3.釣り書きと思惑
雪辱をはらさでおくべきか。
わたくし、やるといったらやる淑女ですの。
ミュステラー公爵家のガーデンパーティー後、三度目となる教育も抜かりなくこなしてやったわ。
記憶は残っていても体も以前の通りというわけではありません。一から鍛え直して、むしろ、五点着地が可能になるくらいの体幹を得るために、励みに励んだのです。
一年でお行儀や基本的な勉強はすべて終わらせ、淑女の外面を手に入れた。
二年目には、わたくしを逸材と見抜いたお婆様によりさらなる教育が始まった。
今思い出しても背筋が寒くなりそう。お婆様はやはり教育のオーガ。
三年目。ひそかに続けた体力作りにより、片足立ちを数時間続けても大丈夫になった。まあ、階段落ちは挑戦できなかったけれど、体力がついたのは良いことです。
そして、四年目。
わたくしは八歳となった。
小さなよちよち歩きの幼子から、小さなレディへとなりましてよ!
これまで以上の体力、知識、振る舞い。それにお友達。
あの時に顔を合わせたおかげでか、ペペルたち経由で女の子と遊ぶ機会が増えた。以前にはなかったことに戸惑ったけれど、交流が増えるのは悪いことではないはずだわ。
わたくし、おかげさまで『グラシュープ伯爵家の稀なる小薔薇』と称されるのです。
皆様、わたくしのスゴさがわかったようですわね。
当然の結果でも、研鑽の結果が褒められるのは嬉しいものです。
──そしてその副次的結果として。
今、わたくしの目の前には小山となった釣り書きがあるのでした。
伯爵家の居間の一つ。そこへお母様に用があると連れてこられましたが、このことでしたのね。どうりで朝から機嫌がよかったのね。お父様のご機嫌が斜めだったのも原因がわかりましたわ。
「シグちゃん、すごいわ! こんなに貴女に会いたいという人がいるのよ」
興奮冷めやらずなお母様が、うきうきと釣り書きを見せる。
侯爵家の方ですわね。さすがの品の良さがわかる釣り書きの絵画ですが、これ盛っていますわ。本人はもうちょっと腫れぼったい目ですわよ。
「カシュロ様と婚約はしないと言いだしたときはどうなるかと思ったけど、シグちゃんなら選り取り見取りね」
これはどう? とお母様が次の釣り書きを見せてくるのを、笑顔で首を振って否定する。でもお母様の機嫌は良いまま。
ええ、ええ。わかります。
わたくしも機嫌が良いのですもの。
多少のことはどうだっていいの。この中にわたくしが探し求める男がいるかもしれないのですからね。
「おすすめはミュステラー公爵家に連なる方か、我が家を支えるに値する方だけれど……シグちゃんなら、それもわかっているのよね」
「もちろんですわ、お母様」
にっこり。表情筋を四年間と鍛え抜いた淑女の微笑みは完璧ですわ。
わたくしの言葉に、お母様は「そうよね」と安心されたようです。
「あら、この方は? 高貴な血筋を汲む子らしいわ。今でこそ子爵家ですけど、どうかしら」
お母様が美しい子よ、と勧めてきたのはあのアーヴス。
おのれ、ここでも出てくるのね。
というより高貴な血筋? あれかしら、侯爵家か辺境伯、あるいは隣国の高位貴族かしら。
ともかく。歴史があっても血が確かでもダメなものはダメですわ。
もちろん即座に首を横に振る。それ以外の選択肢があってなるものですか。
「お母様! この人、なんだか意地悪そうだわ」
「そう? なかなか見れる容姿だと思うのだけど。ほら、殿下のような金髪ですよ」
「わたくし、お母様やお父様みたいに優しくて包み込んでくれるような方が好みよ。だからわかるの。ね? 他を探しましょう」
あくまで軽く。茶化す風に。
お淑やかに言ってみせれば、今回のわたくしの淑女ぶりを見ているお母様は「そうねえ」と釣り書きを置いた。
後で跡形もなく燃やせないかしら、あれ。
睨んだのを誤魔化すために、残っている釣り書きの小山へと視線を向けて聞いてみる。
「お母様、わたくしも見てよろしいかしら」
「ええ、他ならぬシグちゃんのお相手ですもの。しっかりと見てちょうだい」
「はい、では」
探す手は優雅に。けれど探る眼差しは厳しく!
そそと寄って、上から順に手をかける。
いくつもの小山となった釣り書きを容赦なく千切っては投げ、次へと進む。
ああもうどれもこれも似たようなもの!
当世風の煌びやか盛な似顔絵に、飽き飽きしてくるくらいになった頃。
そうして、とうとう! 他の釣り書きと比べると明らかに簡素な出来栄えの似顔絵つきの釣り書きが現れた。
「これは」
いつぞやの記憶の貴公子と似た顔です。
他人の空似、いや見間違い。そんなことはあり得ない。
暗い森での出来事でも、ガーデンパーティーでも、あの階段落下で見たときも。それら全てを、わたくしはよく覚えている。
ターゲットに一度した相手を忘れるわけがありませんわ!
「……いましたわ!」
家名はエルマイン。お婆様の追加教育で学んだ今のわたくしにはわかります。
地方貴族でありながら、王家の覚えがめでたい伝統的な子爵家。
「お母様、お母様! この方は!?」
「あらシグちゃん。その家は……ちょっと妙だったのよねえ」
「妙とは?」
釣り書きを抱きしめて聞けば、お母様は困ったように片頬に手を当てた。
「送ってきたわりに、あまり乗り気ではないみたいで。選ばなくてもよい。ないものとしてむしろ扱ってもらって構わないと言うのよ」
それは変ですわね?
派閥の上の家から命じられたのかしら。
「それに、調べたら変な子と評判らしいわ。シグちゃんに釣り合うかどうか……」
いけない。このままではお母様が反対しそう。
そうはさせるものですか。
「いいえ、この人ですわ。この人! 目つきとか鋭そうに見えるのは、お父様を思わせますし、それに……えっと、落ち着いた色ですわね! いい色ですわ!」
雑でも良いのです。褒めて、褒めて、褒めるのよ。
わたくしの熱意あふれる早口に、お母様は目を丸くさせる。このままいきますわよ。
「ビビビッときましたの! ぜひ、すぐにでも、絶対お会いしたいですわっ!」
これまで淑女の仮面をかぶっていたのも忘れて、わたくしはおねだりをしました。
ここで体面を気にして機会を失う愚か者ではなくってよ。
そんなわたくしの気迫に感化されてくれたのでしょう。お母様は戸惑いながらも了承した。
「シグちゃんがそこまで言うのなら、会ってみましょうか」
「本当ですか!?」
「ふふ、大人びて見えてもまだまだね。お父様にはうまく言っておきましょう」
「お母様、ありがとうございます!」
ああ、楽しみですわ!
もう一度腕の中にある似顔絵をまじまじと見つめる。
やはり磨けば光りそうな容姿。泥のような暗い茶色の髪も、深い緑の目も変わらない。
やっと会える。やっとお話をまともにできる。
ぎゅうと抱きしめて、くるくると回る。
そのまま跳ねながら、わたくしは部屋を辞した。
***
急な尊い来客というのは困りもの。
出来る限り着飾って、早足でカシュロと共に応接室へと向かう。入り口の前には見慣れたお付きの方々。お名前を伺わなくても、彼らがどこの出だとはもう頭に入っている。
ミュステラー公爵家が長子。リリネット・ミュステラーなら、出来て当然のこと。
カシュロも念のためにと教育を詰めこまれているけれど、わかっているのかしら。この子ったら、ちょっと迂闊で抜けているところがあるのだから。
合図を送って室内へと入る。優雅に腰掛けたライヴァニル王太子殿下が、あたくしたちを見るとひらりと手を振る。指先までよくできていること。
「やあ、リリネット。それにカシュロも」
「ごきげんよう、ライヴァニル殿下」
「ご挨拶申し上げます、殿下」
揃って挨拶をすると、ローテーブルを挟んで座るよう促されました。殿下は少々気安すぎます。あたくしに気安くしても良いのは、可愛いシグと家族だけです。
「本日の御用は?」
「うちうちにお祝いにくるくらい、いいと思ってね。君たちは私の代の、重要な臣下だ」
「我が家の花を取りに来たのかと思いましたが……」
そう言ったカシュロの傍に、花束を持った付き人が立つ。殿下の片方の眉が上がる。
「おお、それは嬉しいな。ありがたく持って帰ろう」
「お祝いはカードでもいただきましたわ。十分では」
「それとは別に、文句のひとつくらいつけたっていいと思ってね」
そんなことだろうと思いました。
姿勢を崩して、殿下はにこやかに続ける。
「リリネットにはぜひ、私の弟を薦めたかったのになあ」
「ヴァルトール殿下ですか?」
嫌そうなカシュロの声に、殿下が声を上げて笑う。今日の又従兄殿はご機嫌が良いこと。
「確かに姉上を好いているようですけれど」
「そう。リリネットが公爵家を継いでくれるなら、推せたけれど……継がないんだろう? それに、今の相手が叔父上だからなあ」
「ガームンド殿下と比べるとちょっと……年が近いくらいしか勝てるところがないかと」
「そうなんだよねえ。まさかあそこまで力づくで婚約すると思わなかったよ」
ガームンド殿下のこととなると、この二人は気が合う様子。ガームンド殿下、御年こそあたくしと八つ離れていますが頼りになって素敵なのだけれど……。
殿下は大仰にためいきをついた後で、気を取り直したように口を開きます。
「カシュロが継ぐなら、この間生まれた私の妹はどう?」
「冗談はおやめになって。王家と今代はこれ以上繋がらないと約定がありますわ」
「なんだ。さすがだねリリネット。もう知っていたか」
「あたくしの知識を試すために、こんな話題をしたのでしょうか? 意地が悪いこと」
つまらないと椅子にもたれかかるのは行儀が悪いのではないかしら。
「可愛い妹のような君へ、そんな仕打ちはしないさ。冗談だよ。それなら、リリネットの気に入りへ推したのは間違いなかったね」
「殿下。あたくしのお砂糖ちゃんに何を」
「前にガーデンパーティーでカシュロのほうを気にしていただろう?」
四年前のパーティーのことをよく覚えておいでね。あたくしもシグの動きを覚えているけれど、そういうところが気に食わないのです。
「カシュロというより、挨拶に来た子ですわね」
「そのようだったね。カシュロと婚約はしなかったようだし。それでだ。その時に、私の側近候補の家の子がいたからね。ちょうどいいだろうと思って」
「地方の田舎の子を? あたくしのシグに?」
ねめつければ、殿下が笑ってはぐらかす。
「本人が乗り気なら、君は引く。そうだろう?」
「シグ、あの頃から多分その気だったしなあ」
カシュロ、同意の声を上げないで頂戴。あたくし、まだ認めませんからね。
「はは、リリネットのその顔が見られただけで気分がいいな。あ、お茶のおかわりをもらおう」
渋いお茶を淹れておやりと目線で合図をする。それくらいしたってよいでしょうね。ああ、気に食わないったら。
シグ。あたくしの後ろをついて、あたくしを尊敬のまなざしで見つめてくれる可愛い可愛い従妹。そんなシグの一身の愛情を受けられる相手が羨ましいわ。
せめてその顔が曇るような相手でないことを祈るしかできないお従姉様を許してちょうだいね。
そっと祈って、窓へと視線を向ける。
あの子のような燦々と輝く陽の光が外の景色へと降り注いでいた。




