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第22話、大盛り。日曜日〜金曜日の出来事

 まばゆい日差し。澄み渡った青空。

 爽やかな小鳥のさえずりで、その人は目を覚ました。


「んあぁぁぁぁ……」


 うめき声を上げながらゆっくりと布団から這い出し、煙草に火をつける。吐き出した煙が、十六畳というだだっ広い空間に広がった。

 そこはとても広く、けれども質素な畳の部屋だった。テレビが一台とぐしゃぐしゃになった敷布団。その他には酒の空き瓶や、酒の空き瓶や、あとは酒の空き瓶などが日本酒オンリーで転がっていて、もわんとアルコール臭を漂わせている。


「あー。頭がー、いてーよー」


 昨晩のアルコールが残っているのか、頭ががんがんして非常に気持ちが悪い。


「風呂でもー、入るかー」


 こういう時は、とりあえず風呂に入ってスッキリすると決まっている。のそのそと這い出して、部屋を出た。

 これまた広々とした板張りの床を歩いて行き、『ゆ』という暖簾のれんをくぐる。おもむろに下着を脱ぎ散らかし、からからと戸を引いた。

 白い湯気。

 朝だというのに、ヒノキで造られた湯船にはたっぷりと湯が張ってある。まずはおけで湯を汲み、体にばしゃりとかけ、次に湯に入る。


「ふぃぃぃぃ。良い湯だねぇぇぇぇ」


 幸せそうに呟いた声が反響はんきょうする。風呂場も恐ろしく広かった。

 数分後。

 風呂を出て、髪を乾かしていると、りーんと電話が鳴り響いた。


「あいあいー、ちょっと待てこのやろー」


 先ほどとは打って変わる軽い足取り電話まで駆けていく。そうして、受話器をとった。


「もしもしー」


 受話器の向こう側から聞こえてきたのはは、懐かしい友人の声だった。舌ったらず

な、子供のような声。


「おー、ひさしぶりー。えー、住む所が無くなったー? 何やってんだー、お前の息子はー」


 突然の告白に、悠長ゆうちょうに笑いながら返す。


「あー、それで電話してきたのかー。いいぞー、うちなら歓迎してやるよー」


 嬉しそうに電話を切った。

 その人の背後。着物姿の女がふわりと通り過ぎた。

 まるで、滑るように。

 まるで、足を動かしていないかのように。

 ふわりと通り過ぎた。



 所変わって、なんの変哲も無い住宅街。昨日の雨が嘘のように晴れあがった空の下を、一台の荷車を引いた少年が歩いていた。汗をだらだら流し、全力で荷車を引いて、ズシンズシンと進んで行く。

 やつれた顔の修真だった。


「ぐっふぅぅぅ、重ぇぇぇぇえッ!」


 彼が引くその荷車は少々おかしなことになっている。タンスやベッドという家具がこれでもかと積まれ、更には少女がニ人その上に乗っているという夜逃げスタイル。必死の形相からかなりの重量であることがわかる。


「あはは! パパ、これ楽しいー!」


 と、ハチミツ色の髪を頭の横で二つ結びにさせた少女が、タンスの上で足をばたつかせながら喜びの声を上げた。


「やめろぉぉぉお! そこではしゃぐなぁぁぁあ!」


「……どなどなど〜な〜」


 足をばたつかせる少女の左隣、顔はそっくりだが、真珠のような色をもったしなやかな長髪の少女が歌い始める。こちらも同様に、髪を二つに結んでいる。


「売らねぇぞおおおお!」


 真っ赤な顔で苦しい声を漏らす修真。その脇を歩いていた黒髪の少女が、顔を覗き込むように体をかたむけて、にっこりと微笑んだ。


「良いじゃないですか修様。ミュラちゃんもポチちゃんもとっても楽しそうですよ」


 何一つ荷物を持っていない身軽な彼女をうらめしそうに見る。


「こっちは重いんだよ。誰かさんとちがってね」


 そう言われた少女は、ぱっと喜びに満ちた表情になった。


「妻の私に、苦労をさせないなんて……なんという男らしさ!」


「ちげーよ。ぶっとばすぞ」


 ごちゃごちゃと言い合いながら荷車を引いた片桐家一行は、住宅街を進んで行く。

 この意味不明な事態。一体彼らの身に何が起きたのかを知るためには、一週間前にまでさかのぼらなければならない。

 全ては一週間前から始まっていたのだ。




 というわけで一週間前の夜。

 それはやはり、因果応報とでも言うのだろうか。ある事件についての結果が訪れた瞬間だったのだが、書面という人間の温かみが感じられない手段で通達されていた。

 灰色の雲に覆われた街の一画に建っている十三階建てマンション。その四階にある一番端の部屋。

 403号室こと片桐家である。

 夕食も終えた修真は、近々開催される恐怖のイベントこと中間テストに備えるために、リビングのちゃぶ台でノートと教科書に向かって頭をフル回転させていた。


「えっと……あ〜ッ、意味わからん!」


 ぐおおおおっと唸りながら頭を掻きむしってちゃぶ台に倒れる。

 ふと視線が窓にいった。

 夜の街に降りしきる雨。

 そういえば最近太陽見てないな、とどうでもいい事を考えて起き上がると、もう一度ノートに向かう。


「ここがatで……」


 と、そこへ


「修様〜」


 洗い物を終えたマキが、郵便受けに投函とうかんされていた手紙を数枚手に持って現れた。


「修様ぁ〜、お手紙きてますよぉ〜。封筒に入ってるのがありますけど……」


「おー、そこに置いといてー」


 そっけない態度で手をひらひら振っている修真。ちょっと張り合いが無かったマキは口を尖らせた――が、すぐに笑顔に戻って彼の手元を覗き込んだ。

 開かれたノートと、英語の教科書。

 マキは「あ、三行目、つづりが間違ってる」と心の中で思いつつ、尋ねた。


「宿題やってるんですか?」


 せっせと英文を書いている修真は片手間に、


「宿題やってますよー」


 と、これまたそっけなく返した。


「そうですか」


 そう言うと笑顔のまま修真の横にぺたりと座る。肩をちょんちょんと触ってみた。


「ん、何か用? 今忙しいんだけど」


 修真は難しい表情で振り返った。


「洗い物が終わったんです」

 

 きらきらとした笑顔で何かを待っている表情。修真は「あ、そうか」と気付いて、


「お疲れ様。ありがと」


 一言お礼を言って宿題に戻る。

 マキは口をぽかんと開けて、絶句した。


「……」


「あれ、なんだこれ。見たことねぇぞ……辞書を――ん?」


 妙な視線を感じて振り返る修真。見れば、眉間みけんにしわを寄せたマキがこちらを凝視ぎょうししているではないか。


「なんだよ。背後で変な顔するな、気が散るだろうが」


 けろっと表情を明るくして、


「だから、洗い物が終わったんですってば」


 同じ事を言う。


「うん。だから、ありがとう」


 そう答えて、床に置いてあった辞書を手にとると、すぐに教科書とノートに向き直る。


「はぁ? 過去分詞とか知らねぇんだよこっちはよぉ……」


 渋い顔でメンチを切りながら、勉強に戻った。


「……」


「……」


 沈黙ちんもく

 時計の秒針が進む音と、シャーペンが走る音が、やけにはっきり聞こえる。

 かちかちかち。

 かりかりかり。


「……くッ」


 痺れを切らしたマキは、えるように声を上げた。


「あーもうッ、どこまで言わせるつもりなんですか!」


 ノートをばんと押さえつける。ノートがずれたことによって教科書の例文を写していたページにびゃっと黒い線が走った。

 まったくもって訳が分からない修真は、ひどく顔をしかめた。


「……なんのつもりだ」


 怒りのあまりシャーペンをへし折りそうになりながら問う。

 マキは突然腕にすがりついて叫んだ。


「洗い物が終わった私をかまって下さいよッ。いちゃいちゃしてくださいよ! お仕事を終えたご褒美ほうびとして!」


「ゲッロストナウ(いますぐきえろ)」


 そう言い捨て、しがみ付いてきた腕を振り払う。

 すてんと転んだマキは、尚もあきらめない。


「しゅ〜さま〜、遊んでくださいよぉ〜」


 今度はうるうると泣きながら、足にまとわり付く。

 その姿を見下ろした修真は谷よりも深い溜息を吐いた。


「あのねぇ、こっちはマキちゃんみたいに理由の無い天才的学力とかないの。だからこうして勉強してる訳でしょ? だから――」


 こめかみをぽりぽり掻きながらそこで言葉を止めた。

 マキは瞳をうるませながら上目づかいで聞き返す。


「だから?」


 ぽんと華奢きゃしゃな肩に手を置いて、とっても爽やかな笑顔で言った。


「あっち行ってろ」


「うわあああああああん!」


 思いっきりちゃぶ台をひっくり返して、泣きながら走り去った。

 どどどどっと遠ざかっていく足音が女子部屋に消えたのを確認して、


「ようやく静かになった」


 邪魔者が消えたリビングで、そそくさとちゃぶ台を元に戻す。こんなことは日常茶飯事で起こることなのだ。

 再びノートと向き合う修真。しかし、せっかく書いた例文を一刀両断するかのように、やけに黒くて太い線が書き込まれてしまっている。


「……」


 静かにノートを閉じた。


「気分転換に……ゲームでもするか」


 ゲーム機の端子をテレビに接続し、スイッチを入れる。

 ちょうどスタート画面になったばかりのところで、ミュランダがタオルで頭を拭きながら現れた。


「パパー、お風呂出たよー」


「うーい。次はポチに入れって言っとい――」


 修真が言う前に、ゲーム機の前にさっと座る。


「一緒にやろうよ!」


「……しゃあねぇなぁ、お前2Pだからな」


「うん!」


 その時は気付かなかった。ちゃぶだいがひっくり返った拍子に、茶封筒がソファーの下へ潜り込んでしまったことに。

 それが日曜日の夜のことである。



 次の日。


「これ……どーすんだよ」


 時刻は現在7時。そろそろ学校へ行く準備もしなければならない。

 けれど片桐家の面々は、大いなる問題が発生していた事に今更になって気付いていた。

 原因は騒がしい朝の風景を尻目に、白い足をなまめかしく組ませてコーヒーをたしなんでいるポチ。彼女は残念なことに下着スタイルだった。

 体が大きくなってから訳の分からないポジションに落ち着いている彼女を見て、二つの意味で頭を抱える修真。


「……しまったなぁ、解決策が見当たらない。つーか、なんか下に穿けって」


 しかしポチは答えない。我関せずという具合でコーヒーをすする。


「まぁ、しょうがないんじゃないですかぁ?」


 と、修真の肩からぬっと首を出したのは、制服にエプロンという奇抜なスタイルを地でいくマキ。


「しょうがないって言うけどな、こんな姿で学校に行ってごらんなさいよ。大変なことになるぞ」


 と、二人でポチを見やる。

 ポチが初めて登校したその日は、今とは違う小さい姿だった。それが突然大きくなってしまったばっかりに、登校したくても出来ない状況となったのである。


「まぁ。でも、何かでごまかして……」


「どうやって身長ごまかすんだよ」


 ばーんと開くリビングのドア。

 洗面所で顔を洗って来たらしいミュランダが歯磨きをしながら現れた。そして、叫んだ。


「ふぇんふぃんふぉうふぁひょ!」


 びちゃびちゃっと修真の顔に白い歯磨き粉が飛ぶ。


「やめろ。歯磨き粉飛ばすな」


 ミュランダはタオルで顔を拭いている修真に、歯ブラシを口から出してもう一度言った。


「遠近法だよ! そしたらお姉ちゃん小さく見えるでしょ!?」


「はい、お前バカー」


 うーんと、それぞれが打開策を考察する中、ポチはおかわりのもう一杯を飲みはじめる。

 首をひねった修真が一つ提案した。


「あれだ、もう休んじゃえば? どう考えても『体を小さくする』なんて無理だろ」


 マキが疑わしげに目を細める。


「え〜、仮にも父親がそれは無いんじゃないですか?」


 学校を休むのは良くないことと教えられているミュランダもマキの意見に賛同した。


「そうだよ。パパさいてー」


「最低っていうのは、もっともひくいって書くんだよ。今の言葉がミュランダの人生でそんなに低かった? 違うでしょ? だから軽々しく最低なんて言うんじゃありません」


 うんうん頷いたマキが、母親として修真の後に続ける。


「修様の言う通りです! ミュラちゃん最低!」


「お前が最低だ」


 そんな三人を尻目に、ポチはん〜っと伸びをする。信じられない一言を口にした。


「さてと、制服に着替えなくちゃ」


「いや、無理だろ」


 なんやかんやで巨大化したポチの体では、小さい時のサイズに合わせて作られている制服は着ることが出来ない。着れたとしても、


「いろいろはみ出してもお母さん知りませんよ!」


 色々はみ出してしまうのだ。


「そうだよお姉ちゃん! サイズどうのこうのじゃなくて、年齢的に無理が――」


 ミュランダがそう言いかけた瞬間。


「はッ!」


 ポチがテーブルの上に置いてあったフォークを手にとって、びゅんと投げた。


「ぎょえっ」


 電光石火の早業はやわざで放ったフォークがミュランダのおでこにメガヒット。びよよ〜んと、突き刺さった。

 ミュランダの口元からたらりと歯磨き粉がたれる。


「む、無念でござる……」


 そう言い残してばたーんと倒れた。

 ポチはふぅと一息ついて、コーヒーをぐいっと飲み干す。


「じゃ、着替えてくるわ」


 すっと立ち上がり、女子部屋に消えて行った。

 フローリングの上に転がったミュランダを他所に、修真とマキは、がちゃりと閉まった部屋の扉を見ていることしか出来なかった。

 ただ、非常に気になることが一つ……。


「あいつ、どうやって着替えるんだよ……」


「そうですねぇ……。あ、インスタントラーメンみたいに――」


「お前の脳みそにお湯を入れて三分待ってやろうか? でかくなってんじゃねぇか」


 ゆっくりと女子部屋の扉が開く。


「そんなことより、私の胸を愛で焦がしてくださいよ。さぁ」


「黒コゲにしてやるよ。ガルアスでな」


 言い合う二人の前に、ポチが歩いてきてぽつりと呟いた。


「……準備完了」


「まっ黒にしてやるから動く――」


 衝撃が走った。

 ポチが小さくなっている。というか、正確に言うと、出会った時の姿に戻っていた。あの無口な少女の姿に。

 修真はあきれ果てながら呟いた。


「もうね、お前の体はどうなっているのかと」


 ポチは、すっかり低くなった目線を修真の顔まで上げて、


「……秘密」


 と答えた。

 洗面所へと消えていくポチの後姿を見送りながら、今度はマキにいてみる。


「キャラも元に戻ってるような気がするんだけど、どう思うマキちゃん?」


「遠近法ですよ」


「そうか。遠近法ってすげーな」


 何はともあれ、問題は一つ解決。

 こうして三人、フォークがおでこに突き刺さって倒れているミュランダを放置したまま、玄関を出て行った。

 これが月曜日の出来事。




 次の日の夕方。

 修真は買出しに出ていて、まだ帰宅していなかった。

 台所でマキが鼻歌を歌いながらかちゃかちゃと夕食の準備をしている中、ちゃぶ台の前でミュランダは正座をしてゲームを楽しんでいた。

 因みに、プレイメディテーション(プレメテ)というゲーム機で、今プレイしているのはシューティングゲーム。


「あ〜、甘い甘い。そんなの、このミュランダ様には効かないよ〜」


 ミュランダの駆る未来的な戦闘機は、敵弾の合間を掻い潜りガンガン進んで行く。

 ザコ敵をどっかんどっかん撃墜していると、とうとう音楽があわただしい曲調に変わり、緊張のボス戦が始まった。


「ノーミスクリア! ノーミスクリア!」


 などとドキドキしているミュランダ。

 その後に位置するソファーでは、いつの間にか巨大化した姿のポチが寝転びながら新聞を読んでいる。


「あらあら、最近すさんだ事件が多いわねぇ」


 そんな風に呟いたポチに、洗い物を終えたマキがエプロンの前で手を拭きながら声を掛けた。


「ポチちゃん、そんな格好だと風邪ひきますよぉ〜?」


 言われて、ポチは自分の姿を確認する。腰元まであるパーカー、その下は何も穿いておらず白い足がぬっと伸びている。要するに下着スタイル。

 自分の姿を確認したらしたで、ポチはすぐに新聞に目を戻した。


「大丈夫よ。天使は風邪なんかひかないから」


「まぁ、それもそうですね」


 と、当然のように言われたマキは納得しつつ頷くと、自分のココアをアイスでいれる。

 それぞれがしたいようにしてのほほんと過ごしていた時、滅多に鳴らない片桐家の電話が騒々しく鳴り始めた。


「あ、電話だ」


 一番最初に動いたのはミュランダ。彼女は修真から常々『ゲームやるんだったら電話くらい出ろ』と言われているのだ。 


「私出るね〜」


 マキがうなずいたのを確認したミュランダは受話器を取ると、


「はい、もしもしミュ……片桐ですけど、何か文句ありますか!? 訴えますよ!? こっちは最後まで戦いますからね! 泣き寝入りなんてしないもん!」


 相手に喋る間を与えず、がちゃりと切った。そして何事も無かったかのようにゲームに戻る。

 その様子を見ていたマキがしみじみと言う。


「修様の教育って、どこか間違ってるような気がするんですよねぇ」


 ここで言う修真の教育と言うのは、新聞や宗教の勧誘に対する電話への対処である。

 片桐家に掛かってくるのは、どういう訳かそういった社会のダークサイドからの電話ばかりなので、そういう対処の方法を伝授したのだ。


「ん〜、まぁ別に良いんじゃない?」


 と、ポチがどうでも良さそうに、新聞を読みながら言う。

 マキは強く机を叩いて、勢いよく立ち上がった。


「お母さんの話をちゃんと聞いて! 大事な話してるのよ!」


 いきり立ったマキを、冷ややかに見据みすえるポチの瞳。


「あなたを母と認めた覚えは無いわ。私の母さんはあの人だけなの」


 そう言われて、ぎゅっと拳を握る。


「くッ……私は一体どうしたら……。この子の心を開いてあげられない!」


「父さんなんてバカよ。あんたなんかと再婚してミュランダっていう子供まで作って! 母さんの事を忘れてしまったんだわ!」


「あなた、私には無理よ……。もう耐えられない!」


 と、昼ドラのノリで遊んでいるマキとポチ。

 そこで再び電話が鳴り、ミュランダが出る。


「もう何なの!? 用事があるならはっきり言ってよ!」


 と言って、受話器を置く。

 だが、また鳴る。ミュランダはむっとしつつもう一度出る。


「今忙しいの! 5面なの! 今、重要な5面のボス戦なの! ノーミスでラスボスまでいけないと裏ボスと戦えないんだからねッ!」


「ミュラちゃん、ちょっと……」


 なにやら只者ではない勧誘からの電話らしい事に気付いたマキが電話を変わる。同時に大きく息を吸い込んだ。


「おんどりゃああああああ! やんのかこらあああああああ!!」


 と言って、ばきゃーんと電話を叩き壊した。


「やったねママ! これでもう電話掛かってこないよ!」


「最初からこうすれば良かったですねッ」


 手を取り合ってにっこりと微笑むマキ、ミュランダ。


「……あ」


 ポチがそこまで言いかけて、言葉を飲んだ。

 二人の背後に、スーパーの袋を両手にぶら下げた鬼神がとんでもないオーラを燃え上がらせている。


「死にさらせえええええ!!」


「いぎゃああああああ!!」


「ぎにゃああああああ!!」


 この世のものとは思えない悲鳴がそこらじゅうに響き渡った。

 これが火曜日のことである。



 次は水曜日の昼のこと。

 その日も、六月特有の肌にまとわりつく嫌な雨が降り続いていた。そのため、修真達はいつもは屋上で昼食を取るのだが、教室で食事を取らざるをえなかった。

 同じように、外で昼食を取る生徒達も屋内に入るしかなく、雨の日は教室の人口密度が高い。

 教室の片隅で男子数名が小さくなって食事している中。修真の席は賑やかだった。

 おのれ、片桐。

 と、殺意すら通り越した熱い視線を受けながら、マキ、ポチ、ミュランダ、更には嘉奈まで加わった五人で机をくっつけて食事をする。

 セミロングヘアーの女子こと嘉奈が、急に真剣な面持ちで尋ねた。


「片桐くん、ちょっと良いかな?」


「どうしたんだ?」


 マキが激闘の末に勝ち取ってきた焼きそばパンを頬張(ほおば)りながら答える修真。

 机をばんと叩き、顔をずいっと近づける。


「私って女子高生だよね?」


「は?」


 なぜかいきなり笑顔でキレている嘉奈。適当なことを言ったら、女子特有の陰湿なイジメ(変な噂を流される。もしくは悪戯ラブレターを下駄箱に入れられる)とかで社会的に殺されるかもしれない。


「私が女子高生かどうか聞いてるのッ!」


 そう悟った修真は、顔を引きつらせながらおっかなびっくり答えた。


「そ、そうだね。間違いなく女子高生だと思うよ。うん」


 不思議な顔をして見ているマキ、ポチ、ミュランダの三人を他所に、嘉奈は質問を続ける。


「私って、それなりに可愛いよね?」


「え、まあ、うん。男子の人気もあるし……」


 ちらりと男子の集いを見る。もうほとんど飢えた野獣なんじゃないかという形相でこちらを睨みつけている。


(ちくしょう。こっちの苦労も知らないで)


 と、脱力した修真。

 嘉奈はそれに気づいていながら、それじゃあさ、と更に詰め寄る。彼女にはどうしてもに落ちない事があったのだ。


「私さ、出番が少なすぎると思わない?」


「――えッ!?」


 修真は言葉を失って、困り果てた。

 ――これは答えられない。何があっても言ってはいけないことが世の中にはあるんだ。


「どうなの?」


 凍りついた修真が返答を渋っている。そんな時、ぽつりと呟いたのはミュランダだった。


「だってキャラが無いもん」


「……え」


 可愛らしい少女の口から飛び出たとんでもない一言に、耳を疑う嘉奈。

 ついでポチのメガネがきらりと光った。


「……宮崎嘉奈。種族人間。戦闘力未知数。人間界で唯一の女子高生キャラというポテンシャルでありながら、今までほとんど出番が無かったという不思議と言えば不思議な人物。因みに、趣味は映画鑑賞という可も無く不可も無くといった感じの――」


「余計なキャラ分析しないで!」


 いちご牛乳をちゅーちゅー飲み干したミュランダが、バスケットボールのスリーポイントシュートのように狙いを定めてゴミ箱にパックを放り捨てた。くるりと振り返って無邪気に言う。


「出番が欲しい? とんだ茶番だね。ちゃんちゃらおかしくてヘドが出るよ」


 見事にゴミ箱に入らなかったパックを修真が捨てに行く。

 嘉奈は、ミュランダが口走った表情と一致しない言葉の意味を、時間をかけて理解した。同時に、びしりと青筋が額に浮かび上がる。


「ど、どういう意味かな?」


 しかし、ミュランダはふっと冷徹な笑みを浮かべた。


「嘉奈ちゃんには、何があるの?」


「え」


「あたしにはバカっていうキャラがあるでしょ? お姉ちゃんにも無口とかお金大好きみたいなのがあるし、ママはパパが好きっていうキャラでしょ?」


 ぴしゃーんと雷が嘉奈を打った。

 私には何があるんだろう……。

 普通の人間。普通の女子高生。普通の性格。普通のスタイル。普通に戦えない。特徴は特に無し。


「普通……しかない……?」


 全身に戦慄せんりつが駆け巡る。かたかたと震えだした嘉奈。

 信じがたい事実に戦慄している彼女をミュランダはびしりと指差す。


「そんな薄っぺらいキャラのくせに、出番が増やせなんておこがましいにも程がある!」


「――そ、そんな……」


 嘉奈はくずれ落ちた。綺麗にひざから崩れ落ちた。何もかもを否定された彼女は涙を流しながら、床に拳を打ちつける。


「……私には、何も無いっていうの!? ウソだよッ!」


 信じられない。これまで生きてきた十七年は何だったんだろう。出来る事ならば、あの登場シーンからやり直したい。

 全てを悔いている嘉奈の肩に、そっと手をやるミュランダ。


「でもね、他の女子と比べて、嘉奈ちゃんは恵まれてるんだよ。ほら、見て」


「え?」


 指差した先を見る。そこには一連の流れを傍観していたクラスの女子十数名が居た。

 どこか哀れむような瞳で、ミュランダは言った。


「あの人達は、名前すら無ければ、キャラだって無いんだよ? かわいそうでしょ?」


 クラスの女子達は一斉に、箸やらフォークやらを握り締めた。

 焼きそばパンの包み紙をゴミ箱に捨てに行った修真は、突然首根っこを掴まれて、


「ぐおっ!」


 いきなり床に引きり倒された。


「何す――ッ!?」


 ミュランダの発言によって激怒した名も無き女子達に周囲を囲まれている。修真の顔がひきつった。

 それぞれがごごごごと本当に人間かどうか疑わしい程のオーラをまとっているのだ。


「ちょ、みなさん?」


 恐怖におののきながら後退り。けれども、後も囲まれているため逃げ場は無い。集団リンチでもされそうな気配がただよう。

 その中から、女子Aが一歩出た。


「ねぇ、片桐くん。あの子ぶん殴って良い?」


「あ、安部あべさん、ちょっと落ち着こうよ。一回冷静になろう」


 拳を握り締めてぷるぷる震えている安部さん。周りの女子BCDEFG〜Nもさすがに怒り心頭だった。


「あの、ミュラも悪気がある訳じゃ……」


 と、慌ててミュランダをかばおうとしたその時。ずらりと並んでいる女子を掻き分けて、ジャムパンを食べているポチが現れた。


「一人一発なら殴ってもOK。お金が発生するけど」


 そんなポチに安部さんが尋ねる。


「いくらなの?」


 どこからともなく豚の貯金箱を取り出し、


「一回五百円。税込み」


 と答えた。

 安部さんはおもむろに財布を取り出して、五百円を豚の貯金箱に入れた。


「これでいいの?」


「まいど」


 と、安部さんが口火を切ったことにより、


「はいこれ!」


「まいど」


「なけなしのお小遣いよ!」


「まいど」


「お願いするわ!」


「まいど」


 次々に五百円玉を貯金箱に入れていく女子達。

 五百円単位でまたたく間にたまっていく貯金箱。全員が入れ終わる頃には、とんでもない金額になっていた。


「もうかった」


 じゃらじゃらと振って、中身の詰まりっぷりを堪能たんのうするポチ。その表情はなんとも愛らしくまさに天使の笑顔だが、やっていることは悪魔である。


「お、お前、妹を五百円で売ったのか」


「しめて七千円」


 一方、お金を払った女子達はミュランダを取り囲んでいた。安部さんを筆頭にずらりと。

 やはり安部さんが一歩出て言った。


「やっておしまい!」


 女子数名がミュランダを御輿みこしのように担ぎ上げる。


「わ! なになに? どうしたのこれ!」


 わっしょいわっしょいという掛け声でかつがれた。

 ミュランダ御輿を笛を吹いて誘導していた安部さんの高笑いが響いた。


「おーっほっほっほ! さあ、みんな。体育館裏へ運ぶのですよ!」


 おー!

 レギュラーキャラに反旗はんきひるがえした女子は、腕を天高く掲げる。

 体育館裏という伝説のバトルスポットの名を聞いたミュランダは、今から何をされるのかを悟った。


「はッ! まさか、あたしをバキューンにしてピーするつもり!?」


 自主規制なのだ。


「違うわよ!!」


「じゃあ、何するの?」


 きょとんとしているミュランダに、安部さんはよくいる悪キャラのように言い放った。


「ほほほ! あんたは今から血祭りに上げられるのさ! 駄キャラを無下に扱うとどういうことになるか教えてやるよ!」


 しかもあざけるようにくねくね動いている。キャラを獲得するのに夢中な安部さんは完全に方向性を間違えたのである。

 悪の女帝(安部さん)の宣告にミュランダの顔が驚愕きょうがくに染まった。


「こ、こんなにキャラがベタでしかも薄っぺらいなんて……」


「血祭りじゃなくて私のキャラの方に疑問を感じたんかいッ!」


 安部さんは究極に下手くそな突っ込みもマスターしているのだ。


「あ、胸も薄っぺらいんだね」


「――ぐっ」


 ミュランダのさりげない一言が、安部さんの心にぐさりと突き刺さる。

 しかし、状況の有利は安部さんにあった。


「も〜う我慢ならない! お前達! この口の利き方を知らない娘を屋上から逆さ釣りにするよ!」


 きー!

 と訳の分からない掛け声で一致団結する悪の戦闘員(クラスの女子)。

 額にフォークが突き刺さったままのミュランダは、わっしょいわっしょいと教室から連れ去られていく。


「い〜〜〜〜や〜〜〜〜〜」


 悲痛な悲鳴をその場に残して。

 教室に静けさが戻る。悪ノリしなかったクラスメイトは何事も無かったかのように昼食を取り始め、ポチは自分の席で五百円玉の数を確認している。

 呆気あっけに取られていた修真に、マキが椅子から立ち上がって尋ねた。


「修様、ミュラちゃん助けに行かないんですか?」


 修真は「いや、そんなことより」とマキの肩に両手を置く。マキの頬が赤く染まった。


(ひ、久々のボディタッチ!!)


 と、思いながらドキドキときめいていると、修真がゆっくりと口を開く。


「マキちゃん、ジュースでも買いに行かない?」


「デートですね! 行きましょう!」


「違うよ。違うけど今はそれでいい」


 逃げるように教室を出て行く二人。

 男子数名の人を殺しかねない羨望せんぼうの眼差しは、登校した朝からずっと修真を貫いていたのだった。


「私はどうすればいいのよーーッ!!」


 嘉奈のキャラ作りは続く。




 なんだかんだで話は木曜日の夕方に移る。

 その日は、いまだにフォークがおでこに突き刺さっているミュランダによって、全員参加の家族会議が行われていた。

 食卓の上に乗っている虫かごを中心に、四人が椅子に座っている。 


「うおっほん!」


 この上なくわざとらしい咳払いをしたミュランダは、険しい表情で切り出した。


「えー、それでは、この子の名前を決めようと思うのですが……、その前に!」


 ミュランダの目が鋭くなり、隣で静かに座っているポチを横目でにらみつけた。


「お姉ちゃんは私のくつしたを勝手にはくのをやめてください!」


 目尻に涙を浮かべながら怒鳴ったミュランダ。しかし、それを嘲笑うかのようにポチは、しれっと答える。


「……知りません」


 その態度に逆上ぎゃくじょうしたミュランダは、たちどころにポチに飛びかかった。


「このインテリメガネーー!!」


 が、すぐにマキが彼女の両腕を掴み、動きを制止する。


「ほらほら喧嘩しないでくださいよ、二人とも」


 自由を奪われながらも、じたばたと暴れるミュランダ。くやしさで顔が真っ赤になっている。


「しらばっくれないでよ。お姉ちゃんのバカ! 飛び散れ!」


 はぁはぁと肩で息をする彼女の様子を見て、とうとう修真が立ち上がった。


「おいおい、ちょっと落ち着けよミュランダ。飛び散れは言い過ぎだろ」


「しょーこだってあるんだからね……」


「証拠?」


 と、小首をかしげる修真。

 ミュランダはスカートのポケットからびろびろの布切れを取り出すと、テーブルの上にぽいっと投げた。


「これが証拠ですか?」


 布切れをつまみあげてみるマキ。それは、くたびれてはいるが修真が買い与えた靴下だった。

 ぐすっとしゃくりあげながら、ミュランダはゴムの部分を指差す。


「……ほら、お姉ちゃんが体大きいままではいたから、伸びちゃってる」


 座っていたポチもくたびれた靴下を見て……思わず手で口元を隠した。


「あ、ほんとだ。やっべ……」 


「あ! 今、言った! やっべって言ったよね!?」


「……言ってない」


「きいいいいい!!」


「あ」


 マキの隙をついて手を振りほどいたミュランダが、今度こそポチに襲い掛かった。フローリングの上でどたんばたんと転げ回る天使二名。

 その様子を見ていた修真はしょうがないなと頭を掻くと、ミュランダをポチからひっぺがした。


「だから、落ち着けってば」


「いーーやーー! はーなーしーてーよー!」


 襟首を掴まれ宙に浮きながらも、手足を動かし首をぶんぶん横に振っている。その姿に天使のどうのこうのは全く感じられず、ただの子供にしか見えない。

 しかしあくまでも、外見上は、である。だが今は、天使かどうかは関係無い。


「お前の気持ちはわかったから。とりあえずフォーク取ろうぜ」


 つまみ上げたミュランダをめんどくさそうに半目で見て、ソファーに放る。ミュランダはぽふんと尻もちのように着地して、やはり大声で言った。


「フォークじゃないもん! 角だもん!」


 どうにも怒りがおさまらない彼女に、マキがゆっくりと歩み寄ってさとすように言った。


「それは角じゃないですよ。ただのバカです」


 一方修真は「ほらみろ、お前のせいだぞ」と、お茶を飲んでいたポチを、ひじで突付く。

 顔を上げたポチは、修真に「ん」と促されて、


「……わかった」


 観念したように呟いてようやく重い腰を上げた。それから静かに歩いて、ミュランダが怒り狂っているソファーの前に立つ。

 ぺこりと頭を下げた。


「……ごめんね。もう勝手にミュランダの服は着ないから」


 くすりと微笑んだマキが、「ほら、謝ってますよ」と優しくミュランダの背中を押した。


「……っ」


 予想外にも真面目に謝られて、ミュランダは出そうとしていた言葉を飲み込んでしまった。決して消えてはいない怒りと、これ以上は責められないという心の葛藤かっとう

 どうすれば良いんだろう。

 うつむいてしまったミュランダにマキがささやく。


「許してあげたらどうですか?」


「……っ」


「ポチちゃんも、反省してますから。ね?」


 震えていた小さな握り拳から、ふわりと力が抜けた。


「……わかった。許す……」


「はい。じゃあ、仲直りの握手して」


 マキに手を取られて握手する二人の天使。

 その様子を見ていた修真は、なんとも言えない……強いて言うならば、背筋が凍りつくような気分になっていた。


(これって……喧嘩する娘を仲裁ちゅうさいする親、なんじゃ……)


 この若さで、何をやっているんだろうか。真っ青な顔で身震いした。

 それに気付くマキ。


「あ、もしかして夫婦みたいとか思っちゃいました? マキちゃんって意外と母性本能丸出し、キスしたい! とか思っちゃったんですか!?」


「よし、仕切り直しだな。ミュランダ、何の話だっけ?」


「あのね、この子にも名前が必要だと思って……」


「ほら、ポチも来いよ」


「……うん」


 テーブルに戻っていく三人。

 もちろんマキは置き去りにして。


「まったくもう……照れ屋さんですねぇ」


 そんなこんなで仕切り直すことになった家族会議。

 テーブルの上に置かれた虫かごの中で、赤い生物がハサミを勇ましく振りかざしている。

 そういうことか、と理解した修真は、フォークが額に刺さったままのミュランダに率直な意見を述べた。


「ザリガニに名前つけるんだったのか」


 そう。本日の議題は、先日マキが捕まえて来てしまったザリガニ様の名前を考える、という内容である。というのも、エビはお気に召さなかったミュランダが、ザリガニはいたく気に入ってしまったからで、わがままを言って飼うことになったからなのだ。

 先ほどの怒りっぷりが嘘のようにけろっとしているミュランダが、嬉々(きき)として言った。


「ねぇねぇ、名前何にする?」


「なんでも良いんですけど」


 やる気の無い修真をびしりと指差すミュランダ。


「パパ、なんでそんなかわいそうなこと言うの!? もう、一緒にお風呂入ってあげないんだから!」


「望むところだよ」


 今度はポチが無表情で不満を口に出す。


「……早くしてよ。ドラマの再放送が始まっちゃう」


「お姉ちゃんまで!? もう誰も信じられない!」


「絶望するの早すぎだろ」


 またもや建設的ではない言い合いが始まってしまう雰囲気を感じたマキが、 


「まぁまぁ。とにかくこれに名前をつければ良いんですよね?」


 と、なだめるが。


「゛これ″なんて呼び方しないで!トルム・ゲルドッサーだって生き物なんだよ!?」


「もう名前ついてんじゃねーか」


「……変な名前」 


「えー、かっこいいじゃん。トルム・ゲルドッサー」


 言いながらどんどこ机を叩くミュランダ。

 頬杖ほおづえをついためんどくさそうな表情のポチが、疑わしげに言った。


「っていうか、こんなの全然かっこよくない」


「はぁ!? もっとちゃんと見てよ!」


 ミュランダにぐいぐい引っ張られて、椅子の上に立つポチ。

 上から虫かごを覗き込む。小さな体で精一杯、威嚇いかくのポーズを取るトルム・ゲルドッサー(ざりがに)。


「ね。かっこいいでしょ?」


「そうでもない」


「えー」


 ぶーと、ふくれるミュランダ。

 その時、ふとマキの目にとある物が映り込んだ。

 あ、これは。

 見覚えがある。以前、修真と買い物に行った時に……


(「イヤだ! 俺はそんな所には行かねぇぞ!」)


(「何言ってるんです! それでも父親ですか!」)


(「ぐッ……、でも!」)


(「ほら、早く! ミュラちゃんをそういう子にするつもりですか!?」)


(「ううううわあああああ!!」)


 ミュランダの為に購入した物。


「そのパンツってミュラちゃんのじゃないですか?」


 ポチの無表情が一瞬だけ崩れた。


「げ」


 ヤバイ。そんな顔だった。

 ミュランダがふるふる震え始める。


「お姉ちゃんのバカあああああ!!」


 こうして新しいペット、トルム・ゲルドッサー(ざりがに)が仲間入りした。

 これが木曜日。




 そして金曜日。修真達は戦っていた。

 そろそろ六時限目もはじまろうかという時刻に、急に「ゲートが開いた!」というトチ狂ったようなミュランダの発言で、彼女が指差した方向を見た。


「あ、三つも出てる」


 街の上空にぱっかりと開いた一見ブラックホールのようなゲート。しかも三つときている。

 なにやら只ならぬ雰囲気に包まれた修真達は、とりあえず早退届を職員室に提出して、結構余裕をもって下駄箱を出た。


「あーん、待ってよパパ! あたしの傘がない!」


「大丈夫。お前にはフォークがあるって」


「そうですよぉ。フォークさえあれば隕石だって防げますよ」


「……ミュランダうらやましいな」


「もう傘なんていらない! あたし、フォークがあれば生きていけるよ!」


 しとしとと降り続く雨の中を駆けて行く。

 それから数分たった後、修真達は逃げまどう人々の中を掻き分けてようやく現場へと辿り着いた。当然の如く真昼間から空を飛ぶのは問題があると思われたので、徒歩である。


「ようやく着いたか」


 そこは様々なビルが立ち並ぶ大通りの交差点で、本来ならば人通りも多い場所だ。けれども、往来おうらいを行き交う人々は既に逃げた後で、今は人っ子一人存在しない。

 何故ならば、


「ブシゥゥゥゥゥウッ!!」


「キシャアアアアアッ!!」


「ウオオオオオオンッ!!」


 見覚えのある化け物が三体、好き勝手に暴れまわっていたからである。

 片桐家一行は、それらの姿を見て驚愕――というよりも、そうきたか、と何とも言えない気分になっていた。


「一体じゃダメだったからって、今度は一斉に送って来たか」


 傘を捨てた修真にマキがするりと同化し、背から機械のような羽が生える。


「私、どれも見たこと無いよ?」


 うーん、と首をかしげながらミュランダは青い羽を広げた。こちらは傘が無かったので早くもびしょ濡れだ。


「……手抜き作業」


 と、呟いたポチは、奇怪なことにふわふわと浮かんでいる。黒地に青の指輪から形成されたブライゼルに、まるで魔法のほうきに乗るかのようにして浮遊しているのだ。しかも何故か雨がポチを避けていて、まったく濡れてはいないという不思議っぷり。


「どういう仕組みなんだよ。何で槍が浮いてんの?」


「……謎が多い方が神秘的」


「そんなことよりあれどうするの?」


「そうだなぁ……」


 彼らの目に映っていたのは、見覚えのある三体の兵器だった。

 路地の右側から聞こえるのはドヴィン、ドヴィンと重量感が感じられる足音。ビルの間に屹立きつりつする四メートルはあろうかと言う巨躯きょくに、赤い一つ目の化け物。


「ブシゥゥゥゥゥウッ!!」


 蒸気をプシューっと吹き上げたそれの左肘から先は巨大な砲身が取り付けられている、というより生えているという表現の方が正しく、右手には黒光りする銃が……


「うっわ、前よりもグレードアップしてんじゃねーか。マシンガンみたいなのくっついてる」


 以前には無かった武装と、更に見た目からも生体の部位が削除され、全身に渡って機械化されているのがわかる。


(初めて言いますけど、あれ、サイクロプスっていう名前なんですよ?)


「どうでもいいわ」


 そして路地の左側には、


「あいつ、俺が熱でた時に襲ってきやがった奴だ」


 わしのような頭に筋肉質の体躯たいく。腕や足が存在するのにも関わらず、鳥類の翼を有した化け物ガーゴイル。


「キシャアアアアアッ!!」


 こちらもサイクロプス同様に全身が機械化されていて、羽ばたいて飛ぶではなく、推進装置と化した翼の推力でびゅんびゅん飛び回っている。


(なんか懐かしいですね)


「そんなこと言ってる場合じゃないって」


(あの時は、ストールを探すの大変でした)


 そして真ん前の路地には大地を引き裂くような咆哮ほうこうを上げる双頭の獣。


「ウオオオオオンッ!!」


 ケルベロスという名のポチが瞬殺した魔獣である。


「……記憶に新しい」


「あの時は、教頭先生にさらわれてどうなることかと思ったよ」


 例外無くケルベロスも体が機械化されていて、とにかく関節と言う関節から鋭いとげが突き出している。前回に比べて強固な鎧をまとったような姿に変貌した双頭の魔獣。


「そんで――」


 修真は漆黒の刀身をもった魔剣ストールを取り出し、同時に黒地に赤い装飾が鮮やかな焔魔銃ガルアスを構える。


「誰がどれ行く?」


 修真の問いに、ミュランダが挙手で答えた。


「はい! 私、あのでっかいやつがいい!」


「全部でっかいわ」


 次いで、ポチが口を開く。


「……あの一番ハンサムなやつ」


「え、ごめん。どれ?」


 一体全体どれがハンサムなのか見当もつかない。

 そんな修真の疑問に答えるわけでもなく、ポチを乗せたブライゼルが滑るように急発進。空に舞い上がったポチは、メカガーゴイルを追って飛翔ひしょうしていく。


「あ、ハンサムなのってあれか」


(価値観は人それぞれです)


 その姿を見たミュランダはこらえきれなくなったのか、


「私はアレ!」


 青い羽を羽ばたかせサイクロプスへと飛びたった。


「ってことは――」


「グゥゥゥゥウッ!!」


 ぽつりと佇む修真に向かって、メカケルベロスが巨躯を揺らしながらアスファルトを蹴り上げて走り始める。


(すごい迫力ですねぇ〜)


「メカになったからって強くなると思うなよッ!!」


 迫り来る魔獣に向けて、ガルアスのトリガーを引いた。



 所変わって、街の上空。

 逆巻く風にゆらめくしなやかな長髪。真珠のような色。その前方には、ジェットを翼から噴射し、戦闘機のような速度で飛ぶ化け物。


「……ほら、もっとスピードあげて」


 いの一番に飛び出したポチは、魔法の箒がごとくの扱いを受けている神槍ブライゼルを駆り、メカガーゴイルの姿を追っていた。

 久々に小さい手の平で、ブライゼルの刃に触れる。


「ブライゼル。ちょろっと攻撃」


 すると、ぽっとポチの手が青白く光り、それに呼応するかのようにブライゼルの刃が光を帯びる。

 次の瞬間。

 バシューーーン!

 と、幾つもの刃から弧を描いた閃光が飛びだした。

 メカガーゴイルの飛行速度を遥かに上回るポチのビームは、うねり、ねじれ、メカガーゴイルの体躯を捉えた。

 ドカーンっと巻き起こる青白い爆発。

 しかし、


「ギシャアアアアアッ!!」


 爆炎は内側から膨れ上がるように広がって、霧消した。

 翼を羽ばたかせることによって内側から爆炎を消し飛ばしたメカガーゴイル。その機械化された体には傷一つ付いておらず、ダメージが感じられない。


「わぁ、堅いね」


 そのまま大きく旋回し、機械の瞳が空を舞う白髪の少女に狙いを定める。瞬間、メカガーゴイルのクチバシが大きく開かれ――


「ブライゼル、よけて」


 稲妻いなずまがほとばしった。

 すんでのところでブライゼルは斜めに下降し、一直線に空を裂いた稲妻をかわす。

 メカガーゴイルは下方に位置するポチを追い、何度も雷光を吐いた。


「次、右斜め二十三度上昇」


 ポチの的確な指示により、滑らかな自由自在の動きで雷光をしゅんしゅんとかわしていく。


「……たまにはこういうのも楽」


 回避を全てブライゼルに任せたポチは、まったくの余裕ぶりで空中散歩を楽しむ。

 そんなポチの背後から、今度はメカガーゴイルが推進装置からジェットを噴射させて追いかける。


「もう来た」


 ポチの背後、数メートルを追い上げる鋼の怪鳥は、水平に広げていた翼を一度、ばさりとポチに向かって羽ばたかせた。巻き起こった旋風せんぷうと共に、金属で作られたナイフのような羽根が一斉に舞い散り、ポチに迫る。

 その瞬時、


「ランパートブライト」


 ポチは急旋回と同時に、両手の平を前に突き出した。

 ズガガガガっという無数の刃が突き立つ音。


「残念でした」


 ポチに到達する筈のやいばの羽根が、何かに突き刺さっている。日光を浴びてきらきらと輝くそれは、ぶ厚い氷の壁だった。飛び行くポチを刃の雨から守り、そして砕け散る。


「ギ……ギギ?」


 輝く氷の欠片が辺りを包み込む。すると、急激に温度が下がり、きりのような冷気がただよいはじめた。

 深い冷気で、標的を見失うメカガーゴイル。

 どこかから声が聞こえる。


「そろそろお遊びも終わり」


 きょろきょろと辺りを見回す鋼の怪鳥。見れども見れども標的の姿は無く、深い冷気がただ広がっている。 


「我、神が創りし破壊の女神」


 混乱におちいったメカガーゴイルは、ただ出鱈目でたらめに稲妻を放出する。だが、むなしく空を裂くだけで、その声は絶えない。


「絶氷の宝剣をここに示さん」


 翼を羽ばたかせ、推進装置を最大に噴出し、その場で高速回転する怪鳥。その嵐が如き暴風に、冷気はみるみる消えていく。

 晴れた視界。


「――フローズキャリバー」


 ようやく標的を機械の瞳に捉えた頃には、


「ギゲ……」


 メカガーゴイルの体を冷たい何かが通り抜けていた。

 即座に背後に振り向く。

 日の光を浴びて燦然さんぜんと輝く、青白い巨大な剣。

 ポチは、体よりも遥かに巨大な剣を振り抜いた体勢で、空飛ぶ槍に立っていた。


「ギシャアアアアアッ!!」


 後方からの雄叫おたけび。

 しかしポチは振り返らない。

 メカガーゴイルが凄まじい速度で迫り、鋭い爪の生えた腕を振り上げ――


「……もう終わってるよ」


 鋼鉄の体に、ぴしりと縦の線が入る。


「だって、斬ったもん」


 真っ二つに崩れ、メカガーゴイルは爆炎に包まれた。

 それと同時、青白い大剣も砕けて消えた。



 人気の無い街中に、きゃははははと甲高かんだかい笑い声が響いた。往来おうらいの消えた車道のど真ん中を、はちみつ色の髪を生やした少女がぱたぱたと駆けて行く。

 ドヴィン。

 ミュランダの体がふわりと浮いた。

 ぬっと大きな影が少女ごとアスファルトを覆い、津波のような蒸気が噴き出された。


「ブシゥゥゥゥウッ!!」


 赤に煌々(こうこう)と輝く一つ目。戦車のように鈍重な巨躯きょく。ギュイーンという謎の駆動音。

 普通ならば驚いて腰を抜かすシーンだが、それでもミュランダは笑う。


「きゃはははは!」


 何がそんなにおかしいのか。

 ドヴィン。

 体が浮く。


「あっはははは!」


 そう。メカサイクロプスが大木のように太い足で踏み出すたびに、ミュランダの体がぽよんと浮くのだ。それが楽しくてしょうがない。


「ひーっひーっ、も、もうだめ。きゃははは!」


 笑い転げる少女に向けてメカサイクロプスの背部から、ばしゅーんとミサイルが数基飛び出し、降りかかる。


「あひゃひゃひゃ! だめ、魔法が、あひゃひゃひゃ!」


 どかーん。

 爆風に吹き飛ばされたミュランダは宙を舞う。

 その時、しゅっと何かがミュランダの体を受け止めた。


「お前、まじめにやれ!」


「あ、パパ」


「『あ、パパ』じゃねぇーよ。街に被害が――うっわ、来た来た来た!」


 修真は、ぽいっとミュランダを投げると、飛んで逃げる。

 べたんとアスファルトに墜落ついらくしたミュランダは、そこで異様な光景を見た。

 大きな鉄球のようなものが縦回転をしながら転がっていくではないか。しかもトゲだらけ。

 ごろごろと転がりながら修真を追いかけていく。


「なにあれ。おもしろそう」


 すっと立ち上がり、スカートについた汚れをぱんぱんと払う。


「わ、パンツまでびしょびしょになっちゃったよ〜。――あ」


「ブシゥゥゥゥウ!!」


 破壊の権化ごんげとも思える巨躯がすぐそこまで迫ってきていた。

 だが、もうミュランダは笑わない。それどころか、非常に冷たい表情になっていた。


「私、あっちに行きたいの。だからぶっ壊しちゃうね」


 なぜなら、もっと面白そうなものを見つけてしまったから。

 メカサイクロプスはがちゃーんと、右手の新武装を少女に向ける。銃口がバババババと火を噴いた。


「もう」


 口をとがらせ、くるりと宙返り。青い羽根を広げて舞い上がる。

 蛇のように地を這った銃弾がアスファルトを蜂の巣にする。その続けざまに、背部からばしゅーんとミサイルを打ち出すメカサイクロプス。

 打ち上げられたミサイルが上空で止まった。統制とうせいの取れた動きで、一斉に下を向く。


「渦巻く風よ、刃となりて敵を討てー」


 楽しげに詠唱したミュランダの両腕に風が集束し、くるくると回りはじめる。同時に、風を従えた腕を、


「カッティングテンペスト!」


 下から上へ振り上げた。

 腕から放たれた風が真空波となり、降って来たミサイルをスパパパーンとみじん切り。鉄屑てつくずに帰したミサイルの破片がばらばらとアスファルトに崩れ落ちた。


「ブシュゥゥゥゥッ!!」


 メカサイクロプスの口部から咆哮と共に蒸気のような白霧が噴出される。短いあしを、一歩踏み出し、無骨なフォルムの巨砲をミュランダに向けた。

 ――キィィィィ――

 砲身の後部に備え付けられた巨大な加速装置が作動し、高速回転を始める。メカサイクロプスの全身を、視認しにん出来るほどの電流が走る。

 とうとう砲口の奥が光を帯び、


「撃ってみろー、このやろー!」


 閃光が駆け抜けた。

 放出されたとんでもないビームがミュランダを掻き消すように呑み込む。その衝撃と威力はとどまる所を知らず、ビルを数棟すうとう貫通し、

 ドガアアアアアアン。

 遠くの山で大爆発を起こす。


「ブシゥゥゥゥ!」


 鋼鉄の巨躯から、溜まった熱が一気に噴出された。あまりの熱気によってゆらめく視界。

 が、


「きゃ〜〜はっはっは!」


 そんな声が雨の街に響いた。

 ビルさえも貫通させたビームの射線上にミュランダが無傷で浮かんでいる。そして、その体を球形の壁が包んでいた。

 嬉しそうに胸を張って、呟く。


「お姉ちゃんにできるんだもん、私にできないはずないよ」


 あのビームが接触する寸前、ミュランダは以前魔界で見たポチの魔力障壁を見よう見まねで展開させていたのだ。それはポチのものに比べて小さいが、完全にコピーしている。

 強くなっていることを実感した、

 その時だった。

 からーん。

 渇いた音が、ミュランダの耳に届いた。


「…………うそ」


 驚愕に見開かれたつぶらな瞳。急いで、おでこを触ってみる。

 ない。どこにもない。

 四日も生活を共にしてきた、あの愛しいフォークが抜けてしまっていた。 


「……そんな」


 ミュランダの体がだらりと脱力し、ひゅるひゅるとアスファルトに降下していく。ぺたりと膝から崩れ落ちたその目の前、無残にも雨に打たれるフォークの姿が。


「私の……チャームポイントが……」


 震える手で、フォークを手に取る。そして、胸に抱いた。


「……許さない」


 再びガチャリと向けられる銃口。メカサイクロプスの赤い瞳がちかちかと輝く。

 ミュランダはふらりと立ち上がり、ぶつぶつと呟きだした。


「許さない。私のチャームポイントを……よくも」


 ぶわりと逆立つハチミツ色の髪。少女の雰囲気が一変した。垂れ下がった手の平を、フォークを奪い去った憎き敵へと向ける。

 

「ギギ!? ゴゴゴ!?」


 その刹那せつな、メカサイクロプスの上下に、純白の光を放つ魔法陣が二つ広がった。

 突然動けなくなった。各関節も、兵器も作動しない。見えない何かに、動きを封じられてしまっている。


「……裁きの結末、迷う魂を浄化せん」


「ギギッギ!?」


 鈍重な巨躯を魔法陣が徐々に押し潰していく。


「全ての許しと、大いなる断罪をあなたに」


 鋼の巨躯がひしゃげていく。装甲がへこみ、はちきれ、自慢の巨砲も火を噴いて破裂する。ぼん、ぼんっと各部から爆発が起こった。


「ギギゴギギゴゴゴ!」


 そして、ついに魔法陣が一つに重なる。


「エナジーフォトン」


 ――ドオオオオオン!

 轟音と共に、天へと光の柱が昇った。凄まじい魔力の奔流ほんりゅうの中で、メカサイクロプスの巨躯がチリ一つも残さず滅却し、消え去っていく。

 もう爆発も何もない。ただ、機械の体が消えていく。

 ほどなくして、何もかもが無くなった。


「……」


 僅かに残った光の残滓ざんし。天へと昇るほたるのような小さな光を見詰めながら、ミュランダがぽつりと呟く。


「仇は……とったからね」


 それは、フォークの仇をうった瞬間だった。




 ごごごごごご。

 さっきからずっと同じ音に追いかけられていた。


「くっそ!」


 振り返った修真は、赤い輝きを帯びた焔魔銃のトリガーを狙いを定めて引き絞る。銃口から巨大な火球が撃ち出され、それに目掛けて飛んでいく。

 ぼん。

 ガルアスの火球はそれにぶつかると同時に、なんとも情けない音を立てて掻き消された。


「いいっ!?」


 何のダメージも与えられないどころか、障害にすらならない。

 どこからともなくマキが言う。


(あはは、困りましたねぇ〜)


「何をのんきな!」


(ほらほら、来てますよ)


 もうびっくりするぐらいの巨大トゲトゲ鉄球が、信号機や電柱をぎ倒し、アスファルトをえぐり取りながら転がってくる。


「あの技、反則だろ!」


 と、小言を言いながら、後方に飛ぶと共にテュッティとガルアスを乱射。

 けれども全て、ちゅんちゅんと弾かれてしまう。


(このままだったらミンチですけど、私は絶対にイヤです)


「俺だってイヤだわ!」


 機械のような翼から魔力を噴射させ、ぎゅんと上昇する。

 間髪入かんぱついれずに修真がいた場所を鉄球が通り過ぎ、ビルの側面にどごーんとめり込んだ。


「よっしゃ、止まった!」


 剣撃を叩き込む絶好のチャンス。すぐさまフレスベルガスを装備し、巨大鉄球に突っ込む――


「グオオオオオンッ!」


 鉄球が開き、ケルベロスへと変貌する。両肩、四肢しし全ての装甲ががちゃーんと開き、


「げ」


 これでもかと詰め込まれているミサイルが、一斉に飛び出した。


(ミサイルポッドもついてるんですね)


「だー、くそ!」


 びゅんびゅん飛んでくる小型ミサイルを、二丁の魔銃で撃ち落す。

 修真が悪戦苦闘している隙に、メカケルベロスはアスファルトを蹴り上げ宙に。アルマジロのように身を丸め、再び鉄球となって転がり始めた。


(修様、ミンチがきますよ!)


 言われて、


「ミンチはこねーよ!」


 修真は、眼下のメカケルベロスを見た。  

 ごごごごごごっと轟音が鳴り響き、穴だらけになっていくアスファルト。信号機も薙ぎ倒される。

 しかし、それは遥か下の地面のこと。

 ビルよりも高い位置に居る修真には、街が破壊されるのは心苦しいが、危険は無い。


「はっ、この高さだったら安全だ。マキ、何か――」


 ちょうど足元を通り過ぎたあたりで、転がる鉄球と化したケルベロスが、浮いた。


「はぁ!?」


 飛ぶ能力は無いかと思われたが、装甲からジェットを噴出し、空飛ぶ円盤えんばんの動きで飛翔してくるではないか。


(あはは、UFOみたいですね)


「もう意味分かんない! 攻撃は効かないし、飛ぶし、どうしろってんだよ!」


 慌てふためく修真に、マキが告げる。


(要するに、あの回転を止めれば良い訳ですから)


 空中で急ターンし、凄まじい回転と共に蛇行だこうで迫り来る鉄球モードのメカケルベロス。

 右へ左へ行ったり来たり。

 どちらへよければ良いのか。

 ぎりぎりまで鉄球を引き付けた修真は、


「右ッ!!」


 すんでのところで、危うくかわした。


(逆回転!)


 次の攻撃に身構えた修真の耳に、そんな声が届いた。


(逆回転を与えれば、あれのスピードだって弱まるはずです!)


「そうか!」


 目がきらりと輝いた。


「逆回転ってなに?」


(――え)


 単純な疑問だった。


「俺達、そんな武器とか能力とか無いよね?」


(あ、そっか。もう死ぬしかないですね)


 とんでもない諦め方をしたマキに代わって、必死に考えを巡らせる修真。

 彼の脳裏では、戦いが逆再生されていた。

 暗殺者が来て、グリントと戦って……


「違う! そんなに前じゃないって!」


 ……メカケルベロスが追いかけてきて、攻撃が効かなくて。

 あー、マキちゃん可愛いな。

 ……追いかけられて。

 マキちゃんはどうしてこんなに可愛いんだろう?

 ……ビルに激突して、ミサイルが飛んで。

 もう結婚するっきゃない!

 そうそう、けっ…………


「くぅろすぞおおおおおお!!」


(あっれぇ、バレちゃいました?)


「うるせぇんだよ、ちょっと黙ってろ!」


 その時、ぴーんと閃いた。

 にやりと笑う修真。


「……なるほどな。そういうことか」


(はッ! もしかして本当に結婚)


「帰れ。星に帰れ」


 言葉を残し、修真はその場から更に上昇し始めた。

 風を切るその背後からは、空飛ぶ鉄球が追いすがってくる。


(どうするんですか?)


「あいつを、絶対に割れない物にぶつける!」


 突然、急降下。

 下降の圧迫感あっぱくかんの中で、メカケルベロスとすれ違う。

 追って来い!

 修真の心の叫び。鉄球が天高くでUターンし、落ちてくる。


「かかった!」


 ぐんぐん下降していく一人の少年と、機械の化け物。

 とうとう修真は地面すれすれの所まで到達し、急制動きゅうせいどうをかけた。ぼうんと風が広がる。

 上へ視線を向ければ、着実に落ちてくる鉄球。距離が迫ってくる。


「ふ」


 不敵な笑みを浮かべた修真の両手。青と赤の銃が輝き始めた。


「マキ! 一瞬だけ、早く動けるか!?」


(え、あ、はい!)


 背に生えた機械のような翼から、ぼぼぼぼぼと光が漏れる。

 もう目の前。

 鉄球の回転するトゲが、異様に大きく感じる。

 至近距離。


「今だ!」


 留めていた力が一気に解放された。弾丸のように飛ぶ。

 ドガーーーーン。

 地面にめり込んだメカケルベロス。

 その真上。

 目にも止まらぬ速さで急発進した修真は、酷薄こくはくな笑みで銃を構えていた。


「終わりだッ!」


 テュッティの銃口から、青い閃光がほとばしった。

 止まったままの鉄球に青い光が衝突。押さえつけるようにしてその動きを止める。めり込んだ穴が徐々に深くなっていく。


「今度は頼むぞ、ガルアス!」


 チャージショットが途切れる寸前。今度は赤い銃口が火を噴いた。

 地面にぽっかりと空いた大穴に巨大な業火ごうかが落ちていき、

 ドオオオオオオオッ!!

 爆発と共に、行き場を無くした炎が火柱となって噴き上がった。

 弱まっていく炎を見詰めながら、修真が静かに呟く。


「やった……か?」


 溶けたアスファルトが溶岩のようにごぽごぽと泡を立てている。凄まじい熱気が立ち込める。

 爆炎で雨が蒸発し、残り火がくすぶるアスファルトに着地した。ふうと溜息を吐く。


「成功したみたいだな」


 安堵した修真から、するりとマキが抜け出た。機械のような羽がぽわんと光に包まれて消える。

 マキは修真の腕に抱きつくと、穏やかに言った。


「私はこうなるって信じてました」


「嘘つけよ。途中であきらめてただろうが」


 いつものように微笑みかけたその瞬間。

 ごごごごご。

 地響きが辺りにとどろいた。

 咄嗟に振り向く二人。マキが警戒の声を上げる。


「修様ッ!」


「――まだかッ!」


 ドガアアアアアン!

 どろどろに溶けていたアスファルトの泉から、あろうことか物質が突き出されアスファルトに叩き付けられた。

 足だった。鋭い爪を四本有したメカケルベロスの前足。それが形をとどめた状態で燃えている。

 もう一度。

 ドガアアアアアン!

 もう片方の足が、大地を掴む。

 そしてゆっくりと、溶けたアスファルトからずぶずぶと双頭の魔獣がい出した。


「うげッ! マジか!」


 燃えている。下半身を失っても身を起こしたのだ。真紅の炎に身を包まれ、しかしその四つの瞳は修真とマキを見据えている。

 双頭の裂けた口がゆっくりと開き、牙の間から赤々と溶けたアスファルトが血液のように流れ落ちた。

 

「グオオオオオオ――――ッ!!」


 地を裂くような吠え声。びりびりと突き抜ける音の濁流だくりゅう。もはや衝撃しょうげきとも思える空気が駆け抜ける。

 揺れる大気の中、一歩も動かず燃える魔獣を見据えるマキ、修真。瞳は強い意志を宿していた。


「第二ラウンドって訳ですか」


「そういうことだな」


 持っていたテュッティをマキに放った。

 ぱしんと蒼魔銃を受け取ったマキは、ふっと笑う。


「いや、最終ラウンドでしたね」


 マキは左手にテュッティを、右手にストールを。


「お前にそんなボキャブラリーがあったとはな」


 修真は左手にガルアスを、右手にフレスベルガスを構え、メカケルベロスを睨みつけた。


「グオオオオオオッ!!」


 右前足が二人に向けられ、手首から先がドリルのように高速回転を始めた。


「まずは一つずつやりましょうか」


「了解だ」


 そして、撃ち出される。

 射出しゃしゅつされたワイヤーで繋がった前足が、修真とマキをミンチにせんと迫る。


「いくぞッ!」


「はいッ!」


 二人は逆方向に分かれてんだ。

 ジェットを噴いて飛ぶ前足は、二人が居た場所を、

 ドガアアアン!

 と回転する爪と速度でアスファルトを破砕はさいする。


「はっ、さてはロケット前足だな!」


 修真は着地と同時に、メカケルベロスのふところまで一気に跳び込むんだ。勢いに乗って真上に跳躍ちょうやく

 矢継やつぎ早にフレスベルガスを振り上げた。


「ガアアアアッ!!」


 目の前に右の顔がある。大きく開く牙だらけの口。敵を噛み砕くための金属の凶器という壮絶そうぜつな光景。

 しかし、それを眼前がんぜんにして修真は笑った。


「――かかったな」


 右の頭には見えていなかった。目の前にいる修真しかとらえる事が出来ていなかったのだ。

 流れるような黒髪が風におどる。


「こっちですよ!」


「グオオオオッ!!」


 叩き付けられた左前足が、軽やかに舞うマキをすかした。アスファルトが弾ける。

 地を蹴る。高さをかせぐためにビルの壁を蹴って更に上昇。まるで羽根のように舞い上がった。

 落下の速度。進む力。マキは二つを体に宿す。

 そして、左の頭を飛び越え、


「相手は二人ですッ!」


 修真を噛み砕こうと迫るその鼻面はなづらを、勢いに任せて斬り伏せた。


「オオオオオッーー!!」


 ストールが切り裂いた右の頭から火花が散った。

 苦しむように声を上げる機械の化け物。


「フレスベルガス! 食えッ!」

 

 馬鹿げた長さまで伸びたフレスベルガスを振り下ろす。

 狙いは一つ。


「うおおおッ!」


 それは高い金属音だった。

 脳天から魔妖刀の一閃いっせん。右の頭にまっすぐ亀裂きれつが走り、爆炎に包まれた。

 間を置かずマキが動く。


「ッ!」


 軽やかに着地。そのふり向き様に、ストールを逆袈裟ぎゃくけさに振り抜いた。

 ばつん、と太いワイヤーが切れた。しなり、地面に落ちる。

 射出されていた右前足とケルベロスとを繋ぐワイヤーが魔剣によって断ち切られ、本体と分断された。

 右半身が完全に再起不能におちいった。


「ガアアアアッ!!」


 素早い動きの二人に翻弄ほんろうされたケルベロスは、苦し紛れに装甲を開き、ミサイルを照準しょうじゅんも定めずに一斉発射。


「修様! ガルアスを!」


 修真の背後からマキの声が飛ぶ。

 その指示通りに、


「パス!」


 ガルアスをぶん投げる。

 全方位へと飛んだミサイルは、アスファルトも、ビルも、何もかもをおかまいなしに爆発させていく。

 マキは、ストールをアスファルトに突き立て、空いた右手でくるくる飛んで来たガルアスを見事に取る。

 二丁の銃を構えた。


「後にさがって!」


 修真はケルベロスの前からを後方に跳び、ストールを引き抜いてマキの後ろに回り込んだ。

 出鱈目なミサイル攻撃がとうとうマキと修真に降りかかる。

 マキはトリガーを滅茶苦茶に引き絞った。凄まじい乱射。飛び出た弾丸が小型ミサイルを撃ち抜き、爆発が巻き起こる。


「――くっ」


 その背後で、修真は二つの刃に魔力を注ぐ。

 あっと言う間にミサイルの数が激減。


「今ですよ!」


 最後の二発を撃ち落した。マキの声で、修真が姿勢を低くして疾走しっそうする。


「グオオオオッ!!」


 強く地面を蹴った修真は、ケルベロスの残った前足に着地。


「どりゃあああッ!!」


 その甲にフレスベルガスを思いっきり突き立てた。びょうを打つかのように甲をぶち抜いた刃はアスファルトに深く刺さる。

 動きを封じた。もう前足の攻撃は繰り出されない。


「マキッ!」


 今度は修真の声でマキが動く。

 青と赤に輝く銃の装飾。


「とどめです!」


 髪を揺らし、銃口をケルベロスに向けた。ガルアスから火球が発射され――

 まさにその時だった。

 ドン。

 修真の体が揺れた。


「――な」


 スローモーションのように見えていた。ガルアスのチャージショットがメカケルベロスの左半身を吹き飛ばす。その足元。前足の鋭利えいり爪が、マキに向かって飛び出した。


(爪!?)


 誤算だった。

 続けてテュッティを撃つマキは動けない。

 このままでは。


(くっそ!!)


 しゃにむにストールを振りあげた。

 背後ではチャージショットの青い閃光。広がる爆発の衝撃と焼けつくような空気の怒涛どとうが体を襲う。


「ぐっ!」


 だがそれでも、伸びていくワイヤーを斬る。

 斬る。斬る。

 最後の一本。しかし、


(振りが間に合わないっ!)


 鋭い爪がマキに、

 ――ぶしゅ。

 そんな音だっただろうか。鮮血せんけつが散った。


「オ……オオ……」


 ぼろぼろに破壊されたケルベロスが仰向あおむけに倒れ、鋼鉄こうてつの体躯が閃光と共に膨れ上がる。

 刹那、熱波ねっぱと圧力の嵐が巻き起こった。強大な衝撃がその一角を吹き飛ばし、轟音が雨の街中に響き渡っていく。


 化け物が消えた街に静寂が戻った。しとしと降る雨の音が辺りを支配する。

 ひび割れたアスファルトの上。

 マキは立っていた。


「修様ッ!!」


 アスファルトに転がった修真。

 やにわに駆け出し、彼を助け起こした。


「大丈夫ですか! 修様!」


 助けられながら立ち上がり、


「あー、マジ痛い。爆発に巻き込まれるとホント痛い」


 ぶっきらぼうにそう言うと、落ちているストールとフレスベルガスを拾い上げる。


「つっ!」


 からーん。

 剣が二本とも落ちた。


「修様、その手……、あの時の……」


「……」


 修真は、ぎゅっと拳を作った。

 マキは見ていた。

 ケルベロスの爪がマキを貫こうとした時、急にその進みが止まったことを。修真が武器を捨てて、ワイヤーを握ったことを。


「修様……」


 そのおかげで、自分が無事に立っていられる。そのせいで今、修真の手がずたずたになっている。


「……っ」


 胸がはちきれそうに痛くなった。内側から何かが込み上げてくる。

 嬉しいと、悲しいが、同時に。

 マキは尋ねる。


「私のこと、助けてくれたんですか……?」


 修真は背中越しに答えた。


「べ、別にそんなんじゃねぇよ。そうした方が、アイツを倒せただろ?」


 あくまでも義務的な行為だった……と。


「そう……です、よね……」


「……」


 振り返れるはずもない。傷がものすごくしみていて、涙がちょちょきれているのだ。


(い〜〜〜〜〜ってえええええっ! 手が取れるうううううう!!)


 声を出さずに、天に向かって叫ぶ修真。もう信じられないくらい痛い。

 白い手が、震えている腕をそっと掴んだ。


「な、なにすんだよ」


 精一杯冷静な表情をたもちながら、マキを見る。


「……どうしてッ」


「――ッ」


 修真は息を飲んだ。

 切なげな表情。普段のマキからは想像もできないような、喜怒哀楽でいう所の、哀の顔だった。


(……あれ? こいつってこんなに……)


 つい、見とれてしまっていた。

 雨に濡れた髪。少し赤くなっている目。今にも散ってしまいそうな可憐かれんな花、そんなものを彷彿ほうふつとさせる美しさ。

 マキは両手ででるように修真の拳を包むと、消え入りそうな小さな声で、尋ねた。


「……痛みます、よね」


 修真は思わず顔をそらして、


「そ、そんなことより早く帰ろうぜ。寒いだろ?」


 彼女の問いには答えなかった。

 危ない。

 いや、危なかった。

 あれ以上見ていたら、修真自身、我慢できるかどうかが怪しかった。今、言い寄られたら……。

 マキはそっと修真の拳を開いた。


「――いッ!」


 痛みにびくりとする修真。冷や汗がにじみ出る。

 マキの瞳に映った手の平は赤かった。まだ血が出ている。こんなもの痛いに決まっている。


「痛い、です、よね……?」


 ほとんど涙声だった。

 やばい!

 もっていかれる!


「い、痛くねえよ! お前に殴られた時の方が痛いわ!」


「……っ」


 そんな照れ隠しの一言で、マキの可憐かれんな美少女顔にぴしりとひびが入った。

 手をグーにして、


「……え、ちょ!?」


 ずりむけた手の平をぶっ叩いた。


「っぎゃあああああ――――っ!!」


 鼓膜こまくをつんざくような凄まじい絶叫ずっきょう。例えるならば、思わずのたうちまわってしまうレベルの痛みだった。

 しかし、マキは修真の腕を掴んで離さない。

 それどころか、


「助けてくれたんですよね?」


 可愛らしい笑顔で言いながら、皮膚がずりむけた手をぎゅうぎゅう触ってくる。


「あぎゃああああああ――――っ!!」


 もう体裁ていさいとか関係無く泣きまくる。ほとんど拷問ごうもんだった。

 マキはひどく邪悪な顔で、


「え〜、聞こえませんよぉ?」


 などと言っている。物語始まって以来の最強の悪役である。

 ふと傷口を触るのをやめると、妖艶ようえんな笑みを浮かべて修真に顔を寄せた。

 号泣している修真の唇はふるえている。


「た、たす、たすけ、たす、した」


「え? なんですか? ちゃんと言ってくれないとぉ……」


 指がつーっと腕をなぞり、手首で止まった。

 ぞっとする修真。

 悲鳴のような声で叫んだ。


「助けましたあああ!! マキちゃんを助けるためにケガをかえりみず、ワイヤーを止めましたあああ! そのケガを今、助けたはずのマキちゃんにもてあそばれていますううッ!!」


 そう言いきると、がっくりと首がたれる。

 マキは、にっこりと微笑んだ。


「最初から、素直にそう言えば良いじゃないですか。天邪鬼あまのじゃくな人ですねぇ」


 下からにらみ上げる修真。


「……お前な。拷問しといて、その言い草か」


「え?」


 笑顔のまま首をかしげるマキ。

 手首掴んでいた指がつーっと、


「なんでもないですごめんなさい」


「ですよねぇ」 


 にまぁっといやらしい笑み。修真の心は、悔しさで一杯になった。


(くっそ! このケガさえなければッ!) 


 掴まれていた手首が、ぱっと開放された。

 しめた!

 即座に横に転がり、マキから距離をとる。びっくりするような文句の一つでもぶつけてやろうと息を吸い込んだ。

 が、


「――ありがとう修様。助けてくれて」


「へ?」


 文句の代わりに口を吐いたのは、たったそれだけだった。耳を疑った。マキの口から思いがけない言葉が飛び出したのだから。

 マキは頬を桜色にそめて、はにかんだ笑顔でもう一度言った。


「助けてくれてありがとう。すっごく、嬉しかったです」


 びっくりするぐらいの文句をぶつけるはずが、何故かびっくりさせられている。

 なんと返して良いか分からない。

 修真が困惑したまま固まっていると、


「パパ―! ママー!」


 と声が響き、青い羽を生やしたミュランダと、ブライゼルに乗ったポチがやってきた。

 ミュランダは、トンと軽やかに着地して辺りを見回す。残念そうに顔をしかめた。


「えぇ〜、もうやっつけちゃったの?」


「あ、ああ。いまいま、倒したところだけど」


 ぶーっと頬をふくれさせる。

 ポチがブライゼルの上で、大きなあくびをした。


「ふぁ……。帰って、お風呂入りたい」


 マキが立ち上がって、明るく言った。


「それじゃあ、帰りましょうか!」


「うん!」


 ミュランダが元気良く返事をする。

 雨に打たれながらマキ、ポチ、ミュランダの三人が歩いて行く。

 一人、アスファルトにへたり込んでいた修真は、心の中に芽生えたおかしな感情に揺さぶられていた。


「……」


 なんなんだ。

 これ。

 足を止めたミュランダが振り返った。


「パパー? 置いてっちゃうよー?」


「速やかに帰宅」


「何してるんですかぁー? 風邪ひきますよー?」


 口々に言う三人。

 笑顔で修真を待っている。


「……あ、おう」


 立ち上がり、歩き出す。

 おかしな感情。何故か、頭の中が真っ白になるような……。

 ただ、決して嫌な感覚ではなかった。悪い気分ではなかった。



 こうして街中での激闘は幕を閉じ――

 と、今回はここで終わらない。

 ここからが、始まりなのである。



 戦いを終えた修真達は、ポチ以外はびしょ濡れで、マンションのエレベーターに乗った頃には、かなり体温が低くなっていた。

 早く風呂に入って温まりたい。

 そんな風に駆け足でエレベーターを降りて。


「はぁ!?」


 驚愕した。


「どういうことでしょう?」


「あ、トルム・ゲルドッサーが外に出されてる」


「……意味不明」


 不思議そうに口々に言う少女達。それもそのはずで……

 家の前、その廊下というべき公共地帯に家財道具一式、外に運び出されているではないか。


「え、ちょ、意味が……」


 戦慄した修真達の視線の先、自宅のドアががちゃりと開いて、


「どうもありがとうございました」


 なにやら作業服の男数人と、しわくちゃの男性老人が出てきた。

 だれだろう?

 もしかして泥棒?

 疑問を浮かべる少女三人の横から、修真が駆け出した。 


「どういうことですか管理人さん!」


 修真の声に気付く老人。


「おや、片桐さん。こちらも慈善事業ではないので、強行手段を取らせて頂きましたよ」


 何故か、しっとりキレていらっしゃる管理人さん。

 当然、修真にはなんのことやら。


「意味がよくわからないんですけど……。どうして家の荷物を外に出すんですか!?」


 管理人さんは、曲がった腰を労わりながら、白い紙を突き出した。

 修理明細。そう書いてある。


「片桐さん、マンション壁面と、床についているコゲ跡の修理代です」


 びくりと反応した修真の顔から、血の気が引いた。

 ミュランダのつけた魔法陣のコゲ跡。律がぶっ壊したマンションの壁。見覚えがありすぎて涙すら出てくる。

 その様子を老眼鏡の奥から鋭く見抜く管理人。


「払ってもらいますよ」


 老人の手から修理明細を受け取り、目を通してみる。


「にひゃ! にひゃくまんえん!?」


 当然ですよ、そう呟く管理人。目をひんむいている修真にずいっと詰め寄る。


「まさか……払わないつもりじゃないでしょうな?」


 ひ、と仰け反りつつ、脂汗をたらたら流しながら手を横に振った。


「いえ、払います払います! 本当にすみませんでした!」


 ぺこぺこと謝る修真を見て、管理人はふっと鼻で笑う。それから歩き始めた。

 呆然と立ち尽くしていた修真は、帰ろうと足を踏み出した管理人の前に回りこんだ。


「ちょ、ちょっと待って下さい!」


 メガネを不気味に直す鋭い眼光が、修真に突き刺さる。

 思わずうっと、息を飲む。

 怯える修真をせせら笑うかのごとく、管理人は喋り始めた。


「あのですねぇ、片桐さん。こちらからの連絡を全て無視ししておいて、その言い草はないでしょう? 何度もこの件について会談の席を設けようとしたのにも関わらず」


「無視? いやいや、そんなことしてないですよ!」


「封書から、電話から、全ての連絡を無視されましたでしょう?」


「そんなの身に覚えが無いですってば!」


 必死の思いで食い下がる。本当に見覚えが無いのだ。

 困惑している耳元で、マキが声を押し殺して言う。


「修様、あ、あの手紙じゃ……」


 マキの言葉で、脳裏に蘇る記憶。

 あの時、マキが持ってきた手紙。すっかり忘れていたあの手紙。


(あれかああああああ!!)


 おまけに、電話は確か破壊されて……。

 管理人はもう一度、不気味に口の端をあげた。


「身に覚えがあるようですな」


 といって思い出したように手をぽんと叩いた。


「そうそう。何でも泣き寝入りはしないとか、最後まで戦うとか、こちらもそういう態度でいかしてもらおうかと思いましてな……」


 眉をひそめた修真。管理人は懐から古ぼけたテープレコーダーを取り出し、再生ボタンをがちゃんと押す。

 ざーという音の後に、


『はい、もしもしミュ……片桐ですけど? 何か文句有りますか!? 訴えますよ!? こっちは最後まで戦いますからね! 泣き寝入りなんてしないもん!』


 ぎょえーーーっと心の中で叫ぶ。

 沈黙した修真の首が、ぎぎぎっと後を向いた。  


「みゅ、ミュランダぁ〜〜?」


 えへへと頭をかいているミュランダ。

 修真の顔が般若はんにゃのように変形し始め、一歩一歩ミュランダに迫る。


「てめぇぇぇぇ、どういうことだぁぁあぁあ」


 さっとポチの後ろに隠れて言った。


「ぱ、パパがそうしろって言ったじゃん!」


「時と場合があるだろうがぁぁぁぁあ」


 鬼と化した修真がミュランダを追い掛け回す。

 半べそをかきながら逃げ惑うミュランダ。


「ひゃああああ! 来ないでーーー、食われるーーーー!」


 壁に追い詰められたミュランダを覆うように、修真の影がぬっと伸びる。


「どうしてくれようかぁぁぁぁ。このクソガキはぁぁぁぁ」


 その背後から、管理人の影もぬっと伸びる。


「さすがにオーナーもお怒りになられましてねぇ。それでこのような手段を取らせて頂くことになりました。後はよろしくお願いしますよ」


 我に帰って、ぱっと振り向く。


「こ、このようなって言いますと?」


 しわがれた顔がにんまりと笑った。


「居住権の剥奪はくだつです」


「―――なッ!?」


 では、と石像と化した修真の脇を通り過ぎ、エレベーターに消える管理人。

 取り残された修真は真っ白。文字通り全体的に白くなっていた。それはさながら燃え尽きたかのように。

 エ、モシカシテ、オイダサレチャッタ?

 がくがくと震え始めた修真に、ぎこちない微笑みを浮かべたマキが声をかける。


「しゅ、修様、お家……無くなっちゃいましたね」


 でーんとひっくり返った。 




 はい。ちょっと大盛りでした。読んでくださってありがとうございます。

 まぁね、「お前はすぐに時間をあけやがるな」とか「なんだその二ヶ月くらいの時間は」とか「このへたれ」とかあきれた声が聞こえてきそうです、が!

 書いてないわけではありません!ええ!

 どうしても書けない時や、書けてもつまらない話だったりするのです!人間だもの!

 はい、どうでも良いですね。

 今回はちょっとコメディーが少なかったかな?とか思います。でも、まぁ、たまにはこんなのもありということで。

 ちなみに次の話は、かなり出来上がってます。わりとすぐに更新するつもりです。

 ただ、また内容が長くなるかも……


 というわけで、良ければ次の話も読んでやってください。

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