に、初めて尻尾が生えている人を見た。少なくとも、片桐魔界しか知らないミュランダは、せいぜいうろこひれのある人くらいしか見たことがなかった。


「ほんとに尻尾が生えてる。人に」


 驚いたまま呟いた彼女に、セキコが念を押すように言った。


「だから人やないって、うちはセーキーコ。……って、あんさん狐と違うん?」


 キツネ?

 多分違う。多分私はキツネじゃない。

 自分に確認を取ったミュランダは、ふるふると首を振った。


「え? じゃあ何なん?」


 今度はセキコに尋ねられて、ミュランダはうーんと腕を組んで考える。天使だけどちょっと違う。

 彼女が行き着いた答えは、


「私は天使……のコピー、かな?」


 それだった。彼女自身も自信が無い様に苦笑いで首をかしげている。

 セキコはいきなり違う言語で喋りかけれたような顔になった。眉をひそめてで訊き返す。


「テンシノコピーってなんや?」


「んっと、私にも良く分かんない」


「そうなんかぁ。うち、てっきりあんさん狐やと思ってたわ。尻尾生えてたやろ? あんな凄い尻尾見たことなかったからなぁ」


 何が凄いんだろう?

 結局、話は噛みあわないまま、ミュランダは核心を突いてみることにした。


「セキコは狐なの?」


 セキコはあっけらかんとした様子で答える。


「あったりまえやん。セキコのコは狐やで?」


「そうなんだ」


 うわー、すごいよー、狐さんとお喋りしてるよー。そんな風に興奮していると、とある事に思い当たった。


「じゃあ、さっき噛んだのは……」


「うちや」


 あっさりと、しかもにへへと笑いながら言い放った。ミュランダは色々な意味で言葉を失った。

 それを、信じられないと思っている顔だと勘違いしたセキコは、噛み砕いて補足する。


「だからうちやって。あんさんを噛んだんも、今こうしてんのも両方、うち」


 ミュランダはててっと助走をつけて、グーをセキコの頭に振り下ろした。


「ぎゃん!!」


 何のことやら分からないセキコは、頭をさすりながらミュランダを見上げて抗議の声を上げる。


「いった――!! いきなり何すんねん!!」


「仕返しだもん!! 先に噛んだのはそっちだもん!!」


「何ゆうてんねん!! 先に攻撃してきたんはそっちやろ!!」


 むっと押し黙る二人。両者共にぷいっと顔を背けた。

 険悪なムードが――

 と、いきなり耳の近くでりんと音が鳴った。顔を上げると、セキコの整った美貌びぼうが目の前にある。

 セキコは目を細めて問う。


「そんなん、どうでもええねん。ほんでな、あんさんがこの不思議な力使うとる人やろ?」


 ミュランダは彼女の切り替えの早さに、大いに驚いた。虚を突かれて怒りも霧散むさんしてしまう。気付いたら、普通に会話に乗ってしまっていた。


「え、えっと、この゛嫌な感じ″のこと?」


 首を横に振るセキコ。その度に涼しげな音色の鈴がちりんちりんと鳴る。


「ちゃうちゃう。これはヒノトオロチのもんや。それやのーて、もっと不思議なヤツや」


「……ヒノトオロチ? 不思議な力?」


 思いっきり説明してくれと物語っている表情のミュランダに、けらけら笑って喋り始めた。


「ヒノトオロチゆうんは、このやしろの地下に封印されとる古い妖怪。あんさんが感じてる力は、ソイツのちゅーこっちゃな。ほんで、うちがゆうてんのは、霊力や妖力とは違う種類の力。うち、それが何なのかとーっても気になってしもてな、はるばるここまで参上したというわけや」


「えぇ!? じゃあ、そのヒノトオロチがボスなの!?」


「そこまではうちにはよう分からへんなぁ。とにかくな、悪い事は言わん。あんさん死にとうないなら、ヒノトオロチには手出しすんのは止めておいた方がええで。あいつ、封印を破る為にすっごい力吸い取って肥大化しとる」


 そこまで言った所で、目の前の泣き虫少女が切なそうな表情になったのに気付いた。どうにも、放っておけない顔。こんな表情をされたら、どうしても訊かずにはいられなかった。


「どうかしたんか? うちでよかったらゆうてみ?」


 少女は切々と語り始める。


「ね、ねぇ、あたしのパパとママとお姉ちゃんが変になっちゃったの。なんか、みんな眠っちゃってるし、パパとママが起きてた時には性格が変わっちゃってた……」


 ふむ、とセキコは腕を組んだ。


「そりゃ、ヒノトオロチの瘴気しょうきに当てられてしもたんやなぁ。オロチっちゅー種類はみんなそうやって、瘴気に当たった人間の生命力を吸い取るんや。あんさんの家族も気の毒やな」


 ミュランダはこういう事に詳しいらしい狐に、必死の面持ちで尋ねた。


「ねぇ、元に戻すにはどうしたらいいの? 何か知らない? なんでもいいから、なんでも……」


「せやなぁ、ヒノトオロチをもう一度きっちり封印するか、完全に消し去るか……。って、あんさん行くつもりなんか!?」


 こくこくと頷く。

 セキコは驚いて声も出ない。なんだか良く分からないが、人間の少女(実は天使)がその身一つでヒノトオロチという、いにしえに封印された凶暴な動物神に挑むと言うのだ。

 すっくと立ち上がって、部屋を出て行くミュランダ。

 セキコは後ろから引き止めるようにして、肩を掴んだ。


「ちょい待ち! ヒノトオロチってめっちゃ強いねん、うちらに伝わっとる伝承にも、あいつと戦った霊能力者や、獣達が沢山死んでしまったって……」


 その説得にもにた事実に、ミュランダは笑って答える。


「ありがと、色々教えてくれて。でもね、やっぱり行かなきゃ。そのヒノトオロチっていうのと話して、みんなを元に戻してもらう。それでもダメだったら、戦うよ」


「ほんまかいな!? 相手は動物神やで!? 人間が勝てる相手じゃ……」


 言葉を飲んだセキコ。ミュランダはその後に続く言葉をさとりながらも、えへへと余裕すら感じる笑みを浮かべると、どこか遠くを見ながら言った。


「ん〜、よくわかんないけど、パパだったら行くと思うんだ。パパは優しいの。あたしは、パパに恥ずかしくないような子になりたい」


 セキコには分かった。この少女が、『パパ』なる人物に全幅ぜんぷくの信用と信頼を寄せている事を。それよりももっと強く淡い想いを寄せているらしかった。彼女の表情に幸せがあるのを、容易に見て取れたからだ。

 ここまで素直に表情に出せる事に、羨ましさすら感じる。そんな自分を自嘲を込めて笑うと、慈愛じあいに満ちた目で尋ねた。


「……あんさん、えらい好きなんやな、パパさんが」


 ミュランダは照れくさそうに笑うと、


「うん。好き。大好き。みんなも大好きだよ」


 そう呟いた。


(あかん。健気や。こんな風に言われたら、しゃあないやん)


 屈託くったくのない笑顔に、セキコはそれ以上引き止めることが出来なかった。




 ミュランダは再び蔵へ向かって裏庭を歩いていた。その背後にはセキコの姿がある。

 くるりと振り向いて尋ねた。


「ねぇ、どうしてついて来るの?」


 すると彼女はくるんとミュランダの前に出て、ぱんと手を合わせると、


「妖怪の退治なんてめっちゃおもろそうやーん。うちも連れてってーな、あかん?」


 ねだるようにそう言った。

 ミュランダは、少し返答に迷った。知らない人。けれど、その人懐っこい笑顔で、それほど疑いはもたなかった。それに人数が多いほうが楽だ。


「うーん、いいよ! 一緒に行こ」


 セキコは無邪気に喜ぶ。


「よっしゃー! ほな行こかー!」


 と、こうは言っているが、彼女はミュランダの事が気に入って付いて行きたくなっただけだ。というより本来の彼女の性格から放っておけない。悪いヤツは嫌いだが、ええヤツはとことん好き。彼女が見る限り、この少女はええヤツに分類された。しかもとびっきりのええヤツ。


(あかんなー、うち。やっぱお節介焼きや)


 付いて歩きながら、腕を頭の後ろに組んで自分の性格に困ったような笑みを浮かべる。

 ふと、まだ少女の名前を聞いてないことに気付いた。


「なぁなぁ、あんさん名前なんてゆうんや?」


「へ? あたし?」


 ミュランダは振り返って自分を指差す。セキコは半目になって返した。


「それ以外に誰がおんねん」


「あたしはミュランダだけど?」


 名前を答えると、指をこめかみに当ててうーんと眉を寄せた。


「ふ〜ん、ミュランダ。ミュランダかぁ、変わった名前やなぁ。ほな『ミュラっ子』やな」


 どうやら呼び方を考えていたらしい。ミュランダは、彼女が考えたあだ名に少々不満げになる。


「えー、なにそれぇ」


 そうとも知らず、セキコはけらけら笑った。


「ええやん。ミュラっ子気に入ったわ〜。呼びやすいしな。ミュラっ子ミュラっ子〜♪」


「なんかイントネーションが煮豆のあれみたい」


「そんなんゆうたらあかんて!」


 本当にあかんのだ。

 今度はミュランダが、


「じゃあ、あたしもセキコにあだ名つける」


 面白がってそう言った。


「ええよ〜」


 セキコはるんるん鼻歌を歌いながら、快諾かいだくする。 

 じっと見詰めてみる。

 狐。赤い。耳がある。尻尾もある。

 ん?

 狐?

 赤い?

 ミュランダは戦慄した。


「……」


 黙ってしまった少女の顔を覗き見ながらセキコは尋ねる。


「決まった?」


 恐る恐る答えた。


「……うどん」


「もっとあかん!!」


 二人はそんなぎりぎりの会話をしながら蔵の前に立った。


「あのね、あたしが調べた結果、ここが怪しいと思うの」


「ほえ〜、そうなん? じゃあ、ちゃっちゃと行こうや」


 なんだかまらない雰囲気のまま、蔵へと足を踏み入れた。 

 中は薄暗く、明るい外から来たので、目が慣れず何も見えない。


「はわ〜、真っ暗やな〜」


「ライトライト」


 彼女の手の平からぽっと、ピンポン球くらいの光の球体が浮かび上がった。小さいが強い光で辺りを照らし出す。


「おー! ミュラっ子の不思議な力や!」


 ぱちぱち手を叩く。

 えへへと頭を掻いたミュランダは、簡単に説明する。


「これは簡単な魔法だよー」


 セキコは不思議そうに眉を上げた。


「まほう? それって、けったいな西洋術のことか?」


「うーん、多分それとは違うと思う。魔法って言っても、たくさんあるから」


「へぇ〜、勉強になるわ〜」


 会話もそこそこに、明るくなった蔵内部をずいずい入っていくと、


「あっ!!」


 見たミュランダの瞳が、歓喜に見開かれた。

 そこにあったのは骨董品や金銀財宝ではなく、階段。それも地下へと続いているらしい。


「ここ、入り口っぽいなぁ〜」


 セキコがまじまじと眺めている横で、


「ビンゴっ」


 思わずぱちんと指を鳴らす仕草を取る。ちなみに音は鳴っていない。

 そこの所は気にも留めずわくわくしながら階段に近づいてみると、立ち入りを禁ずる為なのか、しめ縄がかけられていて、何やら文字が書かれた御札おふだがこれでもかと貼り付けてあった。いかにもといった具合である。


「……くふふ」


 この『入って来ないでオーラ』に、ミュランダは逆に駆り立てられ、にんまりとスマイル。

 その間、御札と睨めっこしていたセキコが、こっちに向いて告げた。


「ん〜、本当にここみたいや。字が掠れててよう読まれへんけど、゛この先に魔を封じたり″って書いてある」


 絶対ここだ。

 ここじゃないわけがない。むしろ『入って来て』というフリにしか思えない。


「それじゃあ、入りまぁーす♪」


 無邪気にそう宣言すると、短剣でびっと縄を断ち切り、階段を下り始めた。

 セキコも、


「元気のええ子やな〜」


 にこにこしながら後に続く。



 かつーん。

 かつーん。

 暗闇に足音が響く。

 上を見れば地上の光がほんの米粒程度になってしまっている。

 下を見れば底なしの暗黒が広がっている。落ちたら恐らく、生きて帰ってこられない高さだろう。

 深い地中。

 らせん状に造られている階段を、手の平に光を乗せた少女と、耳と尻尾が生えた変な女が下りていく。

 どれくらい降りただろうか、木造だった階段が急に石段に変わってからそれなりに時間がたっている。壁も苔むした岩壁になった。


「っていうか、疲れたぁ……」


 がっくりと膝に手をつく。

 りんりん鈴を鳴らしながら、軽やかな足取りで先を行っていたセキコが立ち止まった。


「なんやぁ〜? もうぎぶあっぷかぁ〜?」


 辺りを支配するのは暗闇と、壁から滴っている水の音。なんとも陰気な場所だ。


「違うけどさぁ。んもぉ〜〜! いつまで続くんだよぉ〜〜!?」


 やけになって上げた声が闇の中へ吸い込まれて消える。最初は「家の下にダンジョン!?」などと興奮していたのは遠い過去の思い出だ。

 改めて辺りを見回す。

 今まで降りてきた階段。そして、今から降りていくであろう階段。その他には闇しかない。


「はよ行こうやぁ〜」


 相変わらず明るい声で呼んでいる。

 しかしミュランダは、ぶすっとした仏頂面になった。

 暗い。

 じめじめする。

 気持ち悪い。

 様々な不満から、


「きぃ〜〜〜っ」


 どすどす地団太じだんだを踏む。

 誰だこんなの造ったヤツは!

 と、心の中で文句を叫んでも、やっぱりむなしいだけ。


「……」


 そこでふと眉を平坦にさせた。この陰気な場所がそうさせたのだろうか、彼女の表情はかなり邪悪だった。

 りーんりーんと、軽やかに戻ってきたセキコが激励の声を掛ける。


「ミュラっ子がんばり。きっと後少しや」


 だが、ミュランダは急に咆えた。


「バーカバーカ! 反則だと思ってずっとここまで歩いてきたのに、もう堪忍袋かんにんぶくろなんだから! 知らないっ!」


 長く続く階段に、いい加減我慢の限界に達した彼女は、さっきからずっと封印してきた反則級の荒業あらわざに手を染めることを決意した。


「あーあ、最初からこうしてればよかった!」


 誰に言うでもなく憤慨しながら、用意されている道を無視して横に一歩。セキコはきょとんとしている。

 光をかざして下を見た。深い闇が広がっているあたりから、まだ最深部までは距離があるのが分かる。

 びっと手を上げる。


「一番! ミュランダいきます!」


「――え」


 セキコの視界で想像だにしないことが起こった。ミュランダがぴょん、と何の躊躇ちゅうちょもなくそこから飛び降りたのだ。


「うそっ!! ちょ、はやまったらあかんてぇぇぇええ!!」


 すぐさまその場から後を追うセキコ。くるりと宙返りをすると、あっというまに赤狐あかぎつねの姿に変化した。

 スカートを押さえた姿勢のまま、落下していくミュランダ。浮遊感と空を裂く音が体を支配する。しかしいつでも翼を展開できる彼女に不安は無い。


「ミュラっ子〜〜〜!! はようちに掴まりぃ〜〜〜!!」


 セキコが何か言っている。が、ミュランダの耳には届かない。彼女はその時、罪悪感のようなものにさいなままれていた。


(でも良いのかな、やっぱりダンジョンは歩かないと……)


 知っての通り、彼女、結構なゲーマーである。人間界に来てからというもの、ゲームという娯楽を知った彼女は底なし沼にはまるようにずぶずぶとのめり込んでいったのだ。

 プレイするのはシューティングゲームやアクション、格闘ゲーム。一番はRPGなのだが、RPGにはダンジョンが存在し、それには時折、矛盾が生じる事がある。飛行能力をもったキャラクターが搭や山を登っていたり、底なし沼を智恵を駆使して越えたり。挙句の果てには、谷を渡るのにつり橋を探したりといった具合に。

 だが、彼女は姉のように「意味が分からない。こんなの飛べばいい」などと無粋ぶすいな事は言わない。たとえどれだけ焦っていようともわざわざ困難な道を選ぶ、そこにロマンがあるのだ。

 しかし今、彼女は楽な方を選んでしまっている。ダンジョン(と思っている)を無視して進んでいる。

 これでいいのかな?

 ううん、やっぱりだめだ。

 徒歩とは段違いのスピードで落ちて行くミュランダは、


「やっぱりズルはダメだよね」


 ばさり、と急に翼を広げた。落下の速度が急激に緩和かんわされる。

 ふわふわと降りていく目の前を、赤狐が、


「どえっ!? ミュラっ子、羽が生えようるや――――――ん!!」


 という言葉だけ残して、ぴゅーんと落ちていった。遠のいて行く「や――――――ん」の部分が妙にシュールだった。

 ミュランダは半笑いで顔を引きつらせる。


「……あ、もしかして、助けようとしてくれてた系? あはは……」


 あちゃー、やっちゃったー、ともう笑うしかない。目を閉じて合掌がっしょうした。


「どうか、迷うことなく地獄に行って下さい」


「って、なんでうちが地獄行きやねん」


「うおわ! 生きてる!?」


 驚いて振り返ると、目の前に狐モードのセキコが。


「当たり前や!」


 細い鼻面と顎をかぱかぱ開閉させて怒鳴る狐セキコ。その度に見える鋭い牙が、彼女の性格には似つかわしくない野生を表わしていた。

 しかしミュランダはそんな所は見ていない。彼女が見ていたのは、目の前に存在している得体の知れない狐そのものに起こっている怪異。


「う、浮いてる……」


 四足それぞれから青白い炎が燃え上がっており、何がどうなっているのか、セキコは何もない宙に浮いていた。いや、立っていた。

 あれまぁ、とあんぐり口を開けてしまった少女に対して、


「いやいや、ミュラっ子も浮いてるやん」


 セキコは至って冷静につっこみを入れる。


「そ、それは、そう、だけど……」


 翼をもってしてゆるゆると下降して行くミュランダの前を、どこの何を踏んでいるのか、セキコがとことこ歩きながらついてきている。

 空中を歩くという事が可能な事実に、ミュランダは脱帽だつぼうしていた。


(そ、そんなことできるんだ……、あ、新しい……)


 なんだかびっくりしたままの表情の少女に、狐モードのセキコは眉間にしわを寄せた。


「あかん、やっぱ゛これ″はあかんわ」


 ふるふる首を振ると、音も無く空を蹴って宙返り。ずいぶんの間すっ飛ばしてきたが未だに続いている階段に、すたりと着地した。

 その一瞬に何が起こったのか、彼女はもう既に人(?)の姿に戻っていた。ばつが悪そうに頭を掻いて言う。


「やっぱ、あの姿より、こっちの方がええやろ?」


 びろんと長い和服の袖を振っている。

 りーんと鳴った鈴の音に我に帰ったミュランダは、


「へ? あ、うん」


 訳が分からないまま頷いて、彼女の横に着地した。

 したと思いきや。


「ひあっ」


 足が地を掴まず、変わりにべったりと石に付着していた苔が滑り剥がれた。効果音的にはずりゅん、が正しいだろう。

 体が傾く。


「あ――」


 彼女には分かった。自分は完全に転んでいると。

 が、それだけでは済まなかった。

 頓狂とんきょうな悲鳴を耳にして振り返るセキコ。


「ミュラっ――」


 なんか物凄い体勢のミュランダが、自分に迫ってきている。もう運命の歯車は誰にも止められない。

 ミュランダの体は坂を転がる車輪のようにセキコに激突。


「おごっ!」


 ボディに激しいタックルを食らったような感覚。次いで視界が急速に回転するのが分かった。ミュランダの転倒に巻き込まれて、階段をボールのように弾みながら進んで行く。


「あぼぼぶべぼべぼ!!」


 まさに大回転。何故か曲がりも綺麗に攻略し、それはもう徒歩よリ遥かに早く、ごろごろ転げ落ちていった。

 深い深い闇の中へと。




 冷たい。

 冷たいよ。

 だれ?

 そういえば、あたしどうしたんだっけ?


「――のあっ!」


 ミュランダはがばっと跳ね起きた。


「……くぅ」


 だが、すぐに身を縮めてよじる。体中がずきずきと痛むのだ。

 ここは?

 うっすらと目を開けると、暗闇が広がっていて目を閉じている時と区別がつかない。

 もう一度、光をかざそうとすると、突然ひんやりとした感覚が頭に。


「ひゃっ」


 その場から這って退いて、頭を触ってみる。


「み、水?」


 自分の居た場所を見ると、どこからか染み出てきた地下水がぽたり、ぽたりと滴ってきていた。


「こ、これだったのかぁ……」


 上を見る。もう地上の光は見えない。どうやら、さっきの階段から転がり落ちている間に気を失って、ここに辿り着いたらしい。

 そうか、だから体が痛いのか。

 そう推察すると、服に付いた汚れを払いながら立ち上がった。今度こそ光をかざす。


「あ〜っ!」


 セキコがうつ伏せに倒れていた。


「あわわわわ! だ、だいじょうぶ!?」


 慌てて駆け寄ると、彼女はすぐに目を覚ました。


「……ん、ミュラ……っ子? あたたたた、体めっちゃ痛いわ」


 腰や肩をさすりながら、起き上がった。


「ここ、一番下みたい」


「一番下〜?」


 ミュランダがセキコの視線の方へと光をやると、ここまで造られている階段があった。その下はどうやら無いようだ。


「ほんまや。さっきんとこからここに来てしまったんか……」


「ご、ごめんね、あたしの不注意で……」


「かなわんわぁ〜。ミュラっ子案外ドジやなぁ」


 冗談ぽくそう言って、陽気な笑顔を見せた。どうやら怒ってはいないようだ。むしろ状況を楽しんでいるように見える。

 吊られてミュランダも笑った。


「あはは、そうかも」


「かも、やなくて、そう、なんやって」


 ふたりは微笑み合うと、最下層の探索を始めた。

 岩肌が剥き出ている暗い道を歩いて行くと前方に、


「ん、なんかあるよ?」


 水分に浸食され朽ちかけた朱色の鳥居が現れた。造られてからずいぶんと長い年月が経過している感じだ。


「おお! いかにもだねっ」


 ミュランダがときめいていると、セキコが鳥居を見上げて真顔で口を開いた。


「鳥居ってな、神域しんいき俗世ぞくせを区画するためにあるんや。つまり、この奥が神域っちゅーこっちゃ」


 その奥には地上で見た蔵の入り口と同じような造りの扉が見える。赤銅色で、とても重々しい雰囲気が辺りに漂っていた。

 ごくりと唾を飲む。


「じゃあ、やっぱり……」


 セキコは頷いて、どことなく沈鬱な声で肯定する。


「この奥に、ヒノトオロチが封印されとる。多分な。いや、多分やで?」


 彼女の言葉と、あの゛嫌な予感″が大きくなっている事で、ミュランダは幾多の経験ゲームのからゴールが近いことを悟った。


「ついにボス戦!? うあ〜、興奮するぅ〜」


 体の痛みも忘れて小躍り。

 にこにこしながら、鳥居をくぐった。


「では早速、失礼しまぁ〜す」


 陽気に言うと、つかつか歩いて行って扉に触れる。

 温かい?

 何故かこんな地下深く造られている物に若干の温かみがあった。ミュランダはそんな疑問を感じながらも、ぐっと全身の力で扉を押した。

 ずずずと鈍重どんじゅうな音を鳴らしながら開いていく。

 隙間から漏れる赤い光。

 何の光だろう?

 そんな風にわくわくしながら扉を全て開ききった時には、


「……ぇ、ぁ」


 広がった光景が意外過ぎて、口があんぐり開いてしまい、呆然とした表情になっていた。


「……ぅ、うそ」





 揺らぐ赤々とした世界。

 焼け付くような熱風が彼女の髪を揺らす。眼下には真っ赤に燃える溶岩が流れ、低くうなり声を上げていた。

 ごうごうと燃える炎が、辺り一面をミュランダまでをも焔色ほむらいろに染め上げる。


「ほんま、火の神様が好きそうな場所やで」


 セキコが横でぼそりと呟いた。

 息苦しい。肺が焦げてしまうのではないかと思えてしまう空気だ。上を見れば、とげとしか思えないほど隆起りゅうきした岩が、針山を逆さにしたように広がっている。

 まるで活きた火山の底。生が存在しない地獄。だが、自然だけがこの空間を作り上げたとはとても思えない。何らかの力が加えられてこうなったような、とにかく不可思議が盛りだくさんの場所で、何かとてつもない事が起こりそうな恐ろしい雰囲気が漂っている。

 しかし、ミュランダは、


「すっごーーい!! 家の下にマグマがあったなんて!! やっぱりダンジョンなんだね!!」


 恐れるどころか大興奮。きらきらと恋する乙女のような顔になって言った。

 だが、残念な事も一つ。


「う〜ん、でも、このパターンって言えば、もうちっとフロアが続く感じだよね? やっぱりボスはまだだよね」


 あーあ、と肩をすくめながらも、溶けずに残っている道を歩き始めた。


「よっうが〜ん、よっうが〜ん、マグマファイヤ〜♪」


 楽しそうに歌いながら。

 予想外の反応を示した少女の後姿を見詰めていたセキコの表情は苦笑いだった。

 追いかけて尋ねると、


「ミュ、ミュラっ子、あんた怖いとかそういうの無いんか?」


「え、別に」


 さらっと答える。

 セキコには可笑しくて笑えてしまった。この年頃にしてはたくましい少女。きっと将来は大物になるだろう、心の中でそう思いながら、もう少し訊いてみる。


「あっはっはっは、ほんま規格外な子や。なぁ、ミュラっ子は、怖いものとかはあるんか?」


「う〜ん、あのね、怖いのは怒った時のパパ。前に、パパのセーブ消しちゃって、その時はすっごく怖かったよぅ。一言も喋ってくんないだもん」


「せーぶ? 全然なんのこっちゃわからんけど、喋れんのは辛いなぁ」


 なんとなくで話を合わせながら、二人はマグマが煮えたぎる上を歩いて行く。

 と、その時。


「――っ!」


 ミュランダは背筋がうずくような何かの気配に、後ろに振り返った。

 低く唸る赤い世界が静かに鳴動めいどうしている。それ以外は特に変わった様子は無い。

 ん?

 気のせいかな?


「どうかしたんか?」


「……なんか、変な感じしなかった?」


「うちは全然せえへんかったけど」


「そっか。そ、そうだよね」


 変なの、と心中で呟いて前を向こうとすると、視界の端で動く物をとらえた。

 足を止めて、


「んん〜っ?」


 目を細めて眺め見る。


「あ、あれは……」


 鳥。

 異様な光景にセキコも気付いた。


「なんやなんや? あれは……マーガリンか?」


「ちがうよ」


「素早いな。ええツッコミや」


 炎の鳥。

 文字通り炎で形成された鳥がばっさばっさと翼を羽ばたかせ、火の粉をき散らしながら接近してきている。

 ミュランダは喜びの顔色で目を見開いた。


「ぉおっ! モンスターだね!」


 言いながら、腰の短刀に手をやる。しゃんという滑らかな金属音を立て、刃を鞘から引き抜いた。


「キェエエエエ!!」


 刹那、炎鳥えんちょうは甲高い鳴き声をあげると、二人に向かって突進。


「おあっ!」


「おっと!」


 姿勢を低くした彼女等の上を、飛燕ひえんが如く飛び抜けた。次いで、とんぼ返りをうつと、その口から火炎弾を吐く。


「そんなのッ!」


 ミュランダ後方にステップを踏みながら、手にした刃を真一文字まいちもんじに振り抜く。

 ぼん。

 短刀の一閃いっせんで、火炎弾が弾け飛んだ。


「いっくよ!」


 ステップの着地と同時に低く姿勢をかがめ、バネのように前方に跳ぶ。


「キェエエエエ!!」


 炎の鳥は、またもや彼女に火炎弾を吐いた。

 ミュランダは冷静に炎の軌道きどうを読む。ぎりぎり接触するその瞬間。


煉火れんかっ!」


 青白い炎が視界の横から飛び込んで来て、


「――え」


 火炎弾を消し飛ばした。下のセキコが「いけー!」と叫んでいるのが聞こえる。どうやら彼女のサポートらしい。

 思ってもみなかった協力に、ミュランダの中で言い様の無い安心感と勇気が湧いた。強い表情で空を突進していくミュランダは、腕を交差させるように短剣を構え、


「ひっさつ斬りぃーー!!」


 刃の軌跡きせきが炎鳥を切り裂いた。胴を四つに切断された炎鳥は、ひゅるひゅると溶岩に落ちていくと、じゅうと燃え尽き、消える。

 ミュランダは陸地にすたりと着地して、決めポーズよろしく、短刀をくるくる回転させて腰の鞘に収めた。


「ふっ、またつまらぬものをやっつけてしまった」


 もうほんとギリギリの台詞で勝利の余韻よいんに浸っていると、


「ミュラっ子、やるやーん!」


 セキコが嬉しそうに駆け寄ってきた。


「えへへ、こんなのあさめしまえだよぉ。っていうか、さっきのはセキコの魔法?」


「魔法とは違うなぁ。狐術こじゅつっていうんやけど……」


「こじゅつ?」


「うん。霊力をもって不思議を起こす、狐の技や。たとえば……」


 両手の小指と人差し指を立てて、薬指、中指、親指をくっつける。良く見る『キツネ』の形だった。すると、手で象られたキツネの口部から、

 ぼう、

 と青白い炎が噴出されたではないか。


「おぉ〜! なにこれ!? 手品みたい!」


 きゃっきゃと喜ぶミュランダに気を良くしたセキコは、調子に乗って狐術を続ける。


「ほな、二番、いぬいきます〜」


 今度は右手を開いて、薬指と中指、人差し指だけ閉じる。そこに左手をあてがって犬の形にした。同じように口から青白い炎が出て、


「おいでませ〜」


 犬の姿を象った。妙に動きもリアルで、息づく呼吸のリズムで体が揺れているし、ぶるりと身震いする仕草も犬そのものだ。


「すごいすごい! 他にはないの!?」


「続きましてー、とり〜」


 犬のままになっていた手を開いて、胸の前で組み合わせ、


「キェエエエエ!!」


「へ?」


「は?」


 二人は、びくりとして振り返ると、そこには何も無い。その下での出来事だった。


「な、なんですかこれは……?」


 煮えたぎる溶岩を見下ろした彼女の瞳には、灼熱の海原の各所で、ぼう、ぼう、と卵からかえるように生まれ出でる炎の鳥が映っていた。それも一匹や二匹ではない、何十にも数は増えていく。

 ミュランダは、凄い顔でセキコを見た。


「ちゃうちゃう! うちの術やあらへんって!」


 ぶんぶん首を振って否定する。

 その間、神秘的な光景の中からそれらは甲高かんだかい産声を上げて飛び立つと、こちらに向かって飛翔ひしょうしてきた。

 ミュランダはセキコに対して抗議の声を上げる。


「セキコがトリとか言うから、あんなにたくさん出てきちゃったじゃん!」


「そうなんか!? うちのせいなんか!? 絶対違うわ!」


 ぎゃいぎゃい言い合っている間にも、火の粉を撒き散らしながら炎鳥が接近しつつある。

 その『群れ』と呼べる量まで増えた炎鳥を指差して、ミュランダが怒声を上げた。


「もう! どうするの!? あんなにたくさん! ほら、あんなに!」


「え、そんなに!? うわ――」


 なんと例えれば良いのか分からなかった。真紅の世界に、真紅の鳥が、虚空を埋め尽くし、そしてこちらを攻撃する為に増えに増えていく。なんともおぞましい光景だ。

 確かな寒気が、セキコの背筋を凍りつかせた。しかし、それでも今取るべき行動は一つ。

 セキコは再び身構えた。


「……ミュラっ子、どうする? あの数じゃ、さっきのようにはいかへんやろ?」


 鋭く勇壮な表情。その切れ長の瞳から発せられる妖艶な視線を炎鳥に向けながら、横の少女に尋ねる。

 方やミュランダは、特に身構える風でもなく、ほほに人差し指を当てて何かを考えているような素振りを見せていた。淡いグリーンの瞳を炎鳥の群れにやる。

 恐らく、この量と真っ向から対峙し、倒すとなると相当な魔力を消費するであろう。そんな余裕は無い。どうにか、一撃で。

 たった一撃で。

 あれ?

 んんんん!?


「あ! 良い事思いついたかもっ。あ、良い! これ良いよ多分!」


 そして突然の閃き。思い浮かんだ作戦を脳内で何度もシュミレーションして確認する。自分で思いついていながら、素晴らしい名案だった。

 セキコの服をぐいぐい引っ張る。


「ねぇねぇ! とりあえずセキコは、あたしの邪魔する奴をやっつけて! あ、あんまり近づきすぎちゃダメだよ? 危ないからね」


 いきなり、しかも足りなさ過ぎる説明に要領を得ない表情のセキコ。


「……なんやようわからんけど、ここから迎え撃てば――」


 そこで、とうとう炎鳥が、


「キェエエエエ!!」


 一斉に鳴き、侵入者に向かって雨のように火炎弾を吐き散らした。

 容赦なく襲い来る炎が、斜線を描いて一直線に降り注いでくる。ぐずぐずしてはいられない。


「んじゃ、そういうことでね!」


「あ、ちょ――うわっ!」


 火炎が着弾する瞬間、二人は力を込めて地を蹴った。

 セキコは後方に跳ねて、狐術で応戦する。青白い炎で火炎弾を掻き消していく。


「くっ、数が多いなっ」


 その更に後方。翼を広げて高く舞い上がったミュランダは、くすりと笑った。

 思った通りに敵が寄って来て、セキコからある程度離れた場所から攻撃を加えてきている。この際、セキコから距離がありさえすればそれでよかった。


「さぁ〜て、と」


 腕を大きく広げ、すると彼女の腕に周囲の風がぎゅおんと集束を始めた。

 視線の先には、炎鳥の大群。だが、彼女の瞳は゛その上″を見据えている。


「ミュラっ子! まだかぁ!?」


 青白い炎で牽制けんせいを続けていたセキコが苦しい声で゛作戦″を急かす。

 彼女の不安とは対照的に、全ては整っていた。寸分の狂いも無く、あとはきっかけを与えてやれば……。

 ミュランダは、


「今からやるんだよ……凄いんだからねっ!」


 ふっ、と勝利を確信した表情を浮かべ、

 風が取り巻く腕を下から上に、


「カッティングテンペスト!」


 振り上げる。

 彼女の腕から集束された風が一気に放射された。放たれた真空の鎌鼬かまいたちがきゅんと空を裂き、破壊力をともなって神速で飛ぶ。

 風刃ふうじんがセキコの頭上を越えた。

 数匹、炎鳥を砕いた。

 そしてその本隊をれて斜めに上昇し、当たりはせずそれらの頭上で、

 直後、

 ばがああああん!!

 轟音と共に棘だらけの゛天井″が砕け散った。

 セキコは、それがどういう意味を示しているのか、数秒の間、理解する事ができなかった。むしろ、いや、案の定『作戦』とやらが失敗に終わったのだとも思えた。

 だが、そうではなかった。次の瞬間に起こった現象が、至らない推察を覆す。

 風刃に破砕された岩石が炎鳥の群れ、その頭上に崩落ほうらくしていく。大きく展開していた炎鳥は、ぼん、ぼん、と岩に押し消され、貫かれ、落つる岩盤と共に、溶岩に飲み込まれていく。

 瞬く間に、敵の数は指折り数えられるほどになっていた。

 ミュランダは思い通りの結果に、ガッツポーズを取る。


「よし成功っ! やったね〜♪」


 と、喜ぶのも束の間。

 青白い炎で、最寄の一体を消し飛ばしたセキコが、


「ミュラっ子なにしてんねん! 早く行くで!」


 いつの間にか赤狐に変化して咆えた。すれ違い様にミュランダの襟首の咥えて、逃げるように宙を駆けて行く。

 それはもう風の如くその場を突っ切った。


「ああっ、そんな引っ張んないでよぉ〜〜〜!!」





 灼熱の海原を越えていく赤狐が一匹。その背には、少女がタンポポ色の髪を靡かせて乗っている。

 熱気が立ち昇る溶岩の上を、赤狐が宙を蹴り、駆ける。

 あの炎鳥の群れから逃げ延びて数分。

 視界に広がるのは赤と、黒い岩が突き出している天井のみ。


「ふぅ……」


 セキコの背にまたがったミュランダが、顔をしかめて汗を拭った。あれからさしたる緊張感も無いままなので、気が抜けてしまっていた。


「あ〜、あづいよぉ〜〜。ここ何℃あるんだよぉ〜」


 眼下にはどろどろに融解しているマグマがあるわけだから、当然の如く空気が熱い。汗も滝のように溢れてくる。

 ポチの言葉に従って魔力障壁は最低限展開しているのだが、それでも息苦しかった。障壁の出力を上げれば少しはマシになるかもしれないが、この後に何か凄い化け物が控えているらしいので、無駄な魔力の消費は極力避けたいところだ。


「うちは別に、なんも感じへんけどなぁ」


 とかセキコが気楽に言った。


「あたしは暑いの! さっきのでちょっと疲れたしさ……」


 ぐったりと身を任せると、牙の口がけらけらと笑う。


「ええやん別にぃ〜。その代わりに背中乗したってるやろ〜?」


 彼女の言葉には表立ったものが無いものの、心の中では確かにミュランダに敬意を抱いていた。

 こんなに小さいのに、強い。恐らく、自分よりも。

 魔法という物だけの力ではない。状況を把握し、周囲を利用し、絶対的な不利な状況であっても、余力を残して突破する。真っ正面からぶつかるだけではない、そんな見た目からは察する事ができない知性がこの少女にはあった。

 だからこそ、無邪気な中に智恵と強さを兼ね備えた彼女に、゛背″を許したのである。

 ただ、残念なことに本人は自覚していないようだが……。

 などと感慨かんがいにふけっている一方、ミュランダはなんだか不公平なものを感じて、半目になっていた。

 ずるい。

 なんであたしだけ暑いんだよ。

 ふと目に付いたぴんと尖った赤い耳。おもむろにむんずと掴んだ。


「うひゃあっ! なにすんね――」


 その途端に、力強く駆けていた赤狐の四肢から力が抜けた。

 どんどん失速して、ぐんぐん高度が下がって行く。


「あづあづあづ!!! これはさすがに熱い! 熱いって!!」


 あと少しで溶岩というところで、ぱっと手を離してやった。

 セキコは必死になって、ばたばたを足を足掻いて高度を上げる。元より高い場所まで駆け上がって、細長い狐の顔がミュランダに向いた。


「殺す気か!」


 と、怒る彼女に対して、


「知らない」


 つーんとそっぽを向く。さっきの強さや凛々しさはどこへやら、今は全く子供そのものだ。戦う時だけにしか発揮されない、そういう強さなのだろうか。

 はぁ、と溜息を吐いたセキコは疲れたような声で呟いた。


「そんな暑いんなら、涼しくなる方法でも考えてればええやん……」


 ぶずっとしていたミュランダが、急に強く手を合わせた。


「それだよ! なんで今まで気付かなかったんだろ!」


 この状況下で、なんとか涼しくなる方法を思索する。思いのほか、


「ん〜〜。あ、そっか! 服脱げば良いじゃん!」


 その答えに気付くのに時間は掛からなかった。

 我ながらの名案だと思えた。単純明解かつ原始的な事だ。暑いなら服を脱げば良いのだ。

 しかし、


「って、ダメだ。脱ぐ服がない」


 飛びながらがっくり。今日の服は夏服なので、ブレザーを羽織っている訳ではない。

 ところが、そこに活路を見出すことになる。


「あ! 良い事思いつーいたっ! ねぇ、セキコ、ちょっと止まって」


「え、あ、ええけど」


 急に停止するセキコ。ミュランダは翼を広げて、彼女の背から降りた。おもむろに服の裾に手をやって持ち上げ――

 たところでやめた。

 疑わしげにきょろきょろと辺りを見回す。


「誰も居ない……よね?」


 こんな場所に人など居る訳が無い事ぐらい明らかだが、それでも気になるものは気になる。彼女もれっきとした女の子なのだ。

 いるとしたら、


「どうかしたんか?」


 人間ではないらしい彼女ぐらいなものだが。


「ううん。なんでもない」


 誰も居ないことを改めて確認して、いそいそとシャツを脱いだ。露になる滑らかな肢体したい

 セキコはその姿を眺め見て、


(……ふ、お子ちゃまやな。そこらへんは、うちの勝ちや)


 と、口に出したら間違いなく怒られそうな事で優越感ゆうえつかんに浸っているとも知らず、ミュランダは高い温度で上気した肌を適当にシャツでぬぐう。

 柔らかな線の肩を拭いて、幼い胸もごしごしっと。

 あらかた汗を拭い去って、濡れたシャツをぎゅっと絞った。


「んで、ここをこうして……っと」


 水気を切ったシャツをぱたぱたと細長くなるように折って、胸に巻きつけて背中で固く縛る。これで幾分か涼しくなった。

 今度はポケットに手を突っ込んで髪留め用の輪ゴムを取り出すと、タンポポ色の髪を頭の後ろで一つにまとめる。これで背中にべったりすることもない。

 ふと、自分の体を見下ろす。


「ん〜、ちょっとセクシーかな?」


 へそを手で隠しながら冗談っぽく笑う。こんなに肌が露出しているとちょっぴり恥ずかしいものがあった。


「ま、誰も見てないから良い……、なに見てるの」


 瞬く間に人型になったセキコがにやにやしながらこちらを見ている。


「ん? いやぁ、なんでもないねん。なんでも……くくっ」


 何故か意味ありげにほくそ笑んでいる。どちらかというと何かを堪えているような感じの笑いのように見えた。

 何かおかしな事でもあったのだろうか。


「なになに〜? どうかしたの?」


 気になって尋ねると、


「……い、いや、色っぽいと思うで? せくしーやん」


 彼女は顔を背けてそう言った。肩が震えている。

 あれ、もしかしてバカにされてる?

 態度から漠然とそう悟るミュランダ。いぶかしがって尋ねた。


「……セキコ、バカにしてるでしょ」


「いやいやいや、滅相も無い! ミュラっ子はとっても色っぽ……く、くくっ、あっはっはっは!!」


 とうとうセキコが吹き出した。


「あっはっは! お子ちゃまボディでせくしーて! 傑作やははは!!」


 爆笑する傍らで、ミュランダは無言で浮いていた。表情は至って平静そのものだが、身の内は、恥ずかしさや、怒りで一杯になっている。なにより、気にしている(今朝から)スタイルの事で笑われているのが、腹立たしかった。

 セキコは無神経にも笑い続け、空中で転げ回っている。

 さぞ楽しそうに。

 さぞ可笑しそうに。


「ははは! ぺったんこやのに! ははははは――」


 ぶちっ。

 ミュランダの中で、音を立てて何かが切れた。ぺったんこ。その一言さえなければ、まだ良かったかもしれない。


「ぺったん――」


 もう一度口にしようとしたその瞬間。


「フレアぁぁぁぁあっ、ボぉぉぉぉムぅぅぅぅう―――ッ!!」


 ちゅど〜〜〜〜ん!!

 そんなこんなで、怒れる少女の今日一番の魔法が炸裂した。まさしく乙女の激怒だった。




 黒コゲになった赤狐と、それにまたがった少女が、


「はいはい〜、もっとスピードあげてー」


 赤い世界を、


「へいへい」


 気分を一新して進んでいく。

 少し快適になった溶岩地獄の旅を満喫すること数分。とうとう灼熱の海原に終わりが見えてきた。


「あ、あれは……」


 行き止まりらしい断崖だんがい。しかも、そこには申し訳程度に足場が存在し、おあつらえ向きな『ここから先に進むんだよ』と言わんばかりの洞まである。


「やった! ゴールだ!」


 まだ距離はあるが、きゃっきゃと喜ぶミュランダ。


「もぉ〜、上で暴れんなや〜!」


 希望を見出し、突き進む二人。

 その時、視線の先の溶岩に異変が起きた。ごぽごぽと、他の流れとは違う動きで波立ち始める。


「――なんや!?」


 即座に急制動をかけてスピードを殺すセキコ。

 次の瞬間、

 ごおおおおおおっ!!

 進路を塞ぐように、溶岩が火柱となって噴き上がった。それに伴って赤々と輝く飛沫と、凄まじい熱風とが押し寄せてくる。


「おわわわわぁっ! 避けて避けて!!」


「無茶言わんといて! こんなん無理やって!」


 全く無差別に飛んでくる炎の飛沫を、慌てふためきながらかわす二人。かろうじて直撃は避けられたが、熱風まではどうしようもなかった。


「うあっぢぢぢ!! 髪の毛がちりちりになるぅ〜〜!!」


「毛が〜〜〜!! うちの毛が〜〜〜!!」


 ミュランダとセキコは混乱しながらも、熱風から逃れる為に後退した。安全圏までさがった彼女らは、次第に熱風が弱まっていくのを感じながら、高く上がった輝く火柱を見上げて恐怖した。

 もうちょっと遅れていたら、ひとたまりもなかっただろう。


「あ、危なかったぁ〜〜。あれに触ったらヤケドじゃすまないよぉ。即死する即死」


「ほんまや、こんな危険な罠があるやなんて……。造った奴の気が知れんな」


 ふう、と冷や汗を拭ったのも束の間。

 瀑布ばくふとなって落ちていく火柱が途中で止まり、


「な」


 ぐにゃぐにゃと歪み、うごめき始めた。


「え」


 予想外の事態にミュランダとセキコの表情も歪む。

 火柱の先端が分離する。分かれた部位がさらにに分離を繰り返し、最終的には五股になるまでに変化した。次第に形が整っていくと、それが何かすぐに理解することができた。

 嫌でも理解させられた。

 大きな手。巨大な腕を形づくった、炎の塊。


「ま……マジですか?」


「あ、あかんて……これは……」


 二人は一連の変化を静観する事しか出来なかった。ただ、言いようの無い悪寒は感じていたが。

 その悪寒が的中し、炎の腕は唖然としている彼女等を掴み取ろうと、ぐにゃりと結構な勢いで迫ってきた。


「ひぃっ!」


 セキコは小さな悲鳴を上げると、咄嗟に高度を上げ、それを避ける。自分のすぐ足元を溶岩の流れが過ぎ去っていくという中々に凄絶な光景。

 炎の腕は侵入者を捕えるのに失敗すると、灼熱の海に飛び込んで何事も無かったように消え失せた。

 辺りに静けさが漂う。


「き、えた?」


 ミュランダが辺りを見回しながら言った。

 聞こえるのは低く鳴動する溶岩の音と、心臓がばくばく鼓動を打つ音。

 荒くなった呼吸を飲み込むようにごくりと唾を飲んだ。


「……な、なに今の!? ちょーびっくりした!!」


「うち、死ぬかと思ったわ」


 両者共に胸を押さえたり、深呼吸したりで落ち着こうとする。

 が、

 ごおおおおおおっ!!

 今度は背後から噴出する火柱。


「うそぉっ!?」


 時を同じくして、前も左も、四方八方で火柱が立ち上がり、炎の腕が発生した。


「……って、ことは」


 青ざめたセキコが、呟いた次の瞬間。

 次々に襲い掛かってくる腕、腕、腕、腕。


「いっやあああああっ!! 来ないでぇぇぇえ!!」


 ミュランダが一足先に翼を広げて逃げた。


「うわっ、ありえへん! 一人で逃げるな――ぎょえええええ!!」


 次いでセキコも逃げ出した。

 泣き叫びながら、しかし自分を守る為に、消えては増えてを繰り返す炎の腕の中をなんとか掻い潜る。上へ下への大乱舞。

 全身全霊をかけて逃げ回る一人と一匹。追いかけるのろまな炎の腕。

 幸い避けられないほどの速度ではなかったので当たりはしないが、これでは前に進めない。

 ミュランダは上から倒れ掛かるようにして降ってきた腕を、


「ひええええええ!!」


 避けたと思ったら今度は下から。


「もういやあああああ!!」


 涙声で叫んでいるミュランダに、セキコが声を掛けようとしたが、


「ミュラ――こっちも来よったあああああ!!」


 人の心配をしている場合ではなかった。横から殴りつけるように腕が迫ってきていたのだ。

 炎に追われる中で、ミュランダはほぞを噛む。


「くっ、どうすれば……。このまま、逃げ回ってるだけじゃ……、げっ!!」


 前後から迫って来た炎の腕を、下降してくぐり抜ける。


「あ、危なかったぁ」


 と、視界のめまぐるしい動きが止まった。


「――ん?」


 気色の悪い感覚に、ぎぎぎとふり向くミュランダ。

 避けた拍子にぶつかった腕と腕とが、一つに融合し、巨大化した。

 二つだった物が、巨大な一塊に。


「ふぇ?」


 変化した巨木のように太い火柱から、


「キェエエエエ!!」


 炎の鳥が生まれ、産声を上げる。加えて他の腕からも数え切れないほどの炎の鳥が飛び立ち、大挙となって一帯を押し包んだ。


「えぇっ!? そんなのありぃ!?」


 鳥肌が立つほどの火炎の軍勢。

 制空権はあちら側にある。前後を塞がれた四面楚歌しめんそか。二人で全てを相手にするにはかなり不利な状況だった。


「ミュラっ子! もうあかん! 限界やぁ〜〜!!」


 セキコが鳥やら腕やらに追い掛け回されて悲鳴を上げている。

 これでは逃げ場が無い。

 ミュランダは目をつむった。さっきのアレをやるにしても、この数をどうにかできる程の範囲には攻撃できない。

 仕方が無い!

 あんまり使いたくは無いけど!

 表情を強張らせる。


「セキコ!! こっちに来て! 早く!」


「わ、分かった!!」


 形を持った炎達を真剣な面持ちで進むべき道を塞いでいる炎達を一瞥いちべつすると、くるりと身をひるがえし両腕を左右に突き出した。

 力の発揮により、ふわりと空気の流れがミュランダから湧き上がった。揺れるタンポポ色のポニーテール。


「たゆたう水よ、悠久なる風よ……」


 静かに詠唱を始めた少女に、炎の軍勢がせきを切ったように押し寄せる。


「冷酷な姿となりて」


 次いでミュランダの手の先で陣が広がった。円が幾重いくえにも重なった構成の、青光りする二つの魔法陣。彼女の魔力が陣へと注ぎ込まれ、奇妙奇天烈な文字が淡く光り始めた。


「歓喜の歌声で動きある者の足枷あしかせとなれ!」


 駆けて来たセキコがミュランダの背後に飛び込む。

 炎の腕が目の前に、

 しかし、ミュランダの方が僅かに早かった。


「ブリザードノエル――っ!!」


 青い閃光の後、陣から猛烈な勢いで極寒の嵐が吹き荒れた。

 身が裂けるほどの冷気と共に、氷塊を内包した暴風が炎の軍勢を蹂躙じゅうりんする。鳥は消し飛び、温度を奪われた腕は、ただのどす黒い岩に帰っていく。


「え、えらい、力や……」


 セキコは消え去る炎の軍勢を、それを軽々とぎ払う術を、驚愕の眼差しで目に焼き付けていた。

 たった一撫でで、燃え盛る火炎を凍てつかせる凄まじい威力。年端も行かない少女が行使できる力とはとても思えなかった。

 赤々とした空間が、数秒前までとは真逆の白銀へと染め上げられた。


「はぁ、はぁ……」


 宙に浮いたまま肩で息をするミュランダ。

 魔法による風が止む頃、凍てついた世界の所々に腕のオブジェが寂しく屹立きつりつしていた。

 

「に、二回同時は結構きつい……かも」


 ふらりと力を失って落ちた彼女を、人型のセキコが受け止めた。


「だ、大丈夫かミュラっ子!!」


 呼吸が激しい、体の力が抜けてしまっている。よっぽど苦しいのが見て分かった。

 だが、それでも、


「う、うん、なんとか。今のうちに、早く……」


 ミュランダは進む意志を絶やさない。

 疲弊ひへいした表情で、早くも溶け始めた氷の彫刻の向こうを見やる。


「早く、行かなきゃ……。みんな、待ってて……」


 助けを借りながら、ゆらゆらと漂うようにオブジェの屹立する間を飛んでいく。

 助けながら、セキコは悔しさに似た感情から唇を噛んだ。


(ミュラっ子……)


 不思議だった。

 何故ここまでする。

 どうしてこんな小さな子が、ここまで体を張るのか。

 自分よりも大事な物がどこにある。

 その思いを、悔しさを噛み砕くように、肩を貸す少女に呟いた。


「……ミュラっ子、もう無理や。もう帰ろ? うち、ミュラっ子がそんなに辛そうなん見てられへん」


 ミュランダは荒く呼吸をしながら、ふるふると首を振った。

 その様を見て、セキコは焦りと切なさを隠し、穏やかな口調で言う。本当に、心から案じている風だった。


「ここまでそんな小さな体でよう頑張った。もうええねん。もう苦しい思いなんかせんでええねん……」


 ぎゅっと小さな体を抱き締める。見た目相応に細く頼りない体だった。

 頼りないと感じた。


「だから、帰ろ」

 

 ミュランダは抱きしめられて、気を抜いたら泣き出してしまいそうなぬくもりの中で思った。

 ああ、セキコはあたしを心配してくれてるんだ。

 嬉しいな。

 すごく。

 だが彼女は、ぬくもりや好意に甘えず、自分から離れた。

 離れて、笑顔で言ってやった。


「あたし、頑張ってなんかないよ。普通だもん」


 力強い笑み。 

 しかしその裏には、確かな苦しさがあるのが分かる。何がそうまでさせるというのか。

 そこまでして、どうして。


「だって、そんな顔色で……無茶や。この先には、ヒノトオロチが」


 混乱するセキコに、ミュランダは笑って返す事が出来た。


「ちょっと、一気に魔力を使い過ぎただけ、すぐに良くなるから……。それに、片桐家の人間はね、無茶が大得意なの」


 脳裏に浮かぶ修真、マキ、ポチ。

 待ってるんだ。

 みんなが待ってる。

 そう思うと、不安も何も感じなくなった。それどころか力すら湧いてくる。

 と、その時。


(「あー、うっせぇな! お子様はどっか行ってろ!」)


 途端に脳裏の彼が不快感を含んだ表情になって、あの言葉を吐いた。

 ぎゅっと胸が締まる。

 あんなのウソだよね?

 ホントじゃないよね?

 いつもの彼を必死で思い出す。優しくて、面白くて、時々怒るけど一緒に遊んでくれる修真。だが今は、ヒノトオロチのせいで変になってしまっている。きっと瘴気で変にされてしまった心のどこかで、本当の修真は助けを待っているんだろう。

 そう思うと、切なさ以上の感情が込み上げてくる。


(……そうだよ。パパが困ってるんだもん、あたしがなんとかしてあげなくちゃ……。弱音なんて言ってちゃダメ。パパはいつもあたしを幸せにしてくれるんだから)


 自分で取り戻すんだ。

 絶対に。

 その小さな胸中にあるのは、修真だけではない。ポチも、マキも。みんなを目覚めさせる為に、少女は困難に立ち向かう。

 待ってて。絶対に、あたしが助けるから。

 ミュランダは気合を入れて息を吸い込むと、顔を上げた。セキコの不安そうな顔がある。


「全然、こんなのは大した事ないよ! まだまだなんだからっ」


 セキコは震える。

 勝てない。

 この子を止める事は出来ないんだ。

 そう悟らざるを得なかった。

 きっと、この子には自分よりも大事なものがある。自分はそれを取り戻す邪魔をするような事を言ってしまっていたんだ。

 自身の軽はずみな発言を悔いる。

 そして、共に行こうと決めた。


「……まだ、進むんやな」 


「うん、お願い。ちょっとだけ、肩貸して」


「よっしゃ。うちに任しとき、ミュラっ子はちょっと休むんや」


 セキコはいきなり腕を取って、ミュランダを背におぶった。

 彼女の肩に頭を預けたミュランダは、ぽつりと囁く。


「はは、ありがと。セキコ」


 セキコは、


「何ゆうてんねん。本番はこれからやで」


 そう返して、僅かに存在している足場に舞い降りた。


「んしょっと。……行くで、ミュラっ子」


 少女を背負いなおし、その奥へと続いているらしい洞へ、ふらつきながら入って行った。

 赤茶けた断崖の奥に入ったセキコの目に飛び込んできたのは、上りの階段だった。元々ある岩を切り崩して造ったようなもので、真っ直ぐ、上の方まで続いている。

 見上げていた視線を地面に落とし、躊躇もなく上り始める。

 心の中で『パパ』なる人物への想いを連ねながら。


(パパさん、ミュラっ子はとってもええ子やで。こんな強い子見たこと無いわ)


 ゆっくりと、


(パパさんの教育の賜物たまものや。人間も中々捨てたもんやあらへんのやなぁ。こんなちっこい体のくせに、ええ根性してるで)


 一段一段、


(そうや、この子な、胸がぺたんこなの気にしてるで。だから、冗談でも絶対にからかったらいかん。なんか爆発しよったわ)


 踏みしめながら、


(パパさん、うち、この子が頑張ってるの横で見とったで。帰ったら誉めてやってな。嬉しがると思うねん。お願いやで)


 セキコは階段を上って行った。





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