第三話
神殿地区から外の行商街を抜け、フィルは駆け戻った。
南の岩窟神殿。秘密の抜け道の奥で待つ、仲間たちの元へと。
「・・・よう、御苦労だったな。
足手纏いになるが、すまん。」
セフはすでに目覚めていて、開口一番にフィルにはそう答えた。
「いいえ。それより、腕は?
他は異常ないですか?」
「ああ。」
短いやりとりのうちに、フィルは手渡された二枚貝の赤い紐を解く。薄く虹色に輝く真珠がひとつ、鎮座するものを、指先でつぶす。少量の水を差し、混ぜた。
「・・・そいつは・・・」
驚くセフの声は無視して、フィルは中の軟膏を怪我人の傷口に擦り込んだ。
小さな貝の、僅かばかりの薬は、肩の傷を覆う頃には尽きてしまう。
「フィル、こいつを何処で手に入れてきた?
お前・・・これが何か知ってるのか?」
咎めるように強い口調でセフが尋ねる。フィルは素直に知らないと答えた。
知らないのも無理はない、この小さな貝ひとつが、国の一年分の財政にも匹敵する価値があるのだ。富み栄えるアルザス王家にすら、数えるほどしか所有されていない、秘宝中の秘宝。
魔道士ギルドで僅かばかりが生産されている、幻の秘薬、『奇跡の虹』だった。
「あ・・つっ、」
セフの顔が苦痛に歪む。
ものすごい熱が、肩口で湯気を立てていた。
「セフ?!」
これにはフィルも驚いた。薬と言って貰ってきたものを一瞬、疑ったほどだ。
ついに目を閉じて歯を食いしばってしまった仲間の姿に、アシュともども、フィルは成す術もなく狼狽えるしかなかった。
ようやく熱が引いた後、セフは手をどけた。
覆われていて見えなかった肩が、三人の前に晒された。・・・元に戻っていた。
食いちぎられて無くなったはずの肉が、見事に修復されている。
セフは腕を回した。・・・痛みはなくなっていた。
「完全に治癒したぞ。
さすがは幻の秘薬だな、・・・あの熱さは頂けないが。」
皮肉を返せるほどに、セフは回復した。
「良かった・・・!」
フィルよりも、ずっと見守ってきたアシュの方が心配が深かったのだろう、泣き出してしまう。
緊張の糸がわずかながら、解ける。和んだ空気・・。
アシュが泣き止んで、目を擦った。
そのアシュに、セフは顎をしゃくってフィルに注意を促す。
「アシュ、どうしてついでにフィルも見てやらんのだ?
あいつも平然としちゃいるが、けっこうな大怪我だぞ?」
お鉢が自分に廻ってきた事に、フィルは大いに慌てた。アシュの治療は経験のないフィルには刺激が強過ぎるものだった。
「け、結構です! 僕は打撲だけで大したコトないんです!」
アシュの治療を目の前で見たフィルは、必死に辞退する。邪まな考えを持つわけではないが、やはり気恥ずかしい。
「内面だからちょうど良いんじゃないか、遠慮するな。
構わんからやっちまえ、アシュ。」
セフは、元気になった途端に後ろからフィルを羽交い締めに掛ける。
「いえ! 結構で・・ぎゃー!!」
フィルの発した悲鳴は、途中で途切れた。
「どうだ、楽になったろう?」
にやにやと人の悪い笑みを浮かべてセフは問い掛け、未だに目を白黒させるフィルは涙目になって、彼を睨んだ。じっと、手は口に当てたままだ。
「あ、あの・・・僕、もしかして余計な事をしたんでしょうか?
イヤな思いをさせてしまったんじゃ・・・?」
フィルが不機嫌な態度を取った事に、アシュは自身の責任を感じたのか、しきりに頭を下げた。
どうも自分の行う治癒の方法に問題があるらしい、とは先刻からのフィルの態度で感じ始めている。世間から隔絶された場所で閉じ込められて暮らしてきたアシュには、何が悪かったのかが解からなかったが。
「ごめんなさい、あの・・・、僕・・・」
不安げな瞳を交互に二人に向けて、ついには黙り込んでしまった。
フィルを離して、その手でアシュの肩を叩きながらセフは言う。
「何を恥じる必要がある?
・・・自身を卑下することはない、お前は今、立派に役立つ事を証明してみせたんだ。
お前が居なけりゃ、俺はとうに死んでいるんだ、もっと胸を張れ。」
胸を張れ、と言われても・・・アシュはそれでも二人を見る。
「ありがとう、・・・君のお蔭でずいぶん楽になったよ。
僕らのパーティには回復担当の者が居なくてね。いつも苦労するんだ。」
内面の複雑な思いは奥深くに沈めておいて、フィルはあらためて礼を述べた。
ずっと重く感じていた体が、今は嘘のように軽くなっていた。
「・・・これで、気兼ねなく東のダンジョンへ向かえるよ。」
「ダンジョン?」
いぶかしむようにセフが繰り返して尋ねた。
フィルは事の経緯をようやく話す機会に恵まれたのだった。
「黒き炎・・・か。
何だか判らん予言というのは昔からの事だが、今回ははっきりと指定してきたようだな。」
セフの言葉にフィルも頷く。
「東といえば、行くべき場所は一つしかない。」
東の、冥界神の神殿。
「あの森はそれ自体がダンジョンのようなものだが、神殿には書物庫があるくらいで、お宝なんぞ、あるとは思えんが・・・。まあ、5年も前の情報では、アテにはならんか。」
腕を組んだセフの多少投げやりな言葉で、それぞれの意志も固まった。
とにかく、行ってみるしかない。
「・・・やれやれ。来たと思ったら、もう用済みか。」
立ち上がりながら、セフが呟いた。真上の岩を見上げる。
たぶん、この地面の上には城がそびえているはずなのに・・。
東の神殿へは、一旦、国を抜けねばならない。その為のルートを、すでに計算し始めてもいた。
「夜を待って、市街地へ戻る。・・・定宿にしている場所からなら、簡単にアルザスを抜けられる。
行けるな? ホル、」
視線を向けられ、ホルは大きく頷いて答えとした。
夜に動くという事は、普通に道を歩くわけではない事を予測しておかねばならない。冒険のうちには、そういった一風変わった移動を何度も経験してきていて、フィルは慣れたものだ。
この国は、現時点で夜は死者のものだ。それを見越して、セフは念を押した。
問題は、何も知らずに生きてきたアシュの方か。
ちら、とアシュに視線を向けて、二人は苦笑した。
・・・さて、これが普通と思いはしないだろうが・・・。
「なんです? 二人とも・・・?」
その笑いの意味を掴みかねて、アシュは居心地が悪そうに身じろいでいた。
二人はそもそも、道など通るつもりがないのだった。
日が落ちた。
岩窟神殿を少し離れた木立の影で、身を潜めていた一行が動き出す。
洞窟の中で待った方が良かったのだが、例の子供に会うのが嫌で、誰言うとなく外で待つ事に決定した。
木の上から見下ろせば、いつかのように死者に囲まれている。
無意味に手を伸ばし、揺れている死者たち。
「・・・どうします?」
困惑気味にフィルが尋ねた。
「俺達だけなら、強硬突破も出来るんだがな・・。
とりあえず、木を渡って行くしかないだろう。」
会話を耳にしながら、アシュは交互に二人を見る。言葉の意味を知らされたのは、二人が行動を開始してからだ。次々と枝を渡り、木を飛び移ってゆく二人に、アシュは懸命に後を追う。
テンポよく木を渡り、少し先で二人はアシュを待っていてくれた。
アシュは自力で木から木へ、ゆっくりとだが、なんとか渡っている。
世間知らずでも魔族は魔族、すぐに要領を掴み、徐々に木を渡るスピードは上がっていった。
「・・・街だ。」
木の上から見渡す夜の街路。眠らない街デュアス。
それでもここのところ、夜の通りはひっそりとして、人影ひとつ見当たらないのだが。
セフの定宿に到着した。




