第八話
「それ以上は何を聞き出す事も、説得も、出来ぬと思った。
だから・・・、いや、もうこれ以上、恨み言を聞くのが耐え難かったのだ。」
女は城を出ると、姿をくらませ、それきり見ない。
王は絶望と悔恨に打ちのめされされながら、それでも王宮で過ごした。
怨みや憎しみは、最初、行方不明となった弟へ向けられた。
しかし・・・。
二年、三年と経つうちに・・・激しい憎悪が、薄れていった。
結局、王も弟も、母には愛されてなどいなかったのだ。
そして、ふと、気付く日が来た。
弟として産まれた皇子の、何も持ち得ないその境遇を・・・。
「・・・父にまで疎まれる弟を哀れだと思えた時、初めて、弟の為に涙を流した。」
アルザスの王となった兄の皇子は、自嘲の笑いを洩らした。
幼い頃、嫌がる素振りも見せず、黙って後を付いて来た弟セフの望んだものは、この兄の関心だったに違いない。愛されることのない弟の目は、獣の光を宿していた。
月の瞳が輝いて見えたのは、獣の目が澄んでいたからだ。
ふと、王は気が付いた。
「・・・そういえば、私はセフの顔も知らないままなのだな・・・。」
今の今まで弟と信じていた男は、偽者で、敵の女が化けていた。
では、本物のセフは・・・弟は、どんな成長を遂げたのだろう?
王は関心を持って、二人に尋ねた。
本物のセフ・・・その足取りを追う前に、フィルの行方を追ってみる。
フィルは、ようやく終えた裁判の後、グラントと共に、岩窟神殿へ到着した。
追放者の行動は今日一日は不問とし、明日には追放としてこの国のいかなる場所へも立ち入る事が出来なくなるのだ。
「・・・懐かしいぜ・・・。あの日以来だからな。
ここ、この上に出口があるんだ。覚えときな。」
ある場所へ来ると、グラントは指で示してホルに教えた。
宮殿からの抜け道。
「あの日、俺は親父に言われて、ここでセフを待ってた。
とある偉い方からの指示だ、ってな、皇子を逃がす為に待機してたんだ。」
グラントの手引きのお蔭で、セフは無事に逃げ遂せる事が出来た。
二人は顔見知りで、時折、セフは城を抜け出てはこのグラントの仲間たちと共に街で暴れた。
「俺はよぉ、最初見た時ぁ、お姫様だと思ったんだぜ?」
グラントのこの言葉に、フィルは目を丸くした。
「んな驚くことか?
・・・可愛い面して、やる事のえげつなさったらよ?
さすがは魔族の血だ、って妙に感心したもんだぜ。」
さらに上方に見える破壊された神殿部分を指差し、あれはセフがフッ飛ばしたんだ、と付け加えた。奇妙な形に抉られて、岩山がすっぽりと無くなっていた。
「アルザスから逃がす為に、何人かの連携で、外の国へ・・・な。
誰の指示だったのか、ガキの俺にゃ教えてくれねぇし、・・・第一、親父もその後、口を封じられちまった。陰謀は、どんな形で、誰それが関わっていたか・・・今じゃ、誰にも判るまいよ。」
グラントの口調は静かだ。
しかし、その悔しさは、表情の中に見え隠れする。
「クーデターが終わって・・・、首謀者と見られた中にも尻尾を出さねぇ奴等がいるには居たが、その後、些細な事で全員、押し込めにあって引退させられた。
ガルバに、ザルディン、ライアスって言う街の顔役もクビになったな。
なんでも、闇のギルドと連絡を取っていたのがバレたらしい。」
「闇のギルド?」
フィルはその辺りを詳しく聞きたいと思った。
「ずいぶん手酷い拷問を受けたらしいが、最後まで口を割らなかったそうだ。
ま、それは噂だけどな。
でも、案外、本気かもな。闇のギルドとの契約は厳しい。
破れば、命がないって言うくらいだしな・・・。」
喋りゃしねぇだろうさ、誰だってな。・・・グラントはそう言った。
「言付けは確かに預かったぜ。
・・・まさか、こんな近くにまで戻ってやがるとは思いもしなかったけどなぁ。
一言くらい言ってよこせばいいのによ、相変わらず付合いの悪い奴だぜ。」
傭兵崩れの男は笑う。
一緒に行こうというフィルに、一人で大丈夫だと大笑いする。手引きなら、慣れたものだ。
「だいたい、俺は追放になるのは三度目だぜ?」
法律の抜け穴か、よほどズサンな管理体制なのか、グラントは特別な手があると言っていたが。
「簡単な方法なのさ。・・・おっと、セフの知り合いには教えられねぇよ。」
その一言で、違法な抜け道と気付いた。
グラントは手を振り、フィルと別れて街へと続く坂道を下っていった。
フィルは予定が狂ってしまった。
「・・・さて、と。
僕はどうしようか。」
フィルはしばらく考える。ややあって、一人、頷いて歩き始めた。
・・・神殿内の、抜け道へと。
洞窟は所々に日が射し込み、薄暗いながらも歩く事に支障はなかった。
巧く太陽光を取り入れられるように、明かり取りの穴が開けられているらしい。
・・・今、どのあたりを通っているのかも解からないが、もう随分歩いた。
セフもまた、ここをただ一人で歩いたのだと思うと、妙な感じがした。
フィルの進む洞窟の先に、人影があった。
不審。
「だれ?」
フィルは呼び掛けてみる。
この洞窟は、知られていないとグラントは言った。けれど、フィルより先に侵入者が居る。
まさか、セフが痺れを切らして一人で潜入してきた?
フィルは訝しむ。セフなら確かにそのくらいはやってのけそうだが、それならそれで、すぐに仲間と合流するはずだ。なにより、フィルの声を聞いて、無反応という事はない。
フィルはもう一度、呼んだ。
「誰だ? セフ?」
影が動いた。
「・・・その名を知ってちゃいけないよ。
この場所を知ってて、その名前も知ってる奴は、殺す事になってる。」
少年の声だった。
フィルのすぐ後ろに、その影は立っていた。
おそらく、フィルよりいくつか年下だろう。
首筋に掛かる息が甘い。
その匂いを、フィルは知っていた。強い麻薬・・・アサシンだ。
冷静に、フィルは切り返す。
「結社の者か? ・・・どうしてここを知っていて、皇子の名を知る者を殺すんだ?」
「頼まれたからさ。」
「誰に頼まれたって?」
「それは言えない。」
冷たい感触が首にぴたりと吸い付いた。
フィルは呼吸を計っている。
息を吐き・・・次の瞬間、後ろの敵から飛び退いた。
首筋をほんの僅かだが、斬られた。
フィルは敵の姿をようやく見とめた。全身黒づくめ、顔は目だけが覗いている。
その目は、暗殺者特有の濁った光ではなく、獣のような澄んだ光を湛えていた。
アサシンは狂喜した。
「すごい、今のすごい。
・・・じゃあ、これは?」
ニードルが襲い掛かった。
フィルはさらに飛び退る。
その間を、アサシンは一気に詰めた。
一刀、これは辛くもフィルが避ける。剣を抜く間を与えてくれない。
得物の剣はたぶん、特別製。少し短めで室内戦に向く。・・・こういう洞窟での闘いも。
目にも止まらぬとはこういう事をいう、凄まじい斬撃が繰り出される。
足元の苔に掬われる、態勢を崩したところへ更なる一撃が襲ってきた。
フィルは倒れる姿勢そのままで、思いきり敵の腹を蹴り上げた。
浅く入ったところでアサシンは飛び退ったらしく、ダメージを与えられなかった。
ようやく剣を抜く。
「すごい、すごい!
こんなに強い奴、初めて。・・・じゃあ、これは?」
無邪気に笑っていたアサシンの目が、赤く光った。




