第五話
王は、疑心のあまりに妃を結界へと閉じ込めた。
術者が呼ばれ、王妃を閉じ込めるために結界を張った。・・・それは、本来、重罪を冒した犯罪者を封じるための職であり、その者自身、王の寵妃を閉じ込めると知って、たいそう驚いた。
同じ術で、弟までも閉じ込めようとしたが、残念ながら、弟の魔力の方が勝っていて、それは出来なかった。セフの為に呼び寄せた術者は、半死半生の呈で逃げ帰ってしまう。
王は知らない。
母の違う兄弟たちが、自分と弟をどのように見ているのかを。
ここに、密かに杯を交わす二人の男がいる。
一人は大柄で、逞しい戦士。もう一人も、細身ながら頑強な肉体を誇っている。
二人共、髪は赤く、赤ら顔だ。王宮の血筋らしい整った上品な顔立ちをしていて、むしろ、釣り合いが悪い。眼光は鋭かった。
若き王より幾らか年上の兄弟のうちの二人だ。
義兄のバーリアとミルアは同じ腹から産まれた兄弟だった。本来、次の王と定められていたのは、このバーリアだった。
・・・それを恨んでいないと言えば嘘になろう。
しかし、多くの妃を抱えるハーレムにおいては、皇太子などという席は、空手形以外の何物でもない。国王の気持ちひとつで、次期国王の指定は変わってしまう。
国王が寵愛した妃の子供が、皇太子の席に着く。
現に、バーリアの前には、その腹違いの兄の一人がそこに座っていたのだから。
・・・それをどうこう言うつもりなどない。
結局は運命なのだ。自分の頭上には、はなから王冠が無かっただけのこと。
だが、この生真面目な義兄は、この国の行く末を誰よりも案じていた。
この国のためならば、と、命を差し出す覚悟さえ出来ていた。
・・・そして、それを証明してみせた。
「ミルアよ、亡き父と母には誇りを持って会いにゆけるぞ。
我等の成したる事、決して間違ってはいない。」
「もちろんです、兄上。
災いを呼ぶ、あやつだけは・・・元凶だけは取り除けるはず。」
二人は互いに頷きあった。
魔族の血は、多くの人間の考えを変えるに充分な脅威であった。
ある者は心奪われ、ある者は警戒し、ある者は野心を抱いた。
「ガルバは危険な考えを抱いている。・・・それを思わせたのも、あやつだ。
忌まわしき魔族の仔、どれほど、この国を窮地に立たせれば気が済むのか・・・。」
若き王は知らない。
王の実弟、セフが、黒い陰謀の渦を招き寄せる元凶となった事を。
その強過ぎる魔力が、災いであった事を。
「ガルバは魔族との契約を進めているらしい。ザルディンが目を光らせているとは言え、油断ならぬ奴だ・・・、いつ、この国を売り渡すやも知れぬ。」
「兄上。闇のギルドとの取引は、本当に・・・?」
ミルアは兄に問い掛けた。
闇のギルドが、恐ろしい犯罪組織だという事は誰にでも判る。その組織との取引を、兄のバーリアは進めているのだ。
事もあろうか、この国の皇子をギルドに売り、代わりに邪魔となる最大の人物を暗殺させるという取引だった。街の商人達を牛耳る仲買い頭のダナスという男がそれだ。
ターゲットにされたのは、もちろん、厄介者のセフだ。
「しかし、兄上。あやつの魔力は桁が違いすぎます。・・・どうやって、捕えると言うのですか?」
「この薬を飲ませるのだ。
・・・ギルドの者が置いていった。」
バーリアが手に出したのは、小さなガラス瓶に詰められた黒い液体だった。
ミルアも興味深げに見つめている。
「強い麻薬だ。これだけの量をひと息に飲めば、純粋の魔族であっても中毒に掛かり、薬なしではいられなくなる。・・・これを、飲ませるのだ。」
ミルアは目を見張り、息を呑んだ。
黒い麻薬。・・・それは、噂だけは聞き覚えのある、『暗殺者の血』と呼ばれる薬だった。
「セフは我等を信用している、珍しい飲み物とでも言えば、信じて飲み干すだろう。」
皇子はまだ15歳。
甘やかされて育ち、この世の仕組みも理解はない。
闇のギルドの一系列である、アサシン結社。その構成員たちは、全てがこの薬の常用者であり、強い麻薬の中毒に罹っていると言う。
薬のためなら、どんな事でもやってのけ、薬の為に生きている。
そして、この薬は常用する者の精神を高揚させ、限界以上の力を引出す効用もあるのだ。
「・・・恐ろしい薬だ。
これは、アサシンを作るためだけに開発されたものなのだ。
殺戮の本能を高め、理性を麻痺させる。神経を研ぎ澄ます代わりに、命を削るのだ。」
通常の麻薬のような陶酔はない。だが、もっと厄介な・・・無敵という幻覚に溺れる。
この時代のアサシン達は、皆、短命だった。
後に、薬に代わって洗脳術が、ほどなくアサシン結社の主流となる。
「結社からの使者は、セフを欲しがっている。
・・・あれほどの魔力を持つ者は、ドラゴンくらいだそうだ。」
憎々しげに、バーリアは言った。
「ドラゴン・・・」
ミルアは絶句した。
魔族の頂点といわれるドラゴン種。それが、どれほど恐ろしい魔族なのかは、数々の伝奇が伝えている。
「あやつが暴走するのは目に見えている。
兄弟でありながら、あの二人の憎悪はどうだ?
・・・いずれ、衝突は免れまい。」
この国に、魔族の血は稀であった。混血同士が本気で争った時、どれほどの被害を受けるか・・・バーリアは、その点を危惧している。
この国は、人間の国。
魔族の手に渡すものか・・・、そんな思いも強くあった。
「ですが、兄上。・・・もし、万が一、あやつを取り逃がした場合・・・闇のギルドは黙ってはおりますまい、その時はどうなさるのです?」
「・・・案ずるな、俺とお前が殺されるだけだ。」
暗い目でそう答えた兄の言葉に、ミルアも覚悟を決めた。
契約の不履行は、依頼者の血をもって贖う。・・・それが、アサシンの掟。
「我々だけではない。
兵士たちや近衛にまで、不平を抱く者はいる。
・・・そう長くはないぞ、現王の治世もな。」
バーリアの言葉を裏ずけるように、ラルフの悪癖が表に現れ始める。
若き王は人一倍執着心が強く、望むものは手に入れずにはいられないという性癖を現わした。
他人が、大切にしている物ほど、欲しくなった。手に入らない物を欲しがった。
最初のうちは、側近のニナイや妃のシエラが、それを押し止めた。
旅の途上に立ち寄った冒険者から、類稀なる宝冠を見せられればそれを欲し、胡散臭い行商人から世にも珍しいと触れ込まれれば、猫のミイラであれ褒賞を与えた。
ただでさえ、逼迫した財政は窮状を示す。
けれども、財相のザルディンは何も言わない。・・・むしろ、焚き付けるかのように、商人たちを引き込んだ。もともとが疑心のない王の事、臣下を疑う事も知らない。
新しい王のそんな様子に、臣下達がいつまでも、諾々と従っているはずなどなかった。
来たるべくして、その時は訪れた。
「王よ、お退き下さい! ここは私が食い止めます、お早く!」
印を結び、鋭い声でニナイは王を促した。
黒魔法、時間と空間へ干渉し歪みを生み出し、負のエネルギーを作り出す危険な攻撃魔法を、ニナイは練っていた。王宮の広間がレンズのように丸く歪んで見えた。
プラズマが幾筋と、その歪みの中に走っていく。
「オン!」
声と共に放たれた一撃は、広間へ殺到した若い近衛達に向けて走ってゆく。
炸裂。
床や壁を抉り、近衛達の身体を引き千切って、衝撃波は渦を巻いて消えた。
再び印を結ぶ。通常の混血であるニナイには、これほどの魔法を扱う能力はない。そのため、命を削って魔力を練った。
練る間に隙が出来る。
飛来した槍が、宰相の腹を貫いた。
「ニナイ!」
「・・・は、早くお行きなさい、
早く王を! 安全な場所へ!」
留まろうとする王は、味方の兵士に引きずられるようにその場を逃れた。
裏切りの兵たちは後から後から、増えてゆく。
ニナイは、自身に殺到してくる刃もろとも、第二波を放った。
地響きと轟音、かろうじて側近の生を信じ、王は城を逃れ出た。
そこには近衛隊長のラマダと、軍部相のカラルが控えていた。
「よし、国王の御無事は確認した! 総攻撃!!」
王の言葉を待たず、砲撃が始まった。
・・・ラルフは王としての無力さを再度確認する事となった。




