第二章 第一話
ルシーダの消息は不明だった。
塔の高層から転落したが、奇跡的に生き延びている。
途中の階に、鎖鎌の分銅を投げた。鉄で出来た球体には無数の棘が植えてあり、これが敵の頭蓋を叩き割る。同じ要領で、塔の壁に穴を開けて引っ掛け、体重を支えた。
鎖を胴に巻き、とりあえずは朝を待つことにした。
死者も偽の皇子も気付いてはいない事が幸いだった。
そして、ルシーダはそのままイビキをかいて寝入ってしまった。
ジリジリと日差しが肌を射す。
「う・・・ん?」
ルシーダは目覚めてすぐには、状況を把握出来なかった。
ああ、そうだった、と納得するのに少し掛かった。鎖を手繰り寄せ、壁に取り付いて下を眺めた。
慎重に降りてゆけば、この下に見える階段に降り立つ事が出来そうだった。
煉瓦の隙間に指を差し入れ、慎重な上にも軽いフットワークですぐに下の階へ降りる。
「・・・さて、と。
あの野郎はどこ行っちまったかな?」
左右を見渡す。人影一つ、なかった。
上へ進むか、下へ降りるか・・・。ルシーダの選択は「下」だ。
上には例の魔法陣があるのは判っていたが、どうせ、何も出来はしない。魔法は魔法、セフかナッツの手を借りるしかないのだ。
ここはひとまず、王宮へ戻るほうが得策だという判断だった。
その王宮から、逃亡の罪で、自身に追っ手が掛かっているとは露ほども知らない。
「生きて戻って、偽者の驚く顔でも見てやるか。」
口調も軽く、階段を降り始めた。
王宮へ戻る途中の街道で、ルシーダは追っ手を掛けられた事を知った。
行く手を阻むのは二人、前に居る男を拳で殴り倒して王宮へと向かった。
「ちょっと、王さん居るかい!!
無理やり連れてきといて、翌日にはお尋ね者とは、どういう事だい!?」
護衛兵などものともせず、ルシーダは王の寝所へ怒鳴り込んでいった。
「あ?!」
その場に居たのはナッツだ。
「生きて、いたのか・・・?」
そして、昨日の偽者・・・。驚いたような顔で、ぼそりと呟いた。
「王様! あんたはよくよくボンクラだねぇ!
そいつがセフなもんかい! 真っ赤な偽者だよ!!」
怒り心頭、ルシーダはキレて吼えかかった。
「・・・セフ?」
信じられない、といった表情で、アルザス王は弟を見た。
「くっ、くっくっくっ・・・・」
弟と信じた人間が、小さな笑い声を漏らす。
「あはははは!」
否定もせずに、笑い続けている。
「セフ!」
王は堪らず、叫んでいた。
ぐにゃり、顔が歪んで別のものになった。
黒髪の女だった。
「お、お前は・・・」
うめくように、王が呟き、女は凶悪な笑みを浮かべる。
「お久しぶり・・・、成り済ましている内に、向こうは片付くかと思ったけど、・・・順番が変わったようね。所詮ヴァンプじゃ、この程度ってコトかしら?」
女の後ろに薄い影が立つ。
「これはこれは、獲物が三匹も・・・嬉しい限りだ・・・。」
ヴァンプは女の背後を取って、勝ち誇ったようにそう言った。ナッツとアルザス王、それに、この黒髪の女もヴァンプには獲物の一匹だった。
「残念ね。私はおいとまするわ。」
ヴァンプの牙が白い首に突き立つ瞬間、女は煙のように掻き消えた。
ヴァンプの行動は素早い。女に逃げられた次の瞬間には、ナッツの隣りへ移動している。
ルシーダの鎖鎌が唸った。
チェーンを潜り、今度はアルザス王を狙う。
王はベッドの中だ。印を切り、掌をかざした。
バチッ、
ヴァンプが弾け飛んだ。シールドが襲撃を防いだものの、即効性の魔法はその場限り。そこへヴァンプの第二派が来襲する。
王の首筋に深々と牙がめり込む、ナッツは荷解きももどかしく、剣を抜き放った。
光が溢れる。
王を捉えた事が、ヴァンプの命取りとなった。
一刀、ヴァンプは縦に真っ二つ。
ぼふっ、
一同の頭上へと、魔物の破裂した後の、白い灰が降り注いだ。
「・・・驚いたね、一撃かい?」
「クソ重てーったら!」
よろめくナッツの腕を、ルシーダが支えてやった。狙ったと言うより、偶然だろう。
ただの一刀で仕留めたのは、腕よりむしろ、聖剣の力が魔族を上回ったからか。
「魔族の灰は、残らず掻き集めて風に飛ばしてしまわねば・・・。
城内で復活されては面倒になる。・・・よくぞ、この危機を救ってくれた、礼を言う。」
衛兵に指示を出し、改めてナッツとルシーダには深く頭を下げた。
「い、いや・・・、そんな改まってもらっちゃ照れるよ、」
「そーだよ、仲間の兄貴なんだし、当たり前の事しただけだって!」
医師が傷を調べるために、仰臥を促し、アルザス王もそれに従い、そして、改めて深い溜息をついた。弟は、知らない間に成長し、仲間たちと巧くやっているのだろう。自分が思う程には酷い暮らしではないらしい・・・。王は、一抹の寂しさを覚えた。
人々がせわしなく床や調度品の掃除をしている。
これらの灰はすべてヴァンプの肉体だったものだ。
「ま、ヴァンプがいくら不死身っつってもー? 灰になっちまったら、復活には五百年は掛かるって言うしー? ・・・その頃には誰も生きてねーから、契約は失効だよなー!」
小柄のドワーフとアマゾネスが大笑いした。
「さて、と、王様。
聞かせてもらいましょうか? あんた、あの女の知り合いみたいだったね?」
いきなり核心をつくルシーダの質問に、場の空気は一変した。ぴん、と緊張が走る。
王の表情が、にわかに曇った。
「ヤツは王様だけじゃない、あたし達の仲間も狙ってるんだよ、教えてもらわないまま引き下がれないからね。」
「そんなキツイ言い方すんなよ、王にとっちゃ、セフは大事な弟なんだぜ?
しかも、今の今まで騙されてたんだ、ショックが強いのは当たり前だろ?」
最年長らしく、ナッツがルシーダを嗜めた。
王はショックを受けていた。しかし、それは弟のセフが偽者と知ったからではなかった。
「・・・彼女は・・・、私がもっとも愛した妃の妹だ。
姉の生涯を、不幸なものだったと信じ込んでいるのだ。・・・私は妃を愛したが、妃が私を愛したのかは、答えようのない質問だ。私がそれを知るより先に、妃は私の元から消えた。
妃・・・シエナは・・・弟と共に姿を消し、そして、次にまみえた時には・・・。」
最後の言葉を聞く必要はなかった。
それでも王は、意を決したように、後の言葉を綴った。
「五年前、クーデターの制圧後、二人を探索した。ほどなく、妃だけが発見された。
惨たらしく・・・腹を裂かれて、・・・秘密裏に犯人を探索したが、手掛かりもない。・・・妃が変わり果てた姿で戻った時、傍には彼女が居た。
・・・私を、憎悪を込めた眼で睨んでいた・・・。」
王は目を伏せ、苦悩の表情を浮かべる。
消えた二人の間に、何が起きたのかは解からない。一緒に居たのか、それともまったく別々に逃亡したのか、・・・第一、逃げたか連れ去られたのかも解からない。
王は再び、おし黙った。
二人の皇子、その出生の頃からの長い経緯を語ろう。
始まりは一人の培養魔族だった。
先王は、有力商人から贈られた高価な奴隷魔族をいたく気に入り、妃の一人として後宮に迎えた。この国には、奴隷や市民といった区別は、ほとんど存在しなかったため、それは容易く実現された。しかし、国王は、妃となった目も眩むほどの美女が、心にどれほどの黒い澱を沈めていたのかまでは見抜けなかった。
奴隷として産まれ、王に出逢うまでに、この女は心の奥に陰惨な暗黒を貯め込んでいた。
奴隷としての日々によって、貯め込まれていったものだった。
女は王の寵愛を一身に受ける身となった。
王は妃に自由を与え、後宮での高い地位を授けたが、妃はそれでは満足しなかった。
妃は心を闇に食われていた為に、人間を呪い、この国を呪い、国王を呪った。
奴隷として産まれた自らの生をも、怨み、憎んでいた。
王の与える愛情は、この妃の中では凍りついてしまうのだった。
やがて妃は望まぬ寵愛の末に、皇子を出産した。・・・それが、現アルザス王・ラルフだった。




