第十話
ナッツが後宮の出入り職人を始めてから、数週間が過ぎた。
フィルからの連絡はまだない。裁判は長引いているようだ。当然、セフへの連絡もまだだ。
しかし、ルシーダの情報は得る事が出来た。
後宮へ収まったその夜のうちに、姿をくらませてしまったと言う。
もしかすると、宿で行き違いになり、先にアルザスを出たのかも知れない。逃亡の罪で、衛兵が探索中だと聞いた。
「アイツがそうそう逃げ出すとは思えないんだけどな・・・」
つい、小声で呟いてしまったものを、女達に聞かれた。
「アイツって誰?」
女達は興味深げにナッツに詰め寄った。
後宮の妃たちは娯楽に餓えていた。ナッツの話を、いつも楽しみに待っている。
ここへ訪れるたびに、ナッツは今までに経験したり聞いたりした数々の冒険談を披露して、女達に取り入る事に成功していた。
「いえいえ、・・・逃げた女房の事なんで。」
悪いジョークで誤魔化して、女達に探りを入れる。
引出せる情報は、何でも手に入れたかった。
「王様に頼んで、宝物庫を開けて貰ったら?
あそこには宝石の原石も、山ほど積まれているわよ。」
品薄だ、と告げるナッツの袖を引き、一人が言うと、他の一人は興味深い話を聞かせた。
「宝物庫の伝承ってものがあるわ。
・・・本当の宝は、宝物庫より雑役の小屋を見よ、・・・なんてね。
あんなところ、使い古した武器や防具が打ち捨ててあるだけなのに。」
「おかしな伝承がたくさんあるのよ、この国には。」
女達は鈴が鳴るように、一斉に笑い声をたてた。
それからしばらく後のこと。
何も、考えがあっての行動ではない。
女達の情報を確かめようと思ったわけでもない。ただ、急に足が向いただけだった。
ナッツは、細工の為の材料を見たいといって、王宮の北にある、倉庫群に出掛けたのだ。もちろん、王の許可も取ってある。
見張りがわりの衛兵が、一人、ナッツの後ろを付いて廻っている。
「・・・このような倉に、どんな宝石があるんだ?」
伝承の、雑役の小屋を漁っていた時に、呆れ顔の衛兵が文句を言った。
「まあまあ、・・・ここだけの話だぜ?
ここの剣を鋳溶かして宝飾品の土台にしようと思ってさ。」
ナッツは口止め料だと言って、兵士に小さな指輪をプレゼントした。
「奥方を喜ばせてやってよ。」
兵士もこれで目をつぶってくれるはずだ。これで、心置きなく獲物を漁れるぜ、とナッツはまた、ガラクタ漁りに精を出した。鍛え直せば使えそうな剣がごろごろしている。
まさに宝の山、だ。
そんな中に、一本の剣を見つけた。
錆びたナマクラにしか見えないが、これが只の剣でない事は、ドワーフの彼には一目で判った。
恐らく、魔法剣。
・・・伝承は、事実だったのだ。
さて、コイツをどうやって城外へ運び出すか、だな・・・。
ナッツは考える。これ一本を持って出るとして、途中であの皇子に出食わしたら・・・。
どうにか誤魔化せる方法を、アレコレ考えて、ナッツは傍の長持ちに目をやった。
半時も経つ頃には、王宮の外を、長持ちを背中に負ってふうふう息をついているナッツの姿が見えることになる。
「巧く行ったけど・・・も少し数減らせば良かったぜ・・・」
長持ちの中身は錆びた剣や砕けかけた甲冑といったガラクタ。
・・・さすがに後宮の中を通る勇気はなかった。
「コイツを土台にする、なんて知ったら、あの妃達、鬼になるだろうな。」
ナッツは自身の言葉に苦笑した。
頭の中はもう、手に入ったお宝の事で一杯だった。
「そうそう、王様に知れちゃならねーんだったな。」
独り言も自然に多くなった。打ち治しはアルザスを出てからだな、などと呑気に考えていたのだが、結局、血には逆らえず、その夜のうちに鍛え治してしまった。
「見せたら取られるって、解かってんのにな~、」
見事に甦った魔法剣の神々しい輝きの前で、また、苦笑を浮かべた。
この高潔な輝き。・・・間違いなく、聖剣。
ナッツは改めて、荘厳な口調を取り、剣に向き合う。
「名もなき剣よ、今、お前に新たな命を吹き込む。
お前の名は、『グラン』だ。」
剣が、ぼぅ、と光を放った。聖剣グラン。
魔法剣を扱える者は、魔族か混血に限られる。これを装備出来るメンバーは、今のところ、セフとナッツの二人だけだった。ナッツは、どちらかと言えば小型の武器が性に合う。ナイフがいつも愛用している得物だ。しかも、この剣ときたら、大きい上にけっこう重い。
セフも、こういった小回りの利かない武器を嫌うだろう。
・・・どうも、これは元から王のものとなるべき剣だったらしい。
また、ナッツは苦笑した。
朝を迎える頃には、立派な装飾を施された、一振りの剣が出来上がっていた。
聖剣の名に相応しい、白と青の宝石を嵌め込んだ。
「セフが居てくれりゃなぁ。魔法を練り込んで、もっと耐性の強い柄をつけられるのにな。」
ナッツには、まだ不充分な仕上がりのようだったが。
ナッツがアテにしていた、そのセフだが、現状で窮地に立っている。
いや、セフにとっては窮地という程でもない。数で面倒な事になっているだけだ。
小雨が降り、足元が悪くなっている。コボルトと、敵の下僕が十匹近く、おまけに日暮れからはゾンビが群で参加してきた。
「シャァァァ!」
血走った目の女は牙を剥き出しにして、セフに襲いかかる。
ドレスは年月を経て色褪せ、埃が舞う。動きは死者たちよりも遥かに素早い。
・・・ヴァンプの襲撃を受けたのだ。
死者を避けて、一段高い岩場へ飛び移る。
追ってきた女を一刀の元に斬り倒した。さらにもう一人。
刎ねられた首が宙を舞った。
影が薄く伸びる、すぅ、とセフの足元へ。いきなり背後に人が立った。
にやりと笑った口元に、鋭い牙のぬめった光。肩を掴み、首筋へ牙を突き立てようとするところを、振り向きざまにセフのファイア・ソードが唸る。
・・・この程度のフイ打ちで、仕留められるほどに、セフは弱い獲物ではなかった。
振り解かれた爪が虚しく空を鷲掴み、炎がヴァンプの頬を掠る。
「ちっ!」
セフの舌打ち。咄嗟に飛び退いた敵に、一撃をかわされた。
すぐさまセフも跳躍し、ヴァンプの背後を取る。
一刀、手応えはしかし、身代わりになった死者の背だった。
群成す死者に紛れ、ヴァンプの姿が幾重に増える。
幻術に罹ってしまったらしい。
「邪魔をしおって、貴様等! まとめて火葬してやる!」
最大火炎魔法が炸裂した。
脂の燃える臭いで周囲は咽返るほど。黒い煙は天を焦がし、大地には、未だ冷めぬ熱気で陽炎が立つ。・・・ヴァンプは瞬間に、無数のコウモリに姿を変えて、火炎地獄を逃れた。
黒焦げの死体が、なおも燃え続けて周囲を明るく照らしている。
声だけが響く。
「ククク・・・、契約は有効だ。必ず、お前達の血を頂くぞ・・・」
最悪の結果を招いた。
ヴァンプに気に入られてしまったのだ。ガルバとの取引に応じると魔族は答えた。・・・セフの魔力の強さが仇となった。
ヤツはもう、別の作戦に切り替えるだろう・・・セフは焦燥に駆られた。
セフの襲撃に失敗し、その力の差を見せ付けられた以上、ヴァンプが取る手段はひとつだ。
・・・セフの兄を襲う。
そうして、魔力を強化した後に、リターン・マッチを仕掛けて来るはずだ。
王が倒れて以来、魔術師達は国を追放されるか、辺境の地へ送られていると聞いた。
おそらく今の王宮には、ヴァンプと渡り合える術者はいないだろう。
兄王も、セフ程ではなくとも魔力を持つ。呪いを受ける身でなければ、ヴァンプなど敵ではない。
目の前に姿を見せるだけで、灰にされてしまうのが関の山だ。
だが、今、王宮に魔力を持つ者はなく、王は伏せっている。
・・・偽者が何を企んでいるのか、少しずつ読めてきた。




