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電線

作者: 黒部伊織

 現代ではどこもかしこも科学万能で分からぬものは何も無いといった顔で人間が歩いておりますが、そのすぐそばには怪奇が寄り添っているので御座います。

 この怪奇に取り憑かれた人間というのは在りもしないことや科学が解決した問題を己の無知や心の何処かにある不安で怖がってみたり、心霊現象や不可思議な世界はきっとあると断固主張したり、あるいは怪しげな話を語った上でさも理性がある者のように「あなたの判断に任せる」などと嘯いてみせるのであります。

 そうして悪魔の証明を突っつき回してはああでもないこうでもないと騒いでおりますれば、怪奇譚の類いはいつも生まれては消え、消えては生まれて行くのでしょう。

 そういえば百物語というのは一晩で百の怪談や不可思議な話を語るというもので御座いましたが、一晩で百話となりますと到底終わらないのが相場となっておりました。

 百を語り尽くさぬうちに夜が明けるのは、人類がこの世界に存在しますうちに怪奇譚を語り尽くせぬが如きもののようにも思えますな。

 さて、与太話はこれくらいにして私の知っております怪奇譚で時間を潰すことに致しましょう。


 そうですねえ、何にしようかと思いましたが、今しがた目に入った電線にまつわるお話しを致しましょうか。

 そうです。街中に張り巡らされている電線です。あの電信柱に所々を支えられている黒いヤツです。カラスやスズメなんかが留っている電線。

 この国の街というのはそれこそ江戸の昔から続いているような大層古い建物やお金をかけた現代建築、あるいは住宅メーカーが造った紋切り型のみんな同じような家。はたまた新旧色とりどりのビルディングが立ち並ぶところに色褪せた雑多な看板、赤や黄色の騒がしい広告からモダンな雰囲気のする映像が流れるディスプレイまでいろんなモノがごった煮のようになっております。

 そこへ輪を掛けたように電柱が乱立し、電線が張り巡らされており、余計バラバラになっているのか、それとも電線で雁字搦めにされているのか分からない。

 さて、私が思いますにこういったごちゃごちゃした街並みの中で一等見窄らしいものというのは昭和の頃に出来て半分見捨てられた建物ではないかと思います。

 何故かというと江戸や明治なら幾分歴史的な風情もありましょうが、こと昭和の建物になりますとどこかしら現代的である一方で、まるで流行遅れのように見えるのです。

 これは恐らく、2,3年前に流行したものを引っ張り出してくると多少の懐かしさはあるものの、馬鹿みたいに遅れて見えるのと同じで御座いましょう。

 我々の記憶の中に歴史として埋め込まれず、かといって今にあるわけでもないという狭間にあるものが思わせるある種独特の雰囲気、とでも申しましょうか。

 話が幾分それましたが、そんな時代遅れのオンボロアパートに住んでいた男が今回のお話の主人公となります。


 あるところに時代から取り残された佇まいのオンボロアパートの二階に住む男がおりました。

 このアパートは周囲は街の中心地にあり、ビルやマンションが立ち並ぶ現代的な街並みの中にポツリと忘れ去られたように建っていました。

 男がわざわざそんな古びたところに住んでいたのは、街の一等地に近くになるに連れて値上がりしていく家賃を建物の古さで相殺し、かつ交通の便が良いところに住むためでした。

 男が住んでいた部屋の窓を開けるとちょうど電線が目に入って来る位置でした。男が最初ここに引っ越してきたときは別段なにも感じ無かったのですが、毎日毎日カーテンを開け閉めしたり、外に視線をやるたびに電線がちらちらと見えます。

 それを何度も繰り返しているうちに男は持ち前の神経質さから故か無性に電線が気になってしょうがなくなったので、男はいつしかなるべく外を見ないようにして過ごすようになりました。

 そうして過ごしているうちに、男は外を見ないで暮らすことが習慣となり、何も気にせずに過ごせるようになりました。

 ところがある日――やけに天気の良い日がありました。そうなると人間の性分なのでしょうか、男も陽の光に存分に当たって外の空気を吸いたいと思ったのです。

 雲一つない、あまりの天気の良さに男はいつもの習慣を今日も頑なに守っていては損だと思い、窓を開け放ちました。

 燦々と降り注ぐ太陽の光は肌に痛いくらい降り注ぎましたが、ここまで見事な晴れ模様となると逆に気持の良いくらいでした。

 男は窓から向かいのオフィスビルに目をやりました。その向こうではガラス張りのオフィスで忙しなく働いている人達が見えましたが、その手前にはやはり目障りなことに電線が視界に入ってきます。

 男は電線がちょっと気になりましたが、向こうのオフィスで働く人たちをぼんやりと眺めていました。

 何かに激昂した上司らしき人間が鬼のような形相で口をパクパクさせている姿。それに平身低頭する部下と見える人間。やたらと時間をかけてお茶を入れているらしい女性。電話を持ちながら中空で頭をペコペコと下げている中年の男。

 そんな人たちが忙しなく動いている風景の真ん中を電線がダラリとぶら下がっており、その黒い線の部分だけ視界を遮っておりました。

 男はそんな風景を眺めているうちに、ある一つのことに気がつきました。電線はちょうど向かいのオフィスを上下二つに分断する位置にあったのですが、よくよく見ると奇妙なことに電線の上と下の景色がつながっていないのです。

 男は最初のうちはそんなのは何かの錯覚だと思ったのですが、何度も確認するうちにどうやら錯覚ではないらしいということがわかってきました。

 電線の上には体があるのに下には足が無かったり、下にはスーツを履いた下半身があるのに上には何も無い人間。あるいは上はYシャツを着ているのに下は見窄らしい半ズボンを履いているという風な人間が歩き回っているのです。

 さらによく見ると、オフィスに置いてある机や雑貨も電線の上と下では違います。モダンでシャープな机と思いきや、その机の脚は古ぼけて傷だらけの木製だったり、観葉植物が上では青々と茂っているのに、鉢のあるべきところに書類が積み重なっております。

 男はこの不可思議な光景をもっとよく見ようとの好奇心に駆られて、いよいよ窓から身を乗り出しました。するとビルの方の人間が男に気づいたのか、ちらりと男のほうを見返しました。

 男は少し決まりが悪く思いましたが、気にせずオフィスビルの方を眺めていると、次第にビルの中の人間が驚いた表情をしながら自分の方を見返してきます。終いにはほとんどの人間が窓に張り付くように男の方を見るものですから、さすがに男も窓から首を引っ込めようとしました。

 ところが、男の目に見える景色は一向に変わりません。その時、誰かの叫び声が聞こえました。

「生首が浮いているぞ!」

 男は恐る恐る自分の体のある方へと視線をやりました。しかし、そこには一片の体もなく、ただ空間が広がっているばかりです。

 男は誰かに救いを求めるかのような目で向かいのオフィスへと視線を向けました。

 相変わらず、人間たちがこちらを指さして騒いでいます。

 その時、男の体を支えていた何かがすっと消え、男の頭は電線より下へと落ちていったのでした。

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