第六話
かつて、この国の権力を欲しいままにしていた宰相ガルバは、引退後に地方の街へ引き篭もった。来訪する客を退け、屋敷に閉じ篭ったまま一歩も外へは出て来ない。まるで、何かを怖れるように、震えながら過ごしていた。
そんな彼の元へ、ある日、ついに運命の旅人は来訪した。
「・・・お前には・・・、悪い事をしたと・・・、
思って、いる・・・」
途切れ途切れに紡ぎ出された言葉は、恐怖の色を帯び、蒼ざめた老人の顔にはじっとりと汗が浮き上がっている。
「あれは・・・、あの指示は、わしではないのだ・・・
本当だ、・・・あの命令を下したのは・・・」
来訪者の投げた剣が、老人の胸を貫いた。
その細い影、唇が「知っている、」と、音もなく答えた。
血の臭いを感じて、セフは走り出した。
古びた屋敷は壮大というより一種不気味に静まり返っている。
大聖堂、ステンドグラスの光が床にまで射し込み、倒れた老人の上にも色とりどりの影を落としている。一歩、踏み出した。
突然、頭上から襲い来る刃。
抜きざまに受け流し、その場を飛び退く。
細身の影は黒ずくめの衣装で身を包み、その顔は知れない。・・・アサシン、それも特殊な訓練を経た一級の殺し屋だ。
並の相手とは殺気が違っている。
セフの剣は、手元で二本に別れ、両刀となる。
炎を纏う剣、ファイア・ソード。持ち主の魔力を受けて、ごぅ、と燃え盛る。
両者が再び激突した。
人間離れした跳躍で炎を避わし、壁を蹴って背後からセフを襲う。これを、身を返して剣を避け、返す刀で斬りつける。互いの刃が鋭く交差し、火花を散らした。
と、緊張が同時に途切れる、聖堂の外を走る複数の足音、・・・こちらへ向かって来る。
黒ずくめの暗殺者は、渾身の力でセフの剣を叩き、跳躍した。
窓を破って逃げる。
ちら、と老人に目をやったセフも、続けてその窓から飛び出した。
老人の周りに出来た血溜り・・・ぴくりともしない身体。
ガルバは、死んでいるようだった。
森の中をアサシンは飛ぶように抜けてゆく。枝から枝を渡り、放たれた矢のように一直線に突き進んでゆく。それと同じ軌道を、寸分違わずセフが追ってゆく。
銀色の閃光。
セフはとっさに方向を変え、数本のニードルを避けた。
木々の枝がざわざわと鳴っている。
「・・・逃がしたか・・・」
いまいましげに舌を打ち、前方を見透かす。
もう、追いつけないだろう。
続いて、器用に枝にぶら下がり、ニードルを一本、引き抜いた。・・・先端には毒が仕込まれている。アサシン専用の武器、闇市でしか取引のないアイテム。
セフは、それを投げ捨てた。
・・・ガルバは重大な秘密を握っていた。
5年前のクーデター、仕組んだのはこの老人だった。裏で糸を引き、自分だけは安全な場所で、事件の後には知らぬ顔を決め込んだ。
躍らされた数人の若い近衛と、役人が死に、多くの地主や商人が追放された。
セフ自身も、密かに国を脱出したのだ。
それをきっかけに、多くの産業が国産化され、利益は国が独占した。
地主や商人の特許を全て剥奪したのも、クーデターの後だった。
思い切った政策を断行するために、生贄にされたのだ。
アルザスは豊かで平和だったが、国力は逼迫していた。富の大部分は有力な地主や商人に流れ、国は軍隊を養うために疲弊していった。国庫は底をついているような状態だった。
・・・クーデターによって、一番の利益を得た存在・・・それは、アルザス王国だ。
セフが、そのカラクリを知ったのは、ほんの数ヶ月前だった。
そして今日、問い詰めようと思っていた矢先に、ガルバは殺された。
恐らく、口を封じられたのだろう。
ガルバの屋敷に引き返す。
まだ、警戒と包囲網は敷かれてはいない。屋敷はパニックに陥ったらしい。
再びの侵入者をいとも容易く許してしまう。
使用人達は、噂話をしきりに繰り返している。5年前のクーデターで死んだ、一人の魔族についての噂だった。
「・・・シエナ・・・」
魔族の女性だった。
魔力は弱々しかったが、絶世の美貌で、兄王の寵妾となった。
いつも、哀しげな瞳をして俯いていた。そして、彼女に与えられた部屋は、結界の中にあった。
仲間達に告げた言葉・・・捕まれば鎖で繋がれる、というあの台詞は、決して嘘でも誇張でもない。愛情の深過ぎる兄は、それ故に、人を縛る。
・・・可哀想な人だ、と思っていた。
きっと今も、野放し状態の、この弟が気掛かりでならないのだろう。
愛する女を、逃げ出すことのないようにと、結界の中に閉じ込めたこの兄なのだから。
天井の梁にひっそりと身を隠し、下の様子を伺っているセフ。
主人の死を囁きあう使用人達の声。
崩れた瓦礫の下敷きになって死んだ、あの魔女の呪いだ、と人々は噂している。
クーデターの戦いに巻き込まれて死んだ彼女を、セフは自分が殺したのだと思っていた。
人々が寝静まった頃に、ようやくセフは梁から降りた。
誰も居ない大聖堂。
個人の屋敷に、なぜこんな物を造ったのか・・・恐らくは、罪の恐怖から逃れるためだろう。
ガルバもまた、魔女の呪いに怯えていたのだ。
だが実際は、こんな物など何の役にも立たなかった。
ぼんやりと光る発光体を魔法で作り出し、宙に浮かべると、セフは改めて周りを見廻した。
かつては結界が張られていた痕跡を、空気の中に感じる。
暗殺者は、そのような物などいとも容易く破ったのだろう。
第1級のアサシン・・・その殆どは魔法を使う。純粋な魔族か混血だと聞いた。
魔族の血は、人間の血よりも優れた血統を紡ぎ出す。幾つかの特色・・・魔力と美貌をもたらした。この世界で、魔法が使える者は、魔族か混血のどちらかだけだ。
そして、セフとアルザス王も、その血の半分が魔族のものだった。
聖壇の後ろに仕掛けがあり、組み木のカラクリ扉がタペストリーの裏にあった。
セフは少し考え・・・組み木を動かし始めた。
カチ、カチ、カチ・・・
複雑なパターンを慎重に解いてゆく。
ガルバの紋章が組み合わさった時、カラクリ扉が音も無く開いた。
発光体を前へ行かせ、その後に続く。
階段は長く、下へ下へと延びている。
・・・やがて、大きな広間へ出た。
普段から使用されているらしく、広間は清潔に保たれていた。
毛足の長い豪華な絨毯、客間と同じ立派な調度品、天井のシャンデリア・・・ガルバ自身が、ここで過ごしていた事を物語る。
アナグマのように、こんな地下室に閉じ篭って隠れていたのだろうか?
恐らくは違う・・・、ここには生活臭がない。別宅のような物だろう。
この部屋が何の為にあるのか、薄々、セフは気付いていた。
入口と反対の壁に、もう一つの扉がある。その奥に、強い魔力の気配を感じた。
目を凝らす。
・・・間違いない。結界が張られている。
「さあて・・・、どう出るかな?」
主人が死んだ後にまで、律儀に結界を張り続ける魔道士など珍しい。それも、ガルバのごときがそれほどの忠誠を得られるはずもなく・・・恐らくは人間ではなく、魔獣の類。
剣を抜く。抜いただけでは炎も出ない。
そして、扉を思いきり蹴り開けた。
黒い巨大な腕が扉から突き出て来る、最初の攻撃をかわし、その爪に斬りつけた。
ギャゥ!
魔力が消えた。同時に結界も消え去る。
部屋へ踏み込む。・・・床には黒猫の死骸が転がっていた。
「・・・誰?」
突然の声に、驚いたセフが振り返る。気配を消していたのだろうか、座敷牢の中に居た少年に気付かなかった。
金色の巻き毛、グリーンの大きな瞳、淡い肌、微弱な波動・・・その子供も魔族だった。




