第七話
少年の指示で、鍵を見つけた。
牢から出してやると、少年は黒猫に駆け寄った。
「ああ、良かった・・・、まだ間に合う。」
死んだと思った黒猫は、まだ瀕死だったらしい。少年は息を吸い、口移しに猫の中へ魔力を吹き込んだ。猫は薄く目を開き、弱々しく鳴いた。
回復系の魔術は、その多くが身体を触れさせて行われる。少年は口から回復の息吹を与えるのだろう。
「ああ、友達だったか・・・、悪い事をしたな。」
悪びれた風もなくセフが謝罪の言葉を述べると、少年は首を振って笑った。
「有難う、死ぬまでここで暮らすのかと思ってた。
・・・あの、僕を売り飛ばす・・・?」
助かったと思うのは早合点と考え直し、少年はおずおずと尋ねた。
「俺は人買いじゃない。・・・見たところ、エルフ族のようだが、どうしてこんな所で繋がれていたんだ? エルフ族は同族の結束が固い、一人でも行方が消えれば騒動になるだろう?」
「・・・僕は培養されたエルフだから・・・、」
少年は俯いて、そう答えた。
闇のギルドで売買される、魔力を極端に低くして産み出された魔族。シエナと同じ、培養種。
・・・人間の奴隷として、高額の値で取引されている。
魔族の支配する多くの国が、それゆえに人間を差別し、そうして悪循環は現在まで続く。
片方で、セフのような混血も、多く産まれていた。
人間が苦労して作り出した培養種、その腹から産まれた子供もまた、魔力が弱いとは限らない。セフは、純粋の魔族に匹敵する魔力の持ち主だ。
ゆえに、この世界は複雑だ。
「ここを出て、何処へ行くかはお前次第だ。俺は強制しないし、誰の指図も受けなくていい。
・・・お前を縛る主は今朝、死んだ。お前は自由だ。」
自由、その言葉を聞いた時の少年の表情。ぼんやりと・・・、やがて、瞳に輝きが戻る。
自由、願い続けてきた言葉。
助け出してくれたこの人も、素性を知ればきっと態度が変わる、・・・そう思っていた矢先。
思いがけず、手に入ったものは望み続けた二文字だった。
一口に魔族と言っても数種類が存在する。
魔王として怖れられる一部の強大な存在を除けば、人間社会と同じで固体差も出る。多くは残虐で血と争いを好む傾向にあるが、平穏を好む魔族もいくらかは存在し、また、冷酷で計算高いヴァンプなどは自分の領土を持ち、人間の街を育んでいたりもする。
それらは魔族が支配権を持つ国であり、人間の方が、彼等の餌として生かされる。
魔族の多くは協調性に欠けるため、同盟していないのが人間には幸いだった。混血の割合も人種の比率を大きく占めている。彼等の性質も、血の濃さに応じて、多種多様だ。
そのような具合で、この世界では多種多様な形式で、多くの国が乱立している。
「あのぅ・・・」
広間へ戻り、しきりに家具などを引っ掻き回していたセフに、少年がおずおずと尋ねた。
「一緒に連れて行ってくれませんか? 僕、何でもしますから!
・・・取り柄と言えば、この息くらいのものだけど・・・。」
「ジジィは病を患ってたのか?」
返答はせずに、セフの方が別の事を尋ねた。
少年は首を捻り、少し考えてから、こう答える。
「いいえ。・・・けど、マスターはすぐに病気になるから、ここへはしょっちゅう来ていました。
彼の寿命は、もう尽きていて・・・僕の息吹で永らえていた。」
「ふぅん? 回復系にはそういう使い道もあったか・・・、」
文箱の中には、予想通りの書類が収められていた。某国の領主に宛てた密書。
あの結界は、少年を縛るよりむしろ、この秘密を守るため。
権力者が望むものと言えば、相場が決まっている。富も名声も手にしたなら、次に欲しくなるものは命だろう。不老不死、あるいはそれに近しい生命。
ヴァンプは一番人気だ。老いることなく、永遠に近い生命を保つ。嫌うのは美食家くらいだ。
多くの人間がヴァンプの仲間になる事を望んでいるが、彼等は滅多に仲間を増やさない。
血を吸われたくらいで、人間が魔族になるはずなどない。彼等に選ばれた者だけが、その栄光に浴する事を許される。
・・・そして、セフが見付けた書類の内容も、それを望むが故の密約の証だった。
「仲間にしてもらう代償に、何を約束したか・・・。
・・・お前が知ってるワケがないか。」
セフの苦笑まじりの問い掛けに、少年は真剣な目をして、首を振った。
知っているのだと言う。
「この部屋は僕が管理してたんだ。
書類の中身も、他の・・・燃やされて無くなった手紙とかも、僕は知ってる。
マスターは、ヴァンプに宛てた手紙の中で、王様を売る約束をしていた。」
「・・・詳しく話せ、」
まったく予想もしなかった事実に、セフの目にも緊張の色が宿る。
土地か生贄、ヴァンプが取引に応じるとしたら、どちらかしかないとは思っていたが。
「5年前、この国で起きたクーデター・・・、それを仕掛けたのはマスターなんだ。
国王の弟君を陥れて、捕えた後は例のヴァンプに引き渡される予定だったらしいんです・・・。
けれど、弟君は逃亡して行方が知れなくなったでしょう?
契約を反古にされたヴァンプの報復を、マスターは恐れて・・・代りに、王様を差し出すと約束したんです。ヴァンプからは、ずっと、催促の手紙が届いていました。」
魔力は血に宿る。
ヴァンプとて魔族なのだから、人間よりは同じ魔族の方が、自身の魔力を強化出来る分、得なのだ。多くのヴァンプは領土を持っている、それを守る為にも、とにかく魔力を増強したいと考えている。・・・混血の血は、彼等にとっては滅多に吸えない御馳走だった。
「ヴァンプは確かに不老長寿だろうさ、だが、魔族の中では最弱に分類される。
・・・ヤツ等なりに必死というワケか。」
嘲るように、セフは言い放った。ヴァンプごとき、敵ですらない。
気に掛かるのは、それ以外の事だ。
「他に、密書を送るような相手は?」
セフの問いに、少年は首を傾げた。思い当たる節はない。
「そろそろヤバイな、引き上げよう。
・・・お前、名は?」
そう言えば、まだ名前も聞いていなかった事に気付き、少しぶっきらぼうに尋ねる。
「アシュ、・・・あなたは?」
「セフだ。」
アシュの顔に驚きが現われる。セフと言えば・・・、
「黙ってろよ、贋物に勘付かれる。」
ふてぶてしい笑みを見せて、本物の皇子は言った。
ヴァンプの契約はまだ有効だ。・・・いずれは痺れを切らして襲ってくるだろう。契約の相手が死んでいようと、彼等にとっては問題ではない。普段の王ならば、降り掛かる火の粉など、自身で振り払うだろうが、今は何者かによって呪いを受けている。
兄の身辺に危険が迫っている事に変わりはない。
「ああ、そうだ。
事が全て解決したら、兄に頼んで身分を保障する証明を取ってやろう。
紹介状を書いてやるから、その後、フィルリアに行くといい。」
「フィルリア?」
少年は長くここに縛られていたため、外の事を何も知らない。
セフは珍しく、柔らかい笑みを浮かべて話し始めた。
「魔法大国フィルリア、領主は変り種のヴァンプだ。
仲間からは始祖と呼ばれていて、気の遠くなるほどの時を生きているらしい。魔族の中でも珍しい、原種というヤツだ。・・・お前の中に流れる培養種の血には、魔力を抑え付ける因子が混ぜられているが、そいつを、すっかり抜いてくれるだろう。
目が醒めるほどの成長を望むなら、逢っておくべきだ。
眠っている魔力が解放されれば、誰を怖れなくてもいい。・・・本物の自由が手に入る。」
大国の領主、と聞いて、アシュの顔に不安の色が浮かんだ。
誰も、一介の奴隷魔族風情が、そんな偉い人物に御目通りが適うとは思わない。
セフは言った。
「心配するな、・・・ちょっとした貸しがある。」
アシュは後にフィルリアへ向かい、セフの言った『貸し』の意味を知る事になるが、それはまた、別の物語りだ。
二人は大聖堂を抜け、夜の森へと紛れて消えた。




