第六話
「馬鹿な・・・、王宮にはまだ、逃げ遅れた者が多数居るのだぞ・・・!」
「そのような者に構ってはおれません、王よ、御英断を!
王国の危機なのです!」
カラルに続いて、ラマダも言った。
「国王陛下、貴方様の一言で、兵士の士気が変わるのです!
裏切り者どもに、死の鉄槌を!
完膚無きまでに叩き潰す事のみが、王国に平穏をもたらすのです!」
事情を未だ知らぬラルフには、彼等の望むままに行動する以外に、出来る事などなかった。
「・・・解かった・・・、そちらの言うままにしよう・・・」
王の苦渋の返答に、即座にカラルが動いた。
まだ歳若く、王よりも少しだけ年上だった。けれど、苦労知らずの王に比べ、10は上に見えるほどの落ち着きを持っている。もう一人の側近ラマダは歴戦の勇者、引き締まった体の至る所に武勇の跡が見える。
二人は王を誘い、木立の向こう、開けた台地に集結した全兵士の前へ立たせた。
若き王は、声を限りに叫ぶ。
「皆! 王宮を汚せし者どもを討ち滅ぼすのだ!
我が威光は未だ衰えぬ事を知らしめよ!!」
歓声は、怒号となって、王宮へと雪崩れた。
・・・クーデターは半日で終結した。
ニナイと対峙した不運の近衛数十人が死に、多くの負傷者が出たが、比較的すみやかに制圧された。平穏なこの国初のクーデターは、このようにあっけない幕切れとなる。
当初、黒幕と思われた二人・・・ガルバとザルディンは、さすがに証拠など残さない。
捕虜となった誰に聞いても、この二人の関連を示す証言は得られなかった。
煙のくすぶる王宮の城壁を眺め、ラルフは焦燥の念に駆られる。後宮の女達にも被害があったと聞いたが、正妃シエナの無事は未だに確認されない。
立ち尽くす若き王の元へ、次々と報が寄せられた。
兵士たちが、続々と王の前に跪いては詳細を告げる。
「街への被害は最小に食い止められた模様です、神殿地区の被害報告をお待ち下さい、」
「地主頭と武器商のウセルを捕えました、逃亡中の商人どもも、必ず捕縛致します、」
それらの報告に、王は小さく頷いた。
兵士たちには威厳の衰えぬ様を演じてみせ、そうして後ろを振り返った時には深い憔悴の翳りをその顔に浮かべている。蒼褪めた美貌が側近に問う。
「・・・妃の無事は確認出来ぬのか?」
狼狽の色を隠さず、王は馳せ参じた側近たちを問い詰めた。
どうして誰も、シエナを連れ出して逃げなかったのか・・・、王は苛立っていた。
ニナイが辛うじて救い出されたという報告が入る。
重症を負い、医師の元へ運び込まれたらしい。
軍部相カラルが告げる。
「軍の不満分子と近衛団が、王族の一部と結託したのです。
ラルフ様の兄、バーリア様とミルア様は混乱の中で死去されました。
皇子たちが相次いで亡くなられると、戦線は崩壊、我が軍が勝利を収めました。
・・・おそらく、お二人が中心かと・・・。」
ラルフは無言で頷いただけだった。
疑問を口にする事は憚られた。二人の死に様は、どんなものだったのか・・・おそらく、兵士によって斬り倒されたに違いない。
敵とはいえ、皇子を殺傷したのだ、その者は褒美どころか重罪に値する。
ラルフはこれを不問とし、それ以上の言及を避けた。
「・・・弟は・・・、セフはどうした?」
「逃亡中で御座います。しかし、兵を差し向けております、吉報をお待ち下さい。」
カラルが跪き、答えた。
「あれは首謀者の一人だ、必ず捕えよ!
無理とあらば、殺してもよい!」
王の許しが出たことで、部隊は俄然、色めき立った。
それだけセフは、多くの者に疎まれてきたのだ。
「ウセルら二人を拷問に掛け、首謀者どもの名を聞き出すのだ!
・・・一人も洩らさず捕えよ! でなくば、追放せよ!」
王は人が変わったように、厳しい命令を次々と出した。自身の甘さが引き起こした今回の事件が、骨身に沁みていた。
ザルディンとガルバが遅れて参じた。
「御無事でしたか、国王!」
「裏切り者どもはどうした! 追っ手は差し向けたのか!?」
二人は口々に言葉を発しながら、王に近付いた。
ラルフは呼吸を整え、二人に対峙する。
「・・・遅い出仕だな。
会議が長引きでもしたか?」
国王の一言に、ガルバは顔色を変え、ザルディンは押し黙った。
自分たちの命が、首の皮一枚で繋がっている事を思い知らせる一言だった。
セフがクーデターに加担していたかと言えば、決して関わりなどなかった。誘われて、会議らしき集いに参加はしたが、それが何の集まりかなどという事に関心はなかった。
疎んじられる身が、時折、そうして招いてもらえる事が嬉しかった。
それが自身を陥れるための罠だとも、気付く事はなかった。
「皇子、こちらへ!
抜け道があります、岩窟神殿から外の国へ逃げ延びて下さい!」
年老いた門番が、雑役倉の影から手招きしていた。
何か言おうとする皇子の手を掴み、門番は素早く辺りを見廻すと裏手へと引っ張った。
「ここからお逃げ下さい、まっすぐに、途中の二辻は右へ。」
そして、セフを穴の中へ突き落とした。
穴の底にはわずかばかりの地面があったが、転んだ拍子に膝を擦り剥いた。
見上げると、穴から射す日の光りは徐々に欠けてゆき、やがてセフの視界は暗闇に閉ざされた。穴を塞がれてしまったのだ。
セフが今、出来る事と言えば、この暗闇を歩く事だけだった。
絶望が、支配していた。
何も知らなかったのは事実だ。しかし、どう言い繕ってみたところで、誰も信じるはずがない。
クーデターが失敗に終わった時、多くの商人や地主が逃げ出した。
皇子は逃げなければならなかった。
王となった兄は、決してこの弟を許すはずなどないと知っていた。
そして、現実に、新しい王は弟を許す気などなかった。
「セフはまだ見つからぬのか?
・・・妃は?」
王は落ち着いた声で報告を促す。けれど、その目は尋常さを無くし、前へ引出された臣下は怯えた。この王の中の魔族の血を、臣下たちは恐れた。
情報が交錯した。
ある者は、瓦礫の山に潰されようとする王妃の姿を見たと言い、ある者は、二人手に手を取って王妃と弟君が逃げる姿を見たと言う。
カラルは堪らず、王宮内に緘口令を強いた。
そのために、後、真実は長く知られぬ事となる。
クーデターの終焉より、十日が過ぎた。
「国王、魔道士ギルドより結界の呪印が届けられました。
・・・しかし、このような物を何に?」
呪印は魔法陣を描く為に、当時、必要とされた書物で、元を正せばあの時、冥界神の神殿から持出された書物の中に書かれていたものだ。
巡り巡って、魔道士ギルドの研修所で洗練され、見事復活した契約魔法の一つだった。
これを使えば、今までは不可能とされた魔族の侵入をも、防ぐ事が出来る。
・・・それほどに、強力な結界の陣を描く書だった。
カラルの疑問に、王は危険な笑みを浮かべて答えた。
「弟を閉じ込めるため、必要なのだ。」
この時の、国王ラルフの精神状態は正常ではなかった。
長年、蓄積されたものが、堰を切ったように溢れてしまっている。
王は命令を変えた。
「弟を殺してはならぬ。・・・必ず、生かして我が前へ引き出せ。」
・・・母が愛した弟を、自身のものにすることが、唯一の、救いであるかのように感じた。
人々が忌み嫌う弟の目。夜に輝く、蒼い月と同じ・・・狂気の色だと誰かが言っていた。
確かにそうかも知れないと、兄王は思う。
全ての運命を狂わせたのが、この弟であるような気がしていた。
あの美しい月の瞳を、損ねないよう、閉じ込めて、二度とは外界に出さぬと誓いを立てた。
もう、誰の目にも触れさせぬ、と。
一度たりとも振り返る事のなかった母への、復讐だったのかも知れない。
「妃は・・・シエナはまだ見つからぬのか・・・?」
憔悴しきった表情を見せるのは、決まって王妃の安否についての報告の時であった。
この時の王は痛々しく、誰もが目を伏せるほどだった。




