第七話
・・・長い沈黙の後、アルザスの王は溜息を吐いた。
傍にはルシーダとナッツ。
「そうだ・・・、あれから5年も経った。
弟は、今でも私を憎んでいるだろう・・・。シエナを結界に閉じ込めた時は、殺してやるとさえ、言われたのだから。」
ルシーダが反論する。
「馬鹿言ってるよ、セフはそんな肝の小さい男じゃないよ。」
「そうそう、ちょこっと、ここの空気が苦手なんだと思いますぜ?
・・・何年も放浪してると、こういう豪華な宮殿ってのは、窮屈になるもんなんですよ。」
アルザスに入る前、焚火の前でセフが告げた言葉は隠して、二人は王に言った。
セフが兄王を疑っているのは、明らかだった。
二人の慰めに、王は笑みを浮かべる。
「済まぬ、気を使わせるな。」
王は感謝を示した後に、言葉を続けた。
「・・・ところで、どうだろう?
弟の目だが・・・、お前達はどう思う?
やはり、我が国だけが、あれを不吉と捉えるのだろうか? 夜に輝くのは、闇の力を受ける者だからだと、そのように言う者も居る。・・・私は、何処に居ても解かるので、便利だとくらいにしか思わなかったが。
あの瞳は、月の輝きのように、綺麗だ。お前達は、そう思わないか?」
ナッツとルシーダは黙って頷いた。
決して賛同するわけではない。珍しいとは思うが、別段、それだけの事で、セフはセフだ。
身内を好きだと言うのに、理由など要らない。セフは良い奴だ、それで充分。
この王様は、やはり何処かズレている、二人はそう思っていた。
「・・・今は、セフが戻ってくれる事を心から望む。
二十年という時間を、埋めてゆきたい。私が、どれほど愛しているかを伝えてやりたいのだ。
例え、弟が、未だに私を憎んでいるとしても・・・。」
弟と共に、もっとも愛した女すらも、王は失ってしまった。
「シエラは、クーデターの混乱の中、突然姿を消してしまった。
当時はセフが連れ出したのではないか、と、弟を疑った。
国民たちは、細かな経緯を知らない。
無責任な噂が広がり、シエナはクーデターの最中に死んだと思われるようになった。」
「本当は違うんだね?」
ルシーダが尋ねた。
街で拾った情報では、王の寵愛を受けた魔族の女は、クーデターの最中に崩れた宮殿の壁に押し潰されて死んだ、とされていた。
王や仲間たちは知らないが、セフはその噂を真実と思い、信じている。
「・・・シエナは、クーデターの後、二ヶ月も経ってから、変わり果てた姿で戻ったのだ。」
搾り出すような声で、王は悲痛な内容を告白した。
「自ら私の元を去ったのか、誰かに連れ去られたものか・・・、私には判断など出来ぬ。」
両手で顔を覆って、アルザスの王は過去を嘆いた。
連れ去った者・・・それを弟だとする疑いが、今も消せない。
ルシーダやナッツにも、王に掛けるべき言葉はなかった。
セフは何も語らなかったし、シエナという女性の事も、ここで初めて知ったのだ。
「でも・・・、
でも、王様! 信じて下さいよ、セフはそんな奴じゃないんだ。」
堪らず、ナッツは声に出した。
反論されれば、ぐうの音も出ないだろうとは解かっていても。
「私は、真実の全てを知りたいわけではない。
あの日、妃までが私を裏切り、弟と共に逃げたのか・・・それだけを、弟の口から聞きたいのだ。
・・・本当に・・・、お前が連れ出したのか・・・?」
ここには居ない、本物のセフに、アルザス王は問い掛けていた。
シエナの遺骸が発見されたのは、クーデターから二ヶ月たったある朝の事だった。
朝からニナイが忙しく走り廻っていた。
さすがに混血、腹に開いた穴は、すぐに自力で塞いでしまったと言う。
とても、養生などしてはいられない程に、多忙だ。
「国王、謁見の儀が滞っているではありませんか。。
これ以上、民に順序を待たせるわけには参りません、本日の御予定は、全てキャンセルして頂きますぞ。」
「私とて、遊んでいたわけではないぞ、ニナイ。」
王は不平を述べたが、忠実な臣下はまったくの無視で他の者に指示を送っている。
そんな時に、門番が一人の女を城門の外で押し止めた。
「なんじゃ? その筵は?
・・・うわ、なんてヒドイ臭いだ、そんなものを王宮に入れるつもりか!」
女の後ろには、牛に引かれた荷車があり、筵に包まれた細長い荷を積んでいた。
荷は、ハエがたかり、ひどい悪臭を放っている。
「ええ、ぜひ、入れて差し上げて下さいな。・・・王は御歓びになるはずですわ。・・・たとえ、どんな姿になっていてもいい、と仰ったのですもの。」
ベールを深く被った女は、憎悪を込めてそう言ったが、幸か不幸か、門番は気付かなかった。
「う・・・む、さすがにそれは取り次ぐわけには・・・」
門番は、戸惑いを隠せず、迷っている。
「でも、伝えなければあなたの首が飛ぶわよ?
王の、大切な寵妃の亡骸なのだから。」
女の言葉に、門番は飛び上がり、慌てて城門の中へ引き返した。
その背中に、女は声を掛けた。
「ねぇ、王様にお伝えしてね。
今日のこの日をお忘れなきよう、って。」
門番は振り返った。・・・女の姿は消えていた。
知らせを聞いた国王は驚いて門の外へと駈け付けた。
荷車は、そこに放置されたままになり、筵も来た時のままだった。
王は、制止する臣下を押し退けて、筵を剥がした。
・・・そして、一目見るなり嘔吐した。
消えてしまった女が傍に立っていた。
「王様、御褒美を戴きたいわ。
妃を連れてきた者には、どんな願いも聞き入れようと、仰ったはず。」
王は、吐き気とショックで、ふらふらとしながらも立ち上がった。
その脇腹に、女はナイフを突き立てた。
「痴れ者!」
「きさま!」
王の傍に控えていた臣下たちは、あまりの惨状に一瞬出遅れ、女の凶行を止める事が出来なかった。女はすぐに取り押さえられる。
幸い、王の傷は浅く、自分で歩く事さえ出来る。
「死んでよ! わたしの願いはあなたの死よ!
よくも姉さんをこんな目に会わせてくれたわね!
なにが妃よ、結界に閉じ込めて・・・結局、奴隷だったんじゃない!」
女が叫ぶ言葉が、耳鳴りのように響く。
脇腹に突き立つナイフの刃が、握った掌さえも傷付けた。
「シエナの妹は、きっと私を恨んでいる。
姉を連れ去り、死に至らしめたのは弟だと思っているのだ。
・・・私と弟を、殺すつもりでこの国へ入ったのだろう。」
王は目を伏せ、淡々と語った。
クーデターの最終章。
最愛の妃は王の元へと戻った。哀れな姿で。
女は厳重な見張りと結界の中で、取り調べを受けた。
セフを閉じ込めようと用意していた結界の呪印が、こんな所で役に立った。
「・・・姉の遺体が私の家へ投げ込まれたのは十日も前よ。
窓から・・・、まるで、ゴミでも投げ込むように・・・」
女はむせび泣いた。
「暗がりで、数人の若い男たちの姿が見えたわ。
ならず者を雇って、せめて死体だけは返してやろうとでも言うつもり?」
ニナイが女を説得した。
「待て、早まった考えを持つものではない。
王は、お前の家を御存知ないのだぞ?
なにより、妃自身がお前の所在を御存知なかったのだ。・・・おかしいではないか。」
しかし、女にはもはや、何を言おうと通じなかった。
「・・・私は忘れないわ。この仕打ちは忘れない。」
女は繰り返した。
名も言わぬ妃の妹を、王は勅命を使って放免した。
誰もが、その危険を訴えた。




