第二話
「何故ですか? 御老体。
都では何か・・・重大な事件でも起きていると?」
フィルに詰め寄られ、言い渋っていたこの村長も、ついに、口を開いて事情を話した。
「・・・国王様は、重い病に伏せってしまわれたのじゃ。
今は、弟君が国政を取り仕切っておられるが・・・なにやら、王宮内にならず者を呼び集め、正規の軍隊は遠い国境の辺りに追いやってしまわれて・・・どうも、おかしいんじゃ。
セフ様が帰って来られてから、この国はおかしくなってしまった・・・。」
フィルは沈黙を守り、村長は念を押して一行を押し止めると、続けて言った。
「ま、夜は危なくて出歩けないが、昼間は何も以前と変わりはないのですじゃ。国王様の御病状は心配じゃが、良いお医者を国中から集めて治療を受けておられるし、もう少し我慢しておれば、きっと、良くなられる。
国王様さえ、良くなられれば、国を悩ませている全ての問題も、きっと、すぐに解決して下さるはずじゃ。
・・・ささ、食事の準備も出来ておりますで、どうぞ、どうぞ。」
村長が扉を開けて、中に入ってしまうと、三人はまた、顔を付き合せた。
不安が過ぎる。
本物のセフは、今、一人で山間の村に向かっているはずだった。
「・・・セフの事だから、さ・・・。」
「ああ、奴は強い。ゾンビ程度じゃ歯が立たないさ。」
不安を隠せないフィルやナッツとは違い、ルシーダは至って平然と答えた。
皆の心配をよそに、当のセフは木の上に適当な寝床を見つけて横になっていた。
下では、追い掛けて来た死人達がたむろしている。
・・・木には登れないらしく、無駄に手を伸ばしているだけだった。
「やれやれ。キリがないぜ。」
辟易としたというように、セフは呟き、わずかな仮眠を摂るための眠りに落ちた。
うとうととしている。
浅い眠りの中でも、常に張り詰めた緊張はいくらかでも残してある。
だからこそ、微かな悲鳴も聞き逃さなかった。
目を開ける。
そこからは敏速だった。
飛び降りざまに剣を抜き放つ。その剣は、炎を纏って燃え盛る。
自分の国の、元は罪のない死者達。だから、斬り捨てる事は嫌った。
伸びてくる手を斬り掃い、動きの遅い死者達の間をすり抜けて走る。動きを見切っていれば、どうという事もない。
見えた。
娘が一人、死人達に囲まれてもがいている。死人は力の加減も知らず、娘の手足を引く。
赤い閃光が走った。
娘の手足には死者のしなびた手首が掴まれたままの状態でくっついている。
恐怖に引き攣る娘の身体が宙に浮いた。
セフに放り投げられた娘は、一段高い崖の岩棚に転がった。
「土に返れ、死人ども!
火炎よ、来い!」
大地が裂け、マグマが顔を覗かせる深淵に、動き廻る死者達は吸い込まれて消えた。
地の精霊は何処かへ去る。
地響きと共に、大地は元に戻る。
けれど、どこからともなく、また、ぞろぞろと死者達は集まってくるのだった。
「ここへ! 彼等は登れません!」
娘が叫んだ。
すぐさまセフはジャンプして、岩棚へ飛び移る。
「本当にキリがない。」
いまいましげに吐き捨て、下を見下ろす。
死者達は、真新しい死体から白骨まで、さまざまに出揃っている。木と同様、高い崖なども登れないようだった。
「大丈夫です、朝日が昇れば・・・。」
そういえば、辺りは白く染まり始めている。
山々の間から、太陽の光が射し始めた。
死者たちは、染み込むように、その場の地面へと潜り込んでいった・・・。
今までの戦闘から分析しても、あまり高度な魔法が掛かっているわけではなさそうだ。死人たちはほとんど戦闘力もなく、なにより、昼間は動けないらしい。
囲まれると厄介だが、戦い慣れた者なら、対処出来ないほどでもない。
「死人使いが出没するのか、王国の兵はどうした?」
「・・・彼等はアルザスから流れ込んで来たのです・・・。
在る日、突然、夜になると死者が動いて歩き回るようになって・・・始めは国境から先へは来なかったのですが、最近では山を越えて溢れ出して来るようになったのです。
アルザスは強い国です。我が国の王は、手出しが出来ないのです・・・。」
娘の顔は悲しみに掻き曇り、その瞳からは一筋の涙が流れた。
アルザス側からは何の対策も取られてはいないという娘の言葉に、セフは疑問を抱いた。
手癖は悪いが、政治はきちんとこなしてきた兄が、そのような無責任な外交をしているとは思い難い。セフは、故郷で何かが起きていることを直感した。
「で、お前は何をしに、そんな危険な山の中へ入り込んでいたんだ?
見た所、ただの町娘とも思えんが・・・。」
「ああ、助けて頂いたお礼もまだでした。
私はこの国の王女です、護衛の兵は、皆、魔物に倒されてしまい、もう駄目かと諦めかけていたところを、貴方様にお救い頂きました。
東の山郷にある、冥界神の神殿へ書物を探しに行くところだったのです。」
娘は慌てて涙をぬぐい、セフに答えた。
東の神殿・・・セフは思考をたぐり、深い谷間に造られた石造りの岩窟神殿を思い出した。鬱蒼と繁る黒い森、嘆きの森と呼ばれ、色々と厄介な魔物が多く生息している場所だった。
無理だとは言わないが、女連れでは少々危険過ぎる。
「送ってやろうと言いたいところだが、今は無理だな。仲間と合流した後ならば、連れて行ってやれるが。今日のところは大人しく城へ戻るがいい。」
娘は悲観したような目でセフを見つめた。
「どうしても無理でしょうか?
あの神殿の書物倉には、きっとこの邪悪な魔法に打ち勝つ方法を記した書があると思うのですが・・・!」
「無理だ。俺はこの辺りを少々なら知っているが、それでなくとも危険な場所だ。
昔でさえ、そうだったんだ、今はどうなっていると思う? とうてい一人で渡れる場所じゃない。」
姫君は俯き、諦めたように黙り込んだ。
確かに、あれだけ居た護衛の兵すら、一人も残らなかった。この見知らぬ男の言う通りだと思ったのだろう。
セフは姫の手を取り、崖から降りる手助けをしてやった。
「この先に里がある、そこまでなら送ってやろう。」
ケモノ道が少しばかり開けたような、ささやかな道路を伝って、二人は里へと降りて行った。
のどかな山里の風景が広がっている。人々は畑に出て作物を育て、子供たちは羊を追って暮らす、典型的な農村。
「おや、姫様じゃないですか?
こんな所までお一人で出歩かれては危険で御座いますよ。」
農民の一人が声を掛ける。
姫は振り返った。
すでに姫を助けた男の姿は消えていた。
姫君を安全な場所へと導いた後に、セフは一人で国境付近に戻っていた。
山を越えて、アルザスへ侵入する経路はまだ閉ざされてはいないようだった。
どうやら、例の死人達への対処に精一杯で、国境警備どころではないらしい。
これから違法に国境を越えようという者には好都合だったが。
念入りに下調べをした後に、改めて国境沿いの町へ引き返す。出立は朝にするつもりで、今日中に買出しを済ませておこうと思ったのだった。
他にも情報を拾っておけるなら、それもいい。
なにせ、自分はお尋ね者なのだ、アルザスへ入ったら自由に行動することもままならない・・・、セフは町へと続く道を急いだ。
グレイス渓谷のローファン村には使いを送っておこう、連中が先に着いたなら、事情を知った彼等が、後は判断を下すだろう。
小声で呪文を唱えると、セフの口からは微かな煙が漂い、その煙を指先に巻いた。続けて伸ばした手の上には小さな幻獣が乗っている。
「ゆけ、」
解き放つと、その白い獣は羽を広げて飛び立った。




