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4.エルマイン子爵家初訪問


「何度も確認してしまう非礼を、どうかお許しください。本当に、我が家の息子を?」


 困惑しきりの顔には、皺と(くま)が染みのようにくっきりとついている。こんなに思い悩ませるような相手なのかしら。

 嫌だと暴れるお父様をなだめすかして連れてきたお母様も、淑女のお顔をさすがに崩しそう。シグちゃん、本当にいいのって顔でわたくしを見ている。

 いいに決まっています。

 わたくしは戸惑うエルマイン子爵に向かって、にこやかに微笑んでみせた。


「もちろんですわ」

「ベルサークではなく? いえ、ベルサークは嫡子ゆえ差し出すわけにはいかないのですが……」


 なんだか百戦錬磨の古狐のような見た目と違って、ずいぶんと気弱な方ですわね。エルマイン子爵領はずいぶんな遠方にあるから、王都の底意地悪い方々に揉まれていないのかしら。

 そうだとしてもおかしくないですわ。

 だって、馬で五日もかかりましたわよ。道の整備をリリネットお姉様経由で頼めないか、今度聞いておきましょう。


「我が娘、シグエスネッタの相手にと釣り書きを送ってきたのはそちらだろう。それをなんだね、君? ん? 問題ある者を近づけようとしたのかね?」

「い、いえ。そんなことは。あの子は優しく聡明です。兄と違った方向ではありますが、出来た子です」

「ほう? 兄君は確かに王太子殿下の側近候補にあると聞くね。つまりその線で? 可愛いシグちゃんを見初めたわけでなく?」


 あっ、お父様がよくない絡みをしようとしていますわ。

 お母様に目くばせすると、すぐにお父様の腕を組んで強制的に下がらせた。ついでに足を素早く踏みましたわね。

 なんて見事な足捌き。わたくしでなければ見逃していたでしょう。


「あなた。そのお話はあとで」

「む、おお……マリアンナが言うのなら。シグちゃん、どうする? お父様たちはとっても大事なお話をするけれど、やっぱりお父様もついていこうか?」


 ついてきてもらってはたまりません。絶対邪魔をするでしょう、お父様。

 わたくしは即座に首を横に勢いよく振った。

 あ、お行儀を忘れてましたわ。取り直して微笑みを浮かべて否定しておきましょうね。よしよし、これは小薔薇にふさわしい淑女の行動。


 ここまでやっときたのです。

 荒ぶるお父様をなだめすかしあやし、連絡をして。早く成立することを祈るように日取りを決めて。

 両手の指を折りまげて数える日々がこんなに待ち遠しいとは思いませんでしたわ。

 チェッタもわたくしのこれまでを知っているからこそ、幾分か優しい見守る目をしている。そうに決まっています。


「ご案内はわたくしがいたします。こちらへ、グラシュープ伯爵令嬢」

「ありがとう存じます」


 あら。わたくしの探し求める男はお母様似ですのね。エルマイン夫人の髪色も目も同じですわ。

 それにしても、伯爵家のお城とくらべると小さくまとまったお屋敷ですこと。

 使用人の数もこの規模なら多くなくてもいいのね。これなら監視の目も少なくてやりやすそう。伸び伸びして良い環境ですわ。

 まったく、お父様もお父様だわ。このお屋敷や夫妻の様子、使用人たちを見れば善良な貴族家とわかるでしょうに。

 いえ、あれはわかってやっていましたわね。お母様がどうにかするのに期待しましょう。

 下品に見え過ぎないようにあたりを観察しつつ、チェッタを伴って木目が美しく揃った廊下を通る。あたたかみのある建築は嫌いじゃありませんわ。


 しばらくすると夫人は、一室の前で立ち止まり「こちらです」と扉を示した。

 何の変哲もない部屋の扉。艶消しをした木製扉に銀色のドアノブ。シックでいいではないですの。

 チェッタが代わりにノックをして入室の合図を送ってから、静かに開く。

 部屋は……ぱっと見た限りは、ごく普通の居室ですわね。応接間みたいな豪華さはないけれど、まあ、簡素で質素なのは悪いことではありません。

 埃も舞わない清潔さも、わたくしを歓迎するかのようなささやかなお花の花瓶もいい感じではないですの。

 顔に出ないようにして、わくわくする気持ちを抑えて部屋に踏み入る。


「では、わたくしはこれで」

「ええ。お話合い、存分になさってくださいませ。大事なご子息様をお借りします」


 にこやかに言えば、虚を突かれた顔をしてエルマイン夫人はぎこちなく笑う。おかしいことを言ったつもりはないのだけれど、まあしょうがありませんわね。

 なにせ、我がグラシュープ伯爵家は古参の有力貴族。ミュステラー公爵家とも縁が深い、伯爵家の中でも名門中の名門ですもの。

 それにわたくしの評判も合わされば当然のこと。きっと当の彼も委縮していることでしょう。


 部屋の中心。

 向かい合わせのソファが一対ある。その奥にほっそりとした男の子が緊張しきりの様子で座っている。

 わたくしが近寄ると、ぎくしゃくした仕草で立ち上がった。伸びて一つにくくった細い尻尾のような髪が揺れる。

 ああ、この方です。


「お初に、御目にかかります」


 か細い声。

 声変わりをしていないにしても弱弱しく、自信がなさそう。数名壁に控えた使用人たちへ、助けを求めるような視線を数度。

 ……なんだか思っていたのと違いますわね?

 ですが泥をかぶったような茶色の髪も、深い緑の目も、頼りなく下がる眉の顔つきも変わりありません。気を取り直して、まずは挨拶からです。


「ええ、ごきげんよう。わたくし、シグエスネッタ・グラシュープと申します」


 そちらも名乗りをどうぞ。そんな意味をこめて、さらに数歩近寄り、相対する。

 深緑の瞳がうろっと彷徨ってわたくしを捉える。震える唇で怯える子ウサギみたいに言葉を紡ぐようです。


「どうも、のぇる、く……エルマインです」


 ノエ? なんですって?

 名前は出会う当人の口から聞きたいから楽しみにとっておいたのに、これではよく聞こえませんわ。

 いいえ、待ってちょうだい。ノール、そう、ノールと言ったのよ。

 わたくしはにっこりと微笑んだ。


「まあノール。よろしくね」

「の、ノエルクです!」


 ちがいましたわ。

 口元で名前を転がしてみましょう。ノエルク・エルマイン。

 まあ、ノールのほうが口に馴染むし、いいのではなくて?


「わかりましたわ。ではノールと呼びますわね」

「えっ、ええ……はい、どうぞ」


 年のころは十歳ほど。この年頃ですでにわたくしより細長いのね。背が高いのは素敵ですわ。将来の姿も背が高くっていらっしゃったもの。

 ただし背筋こそ伸ばしても、動揺して油断すると肩が丸まってしまうみたい。いけませんわね。ビシッとしていただかなくては。

 この方には果たさねばならぬ責任があるのです。

 ですが、その前に。


「チェッタ、人払いを」

「お嬢様、ですが」

「部屋の前で待っていて。大丈夫、この方はわたくしが見込んだ方です」

「見込んだとは、いつ……? いえ、わかりました。お嬢様がそう仰るなら」


 もの言いたげなチェッタに、これまでの出来の良かったわたくしの成果で黙らせる。これが磨いた淑女力の為せる技です。

 何かあればすぐに声をかけるよう頼まれたので鷹揚にうなずいておく。渋々ですが、チェッタが子爵家の使用人たちを連れて退室した。

 パタン、と扉が閉じる音。これで人払いは完了です。


 さあ、思う存分話せますわね!

 改めて向き合うと、ノールはさらに緊張した様子。気にかけ過ぎても埒があきません。さっさと話を進めてしまいましょう。


「わたくしのことはシグと呼んでくださいませ。さてノール。わたくしにしでかした責任をとっていただきます」

「なんの話を?」

「結婚しましょう!」

「あの、シグエスネッタ様、本当になんの話を!?」


 驚愕に見開かれた瞳はきゅっと小さくなる。

 こういう瞳、絵物語で見ましたわよ。三白眼というらしいですが、そういうところも珍しくてよいですわね。カシュロお兄様や殿下みたいなきらきらバサバサは見飽きましたもの。


「いやですわ。わたくしにこれを差し出したのはあなたでしょう」


 わたくしが首元のチェーンをたぐって、胸元から懐中時計を取り出すと、ますますノールは奇妙な顔をする。

 褪せた金メッキがざらりと指先を撫でる。あの時ぎこちなく動いていた時計の針は、今はしゃんと動く。これだけ近ければ音だって聞こえるはず。

 これですわよ、とノールの前に見せてもその顔は変わらない。いいえ、むしろますます変なものを前にしたようにわたくしを見てくる。


「あの、シグエスネッタ様、まったく意味がわからないのですが。そのようなチェーンをお渡ししたこともないです」

「見えないの?」

「いえ、チェーンは見えますが」

「見えていないの!?」


 なんてこと。

 ノールが懐中時計を見えないなんて。ではあの時、夜に見た男はノールではなかったのかしら。

 いいえ、シグエスネッタ、そんなはずはないわ。だって、面影がそっくりなのだもの。

 けれど焦りは、淑女の仮面をかなぐり捨てるには十分。ついノールに詰め寄って、顔のすぐ近くまで懐中時計を押し付ける。

 ノールの視線は懐中時計に向かない。背伸びをしてそれを押し付けるわたくしの手や、必死だろうわたくしの顔ばかりにある。

 それならあの時の言葉は? わたくしに託したその意味は?

 腹立たしくって、思ったことはつかえることなく口から飛び出す。


「あなたねえ、あの時、私のことバグとか変動とか言って! そもそもバグってなんですの?」

「だから! 本当に何の話!? それに」


 ノールが数歩下がって、口をつぐむ。

 顔色は白くなって、慄いたように呟いた。


「なんで君はその言葉を知っているんだ?」



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