第三話
アルザスへ入ったフィル達三人は、朝になって村長の家を辞した。泊めてもらったお礼にと、いくらかの金貨を渡そうとしたが、村長は笑って辞退した。
「この村は平和なもので、作物も豊かですじゃ。そのようなつもりでお泊めしたわけでもなし、要らぬ気遣いは無用で御座いますよ。」
それだけでなく、村長の妻は一夜の客として迎えた一行の為に、お弁当まで作ってくれた。
「城へ入ろうなどとは思わぬ方が良いが、首都のデュアスへはぜひ立ち寄られるが良ろしかろう。なにせ、このアルザスの首都、いいや、この西の大陸一の都と名高い場所ですのじゃ。」
村長は、なにやら自慢げにそう勧めた。
アルザス人にとって、この国第一の都は、彼等の誇りそのものなのだった。
月の霞む都デュアス、夜にもなお明るいこの都市を、諸国の民はそう呼んだ。
「ええ、ぜひ、立ち寄ってみたいと思います。
お世話になりました。この出会いは決して忘れません。」
フィルは素直に、感謝を言葉にして村長に告げた。見知らぬ人の親切に触れるのは、心地良いものだとフィルは思っている。
「有難うよ、ウチの部落に来るような事があったら、ぜひ、寄ってくれ。精一杯もてなすよ。」
ルシーダも社交辞令抜きに感謝を現わし、村長の手を固く握った。
「さあ、そろそろ行こうぜ!」
ナッツの掛け声に、二人もようやく馬車に乗る。
村長とその妻、駆け付けてくれた村の子供達が、いつまでも一行を見送ってくれた。
「・・・彼等のためにも。
なんとか、この事件を解決するための協力が出来ないものでしょうか?」
「そうさな。村長はああ言ってたが、死人どもがうろうろするんじゃ、おちおち安眠も出来やしないだろう。」
腕組をして、ナッツは思案に耽り、低い唸り声を上げた。
タチの悪いことに、その死人達はこの国の住人には縁の深い者ばかりなのだ。
皆、平気そうな顔をしていても、心の中では苦しい思いをしているに違いない。
一行は、その後、三日を掛けて首都のデュアスに到着した。
活気のある街だった。
村長から聞いた通り、確かに西の大陸一の都市だと言えそうだ。
喧騒、人込み、行き交う荷車の数も、今まで通って来たどんな街より数倍も多い気がした。
通りにずらりと居並ぶ行商の店先には、これも今まで見たどんな宿場よりも豊富な品々が揃えられていた。
・・・そして、これもいつもの事ではあったが、こういう場所へ来ると、ナッツの悪い癖が騒ぎ出すのだった。
「なあなあ、ちょっとだけでいいから、見に行っていいか?」
瞳を好奇心でキラキラと輝かせながら、小柄のドワーフ族はフィルに尋ねた。
装飾品、武器、防具・・・元々職人気質のドワーフには堪らない場所なのだった。
「ああ、ならば早めに宿を決めますから、その後でゆっくり見に行って来て下さい。」
笑いながらフィルは答え、手頃な宿屋を物色し始めた。
そんなフィルに、何やら胡散臭げな男が声を掛ける。
「あんた等、さては田舎者だな?
なにもわざわざこんな喧しい所に宿を取ろうなんてよぉ、上の神殿区域に行きゃあ、いくらでも上等の宿があるってのに・・・。」
振り返ったフィルの見た限りでは、男は腹に一物も二物も抱えていそうな危険な匂いのする兵士だった。兵士と言っても正規の兵隊ではなく、傭兵崩れと言った感じだ。
にやにやと嫌な笑いを頬に貼り付けて、男はフィルの肩を抱いた。
「・・・なんなら、もっといい穴場を教えてやってもいいぜ?
歓楽街のまっただ中にある、極め付けの掘り出し物ってぇ宿だ。どうだい?」
「乗った!」
フィルの後ろからナッツが叫んだ。
「何を考えてんだろね、この色ボケ野郎は。」
「ち、違うって! 情報が欲しいだろ、まずは!
そんなら、まずは盛り場と相場が決まってるだろうが。」
ルシーダが小声で文句を言うのも解かるのだが、ナッツの言葉にも一理あるのだった。
庇うわけではないが、フィルも一言添える。
「まずは酒場、色宿、商隊宿、・・・最後は神殿、といった経路でしょう。
あながち、ナッツの言う事も間違いじゃないよ。」
「そーだろ、ほれ、見ろ。」
「チッ、」
得意げにナッツは胸を張り、ルシーダは忌々しげに舌を巻く。
「話がまとまった所で、案内していいのかい?」
男は顎をしゃくり、先を促した。
馬車をゆっくりと進めながら、男の先導に従って行商街を抜け出る。大きな河に架けられた石造りの立派な橋を渡りきると、そこから先は毒々しい色合いをした歓楽街だった。
柱ばかりでなく、この辺りは床の敷石までが、紅色で染められている。柱には切ったばかりの花が飾られ、通りを行く人々も、さきほどまでとは種類が違って見えた。
夕暮れが近付くにつれ、通りの石造りの街燈には火が入り、夜の町の表情を現わし始める。
それと共に、先ほど通った石の橋が封鎖され、代りに運河のあちこちに、即席の港が開かれてゆく。
傭兵風の男は言った。
「最近は死人が街中までうろつきやがるから、物騒なもんだ。大抵はこの時分から宿と女を決めて、一晩貸切ってのが、お決まりのコースなのさ。
あんた達はどうする? 俺のお奨めの宿へ案内していいかい?」
「任せるよ、どうせアタシは関係ないからね。」
馬車の中から顔を出したルシーダが、不貞腐れたようにそう言った。
「はっはっはぁ! ここデュアスを、そんじょそこらの街と同じに思うなってんだよ!
・・・何だって買えるぜ? 女はもちろん男も子供も、ケダモノが良けりゃ、馬から猫から、何だってな!」
危なげなその口調に、ルシーダは鼻白んで黙った。とんでもない街だ、と思ったようだ。
「ほら、見えたぜ。あの宿だ。」
一等目立った作りの大きな建物が、周囲の街並みから飛び抜けてその存在を主張していた。
「連れ込み、変態技、何だってOK。
もちろん、普通に泊まるだけの客も大歓迎。
・・・ようこそ、いらっしゃいってな。」
にやけた笑いのまま、男は厩の閂を開けて、扉を開いた。
「話が巧いと思ったら、ここの客引きってワケかい?」
呆れたようにルシーダが尋ねると、男は悪びれもせずに頷いた。
「三名様、御案内ってね。
最近は世知辛いもんでな、遠出してでも呼び込みしなきゃ、日当になんねぇのさ。」
宿で割り当てられた部屋は、なかなか快適なものだった。三人という半端な数は結構嫌われるものだが、さすがに大都市だけあって、きちんと対応している。
御丁寧に、女であるルシーダのためにと、衝立を用意してくれた。
「セフも来りゃ良かったのに。滅多に当たんねぇぞ、こんな上等な宿。」
ナッツの一言に、フィルも自然に口元が緩む。
「値段の割には良心的ですよね。高い部屋代に、ベッドは四つだけという時もあったし。」
「そうそう、俺とセフが負けて床で寝たんだ。」
六人部屋にベッドが四つしかなかった時は、喧嘩腰で宿を出るか、呪いを掛けながら眠りにつくかのどちらかだった。くじ引き、じゃんけん、どちらの場合も負ける者はいつも同じになりがちだ。
疲れているから、喧嘩よりは諦める。多くの宿場はそんな旅人の足元を見た。
月ですら霞んで見えるというこの都市は、そんな通説をいとも容易く覆す。
ふかふかのベッド、洗濯したてのリネン、手入れの行き届いた室内。・・・お尋ね者でなかったなら、この街を出ようとは思わないに違いない。
豊かで平和な国、良心的な人々。
・・・それを誰かが崩そうとしている。
「さっきの男・・・下の酒場に居るでしょうか?」
フィルはナッツに問い掛ける。こういう場所での人々の行動は、フィルにはなかなか読み辛い。
こういう場合、知り合った相手には片端から情報を聞き出してみるものだが、旅慣れないフィルは、いつでも人を捕まえるのに一苦労するのだった。
一方、場慣れしたナッツの方は、そういう辺りもやたらと詳しいのだ。




