第九話
アサシンの目が異様な光を放ち始める。
瞳と白目の区別はなくなり、ただ、禍々しいばかりの紅い光を放っている。
そして、全身を覆う黒い衣装が引き裂け、体躯が大きくなる。
すでに、人間の形を留めていない。
頭が洞窟の天井につかえると、無造作に天井の岩を打ち砕いた。
それは、まさしく怪物であった。
掌を上に向けた。
鋭い鉤爪が伸びる。
ゴアアアァァ!
人間の言葉は発しない。
「くっ!」
フィルは防戦一方となり、それも徐々に押され始める。
パワーの違い、スピードの違い、なにより殺気のケタが違っていた。
押し潰されそうな重圧に、ときに、目が霞みさえした。
したたかに、壁へ叩き付けられる。
ずるずると地へ倒れ伏した獲物を、さらに鷲掴みにして反対の壁へ叩きつけた。
フィルの身体が動かなくなると、怪物は少しだけ身体を縮めた。
そして、人間の言葉でフィルに話し掛けた。
「ねぇ、あんた名前は?」
ぐい、と髪を掴んで上を向かせる。
「ふ、フィル・・・、だ、」
辛うじて答えたフィルの髪をぱたりと手放す。
力尽きたように、また、フィルの頭が地に落ちた。
「フィル、か・・・。
良い名前だなぁ。羨ましいなぁ。
俺、名前無いんだ。・・・貰ってもいいよね?」
無邪気な笑い声の後に、化け物は付け足した。
「これから死ぬ奴には、要らないもんね。」
鉤爪が、鋭利な刃に変化した。
トドメを刺される、フィルが目を閉ざした時、鍔鳴りの音が鋭く響いた。
ギリリリ・・・
兇刃を押し止めていたのは、炎を纏った二本の剣だった。
「セフ!」
一体、どういう事なのか、怪物とフィルの他にも侵入者が居たとは。
「嘘吐きだ、アイツ。
ここを知ってる奴は男と女が一人づつしか居ないって言ったのに!」
さすがの怪物も、セフが相手では余裕を見せてはいられないらしく、表情が険しい。
パワーも、スピードも、この新たな相手は互角の敵だった。
だらりと下げていた片手が上向けられ、鋭い鉤爪を生やした。すぐさま刃に変化。
右手一本でセフの両刀を防ぎ、左手で、腹を薙いだ。
風を感じ、セフは飛び退る。
間一髪で致命傷は避けたものの、破れた服の間からはぱっくりと開く傷口が覗いていた。
セフも、落ち着いたもので、冷静に判断を下す。
二本の剣を一本に戻した。
仕切り直し。
じりじりと、互いが間合いを計る。つ、と双方が動き・・・片腕同士がぶつかった。
続いて、怪物の右腕。
セフは空いた左手で印を結んだ。
掌を放つ。怪物の攻撃を弾き返した。
怪物は己のパワーに押されて、吹き飛んだ。
その隙に、セフは倒れたフィルに呼び掛ける。
「おい! いつまで寝てるつもりだ!?
さっさと起きて加勢しろ!」
朦朧とした意識の下に、フィルは仲間の声を聞き届けた。
ぐらぐらと揺れる感覚を元に戻そうと、フィルは頭を振った。
目を上げると、まさに、怪物とセフの一騎打ちの様相。
「二対一なんて卑怯だぞ、
弱くなんかないくせに。」
怪物はガシンガシンと爪を振り廻してセフを追い詰める。
セフは僅かな隙に怪物を蹴り飛ばして、間合いを取った。
「貴様のような怪物に、正々堂々も何もあったものか。」
さっきの答えを告げてやる。
「・・・お前、嫌いだ。」
怪物はぽつりと呟いた。
「何やってる、フィル!
時間を稼げ!」
声だけをフィルに向け、セフは怒鳴った。
振りかぶった怪物の、がら空きになった脇腹へ渾身の一撃をフィルが加えた。
すぐさま、反撃の刃が襲ってくる。激怒の唸り声を轟かせた。
怪物の意識は完全にフィルの方へと向かった。
セフはその機に乗じて、ぶつぶつと呪文を口の中で詠唱した。
意味のある呪文ではない、気を練る為にこうする。
炎のイメージ、火山のイメージ、マグマのイメージ・・・、
フィルがまたしても弾き飛ばされる。
怪物は、フィルにトドメを刺そうと手を振り上げた。
パワー、スピード、剣技、それらは互角。
しかし、魔力に至っては・・・、
セフの掌にチリチリと熱が集まる。
それは周囲が熱気に咽るほどの高温となった。
フィルと怪物の間に、音もなく人影が滑り込んだ。
閃光を伴う灼熱の火球が、セフの掌から弾き出される。
怪物の脇腹に、今度こそ、一撃が叩き込まれた。
肉の焦げる臭いが鼻をつく、そして、フィルは最大の技を繰り出した。
下から顎の骨、頭蓋骨までを一刀両断し、返す刀で肩から斬り下げた。
・・・普通なら、これで死なぬ者は居ない。ドラゴンの固い鱗すら斬り通す、奥義。
だが、この怪物はそれでも生きていた。
「い、・・・痛い・・・、
痛いよぉ・・・」
か細い声で、泣いていた。
セフが近寄り、その脳天に剣を振り下ろした。
「・・・この怪物は、一体何者だったんでしょうか?」
痛む身体に顔をしかめながら、フィルは問い掛けた。
「さあな、・・・いずれ、この国に悪意を持つ連中が送り込んだんだろう。
頭の程度も良くはなかった。」
早くから結社に入れられ、育てられた者は、知能の発達が極めて遅くなる。
暗殺技術のみに長け、それ以外の取り柄がない者など、数えきれないだろう。
「・・・誰が雇ったのか・・・、
おい、そこの貴様。・・・知ってるんだろう?」
視線は怪物の死骸に向けたまま、セフは声を荒げた。
「今すぐに出てこい。
脳天を叩き割るぞ。」
姿無き第三者に、今度は向き直った。
「ま、待て! 待ってくれ!
・・・出るから! 今、出てくから、助けて!」
気配を消していたのか、痩せこけた男が岩陰から姿を現わした。
フィルは驚く。
・・・その男は、裁判所で見た、役人の一人だった。
「さあ、知ってる事は洗いざらいぶちまけて貰おう。
・・・コイツは何者だ? アサシンにしては尋常じゃない。」
セフの質問に、男は悪びれたような曖昧な笑顔を向けた。
「・・・死にたいらしいな?」
「わ、わかったよ! 言うよ!
ソイツは結社の実験体だ!
・・・アサシン結社では、色々とヤバい実験をやってるんでな・・・そのうちの一匹さ。」
男の笑顔は卑屈なものから、なにやら嫌らしい笑みに変わった。
「・・・へへへ・・・、素質は良かったんだがな・・・。
やはり、本家の化け物には敵わなかったな・・・。」
男の視線は、ねめつけるようにセフへと注がれている。
セフの眼光が険しさを増した。
「本家? どういう意味だ・・・?」
セフより先に、フィルがその意味を尋ねた。
「血筋が一緒でも、そいつは通常の混血以下だったのさ。
第二世代って奴だ、混血と奴隷魔族の掛け合わせだって言うから、期待したんだがな・・・。」
「お前は一体・・・、」
フィルの言葉を遮って、男はセフに向かって指を差してあざ笑った。
「はははは! お前が殺したこの怪物が何者か、教えてやるよ!
お前はなぁ、実の甥を殺したんだよ! 脳天を叩き割ってな!」
緊張が走った。セフはむろん、フィルも声すら出ない。
「お前はまんまと逃げ遂せたが、実はもう一つの取引があったのさ・・・。
あの女、王の子を宿していやがってな・・・、その胎児が売られたんだよ。」
男の言葉にセフは絞るような呻きを洩らす。
「ギルドの連中は血も涙もない、生きたまま、押さえ付けて女の腹を掻っ捌いて、中の胎児を引きずり出したそうだぜ? 奴等は胎児の段階から手を加える事で、遺伝子まで操作しちまうって話だ。・・・そして出来上がったのが、そこに転がってる化け物ってわけさ・・・。」
「貴様・・・」
セフの、くぐもるほどの低い声が漏れる。
裁判所の役人・・・民間の振りをしてはいるが、たぶん、ギルドの者だ。詳しすぎる。
「あの奴隷魔族を売ったのが誰か判るか?
・・・へへへ、知りてぇだろう? 知りたかったら、そのまま動くなよ・・・、」
男はじりじりと後ろへ後ずさる。・・・逃げようという考えが丸解かりだ。
セフは瞬時に男の胸倉を掴み、捩じり上げた。
「よ、よせ! 俺を殺したら、永久に真実は闇の中だ!
わかった、黒幕の名を教える! な?! だから・・・!」
その先を、男は告げる事が出来なかった。
男の腹は、胸を中心に食い破られて、無くなっていた。
セフも、もんどりうって倒れ、呻き声をあげる。
左の肩が食われ、肉が削げ落ちていた。
フィルは視線を戻す、さっき倒したはずの怪物に。
怪物は立ち上がっている。両腕は大蛇のようにうねり、先端が口を開け、その丸い口内で細かい牙を律動させていた。血が、洞窟の白い岩の上に落ちて、しみになる。
死によって、新たな生物学的な変化が加わったのだろうか、頭部はだらりと後ろへ逸れている。
・・・不死身? いや、そのまま、どう、と倒れた。




