第二話
「なにが起きたのかを、説明頂けるか? 冒険者殿。」
兵の列を縫い、すぐ傍へとやってきたカラルがフィルに問うた。
しかし、説明と言われても、フィルにも何が起きたのかなど解からない。困り果てた顔で首を捻るだけだ。助けようとするかのように、代わってアシュが口を開いた。
「あ、あの・・、えと・・・、何かが・・・」
説明のしようもなく、アシュも視線を流し、傍らの少女に救いを求める。
「この森にいた魔物たちは、冥界神にすべて殺されました。」
いともあっさりと、少女はそう言った。
「死に近付いた者が祭壇に上がることで、冥界神は降臨するのです。フィルが、その役を負ってくださいました。・・・そして、降臨した神に、あの者達はすべて殺されたのです。」
カラルは神妙な顔で頷き、気味が悪い、とつぶやいて身震いをした。
「あれって、神様だったの・・・?」
アシュが恐々と問う。
「いいや、あれは多分、魔神の仕業だ。・・・冥界神と言って、古代においては神と崇められていたらしい記述が、古文書の中にも残っている。生贄を求める、悪神の類だ。
毎日のように生贄が捧げられ、この地域では戦も絶えなかった・・・。
現在、アルザスで信仰される神は、生贄など求めない。・・・まったくの別物だ。」
カラルはアシュに答えてそう言った。
今になって甦り、多大な生贄を求めたのだ・・、と。
アシュは首を捻り、傍らの少女を見た。この少女は、その悪神を「主」と呼んだ気がしたが・・。
自身は常識的な事柄を何も知らないのだと、それ以上の疑問を口にのぼせる事をアシュは諦めてしまった。
「巫女よ・・、いったいこの国はどうなるのだ・・・、ゾンビの来襲に王の病、その上にこのような魔神の類までが・・・我等は最期の時を迎えたのか・・・?」
カラルの推理は見当外れでもあるのか、訴えられた巫女の少女は首を傾げている。
不思議そうな顔をして・・けれど、何も言わずに前方を向いた。
カラルにすれば無理もない悲嘆だ。アサシン・ギルドと古代の魔神が入れ替わったにすぎない。
少女は神とコンタクトを取る唯一の者。祭壇の地下で、フィルに対して行ったことを、アシュは現実から遠いものであったかのようにしか受け止めず、フィル本人にも記憶がない。
多くの生贄が捧げられた悪神・・・それと、フィルを一時支配したあの黒い影とは重ならなかった。
アシュには、ここで何が起きているのかすら、理解がないのだ。
魔神と、復活の儀式とは、アシュの中では1つに繋がらなかった・・・。
フィルは大きな背に負われながら、考えている。
少女は、フィルがこの国を救う、と予言した。・・・あれは、今、果たされたのか・・・。
自身に記憶はなく、そしてギルドだけは壊滅した。
魔神は魂を求めるもの、と、誰もが信じている。
そしてこの森はかつて、冥界神の庭であった。
森に巣食っていたギルドの構成員は、そのために命を奪われたと・・・。
その解釈が、もっとも妥当と思われた。
カラルの率いる軍勢は、城への帰還を果たしたが、一方の、王と精鋭とは未だに戻らない。
軍勢が城へ帰着した頃に、ちょうど金縛りの術に陥っていた。
未だセフが知り得ない、女アサシンの正体。
シエナの妹・・・。
その女がまた、セフに質問を投げた。
「シエナを知っているわね? ・・・彼女を連れて城を出て、それから何所へ?」
「?」
女の質問に、セフは慎重に思考を巡らせねばならなかった。
迂闊な事を言えば、確かにこの女は仲間に手を掛けるだろう。しかし、女の質問はあまりにも予測外で、しかも、あまりに意外で、問い返さずにいられなかった。
「・・・シエナは、・・・城で死んだんじゃ、なかったのか・・・?」
セフの返答に、女は無表情で答えることもない。
・・・この回答を初めから解かっていたような・・・なんの感情の乱れもない。
王は目を閉じた。・・・その一言で、すべての疑惑は氷解したのだ・・・。
女は静かに告げた。
「貴方のせいで、死んだことに間違いはないわ・・・。」
さらに質問を浴びせようとしていたセフの言葉を遮った。
女のセリフはセフの強靭な神経でさえ、容易に抉る。
きっと、彼女に縁の女なのだと、その程度は予測できたのだ。
深すぎる憎悪が、冷たい空気となって場を覆い尽くすようだった。
「・・・彼女は・・・、シエナは幸せそうだった?」
続く女の質問も、表面通りのものではないと知って、セフは思考を巡らせる。
いったい、何を聞きたいのか、女の真意を測ることは難しい・・・。
「・・・たぶん、」
曖昧な返答を返せば、気に入らなかったのだろう、また容赦なく腹の傷をえぐる。
「幸せなはずはないわ、嘘をつかないで!」
どうしても彼女を不幸だった、とせねばならないらしい・・セフは舌を打つ。
それとも、正確な事実を知りたいのであれば・・・セフは溜息を吐いて、再び口を開いた。
これを兄に聞かせる事は、酷であろうが、仕方がない。
「・・・確かにシエナは幸福ではなかったかも知れない。」
右手に兄の動揺が伝わる。
セフは視線をそらし、兄王の見えない位置で目を閉じた。
「彼女は・・・いつも悲しげだった。・・・もっとも愛する者から、疑われていたからだ。
愛情深く、二人は結ばれていたのに・・・俺が、横合いから、引き裂いた・・・。」
兄の苦悔と女の得心が、同時に伝わる。
結局は、自身が妃を信じてやらなかったためか・・、王もまた、唇を噛む。
「シエナは幸せじゃなかった・・・、よく、解かってるのね・・・。」
そう繰り返した女の顔は、むしろ穏やかだった。
「・・・もし、彼女が幸せだった、と言い張るなら・・・すぐに殺してやるつもりだったわ。」
女の言葉は、取り返しのつかない過去の日々を、無理矢理に思い出させる。
「・・・悔いて、いる・・・」
ラルフ王は項垂れたまま、小さな声で呟いた。
「こんな国など、消えてしまうがいいわ・・・。」
憎悪に満ちた声で、女は宣言した。
不幸だった王妃・・・彼女を死へ追いやったものが、真実、この国の頑なさであり、無理解であり、偏見だった、と知っているのだ。
狂気に支配される者の声音だと、兄弟は思った。
「・・・お前の望みは、亡き妃の仇であろう? わたしを殺せば、済むはずだ。」
王の言葉には、再び高笑いで答える。
「彼女の墓標に、貴方たち兄弟の首を、並べて飾ってやるのが望みよ。」
その返答で、兄弟は説得を断念した。
「・・・もう一つ質問があるの。」
女はまた、セフの腹の傷に、細いソールのつま先を捻じ込み、彼の苦痛の表情を見つめて微笑みながら、問い掛けた。
「黒き炎・・・手に入れたんでしょう?
頂こうかしら。」
女の言葉で、今度はセフの頭脳が高速に回転を始める。やはり最初から、この女とグラントには、繋がりがあったのだ。闇のギルドという・・・。
「・・・・・・・」
「さあ。」
女の焦れた催促を聞くうちに、決意する。
無言のまま、剣を握った左手を開き、そのまま懐を探り・・・小さな宝玉を取り出す。
女の目が、宝玉に向かう。
「ほらよ、」
無造作に投げられた黒い小さな宝珠を、女が慌てて両手で受けた。
「開呪!」
灼熱の勾玉が、その正体だ。
一気に周辺の空気を焼き、女の身を巻き込んだ。
「ぎゃぁぁぁぁ!!」
女の悲鳴が喉から絞り出される。
と、同時にセフは右手に集中し、すべての力を一瞬に込める。
王は思いがけないタイミングで引きずり上げられ、そのまま頭上へ放り投げられた。
一瞬の判断と、そして、やはり兄弟の似通った思考。
振りかぶった聖剣は、炎にぐしゃりと崩れた女の肉塊を両断する。
女は声もなく、ぐずぐずと、焼けた腐肉の池へと姿を変えた・・・。
度重なる実験の影響で、すでに人の肉体ですらなかったものか・・・。
まるで、下等な軟体生物であったかのような、無残な末路だった。
「・・・憐れな女だ・・・。」
誰を想うのか、王は立ち尽くしたまま、目を閉じている。
走馬灯のように脳裏を巡るのは、きっと、別の人物との想い出であろう・・・横たわったままのセフは、自身も一時の感傷に身を預ける。
術者を失った魔法陣は、これ以後、この国の夜を脅かすこともないだろう・・・。
日を改めて、消滅させた方が安心であろうか。
魔法陣の、血で描かれた図形の一部を黒く焦がして、宝玉は転がっている。
灼熱の球は太陽の輝きを宿し、周囲に陽炎を写し出していた。熱気に蒸せるほどだ。
金縛りが解け、熱さに堪りかねた者から、塔のはじへと避難する。
セフはなんとか半身を起こし、封呪の印を掛け直した。
一同が陰惨な空気に暗く沈んでいた、その時。
黒い小さな宝玉が、自身で転がり、ふわりと宙に浮かぶ。それは王の持つ聖剣の柄へと自身で収まり、そして、黒い霧を吹き上げた。一瞬で王の身体を黒い霧が覆う。
「王さん!」
命知らずのルシーダが、即と王の手から剣を奪おうと手を伸ばす。
『わたしに触れてはいけない・・・、』
王の声に重なって、何者かの声がそう告げ、ルシーダを見えない壁で弾き返した。
「うわっ!?」
派手な尻餅で、ルシーダは目をしばたたかせる。
王は静かな足取りで、ゆっくりと塔のへりへと身を寄せた。
『・・・うつくしい景色だ・・・我の眠る大地は、美しい・・・』
膨れ上がる魔力、恐ろしい威圧感。
苦しい息のまま、セフは声を絞り出す。
「・・・何者だ、・・・お前は・・・?」
王は答えず、そのまま、とん、と床を蹴った。
兵士たちもルシーダもナッツも慌てて手を伸ばしたが、間に合わなかった・・・。




